第3節 イノベーションの歴史

第3節 イノベーションの歴史

■1 世界における多様なイノベーションの歴史

(1)産業革命の歴史
 産業革命について歴史を振り返ると、第1次産業革命では、石炭エネルギーという動力の獲得により軽工業が、第2次産業革命では、石炭エネルギーから石油エネルギーへと動力の革新が起こったことにより重工業が発展し、第3次産業革命では、コンピューターを中心として情報通信産業が拡大した。今後、第4次産業革命では、「IoTにより全てのものがインターネットでつながり、それを通じて収集・蓄積される、いわゆるビッグデータが人工知能により分析され、その結果とロボットや情報端末等を活用することで今まで想像だにできなかった商品やサービスが次々と世の中に登場する」注17と考えられている(図表1-3-1)。
 
図表1-3-1 産業革命の歴史
図表1-3-1 産業革命の歴史

(2)交通の発展の歴史とイノベーション
 交通とは、人又はモノが空間を移動することである。人は、人の交流を通じて、また、モノの交易を通じて、文化を構成する知恵や技術等を豊かにすることで、人類の繁栄に寄与してきた。この意味において、人にとって交通は、単なる移動手段にとどまらず、人が文化的に、また、創造的に生きていく活力の源泉と言える。人又はモノが移動するに当たり、現在は歩く以外にも様々な手段を選ぶことができる。今となっては当たり前と思われる交通手段であるが、当時の人々にとっては、より効率性や利便性を高めようと技術開発をし、あるいは他分野で開発された技術を応用することにより、新たな交通手段を創出し、それに対応したインフラを整備し、関連する産業を発展させ、暮らしや社会経済に大きな影響を与えてきた。

(古代における交通の整備・発展)
 紀元前3000年頃、シュメール人により車輪が産まれ、紀元前2500年頃には馬・ロバ・牛等に引かせる荷車が用いられたと言われている。また、ローマ帝国時代には木製車輪の外側に鉄の輪を焼きばめた「鉄のタイヤ」が登場し、「すべての道はローマに通ず」という諺の由来にもなっているように、石畳の舗装による道路整備が行われた。政治、軍事、行政上の必要から、馬車が往来するための道として整備され、ヨーロッパの道路網の形成へとつながった。なお、日本では、江戸時代に代表的な街道を幹線とする五街道が作られたが、道が悪く狭かったことから馬車の出現は大変遅く、外国人が19世紀半ばに日本に持ち込んだことで初めて馬車が普及した。
 また、水上交通では、身の回りにあるものを浮かべ、身を託したところから始まり、木等をいかだにし、それを船として利用するようになった。エジプトの墓から発掘された陶器製の花瓶には紀元前4000年頃のものと言われている帆船が描かれている。また、地中海の貿易商人であるフェニキア人により、エジプトのナイル川に積荷を積んだ大型の帆船が交易船として登場した。帆船は、基本的に帆に頼って航行し、「人力」から「風力」へと動力が変化した。フェニキア人は、現在のシリア、レバノン、そしてイスラエルといった地中海の東の端にあった自分たちの拠点から、北ヨーロッパやアフリカの西海岸に向けて旅していた。帆船は進化をとげ、15世紀から17世紀半ば頃までの大航海時代には、大型帆船と羅針盤による遠洋航海技術によって、欧州諸国が世界へ進出した。なお我が国の水上交通については、島国という自然条件から古くから盛んであり、「古事記」や「日本書紀」において船に関する記述がなされている。隋との国交が開始するなど、人の行き来や海外との貿易が行われたが、江戸時代には、内航定期航路の廻船が発達した。廻船業者による定期航路の発生により、荷主である商人が自ら船を所有・運航する必要がなくなり、運賃を払うことで品物を運ぶことができるという、荷主と海運業の分離が起こった。
 荷主や船主の分担は、保険の考え方を産み出し、14世紀になると航海が失敗した際には金融業者が積荷の代金を支払い、航海が成功したときには金融業者に手数料を支払うという仕組みをイタリアの商人たちが考え出し、それが海上保険に発展したと言われている。また、海上でのリスクを分担するため、17世紀の初めにオランダ人が東インド会社を創設し、世界で初の株式会社を作ったと言われる。日本においても坂本龍馬達による亀山社中が商社の始まりとも言われており、海上交通や貿易から様々な経営手法の企業が産まれた。

