1 世の移り変わりと運輸問題


  昭和63年は,39年に初めて運輸経済年次報告が刊行されて以来25年目に当たる。この39年という年は,我が国経済の高度成長期半ばで,東海道新幹線が開業し,オリンピック東京大会が開催され,国際的には,我が国が国際通貨基金(IMF)8条国へ移行し,経済協力開発機構(OECD)に加盟して先進国の仲間入りを果たした年でもある。
  この四半世紀の間の輸送量の動きをたどりつつ,世の移り変わりが運輸に何を求め,運輸がどう応え,そして運輸が世の移り変わりにどのような影響を及ぼしてきたかについて振り返ってみることとする。

(1) 四半世紀の輸送量の動き

 (ア) 国内旅客

      旅客輸送量は,高度成長時代においては,人キロで年率7.7%と大きな伸び率を示したが,石油危機時代は年率2.4%と伸び率を鈍化させた。その後,安定成長時代においては年率2.3%と安定的に増加し,この四半世紀の間に人員で1.9倍,人キロで2.6倍となった 〔1−1−1図〕

 (イ) 国内貨物

      貨物輸送量は,高度成長を反映しておおむね年率8.4%を超える高い伸び率を示し,第一次石油危機までの10年間にトン数で2.4倍,トンキロで2.2倍に増加した。それ以後一転大幅に減少し,一時回復傾向が見られたものの,第二次石油危機により再び減少し,その後軽薄短小型への産業構造の変化に伴い,横ばいに推移している 〔1−1−2図〕

 (ウ) 国際旅客

      出入国者数の動きを見ると,出国日本人数は,39年の海外渡航自由化以後徐々に増加し続け,第一次,第二次石油危機後に落込みはあったものの,ここ2,3年の円高の進展もあり,この四半世紀の間に約31倍に増加している。また,入国外国人数も着実に増加し,約7.9倍となった 〔1−1−3図〕

 (エ) 国際貨物

      輸出入の動きを見ると,輸入については高度成長時代に年率14.5%と大きな伸びを見せたが,第一次石油危機以後は増減を繰り返しつつ,一定の水準を維持しており,また,輸出についても着実に増加してきたが,最近は円高の影響もあり,伸び悩みが見られる。39年と比較すると,輸入量は3.5倍,輸出量は3.7倍となった 〔1−1−4図〕

(2) 高度成長時代の運輸

  30年代後半から40年代にかけて,急速な経済社会の発達に伴い産業活動が活発化し,これに対応する運輸関係社会資本の整備の立遅れが指摘されていた。したがって,この時代の運輸行政の課題の第一は,旅客,貨物両部門における輸送力の増強・整備であった。
  他方,高度成長の歪みが顕在化した時代でもあり,交通事故の増大,公害の発生,過密過疎の進行等各種問題が生じ,これに対応して運輸行政の面においても第二の課題として交通安全・交通公害対策の推進,第三の課題として過密過疎問題への対応が迫られた。
  また,外航海運,造船業の充実強化と観光振興が国際収支の改善の面からも大きな課題であった。
  このように運輸行政をめぐる諸課題は複雑化していった。

 (ア) 旅客輸送力の増強・整備

 (a) 新幹線鉄道の整備

      戦後の復興に大きな力を発揮した国鉄は,30年代に線路の増設,車両の新造,輸送方式の近代化等を行ったが,特に,京浜,中京,京阪神を結ぶ東海道本線は,輸送需要の増加により遠からず行き詰まる見通しであったため,新規格の別線として東海道新幹線を建設することとし,34年に着工,39年東京オリンピックの直前に完成させた。これにより東京-新大阪間が当初4時間,40年11月からは3時間10分で結ばれて二大都市間が日帰り可能圏となり,開業後3年を待たずして42年7月までに1億人を輸送した。
      40年代においても,急増する輸送需要に適切に対応するため,安全確保に重点を置きつつ輸送力の増強を図る一方,新幹線鉄道については,東海道新幹線の好調な運営に促され,43年に山陽新幹線,45年に東北,上越及び成田の3新幹線を着工した。このうち,山陽新幹線は47年に岡山,50年には博多まで完成し,一日行動圏がさらに拡大した。48年までには,全国新幹線鉄道整備法に基づき,約7,000kmにおよぶ基本計画路線が策定された 〔1−1−5図〕

