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機船ヘイムバード桟橋衝突事件

 本件は、ノルウェー国籍のヘイムバード(総トン数35,355トン)が、原油約57,200ロングトンを載せて、横浜に寄港し、その一部を揚げ荷したの ち約26,757ロングトンを載せたまま室蘭港に向い、水先人きょう導のもと、室蘭製油所の原油桟橋に右舷側を接舷する予定で、同桟橋付近で待機する2隻 の引船を使用することなく左舵をとって回頭中、同桟橋に著しく接近したため、左舷錨を投入して機関を後進にかけようとしたが、昭和40年5月23日午前7 時10分船首右舷側が同桟橋の角に衝突し、外板に破口を生じ、原油が噴出して原油桟橋と護岸との間に広がり、綱取船が係留索の授受に従事していたとき、同 船煙突からの火の粉又は同船発電機のブラシとスリップリングの間に発生した電気火花が、燃焼限界内となっていた原油蒸気に引火して海面が火災となり、これ がヘイムバードの前示外板破口を生じたタンク内の原油蒸気に引火し、爆発した。
 ヘイムバードは、原油桟橋近くの浅所に船尾船底を乗り揚げて動けなくなり、船長以下無事であった乗組員及び水先人が退船したあとも、数回にわたり各タンクが爆発したが、原油の抜取りや懸命の消火活動により、翌6月18日、27日間にわたる火災が鎮火した。
 その結果、原油桟橋が損傷し、綱取船の港隆丸は沈没、ヘイムバードは再用不能となり、ヘイムバードの乗組員8人が死亡、3人が負傷し、港隆丸の船長及び機関員が死亡した。
 本件は、外国籍の大型油送船が多量の原油を流出して引火、爆発した海難で、陸上施設が延焼して付近住民に避難命令が出されるなど、タンカー火災の脅威が改めて認識され、人々に大変な衝撃を与えた。
 本件については、昭和41年12月14日函館地方海難審判庁で第一審の裁決があったが、これを不服として、理事官及び受審人から第二審の請求がなされ、同44年11月29日高等海難審判庁で裁決された。

函館地方海難審判理事所の調査経過
 函館地方海難審判理事所では、発生から2日後の5月25日には、理事官を室蘭市に出張させてヘイムバードの船長、同船の水先人、綱取船の船長、港湾管理 者、原油桟橋の管理者などの事情聴取を行い、理事官は、ヘイムバードの水先人を受審人、室蘭製油所長、船舶所有者、室蘭市港湾部長をそれぞれ指定海難関係 人に指定し、更に、参審員参加を請求して審判開始の申立を行った。

函館地方海難審判庁の審理経過
 函館地方海難審判庁では、第1回審判を昭和40年11月29日開廷し、集中審理を重ねながら11回の審判を開廷して結審し、昭和41年12月14日裁決言渡が行われたが、この裁決に不服があるとして、受審人及び理事官からそれぞれ第二審の請求が行われた。

高等海難審判庁の審理経過
 昭和42年9月5日に第1回の審判が開廷された後、室蘭港防波堤入口付近の状況、引船と綱取船の状況、ヘイムバードの外板の状況などの実地検査が行われ、第9回の審判をもって結審することとなり、同44年11月29日第二審の裁決言渡が行われた。
その要旨は次のとおりである。

