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潜水艦なだしお遊漁船第一富士丸衝突事件

 横須賀港を基地とする海上自衛隊第二潜水隊群第二潜水隊所属の涙滴型潜水艦なだしおと船首楼付一層甲板型の鋼製漁船を改装した遊漁船第一富士丸とが、昭和63年7月23日午後3時38分ごろ横須賀港東部海域において衝突した事件で、当時、なだしおは第二潜水隊司令及び艦長ほか73人が乗艦し、伊豆大島北東方沖合において自衛艦隊展示訓練を行ったのち帰途につき、浦賀水道航路を北上して第二海堡付近に至り、浦賀水道航路中央第5号灯浮標を航過したところで左転し、同航路西側境界線の西方海域を、左舷艦首に帆走して北上するヨットを視認しながら西行中であり、また、第一富士丸は、船長ほか8人が乗り組み、旅客39人(うち1人は12才未満)を乗せ、遊漁の目的で、浦賀水道航路第5号灯浮標を左舷側に通過し、船首少し左方に帆走中のヨットを見て自動操舵で南下中であって、右舷艦首方から南下してきた第一富士丸の右舷船首と西行してきたなだしおの右舷艦首とがほぼ平行に衝突した事件である。
 衝突の結果、なだしおは右舷艦首部に凹傷を生じたが、第一富士丸は船首部に破口等を生じて浸水沈没、乗客及び乗組員の30人が死亡、16人が負傷した。
 本件については、平成元年7月25日横浜地方海難審判庁で第一審の裁決があったが、これを不服として、理事官から第二審の請求がなされ、平成2年8月10日高等海難審判庁で裁決された。
 
横浜地方海難審判理事所の調査経過
 横浜地方海難審判理事所では、翌24日には、横須賀市の自衛隊基地に入港した潜水艦なだしおについて船体の実地検査を行い、翌25日本件が多数の死亡及び行方不明者を出し、かつ、社会的反響も大きいことなどから、本件を「重大海難事件」に指定するとともに、横浜地方海難審判理事所に「特別調査本部」を設置した。
 横浜地方海難審判理事所では、まず、なだしおの乗組員から先に事情聴取を開始することになり、26日から28日の3日間に延べ11人に対して事情聴取が行われ、また、第一富士丸関係の事情聴取については、沈没する第一富士丸の機関室から辛うじて脱出し、救助されたものの負傷入院した機関長及び同じく入院中の甲板員に対し入院先の病院で行われたほか、8月1日及び2日の2日間にわたり、乗組員及び乗客延べ12人に対して行われた。
 実地検査については、7月24日のなだしおの船体検査に続き、同29日第一富士丸の船体検査が行われた。
第一富士丸 沈没により停止した
第一富士丸船内の時計

 更に、8月29日ドックに入渠したなだしおについて、再度実地検査が行われた。
 これらの証拠をもとに、理事官は、潜水艦なだしおについては、艦長及びなだしお所属の海上自衛隊第二潜水隊群(代表者群司令)を、それぞれ指定海難関係人に、また、第一富士丸については、船長を受審人に、第一富士丸所有者を指定海難関係人に、それぞれ指定して、昭和63年9月2日横浜地方海難審判庁に対して審判開始の申立てを行った。

横浜地方海難審判庁の審理経過
 横浜地方海難審判庁は、本件が昭和29年に発生した洞爺丸遭難事件に匹敵するほどの重大海難事件であり、社会的関心も高く当庁の審理経過が大変な注目を浴びていることから、特に厳正、中立、公平の姿勢を保ち、迅速適確な審理を目標に、その事前準備を行い、第1回審判が10月3日、遺族11名、報道関係者47名を含む約110名もの傍聴人が見守るなか開廷され、15回にわたって審理し、その間、受審人及び指定海難関係人並びに証人11人に対する尋問と証拠資料365点の証拠調べとが行われて、平成元年7月25日裁決の言渡しが行われたが、平成元年8月1日、理事官から、当裁決には不服があるとし、高等海難審判庁に対して第二審の請求がなされた。
横浜地方海難審判庁での審理模様
横浜地方海難審判庁での審理模様

