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| ここでは、 海員懲戒法時代に裁決のあった重大海難事件8件を掲載しています。 |
| 1 汽船金城丸汽船バラロング号衝突事件 英国のバラロング号 (4,192総トン) と軍用船金城丸 (2,038総トン) とが明治38年8月22日瀬戸内海姫島灯台付近で衝突し、 その結果、 金城丸は瞬時に沈没して旅客及び船員41人ができ死、 124人が行方不明となった。 また、 その遭難者の多くが日露戦争においてかくかくたる武勲をたて、 上陸地である宇品も間近くその喜びにひたっている矢先の海難であったから世間の同情をひき、 しかも相手船が外国船であったところから、 それだけ重大な事件としてけん伝された海難である。 本件は、 海員審判に付され、 翌39年1月29日東京地方海員審判所で第一審裁決があったが、 理事官及び被審人から控告がなされ、 同年5月18日高等海員審判所で裁決があった。 |
| 2 汽船秀吉丸汽船陸奥丸衝突事件 客船陸奥丸 (914総トン) と秀吉丸 (696総トン) とが明治41年3月23日恵山岬灯台の北東方 1 海里半の海上で衝突し、 その結果、 陸奥丸は沈没して旅客199人、 船内郵便係員1人及び船長以下乗組員11人がいずれも行方不明となり、 旅客1人ができ死した。 陸奥丸は、 明治10年7月に英国のグラスゴーにおいて進水した鉄製の客船で、 当初、 横浜・萩の浜間の航路に従事していたが、 当時としては速力が速く、 乗り心地もよいとの評判を得ていた。 本件は、 海員審判に付され、 明治41年5月23日東京地方海員審判所で第一審裁決があったが、 理事官及び被審人から控告がなされ、 同年10月9日高等海員審判所で裁決があった。 |
| 3 汽船三浦丸乗揚事件 沖縄沿岸航路に就航中の貨客船三浦丸 (140総トン) が明治43年10月11日、 暴風のため三重城燈台の北西約半海里の沖合の暗礁に座礁して乗組員4人と旅客34人ができ死し、 旅客3人が行方不明となった。 本件は、 海員審判に付され、 翌44年12月20日長崎地方海員審判所で裁決があった。 |
| 4 汽船うめが香丸沈没事件 汽船うめが香丸 (3,272総トン) が、 大正元年9月22日門司大里沖で停泊中、 暴風のため舷窓から浸水して傾斜し、 転覆、 沈没した。 同船は、 日露戦争当時我が国には脚の速い商船がなく、 有効に海軍を援助することができなかったため、 広く国民から義援金を募集し、 平時は商船として、 有事の際には補助巡洋艦として使用できる船舶の建造、 いわゆる義勇艦隊建造計画によって建造された第二船目の船舶で、 明治42年7月6日竣工したもので、 鉄道省の関釜連絡や青函航路の客船として使用されていた。 本件は、 海員審判に付されるとともに刑事裁判としても取り上げられ、 船長等に刑事罰が科せられた (控訴審では無罪) ため、 二重加罰だとして海員が大いに騒いだ事件でもあり、 また、 同時期に、英国の旅客船タイタニック号 (46,328 総トン) が氷山と衝突、 約1,500人が死亡するという大海難が発生し、 これの英国大法官による審問結果が海難の原因を各方面にわたり広く究明し、 種々の改善策を打ち出したものであったことから、 先進海運諸国へ多大な影響を与え、 我が国においても本件の海員審判について、 単に海員の懲戒のための審判ではなく、 多様な角度からその原因を究明すべきであるとの議論が沸き起こり、 海員の懲戒から原因の探究主義へと海難審判制度の転換を図るきっかけともなった。 海員審判については、 大正元年12月19日東京地方海員審判所で裁決の言渡があったが、 理事官及び被審人から控告がなされ、 同2年8月9日高等海員審判所において裁決があった。 |
| 5 汽船第一わかと丸転覆事件 汽船第一わかと丸(14総トン)が昭和5年4月2日,洞海湾で転覆し,乗客72名が死亡した。 第一わかと丸は若松市(現在の北九州市若松区)のえびす祭に訪れた参拝客などで定員超過の状態で、左舷に傾斜したまま若松港を出航し、戸畑港に向け航行中、波浪の影響で動揺して転覆。この事故を機に若戸海底トンネル建設案が浮上、戦後になって若戸大橋建設となった。 海員審判については、昭和5年5月22日門司地方海員審判所で裁決の言渡があったが、理事官及び被審人から控告がなされ、同年10月14日高等海員審判所で、いずれも棄却するとの控告審裁決があった。 |
| 6 汽船屋島丸遭難事件 定期旅客船屋島丸 (946総トン) が昭和8年10月20日和田岬沖合で台風のため沈没して旅客41名及び船員26名計67名が死亡し、 旅客2名が行方不明となった。 本船は、 大正4年英国で建造された鋼鉄船で船体は細長く、 英国の砲艦として使用されていたが、 上海で購入のうえ改造された船舶であった。 本件は、 海員審判に付され、 昭和9年2月10日大阪地方海員審判所で裁決があった。 なお、 本件は、 業務上過失船舶覆没並びに業務上過失致死被告事件として、 大審院まで争われた事件であった。 |
| 7 機船みどり丸機船千山丸衝突事件 みどり丸 (1,724総トン) と千山丸 (2,775総トン) とが昭和10年7月3日香川県地蔵埼南東方の瀬戸内海で衝突し、 その結果、 みどり丸は沈没して旅客92人及び乗組員6人ができ死し、 旅客8人及び乗組員1人が行方不明となった。 本件は、 海員審判に付され、 同年10月11日大阪地方海員審判所で第一審裁決があったが、 理事官及び被審人から控告があり、 翌11年6月9日高等海員審判所で裁決があった。 |
| 8 汽船第六垂水丸転覆事件 定期旅客船第六垂水丸 (122総トン) が昭和19年2月6日鹿児島県垂水を出港しようとしたところ、 桟橋付近で転覆沈没して旅客464人ができ死し、 2名が行方不明となった海難である。 なお、 当時は戦争中であったため、 新聞に数行報じられた程度であまり世間に知られなかった。 本件は、 同年7月17日門司地方海員審判所で裁決があった。 |