第2節 国土交通省の総力対応 

コラム 困難を乗り越え実現した石油列車

 東日本大震災により、東北から関東にかけて点在する製油所のうち3分の2が操業停止となるとともに、交通インフラの被災により輸送が困難になったことから、被災地は著しい燃料不足に陥った。まだ雪が降り積もる避難所において、燃料不足のため満足な暖房も得られない状況が発生し、一刻も早い燃料供給が強く求められた。しかしながら、東北地方へと石油を鉄道輸送するルートとして通常用いられている東北線は、深刻な被害を受けており、利用できない状態であった。

 JR貨物では、こうした事態に直面し、数多の難壁を乗り越え被災地への燃料供給に貢献した。震災から3日後の3月14日には、不通となった太平洋側ルートではなく日本海側ルートでの輸送を実施することとしたが、日本海側ルートでの長距離の石油輸送は前例がなかった。そこで、JR東日本との間で線路、橋脚の耐性やダイヤについて調整を行うとともに、乗務員やタンク貨車の手配等の多方面にわたる問題を克服し、3月18日に第1便となる横浜(根岸駅)から盛岡への石油列車が出発した。
 また、3月25日には、横浜(根岸駅)から新潟を経由し、復旧した磐越西線を利用して郡山へ向かう石油列車も運行が開始された。同線内には、急勾配の区間があるため、石油の輸送にはDD51型ディーゼル機関車による重連牽引が必要となり、全国から同型の機関車を集め、運行の実現にこぎつけた。

 以後、4月半ばに東北線が復旧するまで、横浜・盛岡ルートでは、1日当たり約1,200〜1,400kl、累計36,849kl、横浜・郡山ルートでは、1日当たり1,200kl、累計19,892kl、両ルート合わせて56,741kl(20kl積みタンクローリー約2,850台分)が輸送された。
 
【東北線復旧までの貨物鉄道の運行状況】(4月14日時点)
【東北線復旧までの貨物鉄道の運行状況】(4月14日時点)

 
【DD51型ディーゼル機関車】
【DD51型ディーゼル機関車】


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