      また,新幹線を中心とする優等列車の座席指定等の増大する事務処理を飛躍的に向上させるシステムとして,大型コンピュータを利用した「みどりの窓口」が登場したのも40年であり,これは運輸における本格的な情報化の先駆けとなった 〔1−1−6図〕

 (b) 大手民鉄の輸送力の増強計画の推進

      民鉄については,大手民鉄14社が大都市における通勤通学輸送に対処するため,36年度以来輸送力増強計画を数次にわたり策定し,第3次計画が完了した46年度末までに,その間の旅客収入約1兆5,000億円の5割弱に相当する約7,000億円という膨大な投資により,新線建設,列車編成の長大化等の輸送力増強を行ってきた。この結果,主要線区におけるラッシュ1時間の平均混雑率は,第1次輸送力増強計画実施前の35年度末の228%から,46年度末には207%まで低下した 〔1−1−7表〕

 (c) 自動車時代の到来

      自動車は,所得水準の向上,道路の整備等を背景に30年代の後半から自家用乗用車を中心として爆発的に増加し,42年にはトラックを含めた自動車の保有台数が1,000万台を超えた。また,この頃には軽自動車も普及し,自動車時代の幕開けとなった。
      貨物輸送においても,トラックが41年にトンキロで鉄道を超えた。
      このような自動車輸送の発展は,40年の名神高速道路,44年の東名高速道路の開通により拍車がかかり,新幹線と併せて交通機関の高速化が進んだ。
      長距離の高速バスは,44年の東名高速道路の開通により,新たな高速交通機関として東京〜名古屋間に,国鉄及び民営共同出資会社の2社体制で登場したが,並行する新幹線等との競争激化のため,民営共同出資会社の高速バスは50年に廃止となり,その後58年に民営による長距離高速バスが復活するまでには約8年の期間が必要であった。

 (d) ジェット化,大型化による航空の大衆化

      航空では,35年に国際線,36年に国内線にジェット機が導入されて,高速化・大型化が進み,40年のYS-11型機の参入等により航空の大衆化の兆しが見え始めた。45年のジャンボ機の就航は,航空を本格的な大衆交通機関として位置付ける画期的な出来事であった。
      これらに対応して,42年度から空港整備五箇年計画が策定され,基幹空港の大型ジェット機への対応,主要な地方空港のジェット化等の整備が図られた。41年度末には東京国際,大阪国際,千歳,名古屋,福岡及び宮崎の6空港がジェット化空港であったが,第2次空港整備五箇年計画が完了した50年度末までには,釧路,函館,三沢,仙台,新潟,小松,松山,長崎,大分,熊本,鹿児島,那覇の12空港が相次いでジェット化空港として供用され,特に大阪国際,長崎,熊本,鹿児島の各空港は大型ジェット機対応の空港として完成した。また,この間函館,新千歳及び秋田の3空港が大型ジェット機対応空港,宇部,徳之島の2空港がジェット化空港として工事に着手された。
      さらに,国際,国内にわたる航空需要の増加により45年頃には行き詰まると予想されていた東京国際空港の処理能力の限界を打開し,我が国の国際的地位に応じた表玄関を整備するため,新東京国際空港の建設が開始された。
      これらの空港整備については,騒音問題に対する住民意識の高まり等の新たな課題に対応しなければならなかった。

 (イ) 物流近代化の推進

      物流の面では,40年代に入って,人件費の高騰,開放経済への移行に伴う国際競争の激化を背景に,生産活動の近代化に比べ遅れていた物流部門の近代化が関心事となった。

 (a) フルコンテナ船の投入

      外航海運においては,貨物のユニット化,荷役の機械化及び船舶の高速化による画期的な輸送方式として,43年フルコンテナ船が日本と北米西岸の間に投入され,海上コンテナ輸送が年々急速に進展した。また,輸送コストの低減を図るため,油送船の超大型化が進められるとともに,鉱石専用船,石炭専用船,自動車専用船などの専用船化,大型化が急速に推進された。ひとつの試算によれば,10万重量トンの油送船の積荷1単位当たりの運航コストを1とすると,20万重量トンのそれは0.75,30万重量トンのそれは0.65となっており,このようなコスト低減が我が国経済発展に寄与するところはきわめて大きいものがあった 〔1−1−8表〕