(動力と輸送機関の登場)
■陸上交通
 第1次産業革命に伴い、長距離移動をする人・モノが増加し、運河や有料道路が発達した。工場の生産が拡大する中で、大量・高速かつ定時制の高い輸送需要が高まる中、運河輸送業者等は需要拡大に対して高い運賃を課す傾向があり、商工業者ら利用者の旧来の輸送手段に対する不満が高まっていた。新しい交通手段として、鉄道が注目され、英国では炭鉱地帯を結ぶストックトン・ダーリントン鉄道(1825年開通)、港町と綿工業・機械工業の中心地を結ぶリヴァプール・マンチェスター鉄道(1830年開通)以降、第一次鉄道ブームと呼ばれた1830年代に各地で鉄道建設が進み、主要都市を結ぶ幹線ルートが鉄道で結ばれるようになった。さらに1840年代には、幹線ルートからの支線建設を巡って第二次鉄道ブームが起き、各地で鉄道整備が進んだ。当初、運賃が高く鉄道の利用者は上流階級に限られていたが、1844年の鉄道法において、低運賃で三等の有蓋車両を運行することが鉄道会社に義務づけられ、鉄道の大衆利用が加速した。
 鉄道による高速かつ快適な移動は、人々の行動範囲を広げ、様々な物資の移動を容易にした。移動の高速化に伴い観光やレジャーの大衆化や、大量の観客の輸送が可能となったことから競馬やスポーツ観戦等が盛んになった。また、低運賃の鉄道の登場により、労働者が働く場所まで通勤するという習慣が普及した。物資の移動も活発になり、地方で生産される生鮮食品が都市住民の食卓に並ぶようになり、英国の国民食とも言われるフィッシュアンドチップスが英国中で食べられるようになった。
 日本における鉄道は、政府により1872年に我が国最初の鉄道が新橋・横浜間に開通した。西南戦争等により次第に財政がひっ迫した後は民間資本による私設鉄道の建設が進められ、1880年代半ばから私設鉄道ブームが訪れた。昭和期に入ると、都市化の進展に伴い郊外電車網が整備され、1927年には、浅草・上野間に日本最初の地下鉄が開通した。政府は財政的な制約の中で鉄道を先行的に整備し、1889年に東海道本線が新橋・神戸間で開通した。
 自動車については、1769年に蒸気を原動力としたものが産まれてから、ガソリン、電気、ディーゼルの順に次々と発明された。1860年には、フランスのルノワールが内燃機関(熱効率が蒸気機関の約3倍)の実用化に成功し、1862年にこのエンジンを使った自動車の試運転に成功した。ドイツ人オットーは1863年に2サイクルエンジンを、1876年には4サイクルエンジンの開発に成功した。1886年に、ドイツのダイムラー(四輪車)とベンツ(三輪車)により現在のガソリンエンジンとほぼ同じものが完成したのを皮切りに、フランス、英国、米国等でも今日に通じるガソリンエンジンの車の生産が始まった。19世紀後半には、ガソリン自動車、電気自動車、蒸気自動車がそれぞれ発達したが、1901年のテキサス油田の発見等により、ガソリンエンジンの普及に拍車がかかった。
 自動車は当初、貴族や特権階級のためのものであり、米国では約500の自動車メーカーが注文生産方式で生産していた。しかし広大な国土をもつ米国では、自動車が馬車に変わる移動手段として求められ、実用性を追求した量産車「T型フォード」が1908年に登場した。フォード社を設立したヘンリー・フォードは、低価格の大衆車をつくり、将来的には都市部の住民に留まらず農民のための車を作るというビジョンを有しており、安くて取り扱いやすく、丈夫な車を作ることを目標とした。その結果、部品加工や非熟練工の考え方を産み出し、大量生産によるコストダウンや運転の簡素化等を行い、1913年には食肉処理工場のベルトコンベアからヒントを得たとされる、史上初のベルトコンベアラインによる製造法が完成した。従来の自動車生産は、固定されたシャーシ(車台)の周りに多くの人が集まって行っていたが、ベルトコンベアラインによる製造法では移動式組立ラインが設置され、シャーシを移動させて人は動かない生産方式が導入された。1台当たりの生産時間が固定式組立の約12時間半から約1時間半へと8分の1に短縮された。
 安価なT型フォードの大量生産・販売により(図表1-3-2)、自動車が大衆に普及したことで、農民が都市生活者と同じような近代的な生活を楽しむことができるようになった。
 