裁決
(船舶の要目)
船種船名 機船ヘイムバード
総トン数 35,355トン
長さ 236.22メートル
機関の種類 ディーゼル機関1個 18,000馬力

(関係人の明細)
受審人 水先人

指定海難関係人 室蘭製油所長 港隆丸運航者 室蘭市港湾部長

(損 害)
ヘイムバード 右舷船首外板破口、 各タンク引火爆発、 船体大破、 再用不能、 乗組員8名死亡、3名負傷
港 隆 丸 船体大破沈没、 船長ほか1名死亡

主文
 本件桟橋衝突は、水先人の運航に関する職務上の過失に因って発生したものである。

理由
 ヘイムバードは、昭和40年5月2日原油約57,200ロングトンを積載し、サウジアラビア国ラスタヌラを発し、横浜に寄港して揚げ荷したのち、左右 1、2番各サイドタンク及び中央4、5番タンクに計約26,757ロングトンを載せたまま、同月21日同地を発して室蘭に向かい、翌22日午後7時30分 室蘭灯台から273度1.1海里のところに投錨仮泊した。
 これよりさき水先人は、ヘイムバードの水先を求められ、この種の超大型船を室蘭製油所原油桟橋に係留するときいつも行なうように、同船を同桟橋にほぼ直 角に向けてこれに近づき、適当な距離となったとき左舷錨を投じて行きあしを止め、引船を使用して左舷回頭を行ない、船体を桟橋に平行の状態にし、右舷側を 横着けするつもりで、引船2隻と綱取船2隻とを手配した。
 ヘイムバード船長は水先人の乗船予定時刻の連絡を受けていたので、翌23日午前6時30分ごろ揚錨を終わり、船首を北西方に向けたまま水先人の来船を待った。
 その後まもなく水先人は、同船舷側に着き、同時34分ごろ昇橋し、船長から船の長さ、喫水、機関の種類などを聞き、機関及び舵に異常のないことを確か め、原油桟橋付近の水深が11メートルばかりであること、右舷側を桟橋に横付けするから右舷錨をおさめて左舷錨を用意するよう、また引船を2隻用意してい るが、押させるだけであるから引き綱をとる必要はない旨を告げたのち、同時35分ごろ機関を1時間8海里ばかりの微速力前進にかけ、右舵一杯を令して回頭 をはじめ、大根燈浮標が船首の左方にかわったころ機関を1時間12海里ばかりの半速力にかけ、航路入口に向けて進行した。
 同時49分ごろ室蘭燈台を右舷側約180度600メートルばかりに通過したとき、機関を微速力前進とし、防波堤入口のほぼ中央に向首する約90度の針路 として航路のほぼ中央を続航した。同時52分ごろ防波堤入口の手前1,000メートルばかりの地点に達したとき、水先人は、機関を1時間4海里ばかりの極 微速力に減じ、同時54分ごろ北防波堤燈台から248度400メートルばかりのところに達したとき、機関を停止し、原針路のまま惰力で進行した。
 同6時56分ごろ北防波堤燈台を左舷側約150メートルに通過し、同時57分半ごろ南防波堤燈台を右舷側150メートルばかりに通過したとき、水先人 は、船首を桟橋に向けるため左舵一杯を命じ、当時前進惰力が1時間4海里ばかりとなっていたので、舵効をよくするため機関を極微速力前進に数秒間かけた が、舵は予期したほどにきかず、同7時0分半ごろ船首が回りはじめて間もなく、原油桟橋導燈前燈を左舷正横前約2点800メートルばかりに見る位置で同導 燈一線を通過した。
 水先人は、この回頭模様を見て、原油桟橋にほぼ直角に向けて近づく当初の計画によって操船することが不可能であることを知り、計画を変更することとし、 この場合、速やかに行きあしを止め、引船を使用して回頭を援助させる以外に安全な方法がなく、当時原油桟橋付近に引船あさかぜ及び同富士丸が待機していた が、同人はこのまま自力で左舷回頭を続けても、原油桟橋に達するまでに船体を同桟橋と平行の状態にすることができるであろうと考え、引船を使用することな く、左舵一杯のまま、舵効をよくするため、ときどき短時間機関を極微速力前進にかけ、回頭しながら進行した。
 同時6分ごろ船首がほぼ0度まで回ったとき、製品岸壁前の係船浮標を右舷側150メートルばかりに通過し、この状態では、船体が桟橋に平行になるまでに 同桟橋に接触する危険が濃厚となったが、なおも行きあしを止めることなく回頭を続けるうち、同7時10分少し前船首の配置についていた一等航海士から、も う少し左に回さないと桟橋に衝突する旨の電話警告があり、それまで船橋を左右に歩きながら黙って水先人の操船を監視していた船長から桟橋が近いと告げら れ、水先人は、直ちに左舷錨投下、機関全速力後進を令したが、その効なく、同時10分左舷錨が投下された直後、機関が後進にかからないうち、船首が約 305度に向いたとき、右舷一番サイドタンクの外板が、原油桟橋西端のかどに約25度の角度で衝突した。
 衝突の結果、ヘイムバードは、衝突箇所から後方約2メートルにわたり、第7番、第8番船側縦通材の間の外板に擦傷を生じ、これに続いてその後方2メート ルばかりにわたって桟橋西端かど上端の食い込みによる細長い破口を生じ、右舷1番サイドタンクから原油が激しく流出した。
 原油の流出を知った水先人は、一刻も早く本船を係留して原油を揚荷することにしたが、やがて流出した原油がヘイムバードの右舷側と護岸との間の海面に広がった。
 午前7時20分を少し過ぎたころ、原油の流出が900キロリットルばかりで止まり、流出した原油は、同船と護岸との間の海面に濃厚な層をなして浮かび、 船首及び船尾を回り左舷側海面に広がり、船尾後方はオイルフェンスによって一応せき止められていたが、船首より前方の海面は北防波堤のほぼ中央以外の防波 堤内海面全般に広がり、ヘイムバード周辺の海面は、原油蒸気がかげろうのように肉眼で認められる状態であった。
 一方、水先人は、オイルフェンスが張られ、原油の流出が止まったのち、午前7時25分ごろ富士丸に左舷前部を、あさかぜに左舷後部を押すようそれぞれ指 令し、ヘイムバードの機関を極微速力後進にかけて、約30メートルを後退し、船橋前面が原油桟橋東端の東方約45メートルの位置となり、船尾からオイル フェンスまで約20メートルの距離となったところで船を停止して係留にかかった。