高等海難審判庁の審理経過
 本件は、高等海難審判庁に係属後も新聞や各種週刊誌等が記事にするなど社会的な関心は相変わらず高く、第1回審判は平成元年9月20日に開廷され、14回にわたって審理を行い、その間、受審人及び指定海難関係人並びに証人13人に対する尋問と証拠資料443点にのぼる証拠調べとが行われて、平成2年8月10日裁決が言渡されたが、実に事件発生からほぼ2年後のことであった。
第二審裁決の要旨は、次のとおりである。

裁決
(船舶の要目)
船種船名 潜水艦なだしお 遊漁船第一富士丸
総トン数 2,250トン(排水量) 154トン
機関の種類 ディーゼル機関(2個) ディーゼル機関
出力 2,500キロワット 551キロワット
全長 76メートル 28.5メートル(登録長)

(関係人の明細)
受審人 第一富士丸船長
指定海難関係人 なだしお艦長(二等海佐) 海上自衛隊第二潜水隊群(代表者群指令) 第一富士丸船舶所有者

(損害)
なだしお 右舷艦首部に破口及びき裂を伴う凹傷
第一富士丸 船首部に破口等を生じて浸水沈没後、乗客等30名死亡、16名負傷

主文
 本件衝突は、なだしお、第一富士丸及び第三船が互いに接近する状況で進行した際、なだしおにおいて、第一富士丸に対する動静監視が十分でなく衝突を避ける措置をとらなかったばかりか、操舵号令が確実に伝達されず右転の措置が遅れたことと、第一富士丸において、なだしおに対する動静判断が適切でなく衝突を避ける措置をとらなかったばかりか、著しく接近してから左転したこととに因って発生したものである。
 海上自衛隊第二潜水隊群が、安全航行についてなだしお乗員の教育指導が十分でなかったことと、第一富士丸船舶所有者が、第一富士丸の運航管理が十分でなかったこととは、いずれも本件発生の原因となる。
 なお、多数の死傷者を生じたことは、両船がほぼ平行に衝突したとき、いずれにも残存速力があったため、第一富士丸がなだしおの艦首部に乗り揚がって横転し、短時間のうちに沈没したことによるものである。