図表1-3-2 T型フォード販売台数と価格の推移(1908年〜1916年)
図表1-3-2 T型フォード販売台数と価格の推移(1908年〜1916年)
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 日本では1898年に自動車が海外より持ち込まれ、1904年には国産車第1号とされる山羽式蒸気自動車を完成させた。馬車が普及していたヨーロッパでは、アッピア街道のように石畳で舗装されたまっすぐな道があり、従来の道でも車が走ることができたが、日本では、人馬のための坂道などの敷石による舗装や、馬車の交通のための砂利道などの路面づくりが行われていたにすぎなかった。1919年に道路法が制定されるとともに、東京や大阪などの大都市を中心に幹線道路の計画がつくられ、アスファルト舗装による道づくりが本格的に始まった。

■海上交通
 海上交通については、1807年、米国のフルトンが蒸気船を産み出した後、輸送効率の向上により19世紀後半には蒸気船が帆船を代替した。また蒸気船の普及と同時期に、鉄船へ、さらに鋼船へと移行した。タービンやディーゼル等動力の変化に伴い、20世紀初め頃は船の高速化が進められた。
 日本においては、1880年代半ばまでに蒸気船が和船を凌駕し、蒸気船の定期航路網を軸とする沿岸航路網が形成された。1910年代初期には、日本海沿岸も含んだ鉄道幹線網が形成され、海運から鉄道への輸送機能の代替過程が収束し、沿岸海運網と鉄道網による総合的国内交通網が形成された。

■航空交通
 1903年、世界で初めてライト兄弟が飛行機による有人動力飛行に世界で初めて成功した。定期航空会社は第一次世界大戦後に設立された。日本においても、カラスの滑空してくる姿を見て飛行原理を発見したと言われている二宮忠八は、英国王立航空協会の展示場で、その「玉虫型飛行器」の模型が展示され、「ライト兄弟よりも先に飛行機の原理を発見した人物」と紹介された。1911年に埼玉県所沢に軍用の飛行場が設置され、国内初の空港が建設された。1931年には、国営民間航空専用空港「東京飛行場」(のちの羽田空港)が開港し、1939年には、大阪伊丹飛行場が完成した。

(交通や輸送の進化)
■陸上交通
 モータリゼーションが進んだ米国をはじめとして、世界で高速道路の整備や自動車専用道路の整備が進んだ。第二次世界大戦中、ドイツではヒトラーにより国民車構想が掲げられ、アウトバーンも国策として作られ、1938年にはフォルクスワーゲンが登場した。米国では、本土が戦場とならなかったこともあり、GMやフォード、クライスラーが台頭し、自動車文明が急速に発達した。混雑解消のために有料高速道路が1940年代頃に建設された。
 日本においては、高度経済成長期を迎え、1964年には東京・大阪間の輸送力不足を解消するべく新幹線が登場し、東京と大阪の日帰り出張が可能となった。また、1970年の大阪万博開催時には、万博入場者6,400万人中約1,000万人が新幹線を利用するなど、新幹線の利用者が拡大し、関東から関西への移動など、人々にとって国内旅行がより身近なものとなった(図表1-3-3)。新幹線の成功により、欧米で古い技術とみなされてきた鉄道を都市間高速輸送システムとして再評価させることとなり、世界各国で高速鉄道の整備が進んだ。
 
図表1-3-3 東京・大阪間の鉄道の最短所要時間の推移
図表1-3-3 東京・大阪間の鉄道の最短所要時間の推移
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 道路についても、高速道路網が整備され、ETCが導入された。2001年3月より一般運用が開始されたETCは、車両のETC車載器にETCカードを挿入し、有料道路の料金所に設置された路線アンテナとの無線通信により、停車することなく通行料金の支払いを可能とするシステムである。スムーズな料金収受を実現させてきたETCは、2015年からETC2.0注18として、通行料金支払以外にも、渋滞回避支援や安全運転支援など運転支援という新しいサービスの提供を開始した。現在は、ETC2.0を通して収集した速度データや、利用経路・時間データなど、多種多様できめ細かいビッグデータを活用して、渋滞と事故を減らす賢い料金や、生産性の高い賢い物流管理など、道路を賢く使う取組みを推進している。