 (b) フレートライナーサービスの開始

      鉄道においても,コンテナを使用して鉄道のもつ大量高速性と自動車の機動力を組み合わせ,戸口から戸口まで協同一貫輸送するフレートライナーサービスが,44年4月に東京-大阪間,同年10月に東京-名古屋間で開始された。

 (c) カーフェリーとトラック輸送の進展

      長距離カーフェリー輸送が,43年8月に小倉-神戸間で開始され,全国長距離フェリー網が順次整備されていったが,その中でトラックの無人航送の増加も顕著であった。
      トラック輸送においては,協同一貫輸送やユニットロードシステム(コンテナ,パレット等)が進められるとともに,都市物流の合理化,交通混雑の緩和を図るために大都市周辺にトラックターミナルが整備された。

 (d) 港湾の整備

      港湾においても,32年以降,港湾整備五箇年計画を数次にわたり策定し,国内外の複合一貫輸送の進展に対応した外貿コンテナターミナル,フェリーターミナル等の整備を積極的に推進するなど,物流の変化に的確に対応しつつ,外貿拠点港湾あるいは国内流通拠点港湾等の整備を進めた。

 (ウ) 交通事故・交通公害

 (a) 鉄道における安全対策

      新幹線は39年の開業以来,乗客の事故は皆無という高い安全性を誇っているが,これは完全立体交差,列車集中制御装置(CTC)等の採用に負うところが大きい。他方,在来型鉄道においては,37年に三河島事故,41年に大手民鉄列車事故が連続して発生し,これらを契機として,自動列車停止装置(ATS)が国鉄の全線区及び民鉄の主要線区に設置され,安全性が飛躍的に向上した。

 (b) 航空における安全対策

      航空においては,航空機のジェット化や空港,航空保安施設等の整備により安全性の向上が図られてきたが,41年に大事故が相次ぎ,さらに46年には自衛隊機と民間機が空中衝突するという雫石事故が発生した。このことが管制区域の再編成と管制体制の充実を促し,航空路レーダ等の保安施設の整備,保安職員の訓練強化等が進められた。

 (c) 自動車事故防止と被害者救済

      自動車においては,事故による死者は,30年には6,379人であったものが,41年にはそれまでの最高の1万3,904人に達し,「交通戦争」という新語まで生まれた。30年から施行された自動車損害賠償保障法は,@加害者の賠償責任の強化,A責任保険締結の義務化,B政府の保障事業を特徴とした画期的なものであったが,40年代に入って事故が急増したため,道路運送車両法の保安基準の見直しやいわゆる「ダンプ規制法」の施行等が行われた。また,48年には被害者保護の増進等を目的とする自動車事故対策センターが業務を開始した。

 (d) 自動車排出ガス規制

      交通公害については,大気汚染の防止を目的として自動車排出ガスに対する規制が行われ,例えば四輪車(ガソリン乗用車)に対しては,48年規制では無規制時の41年と比較して一酸化炭素で45%,炭化水素で48%,窒素酸化物で70%に減少するように措置した。その後も順次規制を強化し,現在の規制値は,無規制時と比較してそれぞれ5%,8%,8%に減少している。これは,国際的に見てもアメリカで最も厳しいカリフォルニア州の規制と並び世界最高水準の厳しいものである 〔1−1−9図〕

 (e) 航空機騒音対策の推進

      航空機騒音に対しては,38年の東京国際空港でのジェット機の夜間・早朝の原則的発着禁止に続いて,40年に大阪国際空港について同様の措置がとられ,また42年には航空機騒音防止法が施行され,移転補償,防音工事等の騒音対策が講じられた。環境対策事業費は,空港整備五箇年計画の42年度以降,62年度までの実施額約3兆円のうち30%を超える約1兆円にも達している 〔1−1−10表〕

 (f) 海洋汚染の防止

      海洋汚染に対しても,42年に船舶からの油の排出が制限され,45年には油の排出規制の強化,油以外の廃棄物の排出規制,流出油等による海洋の汚染の防除のための措置等を定めた「海洋汚染防止法」が制定された。
      港湾についても,汚泥浚渫等の公害防止事業が港湾整備五箇年計画の中で取り上げられるようになり,汚染の著しい田子の浦港や水俣港などにおいて事業が行われた。

