5. 自然の香りの回復

 

◎ 自然は、人を支え、癒す。その意味で、都市にあっても自然が存在することはきわめて重要。

◎ 価値観が多様化する中で、自然に対する考え方、捉え方も人により異なるが、このような違い、対立を超え、市民やNPO、行政などそれぞれの主体が積極的に参画し、継続的な努力を払うことにより、都市の自然の保全を図っていくことが必要。

 

 都市を整備し、都市活動を行うということは、その反面、自然に負荷を加え、変容を強いる。例えば、水系において生物が棲息するための場の条件という面から見ると、都市においては、特に、@川が上下につながっているか、A細流、水路等のつながりが有効か、B冠水率の高い水辺(湿地)はあるか、C水辺林が連続しているかといった点で大きな問題がある。

 

 こうした状況において、自然の保全ということについて考えると、次のような全く異なる考え方が混在している。

 

 第1の考え方は、例えば、貴重な動物が棲息している地域にはできるだけ立ち入らず、外来種が入り込まないよう駆除するといった、バリアを築いて立ち入らせないというものである。

 

 第2の考え方は、人の手を加えて、自然の回復も期待し、よりよいものにしていこうというものである。

 

 第3の考え方は、これらの考え方とは全く異なり、もともとあった自然をなくしたところに、従来の生態系とは異なるいい環境、価値ある環境を改めて創出するというものである。例えば、明治神宮や新宿御苑がそれであり、このようなものは人間との関わりにおいての自然であるから、適正な管理なくしては維持できないものである。したがって、このカテゴリーに属する自然のありようは、その属する人間社会のレベルに対応したものとなるといった面がある。

 

 このように、都市における自然をどのように捉えるか、どのように保全していくべきかについては、多様な意見があるところである。

 

 また、都市の中の自然に対する人々の意識には大きな違いがある。例えば、ある個人の家で桜が咲いた場合、善意の第三者は美しいと思って通り過ぎるが、他方で、よけいな花びらが入ってきて困ると苦情を訴える隣人もいる。ある地域コミュニティでは例えば道路周辺の緑化に積極的に関わっていこうとするし、他のコミュニティではそういったものは行政が管理すべきものだといった著しい違いがある。

テキスト ボックス:  
ホタルを探す子どもたち(長野県長野市)

 一方、都市においては、例えば、春の「雨に濡れた土のにおい」といった自然の歳時記を人間に備わった五感を働かせて感じるといった経験がまれなものとなりつつあるが、それでも、苦しいことがあった時にお気に入りの川に行けば、そこで自然の安心感や開けた静けさに触れ何らかの支えを得られるとか、人間以外の生物とのふれあいの中で心が癒やされるといったことがある。

 

 また、オランダにおける市民による環境調査や農地での自然回復運動、横浜市の「市民の森愛護会」による民有林の下草刈り、枝打ち、枯れ枝の処理といった活動への参加は、自分が存在している空間、自然、社会、文化を理解し、そこに所属している意識、そこで自分が役に立っているという意識、いわば生きがいを醸成することができる。

 

 このように、その地域の人々の生活の中で自然との関わり合いは大きな位置を占めており、住民の意識と空間づくりを一緒に育てていく時間が必要である。そして、自然の保全は、行政だけでも、NPOだけでも容易にできるものではなく、それぞれの主体が継続的な努力を払うことにより初めて可能となるものであり、行政は明確な事業目的を持ったNPOと市民を支えていくことが必要である。

 

 以上のことから、価値観が多様化する中で、自然に対する考え方、捉え方も人により異なるが、このような違い、対立を超え、市民やNPO、行政などそれぞれの主体が積極的に参画し、継続的な努力を払うことにより、都市の自然の保全を図っていくことが必要である。

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