■海上交通
 海上運送については、第二次世界大戦後の急激な経済成長により、貨物量の増大とともに港湾労働者の不足が課題となっていた。人手不足による荷役作業の遅延は、その他の陸上輸送機関の効率にも波及していた。陸運会社を経営していた米国人のマルコム・マクリーンは、もともとトラック運転手であったことから、異なる輸送機関の間で輸送単位を共通化することが物流合理化の決め手だと考えていた。自身で購入した中古貨物船で、トラック(トレーラー)ごと船に積むことを試したが、積載効率を向上させるため、運転席や車両部分を切り離す、即ちトレーラーをシャーシとコンテナに分離し、コンテナ部分だけを船に固定するためのセルガイド方式を開発した(図表1-3-4)。
 
図表1-3-4 コンテナ輸送の変化のイメージ
図表1-3-4 コンテナ輸送の変化のイメージ

 1957年に海陸一貫輸送に成功した後、1961年に国際規格化を行い、1960年代は各国で港湾整備が進められ(図表1-3-5)、1967年には日本に初めてコンテナ船が就航した。その後コンテナ自体の強度を高め、多段積を可能にしたことも加わり、1970年代には世界中でコンテナ化が進み、コンテナによる貿易量が増加した。現在では船舶外貿定期輸送の約9割以上がコンテナ化したと言われている。近年では、45フィートコンテナ等コンテナの大型化が進んでいる。こうしたコンテナに関するイノベーションは、第3次産業革命以降の大量輸送社会に大きく貢献したといえる(図表1-3-6)。
 
図表1-3-5 ロジスティックスにおけるイノベーションの変遷
図表1-3-5 ロジスティックスにおけるイノベーションの変遷

 
図表1-3-6 日本の港湾における輸出入コンテナ貨物量の推移
図表1-3-6 日本の港湾における輸出入コンテナ貨物量の推移
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■航空交通
 1950年代末に本格した航空機のジェット化は、旅客機では1950年代から開始し、1960年代のうちに航空輸送全体に広がった。日本においては、1951年、第二次世界大戦後初となる国内定期便の就航を開始し、高度経済成長期である1964年には海外旅行の自由化と連動して旅客数が大幅に増え、1970年代にジャンボジェット機が登場した。また、1964年、東京オリンピックの年には首都高速1号羽田線が空港西出入口まで開通、浜松町−羽田(現・天空橋)間の東京モノレールが開通するなど空港へのアクセスも向上した。2012年にはLCCが登場し、近年では「賢く使う」ために空港の発着枠を拡大することや、機体の軽量化、耐久性の強化などに対応可能な新たな素材の研究が進められており、日本の技術力も期待されている。
 航空ネットワークの整備により飛行機で旅をすることが大衆化した。これにより、出張や旅行等をはじめとして日本と海外の交流が増加し、私達の暮らしに大きな影響を与えてきている。

(3)近年の世界の多様なイノベーション
■スマートフォン
 スマートフォンにより、電話やメールなど従来の携帯電話の機能に加え、パソコン用のウェブサイトの閲覧による多様な情報収集が可能となった。また、多種多様なアプリケーション(アプリ)をインターネット上にあるサイト(マーケット)から利用者自身が自由に選択してダウンロードすることで、利用者が自ら端末をカスタマイズすることができ、利用者自身のニーズに合った便利な使い方が可能となった。2007年、アップルが世界初のタッチパネル方式のiPhoneを発売したことにより、スマートフォンの普及が大きく進んだ。我が国では2008年に販売開始、同年にアップストアによりアプリの販売市場も整備された。2015年末には、スマートフォンの普及率は約72%となっており、年々普及率は高まっている(図表1-3-7)。
 