 (エ) 過密過疎問題

 (a) 新産業都市及び工業整備特別地域等と港湾

      30年代半ばから始まった高度経済成長に伴って,大都市への人口集中と地方の過疎化が進み,37年には東京都の人口が世界で初めて1,000万人を超えた。同じ年に策定された全国総合開発計画は,都市の過大化の防止と地域格差の是正を図ることを目的として,全国に開発拠点を整備すること等を明らかにし,これを受けて新産業都市及び工業整備特別地域を中心とする地域の開発が計画され,鹿島港,苫小牧港等の港湾がその核として整備された。両港は外洋に直接面した場所であり,港湾技術の粋を集め,日本を代表する大規模な堀込式の港湾として建設された。
      また,44年に策定された新全国総合開発計画においては,過密過疎問題に対処するため,地方における大規模工業基地の建設などの大規模開発プロジェクト等の計画が明らかにされ,これを受けて苫小牧東部地区,むつ小川原地域,周防灘に面する西瀬戸地域及び志布志湾地域等において,港湾整備等が進められたが,西瀬戸地域のように環境問題等により凍結状態になったものもある。

 (b) 大都市における公共交通機関の整備

      大都市においては,周辺部に人口が急増するいわゆるドーナツ化現象が起こり,通勤地獄に象徴される車内混雑,さらにモータリゼーションの進展と道路容量の不足とが相まって道路混雑,交通渋滞が深刻化した。このような道路事情は,バス,タクシーなどの公共交通機関の効率的な運行に悪影響を及ぼした。このため,地下鉄の建設,バス路線の見直し,バス専用レーンの導入等が進められた 〔1−1−11図〕

 (c) 地方バスの維持

      地方においては,自動車の普及も加わって,過疎地域における公共交通機関に対する需要は減少し,民営バス事業の路線の休廃止が目立つようになった。このため,41年には離島山村を中心とした地方バスの助成制度が開始され,47年には地方バス全体を対象とした本格的な助成制度が確立し,自らマイカーを運転できない者やマイカーを持たない人々にとって必要不可欠の足である地方バスの維持が図られた。

 (オ) 国際収支と国際競争

 (a) 外航商船隊の拡充

      外航海運は,30年代前半に長期停滞に陥っていたが,海外からの輸入原材料等の安定輸送を確保するとともに海運国際収支の改善を図るため,35年の外航船舶建造への利子補給の再開に引き続き,39年以後海運企業集約による6グループ体制の確立,集約企業に対する超低利の政府資金による計画的な船舶の建造等の再建策を講じた結果,日本の保有船舶(ロイド船級協会統計による100総トン以上の内航船を含む鋼船)は,40年には1,197万総トン,44年には便宜置籍国のリベリアを除き実質世界第1位の2,400万総トンに達し,貿易立国日本を力強く支える商船隊の拡充が図られた 〔1−1−12図〕

 (b) 造船業,輸出産業の花形に

      造船業は,31年に進水量において世界一を記録して以来好調に推移し,40年代にはおおむね世界の50%のシェアを維持した。これは特に,大型船建造の技術開発で時代を先取りしたためであり,40年代には20万,30万重量トン級の巨大タンカーの建造が相次ぎ,我が国の輸出産業の花形となった。

 (c) 国際観光の推進

      国際航空は,ジェット機の導入,路線の拡大,さらに39年の海外渡航の自由化等によって急速に成長した。
      また,観光においても,訪日外国人の増加と外国との経済文化交流の促進を図るため,国際観光振興会の設立,観光基本法の制定等の基本的枠組みを整備するとともに,さらに東京オリンピックや万国博覧会の開催,国連国際観光年等に伴って民間の宿泊施設等の整備を推進した。

(3) 石油危機の克服

 (ア) 二度にわたる石油危機

      46年のニクソンショックに始まった景気のかげりは,48年の第四次中東戦争に端を発した第一次石油危機により決定的なものとなった。石油供給不足によって経済活動の低下,すなわち物不足,諸物価の高騰が生じ,経済成長率は49年,戦後初めてマイナス(0.2%減)を記録し,消費者物価は23%も跳ね上がった。本州四国連絡橋や新幹線の建設が棚上げになる一方,国内エネルギー消費の14%を占める運輸部門においても燃料の確保が問題となり,公共輸送機関においては運行に支障を来たし,日常生活においてもガソリンスタンドの日曜休業等によりマイカーの利用が抑制される事態となった。
      その後,経済は回復に向かい始めたが,54年のイラン革命による第二次石油危機を契機に安定成長時代に入った。この間,「省エネルギー型社会」をめざし,省エネルギーや代替エネルギーへの転換が進んだ。運輸部門においても省エネルギー型輸送システムの導入,省エネルギー技術の開発・普及を促進する等陸・海・空にわたり総合的なエネルギー対策が進められた。

