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漁船第二十八あけぼの丸転覆事件

 第二十八あけぼの丸が、冬期ベーリング海で遠洋底引網漁業に従事中、スケトウダラ50トンが入った足し袋網及び袋網を水切り後、船首を波浪に立てようとして左回頭をしていたところ、原料置場の差し板壁が壊れ、同置場の魚約27トンが流動化し、袋網後部を開放してスケトウダラ10トン余りを船尾から海上に流したが、船体動揺と魚などの流動化とが相まって激しく横揺れしたとき、開放したままの右舷後部ガベージ・シュートから海水が船内に流入し、昭和57年1月6日北緯54度5分西経178度25分において、転覆、沈没した。
 当時は、風速15メートルの東風が吹き、気温摂氏1.0度、水温摂氏2.4度で、船体着氷はなかったものの、波高5メートルばかりの東寄りの波浪があり、乗組員33人中、1人が救助されたが、24人が行方不明、8人が死亡した。
 本件については、昭和58年12月15日横浜地方海難審判庁で裁決された。

横浜地方海難審判理事所の調査経過
 横浜地方海難審判理事所は、本件を重大海難事件に指定するとともに、唯一の生存乗組員に対する事情聴取は勿論のこと、同型船の実地検査及び同型船乗組員の事情聴取、本船建造関係者からの事情聴取などを開始し、これらの証拠を基に、理事官は、審判関係人として受審人に第二十八あけぼの丸三等航海士、指定海難関係人に船舶所有者を指定し、更に、本件は原因の探究が困難な事件につき、参審員の参加を請求するとして、昭和57年8月31日審判開始の申立を行った。

横浜地方海難審判庁の審理経過
 横浜地方海難審判庁は、第1回審判を昭和57年12月2日に開廷し、その後、本船建造時の船体構造や救助模様等について証人に対する尋問等が行われ、第8回審判をもって結審し、昭和58年12月15日裁決の言渡が行われた。
裁決の要旨は、次のとおりである。

裁決
(船舶の要目)
船種船名 漁船第二十八あけぼの丸
船質・総トン数 鋼船、 549.64 トン
用途 遠洋底引網漁業
機関の種類・馬力 ディーゼル機関1個、 2,800馬力
進水年月 昭和49年5月
寸法 長さ×幅×深さ 52.0×10.80×6.65メートル

(関係人の明細)
受審人 三等航海士
指定海難関係人 船舶所有者

(損   害)
第二十八あけぼの丸 船体沈没、 乗組員33人中6人が救助されたが後5人死亡、 残る27人は死亡又は行方不明
 
主文
 本件転覆は、荒天揚網の際、たまたま荷崩れが生じたこと及び船側外板開口の閉鎖装置が開放されていたことのため、船体の動揺と傾斜とに伴って同開口から海水が船内に流入し、復原力を喪失したことに因って発生したものである。