 水先人は、油送船を水先することが多かったが、原油についての研究不十分で、原油の浮流している海面に綱取船を進入させることが危険であることに気づかず、ヘイムバードを後退させた後、綱取船に船首から斜め前方の護岸上係留柱に係船索をとるよう指令した。
 また、綱取船の港隆丸は、船長が無線電話でヘイムバードが原油桟橋に衝突し原油が流出していることを聞き、その損傷模様を見るため、同船舶首に回ったと ころ、護岸上で綱取作業を指揮していた室蘭製油所動力課主査から船尾の綱取作業に従事するよう指示され、護岸沖10メートルばかり、オイルフェンスの外側 30メートルばかりのところで、機関を停止回転として漂泊し、富士丸に対し、無線電話で、「綱をとりたいがオイルフェンスがあって近づけない。」と連絡し た。
 当時港隆丸では機関室の天窓は閉鎖していたが、同室出入口の引戸及び上げぶたは開放しており、主機煙突の高さは海面約1.8メートルで、同煙突には火の粉防止用の金網を装着していなかった。
 ヘイムバードの船首係船索1本が護岸上の係船柱にとられたのち、水先人は、港隆丸に対し、船橋右舷側から手招きしながら早く船尾索をとるよう叫んだ。
 船長は、機関室出入口の引戸及び上げぶたを開放したまま、ただちに機関を前進にかけ、オイルフェンスの先端を回り、同7時36分ごろオイルフェンスの内側に進入した。
 当時、機関室出入口の下縁は、水面上約0.6メートルのところにあって、海面上に立ち込めた原油蒸気が同出入口から機関室に侵入し、時間の経過とともに次第にその濃度を増していた。
 船長は、オイルフェンス内に進入後ただちに、ヘイムバードの右舷船尾に自船の左舷船尾を近づけて機関を停止回転とし、機関員Kが、ヘイムバード船尾端の ムアリング・ホールから降ろされた化学繊維ロープを受け取り、その先端を2、3メートル残して港隆丸船尾の係船柱に巻き止め、ついで同ムアリング・ホール の右舷側約3メートルのところにあるフェアリーダーから降ろされていたマニラロープをとることになり、K機関員がボートフックを同マニラロープに引っか け、取り込もうとしたとき、同時37分ごろ港隆丸の煙突から火の粉となって飛び出したすすが、同船の周囲に滞留していた燃焼限界内の原油蒸気に引火した か、または、同船発電機の刷子とスリップ・リングの間に発生した電気火花が、機関室に滞留した燃焼限界内の原油蒸気に引火したかのいずれかの原因によって 火災となり、同船機関室左舷側至近の海面から火炎が上がった。
 火災発生直後、船長及び機関員は海中に飛び込み、火炎は周囲の海面に広がり、港隆丸を包み原油浮流海面を走るように燃え広がって、同時38分ごろヘイム バード右舷1番サイドタンクの前示破口から同タンク内の原油蒸気に引火して同タンクが大爆発を起こし、同タンク及びその付近が黒煙をあげて炎上しはじめ た。
 水先人は、船長とともに船橋から海面火災の発生及び右舷1番サイドタンクの火災の状況を見て、両人とも製油所のタンク群への延焼の危険を避けるため、ヘ イムバードを原油桟橋から沖に出すべく船長は自らテレグラフを引き、機関を半速力後進、次いで全速力後進にかけ、水先人が舵輪につき後退した。その折り、 ヘイムバードの右舷船尾下で機関を停止回転にしたまま無人になっていた港隆丸は、ヘイムバードのプロペラの羽根で船体をたたかれて大破し、ヘイムバードの 船尾付近に沈没した。その後船長及び水先人は、引きつづきヘイムバードの沖出しに努めたが、思うように操船できず、同8時7分ごろ原油桟橋導燈(前燈)か ら約113度430メートルばかりの地点において船首を298度に向け、船尾船底を乗り揚げた。
 水先人は、ヘイムバードを浅所から離そうとするうち、同8時24分ごろ中央1番タンクで第2回目の大爆発が起きた。この爆発後さらに他のタンクが誘爆す るおそれがあり、船長は人命の危険を感じ総員退船を命じ、最後の救命艇が本船を離れるのを見届け、同8時30分ごろ乗組員5名及び水先人とともにあさかぜ に移乗して退船した。
 第2回目の爆発発生後、火勢がさらに激しくなり、製油所の油タンクが誘爆するおそれがあったので、午前10時ごろ室蘭市助役を本部長とし、室蘭市消防本 部、室蘭海上保安部、製油所自衛消防隊等を構成員とするタンカー火災災害対策本部を製油所事務所内に設置し、消化活動等が行われた。
 その後、同10時12分ごろから同時37分ごろにかけて、中央3番及び右舷2番各タンクで第3回目の大爆発が起こり、大量の原油が海面に流出して輪西防 波堤付近まで達し、大規模な海面火災のため付近ふ頭も危険となったので、室蘭市から付近住民に避難命令が出された。
 更に、翌々25日午前6時3分ごろ中央5番タンク、左舷6番、7番各サイドタンクに引火して第4回目の大爆発が起こり、付近外板が破壊し、甲板が陥没し てさらに大量の原油が海面に流出し、火災海面が拡大したが、この爆発を境にヘイムバードの火勢は徐々に衰えを見せはじめ、27日間にわたり燃え続けた後、 翌6月18日午後1時完全に鎮火した。
 ヘイムバードは焼損はなはだしく再用不能、港隆丸は大破、沈没して同じく再用不能となり、また、北防波堤基部東側の漁船置場のいそ船1隻が全焼し、付近 の漁舟4隻が半焼し、漁網を焼失した。ヘイムバード乗組員のうち、一等航海士ほか7人が死亡し、ポンプマンほか2人が負傷した。港隆丸乗組員船長及び機関 員は、いずれも死亡した。
 本件は、ヘイムバードが室蘭製油所の原油桟橋に係留する際、同桟橋に衝突し、外板に破口を生じ、積載していた原油が同破口から海上に流出して本船周辺の 海面に広がり、燃焼限界内のガスとなって海面上に立ち込めた原油蒸気に引火して火災となったもので、その原因を究明すると次のとおりである。