 (イ) 省エネルギーの推進と石油備蓄

      国内輸送機関の使用するエネルギーの8割を消費する自動車に対しては,燃費改善のための目標値の設定,型式指定の際の燃費の公表を行う一方,営業用トラックにおける共同輸送,鉄道における利用率の低い列車の削減,鉄道車両への電力消費の少ないサイリスタ・チョッパー車の導入,船舶の減速運転等公共交通機関のエネルギー使用の効率化を図った。
      また,輸送機関は代替エネルギーの利用が困難な分野であるが,55年に完成した帆装タンカーにあっては,帆のコンピューター制御の導入,船型の改良,排熱の利用などによって約50%の燃費改善を達成し話題となった 〔1−1−13図〕

      他方,エネルギーの安定供給を図るため石油備蓄が急務となり,タンカーを使用しての備蓄も大きな役割を果たした。また,港湾において大規模な国家石油備蓄基地が建設された。

 (ウ) 石油危機に伴う輸送動向の変化

      国内旅客輸送については,49年度以降その伸び率が鈍化し,とくに51年度は戦後の統計が整備されて以来,輸送人キロで初めて対前年度比で減(0.4%減)を示すに至った。第一次石油危機以降の実質個人消費支出(家計調査ベース)の伸び率が,それ以前の10年間の年平均4.8%に対し,48年度から53年度までの年平均1.04%と伸び悩み,節約ムードが衣食住ほとんどの分野で定着するなどにより旅行も手控えられたことが原因としてあげられる。
      国内貨物輸送については,輸送トン数が48年度から4年連続の減少,輸送トンキロが49,50年度連続して減少したが,その後回復に向かった。輸送トンキロでは,53年度に過去のピークである48年度の水準を上回ったが,輸送トン数では47年度の水準に達しなかった。

(4) 安定成長時代の運輸

  石油危機後,我が国経済は高度成長から安定成長へと移行し,これに伴い国民の価値観や欲求は多様化・多元化し,生活の質的充実が求められるようになった。このように経済社会が変貌を遂げるなか,国民生活と経済活動の基盤である運輸交通の分野においては,従来にも増して快適性,利便性,確実性等質的に高度な輸送サービスの提供が要請されてきた。しかしながら他方,国の財政は,国債残高の増大等によりその再建が深刻な政策課題となり,その制約の中で,このような要請に応えていくことが求められている。

 (ア) 交通施設の整備等による運輸サービスの改善

 (a) 高速交通機関の整備

      石油危機前後の経済の混乱が収まるとともに,交通施設の整備も再び着実な歩みを取り戻した。57年に開業した東北,上越新幹線は,高速交通機関のサービスを享受できない空白地帯を減少させ,一日交通圏を拡大した。これによって,ビジネス,観光両面にわたり両地域と首都圏との結び付きが深まった。なお,整備新幹線については,政府・与党により設置された「整備新幹線建設促進検討委員会」において検討中である。(第4章第1節1.(1)(ア)参照)
      また,高速道路網の整備の進展及びこれに伴う高速バスの急速な伸長とデラックス化は,これまで主として鉄道の分野とされてきた中・長距離輸送に新風を吹き込み,交通機関の選択の幅を拡げた。
      最近では青函トンネル瀬戸大橋が開通して日本列島が鉄道で一本に結ばれ,利便性の向上とともに人と物の移動の活発化が期待されている。

 (b) 都市交通の改善

      都市鉄道においては,企業の対応に加え補助金等の助成措置により,信頼性,利便性の高い効率的な公共輸送機関の整備が図られてきた。三大都市のみならず福岡,仙台等の都市でも,輸送力増強や道路混雑の緩和に資するために地下鉄等の整備が行われた 〔1−1−14図〕

      交通機関での快適性,利便性の向上を図るため,鉄道車両の冷房化や鉄道会社間の相互乗入れを進める一方,都市バスにおいては,バスロケーションシステム等の新システムによって活性化を図るほか,停留所上屋の整備,深夜バスの導入を進め,タクシーについても無線サービスの普及を図っている 〔1−1−15図〕