図表1-3-7 情報通信機器の普及状況(世帯)
図表1-3-7 情報通信機器の普及状況(世帯)
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 2016年の世界スマートフォン利益注19で約8割のシェアを獲得しているアップルは、iPodやiPhone、iPad等を用いたネットワークサービスをそれぞれ構築し、特にiPhoneにおいてはアップデートシステムの導入やアプリ開発の仕組みを公開し、新しいプラットフォームを形成した。機器やOSはアップル社内で開発しておりクローズにしている注20ものの、アプリについては、開発仕様をオープンにして第三者が参入してコンテンツを開発できるようなオープンイノベーション戦略をとっている。アップルは、アプリ開発者向けにソフトウェア開発キットを公開し、アプリ開発のために必要なプログラムや文書を配布し、審査を通過したアプリ開発者に対して明確な収入分配を設定した。これにより、アプリ開発者の裾野は広がり、プログラマーや学生など個人がアプリを開発するようになった。また、アップル社内では、新しく製品化する際、既存の組織とは別建てのチームを編成し、デザイナーやエンジニア等のアイディアを取り入れながら製品化していくことにより、革新的な製品やサービス等が産み出されやすいような組織作りを行っている。
 スマートフォンは、前述のようにアプリで様々な機能を付加することができる。総務省「ICTの進化がもたらす社会へのインパクトに関する調査研究の請負」(2014年3月)では、日本におけるスマートフォン購入後の他端末によるサービス利用頻度への影響として、「紙の地図」(41.6%)、「デジタルカメラ」(37.5%)、「パソコンの利用」(34.8%)等が「置き換わった」注21という回答となっている(図表1-3-8)。また、大学生のほとんど全員が、PCスキルを必要だと思っているが、全体の7割の学生がPCスキルに自信がなく、「マウスではなく、画面をタッチするとカーソルが動くと思いこんでいる」新入社員もいるという民間の調査結果注22も出ている。スマートフォンの普及は、このように既存のサービス利用に影響を与え、我々の暮らしに大きな変化をもたらしている。
 
図表1-3-8 スマートフォン購入後の他端末によるサービス利用頻度への影響(国内)
図表1-3-8 スマートフォン購入後の他端末によるサービス利用頻度への影響(国内)
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 その他、スマートフォンの普及はスマートフォン関連産業の創出や成長に繋がっている。アプリ産業の市場規模は、2012年には約84億ドルであったが、2016年には約353億ドルまで成長すると予想されている(図表1-3-9)。日本のゲームを発端として生まれたスマホゲームであるスーパーマリオランやPokémon Goは、アップストアで2016年に世界中でダウンロードされたアプリケーションのトップ10入りを果たしており、世界的に人気なサービスとなった。また、こうしたゲームが観光誘致等の地方創生に係る取組みや小売店や飲食店の販売促進に係る取組みに活用されるなど、新たな広がりを見せている。
 
図表1-3-9 世界のモバイルアプリ市場規模の推移と予測(課金種類別)
図表1-3-9 世界のモバイルアプリ市場規模の推移と予測(課金種類別)
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 その他、近年拡大しているサービスにスマートフォンが多く使用されている例もある。カーシェアリングでは、2006年に2,000人未満であった会員数が2016年には約84万人になっており注23、サービス利用に際しては、約8割の人がスマートフォンから検索・予約している注24との調査もあることからスマートフォンの普及がカーシェアリングのサービス拡大に大きく寄与していると考えられる(図表1-3-10)。
 
図表1-3-10 我が国のカーシェアリング車両台数と会員数の推移
図表1-3-10 我が国のカーシェアリング車両台数と会員数の推移
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 このように、スマートフォンの普及により我々の暮らしは大きく変化するとともに、新産業の創出など他産業へも多大な影響を与え、社会経済は大きく変化している。

■電子商取引
 インターネットの利用拡大により、2015年で約1.7兆ドルに達している電子商取引市場は、2019年には現在の約2倍の3.5兆ドルまで拡大すると予想されている(図表1-3-11)。商品だけでなく、自分の端末にダウンロードすることで書籍や音楽、映画等のコンテンツを購入できるようになり、インターネットは人々の購買行動に大きな影響を与えてきている。
 