第1原油桟橋衝突の原因
 ヘイムバード桟橋衝突は、水先人が大黒島西方の錨地から同船を水先して室蘭製油所の原油桟橋に係留するにあたり、同桟橋の南方から同桟橋にほぼ直角に向 けてこれに近づき、適当の距離となったとき左舷錨を投じて行きあしを止め、引き船を使用して左舷回頭を行ない、右舷側を横着けする計画で室蘭港の航路のほ ぼ中央を進行中、防波堤入口に近づき、機関を停止し、遅い速力で原針路のまま進行し、防波堤入口を通過したとき左舵一杯を令したのであるが、船首が回りは じめて間もなく、そのときの回頭模様から当初の計画どおりに操船することが不可能であることに気づいた場合、当時原油桟橋は左舷正横前約2点800メート ルばかりのところにあり、同桟橋に右舷側を横着けするには、さらに約14点の左舷回頭をしなければならなかったから、速やかに行きあしを止め、引き船を使 用して回頭を援助させる操船方法をとらなければならなかったのに、引き船を使用することなく自力で左舷回頭をして係留しようとした同人の運航に関する職務 上の過失に因って発生したものである。同船船長が水先人の行なった操船方法を黙認していたことは遺憾であるが、同人が室蘭に入港したのは今回がはじめて で、水路の状況に暗く、水先人の操船にみだりに干渉すれば、操船の安全を妨げるおそれがあることもあり、発言に慎重を要する立場にあったことを考慮し、同 人の所為は桟橋衝突の原因をなしたものとは認めない。