 (c) 地方交通の維持

      地方においては,公共輸送機関を利用せざるを得ない人の足の確保が引き続き重要な課題となっており,中小民鉄,地方バス,離島航路等の維持・整備が行われている。

 (d) 航空輸送の新たな展開

      国内航空はビジネス,観光等の足として定着し,国際航空も海外との交流の進展を背景に国内線以上の伸びを見せるようになった。このような状況を背景に,53年に開港した新東京国際空港は,需要に対応すべく引き続き整備が進められている。大阪湾では日本初の本格的な24時間運用可能な空港として62年,関西国際空港の建設が開始された。また,国内の需要増に応えるため,能力の限界に達した東京国際空港の沖合展開のプロジェクトも進行している。
      これら三大プロジェクトによる基幹空港の整備のほか,大量輸送時代に合わせた地方空港のジェット化が,第3次以降の空港整備五箇年計画においても進められ,62年度末で41空港がジェット化空港となっている。最近では,既存の航空網を補完するものとして,コミューター航空をはじめとする地域航空システムの整備が進められている。
      利用者の利便性の向上を図るため,航空企業間の競争を促進するという新しい施策が導入され,国際線の複数社化,国内線のダブル・トリプルトラック化,日本航空の完全民営化が行われた。さらに,国際線に係る方向別格差の是正を図るため,日本発運賃の引下げや,各種割引運賃の導入等のサービスの向上が図られている。

 (e) 新たな港湾の整備

      高度経済成長がもたらした経済的に豊かな社会は,国民の自由時間に対する意識を高め,港湾についても,海洋性レクリェーション等の「生活」に係る機能など多様性が求められるようになり,港湾整備五箇年計画に新たな色彩を加えた。このような中で,61年に策定されたいわゆる民活法等での民間活力の活用により,港湾の利用の高度化のための開発・整備は一層拍車がかかっている。物流と生産機能の拠点としての港湾から国際化,情報化等の拠点としての港湾をめざし,みなとみらい21計画(横浜港),竹芝地区再開発計画(東京港)等が進んでいる。

 (イ) 産業構造の変化,利用者ニーズに対応する物流

      石油危機以後の「重厚長大」から「軽薄短小」への産業構造の変化に伴い貨物輸送の構造は大きな変化をし,小口化・高頻度化が進んだ 〔1−1−16図〕

      物流は,一般消費者の質的に高度なニーズに対応することを求められるようになり,宅配便,引越運送,トランクルームサービスを中心に新たな展開を見せた。また,国際的にも航空機を利用した国際宅配便が脚光を浴びるに至った。これらについては,標準約款の制定,運賃・料金体系の整備等の消費者保護を図ってきた。また,都市住宅で当面使用しない物品を大都市圏周辺部等に保管し,宅配便等で必要時に取り寄せるという「フレイトビラ」事業を進めている。

 (ウ) 国鉄の分割と新会社の発足

      国鉄は39年度に初めて単年度で赤字決算となり,41年度には累積でも赤字計上となった。このため,44年以降数回にわたり再建計画が試みられたが,いずれも所期の目的を達成することができず,石油危機以後急速に赤字幅が拡大した。累積欠損は50年度末で3兆円に達し,その後も膨らみ続け,61年度末には15兆円を超えるに至った。
      このような状況の下で,国鉄は,抜本的改革として,62年分割・民営化され,百有余年の歴史の幕を閉じた。新たに発足した6旅客会社及び1貨物会社の経営はおおむね順調に推移しているが,国鉄清算事業団に帰属する約26兆円の長期債務等の処理,63年11月現在約4,300人の旧国鉄職員の再就職等残された課題は多い。

 (エ) 財政再建と民活

      国の財政の再建を進める中で,民間活力の活用と行政の効率化が強く求められるようになった。
      運輸の分野における民間活力の活用については,関西国際空港の建設に株式会社方式を導入するとともに,NTT株式売却益の活用により国際会議場等民間事業者による施設の整備が進められている。
      また,国鉄の分割・民営化,日本航空(株)の完全民営化が行われ,民間活力を活用する体制が整備された。
      運輸事業における諸規制は利用者利便の増進,安全の確保の観点などから行われているが,事業の活性化の観点から常に規制の見直しを行っている。
      61年12月の鉄道事業規制の見直しは,かかる観点に基づくものである。現在,トラックについて,事業活動に関する規制のうち,輸送の安全性の確保や労働環境の保全等に係るものは従来通り厳正な運用を図るとともに,事業区分をはじめ参入規制についてはその見直しを進めているところである。

