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マリアナ海域漁船集団遭難事件

 南太平洋に出漁中のかつお・まぐろ漁に従事する多数の漁船が、台風の進路を避けてマリアナ諸島アグリガン島の島陰で漂泊していたところ、予想に反して台 風の中心が同島付近を通過し、6隻の漁船が沈没、1隻の漁船が陸に打ち上げられて大破沈没し、死亡及び行方不明者209人が生じた。
 昭和40年10月3日東カロリン諸島の北方海上において発生した熱帯性低気圧が台風29号となり、翌々5日午後1時の気象情報では、同日午前9時の台風 の位置は、北緯13度54分、東経148度48分にあって、その予想進路はマリアナ諸島のアナタハン島とグァム島の間を通過するとの予報であった。
 次いで翌6日には、台風は北北西に進行中で、アナタハン島より北方に位置するアグリガン島付近と同島の東北東約150海里の間を通り、最大風速は45 ノット、半径200海里以内は風速30ノットと発表されたところから、マリアナ諸島付近にいた漁船は、台風がアグリガン島東方を進むものとして同島南西の 島陰に避難して漂泊した。
 ところが予想に反して台風の中心が同7日午前3時40分ごろアグリガン島の東岸付近を通過したため、同島付近においては気圧940ミリバール、風速毎秒 70メートル以上、海上は大時化となった。各船は機関を全速力前進にかけ、風位の変化に応じて船首を風上に向けるよう努めたが、下表のように各船が遭難し た。
船  名 総トン数 備    考
第三永盛丸 159トン 船体沈没 乗組員32人行方不明2人救助
第八海竜丸 228トン 船体沈没 全乗組員32人行方不明
第十一弁天丸 160トン 船体は陸に打ち上げられ大破沈没 乗組員1人死亡
第五福徳丸 169トン 船体及び全乗組員31人行方不明
第八国生丸 178トン 船体及び乗組員29人行方不明乗組員1人死亡
第三千代丸 215トン 船体及び全乗組員42人行方不明
第三金刀比羅丸 181トン 船体及び全乗組員41人行方不明
 本件発生後、アグリガン島付近で漂泊して難を免れた漁船、同海域を航行中の船舶及び航空機により捜索が約1か月間行われたが、乗組員2人が救助され、1人の遺体と魚具等の漂流物が収容されただけであった。
 漁船が大型化、遠洋漁業化するなかで、多くの人命の喪失を伴った漁船の集団遭難は、漁業関係者はもとより一般社会の人々にも大きなショックを与えた。
 本件は、前記7隻の漁船について船舶所有者等を指定海難関係人に指定のうえ申立られ、昭和42年3月30日横浜地方海難審判庁で裁決された。

横浜地方海難審判理事所の調査経過
 横浜地方海難審判理事所では、前記7隻の船舶について調査を開始し、乗組員全員が行方不明となった船舶については、船舶所有者に該当船舶の性能、気象通 報の入手方法、本件のてん末といった事項について事情を聴くなど、証拠の収集に向けて全力を傾注し、これらの証拠を基に、理事官は、海難関係人として第十 一弁天丸については船長を受審人に、その他の船舶については、船舶所有者等を指定海難関係人に指定し、更に個々の事件について、参審員の参加を必要と認め るからこれを請求するとして、計7隻の遭難事件を発生から約4か月後の昭和41年2月12日、横浜地方海難審判庁に対し審判開始の申立を行った。

横浜地方海難審判庁の審理経過
 申立を受けた横浜地方海難審判庁は、7件の審理に当たって参審員の参加を決定し、審判の開廷は、当初個々の事件について、第1回ないし第2回の審判を開 廷し、受審人等の人定尋問及び事実審理を行ったが、その後、審判長は、「第十一弁天丸遭難事件」のほか6件の遭難事件について、7件の事件を併合審理する ことで審判を続行することになった。
 裁決言渡は翌42年3月30日各事件ごとに行われ、その主文は、いずれも「本件遭難は、台風29号の予測困難な異常の発達による希有の荒天に遭遇したことに因って発生したものである。」と結論づけている。
 マリアナ海域漁船集団遭難事件のうち、機船第十一弁天丸遭難事件について裁決をみると、その要旨は次のとおりである。

