第I部 人口の減少、少子高齢化の進展など人口構造の変化に対応した国土交通行政の展開 

(大都市圏内での人口の動き−都心回帰)

 大都市圏内での人口の動きをみると、東京圏においては、東京23区の人口は、昭和63年(1988年)以降減少を続けていたが、平成9年(1997年)に増加に転じ、以降増加の幅を拡大させながら、平成13年(2001年)までの5年間増加を続けている。東京23区とその周辺地域との間の転出入者数の推移をみると、23区から周辺地域への「郊外化」の移動の動きが収束する一方、周辺地域から23区へ流入する動きが漸増し、23区の人口増加につながっている様子がうかがわれる。
 また、大阪圏においても、大阪市の人口は、阪神大震災のあった平成7年(1995年)を除いて昭和63年(1988年)以降減少を続けていたが、平成12年(2000年)から増加に転じている。

 
図表I-2-1-4 東京23区と東京圏全体の人口増減率比較

1991年から2001年までの間で東京23区の人口増減率と東京圏全体の人口増減率を比較すると、東京23区の人口増減率は1995年までマイナスの値であったがその後急速に高い伸びを示し、1999年には、東京圏全体の人口増加率が0.45パーセントであるのに対し、東京23区の人口増加率は0.52パーセントと東京圏全体の人口増加率を上回ることとなり、より人々が都心部に集まってきていることがうかがわれる。
Excel形式のファイルはこちら


 
図表I-2-1-5 東京23区と周辺地域における転出入者数の推移

東京23区から周辺地域への転出者数が年々減少し、周辺地域から東京23区への転入者数が漸増したので、東京23区における周辺地域からの転入超過数は2000年にはプラスに転じている。
Excel形式のファイルはこちら


 
図表I-2-1-6 大阪市と大阪圏全体の人口増減率比較

1991年から2001年までの間で大阪市の人口増減率と大阪圏全体の人口増減率を比較すると、大阪市の人口増減率は阪神大震災後の一時的な人口増加を除いて1999年までマイナスの値であったが、2000年には、大阪圏全体の人口増加率が0.07パーセントであるのに対し、大阪市の人口増加率は0.15パーセントと大阪圏全体の人口増加率を上回ることとなり、より人々が中心部に集まってきていることがうかがわれる。
Excel形式のファイルはこちら


 このように東京圏及び大阪圏では、周辺人口の動きに比して中心部の人口増加が顕著となる傾向にある。近年、両圏域の中心部では都心の利便性を指向する根強い需要に支えられながら、マンションの供給が著しく増加しており、新設マンション着工戸数は、平成4年(1992年)から平成13年(2001年)の間に東京23区では5倍、大阪市では7倍に急増しており、このようなマンション供給の増加が「都心回帰」の大きな要因になっているものと考えられる。

 
図表I-2-1-7 東京23区及び大阪市における新設マンション着工戸数の推移

1992年の東京23区及び大阪市における新設マンション着工戸数はそれぞれ約1万戸、約2千戸であったが、2001年には、東京23区では約5万戸、大阪市では約1万4千戸と急激な伸びを示している。
Excel形式のファイルはこちら


 
図表I-2-1-8 距離圏別供給戸数構成比の推移(中高層住宅)

中高層住宅の東京圏における距離圏別供給戸数構成比の推移をみてみると、中心から20km圏内のものが全体に占める割合は、1991年は29.4パーセントにすぎなかったが、2000年には53.7パーセントと過半を占めている。また、中高層住宅の大阪圏における距離圏供給戸数構成比の推移をみてみると、中心から20km圏内のものが全体に占める割合は、1991年は32.4パーセントにすぎなかったが、2000年には62.4パーセントとなっている。
Excel形式のファイルはこちら


 

テキスト形式のファイルはこちら

前の項目に戻る     次の項目に進む