第2火災の原因
 ヘイムバードの外板に破口を生じたのは、同外板が桟橋西端前面かどの上端と衝突したためであるが同桟橋西端前面かどは、桟橋上面から下方約1メートルば かりのところから、その下方1.5メートルにわたる部分がゴム製防舷物によって保護されていたのみで上端のかどは、コンクリートが露出しており、また、ヘ イムバードの衝突個所は、船首部に近く、同部分の外板が外方に傾斜していたため、衝突個所の下方の外板が防舷物に接触するに先だって、その上方の外板がコ ンクリートの露出したかどに直接衝突し、ついで衝突個所の後方の外板で同かどをすりながら船体が前進したため破口を生じたものである。同かどの防舷材が もっと大きなものであるか、または、もっと高所まで防護されていたならば破口が生じなかったかも知れないが、桟橋及び防舷物は、船舶係留の方法として、船 体を桟橋に平行して停止したうえ、平行状態のまま静かに桟橋に接近させ、船体の平行部外板(パラレル・ボデイー)を接岸させるような通常の妥当な操船を行 なうことを前提として設計されるもので、水先人が行ったように、桟橋に大きな角度をもって前進惰力を持ったまま接近し、船首部に近く、外板が外方に傾斜し ている部分を桟橋端のかどに接触させるような異常な接触に対してまで十分な効果を期待することはできない。室蘭製油所長は、原油桟橋の管理運営の最高責任 者であるが、同人の所為は、ヘイムバードの外板に破口を生じた原因をなしたものとは認めない。
 次に、前示外板の破口から原油が海面に流出し、その原油蒸気に引火して火災となった原因を探究するに、港隆丸の煙突から排出された火の粉、または、同船 の発電機の刷子とスリップ・リングとの間に発生した火花が火源となったものである。この点について、水先人が多年室蘭港の水先人として油送船を操船しなが ら原油の性質を十分に知らず、港隆丸のようにディーゼル機関及び発電機を備えた船艇が原油蒸気の立ち込めた海上で作業をすれば火災の原因となる可能性が極 めて高いことに気づかず、係船索をとることを急ぎ、多量の原油が浮遊する海域に港隆丸を進入させたことは、その責を免れない。
 船長が水先人から多量の原油の浮遊する船尾付近に綱取船を進入させたいとの申しでがあった場合、これを取りやめさせなかったことは遺憾であるが、室蘭港 の綱取船などの性能、装備、火気管理の状況などを知らない同人がこれらの点を熟知しているはずの水先人から申しでを受けた当時の事情にかんがみ、同人の所 為に過失があるとは認められない。
 港隆丸船長が水先人からヘイムバードの船尾係船索をとるように命じられた場合、これを拒絶しないで原油の浮遊する水域に進入し、かつ、その際機関室出入 口を閉鎖しなかったことは遺憾であるが、ヘイムバードの係船作業の責任者で、高度の知識経験を有している水先人から手招きして早く綱をとれと命じられたの であり、ヘイムバードの船尾からすでにロープが下げられているのを見ては、このような水域に進入することに多少の不安を感じたとしても、これを理由に容易 に命令を拒絶しうるものとは考えられず、また、前示の命令を受けたとき、作業を急がねばならないと判断したことは想像に難くなく、このようなときに、同人 が常に機関室出入口を閉鎖した後でなければヘイムバードの船尾に接近しないものとも考えられず、同人にこれら思慮深い行動をとることを期待することはでき ない。また、前示のように、発電機の刷子とスリップ・リングとの間で電気火花を発し、これが火源となったことも考えられるが、同部には2アンペア内外の励 磁電流が流れ、正常な状態においても火花が発生することがありうるもので、火花が発生したとしても、これをもって発電機の手入不良とは断じられない。な お、船長が港長公示及び所属する会社の命令に従うことなく、煙突に火の粉飛散防止用の金網を取りつけないでヘイムバードの綱取作業に従事したことは遺憾で あるが、煙突に会社支給の金網を取りつけていたとしても火の粉の飛散防止に効果があったとは考えられず、これが本件発生の原因をなしたものとは認めない。
 港隆丸運航者が自社所属の係船作業従事者に対し、石油蒸気の危険性に関する教育がやや不十分であり、かつ、油送船の危険物専用岸壁係離岸作業を援助させ る自社の船艇に対し、港長命令に違反してストーブに残り火を保持したまま油送船の係離岸作業に従事することを容認し、煙突の火の粉飛散防止用の金網の取り つけが厳格に行われていなかったのにこれを放置し、主機排気管のラギングが完全でなく、一部露出していたところがあったのに、これを放置していたことは、 いずれも遺憾であるが、本件発生の原因と認めない。
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