コラム・事例 「稲むらの火」をご存知ですか?  今からおよそ150年前、安政元年(1854年)11月(旧暦)、紀州広村(現在の和歌山県広川町)は大きな地震(安政南海地震)とそれに伴う津波に見舞われました。村は、36名の死者を出し、被害にあわなかった家は1軒もないなど、大きな被害を受けました。  このとき35歳になる浜口梧陵は、逃げ遅れた者が逃げる方向を見失わないように、道筋にあたる水田の稲むら(ススキや稲束を積み重ねたもの。浜口家の稲むらだったと言われています。)に松明で次々に火をつけ、村人を安全な場所に導きました。また、彼は、被災者用家屋の建設、農機具・漁具の配給を始め被災者の救済に尽力するとともに、私財を投じて高さ約5m、延長約600mの堤防(広村堤防)を築きました。広村堤防は、昭和21年南海地震の津波が広村を襲ったときには、村の居住区の大部分を津波から守りました。現在、町内には、浜口梧陵の偉業をたたえる碑が建立されています。  ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、明治29年の三陸沿岸の津波災害の惨状と、伝え聞いていた浜口梧陵の偉業をヒントに、“A Living God(生き神様)”という短編小説を書きました。その後、小学校教員の中井常蔵により小学生向けに書き改められ、「稲むらの火」と題して昭和12年から10年間小学国語読本(5年生)に掲載されました。「稲むらの火」は、浜口五兵衛という老人が、海が引くのをみて津波の襲来を予測し、何も気づかない村人にこのことを知らせるため、稲むらに火をつけ、安全な場所に避難させたという話です。「稲むらの火」は実際の話とは異なっていますが、これを学んだ小学生に深い感銘を与えるとともに、防災に関する基礎知識を伝えたと評価されています。最近では、平成16年12月のスマトラ島沖大規模地震及びインド洋津波被害の際に、「稲むらの火」が津波対策の好教材として注目を集めました。  私たちは、自然災害に周期的に襲われているいわば災害列島とも呼ぶことができる土地に住んでいます。改めてこの点を思い起こし、日ごろから防災に関する意識を高めていく必要があるのではないでしょうか。 ▲広川町「稲むらの火広場」にある銅像 ▲現在の広村堤防