図表1-3-11 電子商取引市場規模の推移及び予測
図表1-3-11 電子商取引市場規模の推移及び予測
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 アマゾンでは、過去の購買履歴などから顧客の志向を割り出すパーソナライゼーション機能や、扱っている商品に関する意見や感想をサイト上に自由に投稿・閲覧できるカスタマーレビュー、おすすめ商品が表示されるレコメンデーション機能等のサービスを提供した。こうしたウェブサイトの機能やサプライチェーンに関して、アマゾンでは自社開発の技術を活用している。例えばレコメンデーション機能では、新たなアルゴリズムの技術を開発したが、2011年のマッキンゼーアンドカンパニーの分析によると、アマゾンの売上高の35%がこのおすすめ商品によるものであり、こうしたアルゴリズムの開発は、売り上げに大きく寄与している。
 アマゾンの中核事業であった書籍販売事業を電子化するという戦略に踏み切った背景には、アップルがデジタル音楽市場でシェアを高めていたという経緯がある。既存の書籍事業を破壊する商品ともいえるキンドル注25は、書籍数の多さに加え、ユーザーが無料でアクセスできるネットワークを構築し、書籍のダウンロードを容易にした。
 また、アマゾンでは、実店舗に比べて売り場面積が限られていないことから、商品の種類を多く用意し、在庫を切らさない戦略(ロングテール戦略)をとっている。ユーザーがサイト上で商品を閲覧した際に在庫の有無をインストック率という指標で確認することも行っており、こうしたシステムにより、顧客の機会損失を防いでいる。
 サプライチェーンでは、物流の自動化を実現するロボットメーカーである(株)キバ・システム(現在のアマゾン・ロボティクス)を買収し、物流センターに自走式ロボットを導入した。日本においても、神奈川県川崎市の新物流拠点「アマゾン川崎フルフィルメントセンター(FC)」において、導入したロボット在庫管理システム(アマゾン・ロボティクス)の稼働を始めた。米国と欧州で先行導入しているシステムで、ロボットが倉庫内を動き、商品を運ぶことができるため、倉庫や物流センターにおける作業員不足を補完できると考えられている。
 我が国のネットショッピングの世帯利用率は、世帯主年代別に見ると、過去約10年間で全年代で上昇している(図表1-3-12)。個人利用率は全年代平均で7割を超え、年代別では60代以上の利用率が30代や20代以下の利用率をやや上回っている(図表1-3-13)。
 
図表1-3-12 世帯主年代別ネットショッピング利用率(二人以上の世帯、2002年・2014年)
図表1-3-12 世帯主年代別ネットショッピング利用率(二人以上の世帯、2002年・2014年)
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図表1-3-13 ネットショッピングの利用率(個人)
図表1-3-13 ネットショッピングの利用率(個人)
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 ネットショッピングは年々利用者が増えており、我々の購買方法は変化している。実店舗に行かなくて良いという利点は、高齢者等買い物難民の課題解決になりうる可能性があり、今後、より一層の利用が進むと考えられる。一方、近年、利用者の拡大により宅配便の取扱件数が激増しているが、物流業界におけるトラックドライバー不足は深刻化しており、宅配業者への負担が大きくなっている状況である。消費者が商品やサービスにアクセスして購入の意思決定及び決済を行うまでのプロセスにおいてイノベーションが起こる中で、実際に商品を消費者に届ける物流のあり方に対する荷主や利用者の理解と協力が必要となっている現状にあると言えよう。

■検索エンジン
 インターネットが身近なものとなり、我々の生活においてはネット利用時間が増加している(図表1-3-14)。かつては、我々はマスメディアを通じて情報に接する機会がほとんどであったが、現在では、インターネットを通じて様々な情報に直接アクセスする機会が増加している。その際、我々は検索エンジンを通して検索を行うことが多い。世界の検索エンジンのシェアはほぼグーグルの独壇場である(図表1-3-15)。
 