 (オ) 外航海運,造船不況対策

 (a) 外航海運対策

      外航海運は,実質的には世界一位の船腹量を有し,主要資源のほとんどを海外に依存している日本の経済の発展に大きく寄与してきた。しかし,省エネルギーの浸透,代替エネルギーの開発に伴い,原油輸送需要は大幅に減少した。世界の原油荷動き量は54年の9兆4,520億トン・マイルから62年には4兆6,100億トン・マイルへと51.2%減少し,我が国の原油輸入でも54年の1兆3,500億トン・マイルから62年には8,540億トン・マイルへと36.7%減少し,タンカーの船腹過剰が顕著になった。このため,海運市況は長期にわたり低迷を続け,経営危機に陥る企業が続出した。
      また,産業全般の軽薄短小化もあり輸送需要が減少し,また台湾,香港その他の東アジア諸国に代表される発展途上国の商船隊の進出によってますます競争が激しくなった。さらに,最近の急激な円高が収入の大幅な減少をもたらす一方,この円高により発展途上国との船員費等のコスト格差が相対的に拡大し,海運経営を圧迫している 〔1−1−17図〕

      これに対し過剰船舶の処理,乗組員数を減らした近代化船の開発,運航コストの低減などの努力が続けられたが,一層の経営合理化を図るため船籍を便宜的に法制の緩やかな他国に移すケースも多くなっており,日本籍船の海外流出,いわゆるフラッギング・アウトの現象が生じている。

 (b) 造船不況対策

      一方,日本の造船業は,前述のようなタンカーを中心とする船腹過剰による世界的な新造船需要の減退,新興工業国の台頭,円相場の上昇等によって深刻な不況に直面した。造船業は地場産業として地域経済に与える影響が大きく,また我が国は世界造船界の主導的立場にあることから,船舶の建造能力については計画的な調整を図る必要があった。
      このため,54年度には35%,62年度には24%の過剰設備を処理することにより生産能力を半減するとともに,62年度には併せて集約化を実施した。
      また,これらの構造対策のほか,当面の需要の低迷に対応するための操業調整の実施,需要創出と仕事量の確保のため,官公庁船の建造促進,船舶解撤の促進を併せて実施している。

 (カ) 観光振興

      52年に300万人を超えた日本人の海外旅行者は,所得の向上や航空輸送の大衆化に加えて最近の円高による割安感から大幅に増加し,61年には500万人を超える一方,外客も日本の経済成長と国際的地位の向上に伴い,増加してきた。運輸省においては,日本人の海外旅行者数を62年から約5年で1,000万人に倍増することをめざす「海外旅行倍増計画」を策定して,海外旅行促進のための政策を実施しているが,62年には早くも683万人,63年も上半期の情勢から見ると800万人を超える勢いである。このような状況の中で,新東京及び大阪両国際空港の能力不足が顕著となり,国際空港の拡充整備が急がれている一方,国際線不定期便を中心として名古屋空港をはじめ地方空港の活用も促進されている 〔1−1−18図〕

      また,外客の誘致及び受入体制の整備として,全国36地区を国際観光モデル地区として指定したほか,民間活力を活用したコンベンション振興策等を進めているが,さらに,国内観光振興策を含めこれらの施策を総合的,計画的に推進するため,「90年代観光振興行動計画」を策定した。

(5) 経済社会の発展と運輸

  運輸は,時代時代を映し,陸,海,空の広範囲にわたって輸送力の増強をはじめとして着実な歩みを続け,経済社会の発展を支えるとともに,新幹線や大型ジェット機の導入が日本人のライフスタイルを変化させる等国民生活の向上に実り多い貢献をしてきた。
  運輸は,今後とも人々の暮らしとの係わりをますます深め,これからのライフスタイルの変化の方向に沿ったきめ細かいサービスが求められると同時に,日本人の新しいライフスタイルの形成を支援し,その選択範囲の拡大を通じて豊かな生活の達成と経済の活力ある発展に資することが期待されている 〔1−1−19表〕


表紙へ戻る 次へ進む