裁決
(船舶の要目)
船種船名 機船第十一弁天丸
総トン数 160トン

(関係人の明細)
受審人 船 長

(損 害)
第十一弁天丸 船体大破沈没、 甲板員1名死亡

主文
 本件遭難は、台風29号の予測困難な異常の発達による希有の荒天に遭遇したことに因って発生したものである。

理由
 本船は、鋼製漁船でかつおさおづり漁業に従事する目的で、昭和40年9月26日戸田を発し、マリアナ諸島付近の漁場に向かった。
 翌10月1日船長は、台風28号を避けるため、父島に寄せ、翌2日同地を発して続航するうち、船舶気象無線通報及びNHK漁業気象通報を受信したので、 天候に注意を払い、魚群を探しながら南下中、東カロリン諸島北方海上にあった熱帯低気圧が発達して台風29号となり、翌々4日午後7時気象庁から「午後3 時台風第29号が中心示度996ミリバールで北緯12.7度東経150.4度の地点にあって西に10ノットで進行中」と強風警報が発表されたが、本船は北 緯23度6分東経143度54分の地点にあったので、まだ、その影響が認められず、機関を全速力にかけ、南南東に進行した。
 翌5日午後1時の強風警報は台風が同日午前9時北緯13.9度東経148.8度の地点にあり、予想進路は西北西でアナタハン島とグアム島間を通過する旨 発表されたので、船長は、本船が台風の直接の影響を受けるおそれはほとんどないと思い、前日と同様に南下を続けたのち、明早朝から操業するつもりで漂泊し た。
 翌6日午前1時気象庁から5日午後9時の台風の中心示度が996ミリバールで北緯16.2度東経148度の地点に達し北北西に10ノットで進行中で、6 日午後9時には、アグリガン島付近と同島の東北東150海里の地点間を通過する。最大風速45ノット、半径200海里以内は風速30ノット以上である旨の 強風警報が発表され、その位置が北北東方に寄っており、予想進路もいままでのものと著しく異なるので、船長は、台風が北に進行するかもしれないと思い、台 風の推移に留意していたところ、本船がアグリガン島の北方15海里ばかりのところに達したとき、再び強風警報が発表され、台風が午前3時に北緯16.4度 東経147.2度の地点にあって北西に10ノットで進行し、明午前3時にアツソングソン島の東北東方約100海里の地点と同島の西南西方約100海里の地 点とを結ぶ線に達する旨が報ぜられ、これによると6日午後8時ごろアグリガン島の東西各100海里以内を通過することとなるが、5日午後9時から6日午前 3時までの台風の中心位置がほぼ西微北に寄っており、同島の西方を通過する傾向が強かったので、台風の左半円への避航を企てることは台風中心に入る懸念が あった一方、同台風より中心示度のはるかに低い台風第28号を多数の船舶が同島付近で避け得た例があったうえ、僚船もすでに同島に避泊していたので、同島 で荒天を凌ごうと考え、6日午前9時ごろ同島南西岸沖3海里半ばかりのところで漂泊した。
 その後同台風は北西に進行し、同日正午アグリガン島付近では北東の雄風となり、気圧は1,000ミリバールを示し、同日午後1時気象庁から「午前9時台 風が中心示度990ミリバールで北緯16.9度東経146.7度の地点にあって北西に10ノットで進行中、最大風速60ノット」との暴風警報が発表され、 アグリガン島の西方4、50海里を通過する様相となったが、もはや風浪をおかしてその中心から遠ざかることは困難であり、船長は、同所で漂ちゅうして台風 を凌ぐことを決意し、甲板室出入口等を閉鎖し、甲板上の移動物を固縛して荒天準備を行なったが、海錨を使用することなく、船首を風向に立てて漂ちゅうし た。
 同台風は、予想に反し、午後3時まで西進し、北緯16.9度東経145.8度の地点に達して北に進行しはじめ、中心示度は急速に下降して翌7日午前3時 暴風となって海水が絶えず甲板上に打ち上げ、展望が全くさえぎられるにいたり、船長は、機関を種々に使用して船首を北東に保持していた。
 同時40分台風は、アグリガン島東岸付近を通過してその後風位が次第に逆転しはじめ、これに伴って波浪が増大し、船長は、機関を種々に使用し、風位の変 転に応じ辛くも船首を風に立てるうち、西の風速毎秒70メートルをこえるにいたり、同6時30分ごろ西方を向いていた船首が急に風下に落されて左転し、風 浪を右舷正横から受けるようになり、一時に多量の海水が船内に打ち込み、左舷側に大傾斜して危険となり、機関を全速力前進にかけるとともに右舵一杯として 船首を風上に向け直そうとしたが、強烈な風勢と異常な風浪のため圧流され、同時50分本船は、船首が南方を向いたままアグリガン島沖2海里半ばかりの陸岸 に打ち上げられ、乗組員は陸上に避難するうち甲板員1人は海中に転落して死亡し、船体は大破沈没した。
 本件遭難は、第十一弁天丸が、アナタハン島付近の海上を西進する模様の比較的勢力が弱かった台風第29号をアグリガン島の島陰で避泊中、同台風が同島近 くにいたり、予想することが困難な異常な発達をして泊地に希有の荒天をもたらしたことに因って発生したものである。
 船長が、台風を避けるため、漂ちゅうする場合、海錨を使用して船首を風に立てて風浪を凌ぐことが望ましかったが、当時同人のとった所為に対しては、過失と認めない。

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