図表1-3-14 1日あたりのインターネットを利用している時間(仕事での利用を除く)(平日)の推移
図表1-3-14 1日あたりのインターネットを利用している時間(仕事での利用を除く)(平日)の推移
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図表1-3-15 世界の検索エンジンのシェア
図表1-3-15 世界の検索エンジンのシェア
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 検索エンジン会社は、検索後に表示される広告が、会社収益の大きな部分となっており、グーグルでは、アドワーズやアドセンスと言った広告プログラムに基づいた検索連動型広告による収入が収益全体の約9割となっている注26。1995年にスタンフォード大学の学生2人が、リンクを使用して個々のウェブページの重要性を判断してランク付けを行う検索エンジン(当初Backrub)を作成した。これが現在のグーグルの始まりである。
 グーグルの検索アルゴリズムは年間500回以上変更されている。アルゴリズムを組み合わせて独自の検索順位を決定しており、その結果が、「ウェブでも民主主義は機能する。」注27よう、研究開発を重ねて変更され続けている。一度で複数の異なる種類のデジタルコンテンツを混在させて表示するユニバーサル検索や、検索した事象に合わせて関連情報を簡潔に表示するナレッジグラフ、検索者が検索用語を入れている間に検索結果を表示する機能であるグーグル・インスタント、検索用語自体の予測をするグーグル・サジェストなどを開発した。
 イノベーションを産み出すために、グーグルでは「20%ルール」を義務化している。全ての従業員が勤務時間の20%を、通常業務を離れて取り組んでみたいプロジェクトに使うというルールであり、通常業務に支障が出ない限りは20%ルールをいつ実行するかは完全に自由となっている。
 東日本大震災では、発災直後、世界各国のグーグル社員が、この「20%ルール」を投じて、デジタル技術を活用した災害支援ツールの開発等のクライシスレスポンス(災害対応)にあたった。クライシスレスポンスチーム注28のマネージャーが、東京オフィスに連絡をとり、同社の安否確認サービス「パーソンファインダー」注29の始動を依頼したことをきっかけに、有志が自主的に集まり、同社のクライシスレスポンスが始まった。発災の1時間46分後に特設サイト「クライシスレスポンス」を立ち上げ、そのサービスの一つとして日本語版「パーソンファインダー」を公開した。さらに7時間半後には、パソコンでしか利用できなかった「パーソンファインダー」が、携帯電話でも利用できるようになった。
 また、同じく「20%ルール」から産まれたとされるサービスが「グーグルマップ」である。2005年までは有料であったグーグルマップの外部提供インターフェースが無償で公開されるようになり、他社が様々な情報と地図情報とを組み合わせて提供できることにより、多くの位置情報サービスが創設された。既存の技術の組み合わせにより、何度も地図をリロードせずにプラウザ上で地図を動かしサイズを変えることができた。更に検索結果を地図上に載せられるようになり、GPSと組み合わせて現在位置から検索結果までの距離や道順、所要時間などを利用者が把握できるようになった。
 グーグルのサービスは、ウェブサイトの検索だけでなく、スマートフォンやGPSの普及と連携して、災害時の緊急情報や安否確認、人々のスムーズな移動や観光における行動等にも大きな影響を与えている。


注17 日本再興戦略2016
注18 ETC2.0とは、車載器と道路側のアンテナである通信スポットとの高速・大容量、双方向通信により受けることのできる、世界初の路車協調システムによる運転支援サービス(渋滞回避・安全運転支援)のこと。ETC2.0搭載車では、料金所をETC無線通信により走行すると、大都市近郊区間では料金割引が発生する。また、大口・多頻度割引において割引対象道路(一般有料道路)として扱われる。
注19 Strategy Analyticsより。
注20 綱島駅と日吉駅の中間に坐したパナソニック工場跡地では、「綱島テクニカル・デベロップメント・センター(TDC)」が、米国以外では世界初のAppleの開発拠点として開業予定である。
注21 「ほぼ全てスマートフォンに置き換わった」+「かなり置き換わった」+「少し置き換わった」という回答を合計している。
注22 NECパーソナルコンピュータ(株)「大学生(1年生〜3年生)・就職活動経験者(大学4年生)、人事採用担当者を対象とするPCに関するアンケート調査」より。
注23 (公財)交通エコロジー・モビリティ財団ウェブサイトより。
注24 2015年にカレコ・カーシェアリングクラブが行った会員アンケートによると、「スマートフォンアプリ」が48.7%で最も多く、次いで「スマートフォンサイト」が29.7%となっており、全体の約8割がスマートフォン経由でカーシェアリングを利用している。
注25 アマゾンが販売する電子書籍リーダーのこと。2007年に販売が開始された。
注26 2015年度Alphabetアニュアルレポートより。
注27 グーグルのスタンス「グーグルが掲げる10の事実」の1つ。ページを参照しているリンクの質や数等を投票に見立て、それらを独自のアルゴリズムで解析し重要度を図っており、順位の高いものが検索結果の上位に来るような仕組みとなっていると言われている。
注28 世界各国の自然災害に対応するために常設されており、災害対応を職務とする社員から構成されるチームのこと。
注29 2010年1月のハイチ地震から導入されたクライシスレスポンスで、名前を入力して検索すると安否情報が確認できるサービス。


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