はじめに

  1970年代は,我が国経済社会にとって,高度成長期に終りを告げ,第1次石油危機を契機とする戦後最大の不況の嵐を切り抜け,安定成長のレールに乗るまでまさに激動の10年であった。
  この間,運輸をとりまく内外の環境は,ますます厳しくなった。
  国内においては,いわゆる高度成長のひずみが昭和40年代半ば頃から顕在化し,物価の高騰,流通部門等低生産部門の立ち遅れ,生活関連社会資本の立ち遅れ,公害の発生,交通事故の増加,国土利用の過密過疎化の進展等への対応が,経済社会の運営にとって重要な課題となった。こうしたなかで,運輸の分野においても,大都市における交通混雑と通勤通学難,交通事故,交通公害,国鉄をはじめとする公共交通機関の経営悪化等の問題について対策の強化が迫られた。更に,輸送需要の増大,多様化,高度化へ対応し,国土の均衡ある発展を促進するための交通関係社会資本の整備・充実,日常生活に不可欠な地域公共交通の確保,また,第1次石油危機後は省エネルギー等について,運輸政策上重視する必要が増してきた。
  一方,輸送量は,旅客,貨物とも第1次石油危機を契機に落ち込み,1960年代に比べ全体として量的拡大のテンポは鈍化するとともに,実質国民総生産(GNP)と実質民間最終消費支出との相関関係も大きく変化した。また,産業構造及び立地構造の変化,国民生活の向上及び時間価値の増大等を背景に,輸送機関に対するその輸送特性に応じた利用者の選好は厳しくなり,急速なモータリゼーションの進展と相まって,各輸送機関の分担関係を主とした輸送構造の変化が進んだ。
  次に,国際環境の面では,70年代に入って世界の政治経済は激動期に入り,国際通貨不安から円の変動相場制への移行,中東戦争を契機とする第1次石油危機,世界的不況の進行等を背景に経済摩擦,石油情勢は深刻化した。一方,我が国はGNPで世界の約1割を占める世界第2位の経済大国として,欧米先進国と肩を並べ,その果たす役割はますます重要になってきた。我が国の貿易量は輸出入とも順調に拡大するとともに,日本人旅行者の大幅な伸びを主として国際交流は観光のみならず,経済,文化等の面でも一層活発になってきた。
  このように,運輸をとりまく内外の環境条件の動向,変化のもとに,経済活動と国民生活の基盤である運輸の分野においても多くの問題が山積し,運輸行政にとって苦難と試練の10年であった。なかでも,輸送活動を中心としてみると,次のような部門の様変わりが大きく,困難な問題をかかえて,引き続き,80年代に対策の推進ないし問題の解決が持ち越された。
  第1は,旅客輸送構造の変化と大都市,地方都市,過疎地等における公共交通の維持整備である。
  第2は,貨物輸送構造の変化と物流の合理化,近代化である。
  第3は厳しくなるエネルギー事情と省エネルギーへの運輸の対応である。
  第4は,昭和54年度に累積赤字が6兆円を超えた国鉄の経営危機の深化と昭和60年度を目標にした再建への道である。
  第5は,我が国海運の国際摩擦への対応と経済安全保障のための国際競争力の強化である。
  第6は,船舶の技術革新及び国際条約に対応した船員制度の近代化の推進である。
  第7は,第1次石油危機後,未曽有の不況に陥った我が国造船業の経営安定化と船舶輸出に係る国際摩擦の回避である。
  第8は,港湾空間の整備による物流革新,生産機能の再配置,地域開発の推進と,新たに環境整備とエネルギー対策に重点をおいた港湾関連施設整備の進捗と多様化である。
  第9は,内外の航空輸送の発展と,環境対策,安全対策に配慮しつつ,立ち遅れた東京・大阪二大都市圏の空港等の整備の推進である。