理由
 第二十八あけぼの丸は、二層甲板型トロール漁船で、船橋を船首部に、機関室を船尾部にそれぞれ配置し、また、漁獲物処理工場区画が全通の船楼甲板とその下方にある上甲板との間に配置され、同区画には差し板壁で囲まれた原料置場及び船側外板開口(ガベージ・シュート)が設けられていた。
 本船は、第16次航としてベーリング海の漁場において遠洋底引網漁業に従事する目的で、姉妹船の第二十七あけぼの丸とともに、昭和56年12月10日三重県鳥羽港を発し、漁場に至って操業を続け、こえて同57年1月6日午後4時(船内時刻、以下同じ)船長総指揮の下に、当日第3回目の中層引網の揚網作業を開始し、やがてスケトウダラ50トンが入った足し袋網及び袋網を水切りした。
 その後船長は、いつものように船首を波浪に立て直すため、左回頭を始めたが、船体が漁網巻き上げ中の状態とは異なって大きく動揺し、その最中にたまたま高起した波を左舷側から受け、更に激しく動揺したため、原料置場の差し板壁が壊れ、同原料置場の魚約27トンが流動し始めた。
 操機長及び甲板員の両人は、原料置場近くで漁獲物処理作業に当たっていたが、同差し板壁の壊れに気付いて直ちに階段を上り、左舷後部作業甲板に急行して、一等航海士に同壁破損の異常事態を報告した。
 一等航海士は、北洋トロール漁船14年余りの経験により危険なことになったと判断し、直ちに長さ約2.5メートルのフック付きさおで袋網後部のチャックロープを引き掛け、袋網を開放してスケトウダラ10トン余りを船尾海上に流したが、船体動揺と魚などの流動とが相まって船体が激しく横揺れしたとき、張りをなくした袋網の1部が右舷インナーブルワークを越えて煙突ケーシング及び倉庫壁にもたれかかり、船体の右舷傾斜が増大し、没水状態となった開放したままの右舷後部ガベージ・シュートから海水が工場区画に流入し、更に船体の傾斜が急増した。
 船長は、操舵室から拡声器で「網を切れ、コツドサイドのチャックロープを引っぱれ。」と指令してVHFで僚船に船体が傾斜した旨を通報し、来援を求めた。
 これより少し前、三等航海士は、一等航海士と甲板員1人とが急いで袋網後部を解放したのを認め、差し板が破損したと直感し、右舷船尾に行って漁ろうウインチを操作し、前示袋網部を中央に引き戻す作業を行った。しかし、船体は、既に右舷端が水没する傾斜状態になっており、同袋網部が動かなかったので同作業を取り止め、トロールウインチにより同作業を続けようとしたが、これもはかどらず、そのうち船体は、横揺れがほとんどなくなり、右舷傾斜が30度を超え、構造物につかまらなければ人が立っていられない状態となった。
 三等航海士は、一等航海士とともに、船橋上部左側の膨張式救命いかだの投下に当たったが、これを投下できないでいるうち、右舷傾斜が更に増大するので、一等航海士の指示に従って左舷側船楼甲板に降りたところ、間もなく同6日午後4時57分(日本標準時では同日午後1時57分)北緯54度5分西経178度25分において、船首をほぼ北北西に向けて右舷側に転覆し、その後、船尾から沈没した。
 当時、天候曇、風速15メートルの東風、気温摂氏1.0度、水温摂氏2.4度で、船体着氷はなく、波高5メートルばかりの東寄りの波浪があった。
 転覆、沈没の結果、乗組員33人中、1人が救助されたが、24人が行方不明、8人が死亡した。

 本件転覆は、最上層の全通甲板から第二層にある全通甲板を乾舷甲板とする、船尾トロール式漁船第二十八あけぼの丸が、荒天模様のベーリング海漁場で揚網の際、たまたま原料置場の差し板壁が壊れ、同置場の魚が荷崩れを生じて流動化したこと及び乾舷甲板上の船側外板開口(ガベージ・シュート)の閉鎖装置が開放されていたことのため、船体の動揺と傾斜とに伴い、同開口から海水が重要な復原力算入区画に流入し、復原力を喪失して右舷側に転覆したことに因って発生したものである。

 船舶所有者が、乗組員に対し、操業上の安全指導がやや不十分であったきらいはあるが、このことが本件発生の原因をなしたものとは認めるまでもない。

(海難防止上の要望事項)
1 船側外板開口の運用及び設計・構造について
 船側外板開口は、設計面では閉鎖されていることが原則になっているが、運用面では同原則の認識が十分でなくなり、これまでこの種開口から海水が船内に浸水した海難事例が少なからず発生していることにかんがみ、運用面においては、同原則の認識を新たにし、同開口の開閉に深く留意して復原性確保を図ること及び設計面においては、なるべく開口数を少なくし、操業状態の海水流入角を考慮した開口位置で、容易に有効に水密を確保できるように、同開口の設計・構造を新たに検討して基準を設定することが望まれる。
2 救命設備関係の活用と研究改善について
 本船においては、船体が異常傾斜を生じてから短時間で転覆に至っており、その間系統的に行動計画をたてる余裕がなかったものと思われるが、膨張式救命いかだをはじめ、遭難信号自動発信機、落下さん付信号及びその他の救命設備関係が有効適切に活用された形跡はなく、甚だ残念なことであり、緊急事態の発生に即応できるように、平素救命設備関係の活用手段を修得しておくこと、同設備関係及びイマージョン・スーツ等が研究改善されることが望まれる。
漁船第二十八あけぼの丸参考図
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