1 事故の発生状況と分類


(1) 昭和40年の事故

  昭和40年1月から41年8月までの間における民間航空機の事故発生状況は, 〔III−39表〕に示すとおりである。

  40年の事故件数は,前年の事故発生件数に比較して総件数において3件,7%の増を示し,このうち飛行機は前年と同じ,ヘリコプタは8件,18%の増,滞空機は皆無であった。
  また,40年2月愛知県知多半島上空付近で行方不明となった全日本空輸所属のDC-3型機は,40年4月存否不明として航空機のまつ消登録を行なったが,航空事故中特異なものとしてあげられる。
  同年の事故を運航形態別にみると,地上―飛行機1件,ヘリコプタ2件,地上滑走中―飛行機2件,離陸時―飛行機1件,ヘリコプタ1件,航路上―飛行機5件,ヘリコプタ22件(農薬撒布作業中17件),進入着陸時―飛行機8件,ヘリコプタ3件である。
  この分類において事故発生の最も多い運航形態は,飛行機にあっては前年と同様に進入着陸時であり,これは飛行機事故件数の47%を占めている。また前年と比較して離陸時の事故は減少したが,航路上の事故が若干増加した。ヘリコプタにあっては前年と同様に航路上の事故,とくに農薬撒布作業中のものが目立ち,ヘリコプタ事故の79%を占めている。

(2) 最近の主な事故

  昭和41年2月4日全日本空輸所属のB-727型機は,機長以下7名が乗り組み,旅客126名を乗せて千歳飛行場から東京国際空港に向け飛行中東京湾に墜落し,乗客および乗員計133名全員が死亡した。
  さらに41年3月4日カナダ太平洋航空会社所属のDC-8型機は,機長以下10名が乗り組み,旅客62名を乗せて香港から東京国際空港にレーダーによる精密進入中,最終進入経路で急速に降下し,C滑走路末端手前の護岸に衝突して炎上大破し,乗客および乗員計64名が死亡し,乗客8名が食傷した。翌3月5日英国海外航空会社所属のB-707型機は,機長以下11名が乗り組み,旅客113名を乗せて東京国際空港を離陸し,香港に向け飛行中富士山南々東二合輿付近,太郎坊の南西約1キロメートルの地点一帯に分解して墜落胴体の一部は炎上し,乗客および乗員計124名全員が死亡した。
  41年8月26日日本航空のチャーター機CD-880型機は,操縦者の技能証明の限定変更の実地試験のため,機長および航空局首席航空従事看試験官以下3名が乗り組み,東京国際空港を離陸のため滑走中,左に偏向して滑走路を逸脱するとともに発火し,発火後間もなく炎に包まれながら芝生地帯に擱座炎上した。
  搭乗者は全員死亡した。


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