第5章 沖縄県における交通方法の変更

  沖縄県においては,終戦後今日まで約30年間「人は左,車は右」の交通方法がとられてきたが,53年7月30日から本土と同様「人は行軍は左」の方法に切り替えられた。これは,復帰に伴う措置の一環として,今後沖縄県と本土との間の人的交流の増大にかんがみ,本土との交通方法の違いによる道路交通上の危険を除去すること及びわが国が加盟している道路交通に関する条約に定められた同一国同一交通方法の原則を遵守すること等の理由により実施されたものである。
  沖縄県における交通方法の変更は,同県の復帰以来の懸案であったが,従来の交通方法は,県民にとって長年にわたる重要な生活環境の一部となっていたものであり,これを変更することは県民生活の各方面に及ぼす影響がきわめて大きいので,その実施に当たっては,衆民の理解と協力を得て安全の確保を図りつつ行うことが重要な課題とされた。このため,政府は,沖縄県交通方法変更対策本部を設置し,同本部を中心として関係行政機関が相互に緊密な連絡を確保しつつ,交通方法の変更を円滑に実施するための諸対策を推進した。
  運輸省では,このための予算として,52年度20億2,900万円,53年度104億9,200万円を計上するとともに,沖縄振興開発金融公庫からの長期・低利の財政融資を講ずる等により,以下の諸対策を推進し,交通方法の変更が円滑に実施されるよう努力してきたところである。


(1) バス・タクシー対策

(2) バスターミナル対策

(3) 前照灯対策

(4) 安全教育に関する対策


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