我が国の河川砂防技術の礎をつくったデ・レイケ
〜オランダより招かれた「外国人建設技術者」〜

 明治初めの政府は、我が国の近代土木技術導入の遅れから日本の技術者が育つまでの間、欧米より技術者を招き指導を受けることとし、海水面より低い国土であるが故に優れた水工事技術を有するオランダから技術者を招き、その一員としてデ・レイケも来日した。
 デ・レイケは、約30年の間に淀川、木曽三川、九頭竜川、利根川など我が国の主要な河川改修・砂防・築港の分野で多大な技術的貢献をした。その中で、明治13年(1880年)に不動川(淀川水系)の水源にあたる荒廃した綺田山に彼の指導で施した対策工を松方内務卿(現在の大臣に相当、松方は後に首相となる)と視察した時、デ・レイケは次のように演説をした。これには松方内務卿等も心服し、一層の信頼関係を築き、現在のような緑を甦らせることができた。


「閣下、…現在、下流にトラブルをもたらしている、ここに見られるような破壊、破滅は決して自然にそうなったのではありません。人間のなせる業なのです。…もし住民の好き勝手にしてもよく、彼らの根こそぎ取ってしまうという習慣(乱伐)を、強力で厳格な法律によって止めさせなければ、次世代には、このあたりは砂だらけになり、下流部は危険で無用な川のある沼地にしかならないでしょう。すでに現時点でも、平野部下流でこの土砂によるトラブルが大きくなっています。…」
-心より尊敬し、閣下(松方正義)に誠実な デ・レイケ土木局技師
(「日本の川を甦らせた技師デ・レイケ」より)


 このように実地で鍛えた技術力と鋭い洞察力からデ・レイケは、人と自然と川のつながりを保ちつつ川づくりを行った。このような考えは、現在の健全な水循環の構築に立った川づくりにも受け継がれ、今なお私たちの生活に恩恵を与えている。

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〈デ・レイケ略歴〉
1842年 オランダの輪中地帯で築堤職人の次男として生まれる
1873年 デ・レイケ来日、大阪港改修の調査にとりかかる
1875年 淀川の改修工事に着手
1878年 木曽三川の改修工事のための調査に着手
1891年 勅任官扱いの顧問(現在の建設省技監に相当)となる
1903年 明治政府より勲二等瑞宝章を授与される
 〃 年 約30年間の滞在を終え、日本を去る
1913年 アムステルダムで死去(享年70才)