理由
(事実)
 なだしおは、昭和58年1月に進水し、横須賀港を基地とする海上自衛隊第二潜水隊群第二潜水隊に属し、我が国防衛における海上自衛隊のなかで重要な地位を占める涙滴型の潜水艦で、その任務に備えるための訓練を行っており、浮上航行時、長さ8.15メートル、幅1.70メートル高さ約6メートルの艦橋部と艦体の一部及び艦尾縦舵上部とを海面上に現し、艦橋から艦内発令室及び運転室にそれぞれ舵及び機関の操作を命じ、針路及び速力の変更を行って運航されていた。
 また、海上自衛隊第二潜水隊群は、海上自衛隊自衛艦隊の潜水艦隊に所属し、同群の司令部、潜水艦救難母艦並びに第二、第三及び第四各潜水隊のほか横須賀潜水艦基地隊で編成され、同群所属の潜水艦乗組員に対する訓練及び教育指導の任にあたっていた。
 なだしおは、昭和63年7月23日第二潜水隊司令及び艦長ほか73人が乗艦し、伊豆大島北東方沖合において自衛艦隊展示訓練を行ったのち、帰途についた。
 同日午後2時45分ごろ艦長は、浦賀水道航路南方2海里付近において、昇橋して操艦の総指揮に当たり、水雷長ほか2人を艦橋見張りにそれぞれ配置し、機関を前進強速にかけ、約10.8ノットの速力で浦賀水道航路に沿って北上し、午後3時33分ごろ浦賀水道航路中央第5号灯浮標から約290度610メートルばかりの地点に達したとき、針路を270度に定めて続航した。
 そのころ艦長は、左舷艦首約27度1,050メートルばかりに浦賀水道航路西側海域を帆走して北上するヨットを、また、右舷艦首約28度1.4海里ばかりに同航路北口の浦賀水道航路第5号灯浮標西方の西側海域を南下する第一富士丸をいずれも視認し得る状況にあったが、見張員のみがヨットの存在に気付きその旨を報告したものの、艦長はこれを聞き流し、両船の存在に気付かないまま西行した。
 午後3時34分半ごろ艦長は、浦賀水道航路西側境界線を出たとき、右舷艦首約29度1海里ばかりに第一富士丸を、また、同時35分半ごろ左舷艦首300メートルばかりにヨットをそれぞれ初認したが、第一富士丸の前路を無難に航過できるものと判断し、その後第一富士丸に対する見張りが不十分となり、同船と衝突するおそれのある態勢で接近していることに気付かず、同36分ごろ同艇と著しく接近したので機関を停止するとともに長音を吹鳴したところ、ヨットが左転して午後3時37分少し前には同艇との衝突の危険がなくなったものの、第一富士丸との衝突回避の措置をとることなく進行した。
 艦長は、第一富士丸の動向を十分に確かめることなく、なおもその前路を通過できるものと思い、午後3時37分少し前再び前進強速を下令して増速中、午後3時37分少し過ぎ第一富士丸と400メートルばかりに接近したので衝突の危険が迫ったことに気付き、急ぎ短音一回と面舵一杯及び機関停止を続けて下令したが、面舵一杯が明りょうに伝わらず、そのまま直進し、続いて後進原速及び後進一杯を下令し、午後3時37分半ごろ面舵一杯を再び下令して右転を始めたところ、同時38分わずか前第一富士丸が左転して来るのを認め、衝突警報を下令した直後、艦首が約300度を向き3ノットばかりの前進行きあしとなったとき、第一富士丸の右舷船首がなだしおの右舷艦首とがほぼ平行に衝突した。
 また、第一富士丸は、昭和45年3月に進水した船首楼付一層甲板型鋼製漁船で、同58年11月に遊漁船に改造され、上甲板上に食堂兼居間などを新設し、上甲板下の魚倉を客室及び船員室に改造した。また、上甲板下の客室区画には、前後2箇所に幅約0.7メートルの昇降階段が設けられ、前部階段は左舷側から船首楼の甲板長倉庫に通じ、同倉庫後壁の右舷側出入口を経て外部に、後部階段は右舷側から内部通路を経て外部にそれぞれ通じていた。
 上甲板上各区画から外部への出入口は、サロンの左舷後部、内部通路後部及び釣具倉庫の左舷側に各1箇所と、同倉庫後壁左舷寄りに上甲板下の乗組員室に通じるもの1箇所とが設けられていたが、右舷側には機関室囲壁に1箇所あるのみで、いずれも鋼製の水密扉が取り付けられていた。
 船舶所有者は、レジャークラブ(遊漁船)の会員券募集代行などの業務を営んでおり、昭和62年3月第一富士丸を購入し、同船を遊漁船として運航、管理していた。
 こうして、第一富士丸は、船長ほか8人が乗り組み、旅客39人(うち1人は12才未満)を乗せ、遊漁の目的で7月23日午後2時15分ごろ京浜港横浜区を発し、伊豆大島元町港に向かった。
 船長は、第一富士丸の最大とう載人員を4人超過していることに気付かないまま離岸して自ら操船に当たり、午後3時29分ごろ浦賀水道航路第5号灯浮標を左舷側約91度950メートルばかりに通過したとき、機関を全速力前進にかけて9.8ノットばかりの速力とし、針路を148度に定め、自動操舵で進行したところ、間もなくして船首少し左方2海里ばかりに帆走北上中のヨットを、続いて午後3時32分ごろ左舷船首方1.7海里ばかりに西行中のなだしおをそれぞれ初認した。
 午後3時34分半ごろ船長は、なだしおが左舷船首約29度1海里ばかりに接近し、衝突のおそれがあると思い、左舷船首約10度1,600メートルばかりに見るようになったヨットとなだしおとは互に接近する状況にあったので、これを見守るうち、同時36分ごろ左舷船首1,000メートルばかりとなったなだしおが、ヨットの前路をそのまま通過する状況であったことから、同艦を先に航過させようとして機関を7.3ノットばかりの半速力前進に減じるとともに操舵を手動に切り替えて続航した。
 午後3時37分ごろ船長は、なだしおが500メートルばかりに近づいたが、すみやかに行き足をとめるか針路を右転するなど衝突回避の措置をとらず進行し、午後3時38分少し前ごろその距離が120メートルばかりになったとき、なだしおが右転していることに気付かず、まだ距離が200メートルばかりあると思い、艦尾を替わすつもりで左舵一杯にとり短音2回の操船信号を吹鳴して機関を微速力前進に減じたが及ばず、6ノットばかりの速力をもって船首が約120度を向いたとき衝突した。
 衝突時富士丸及びなだしおに残存速力があったので、富士丸は、船首がなだしおの球状の艦首部に乗り揚がって船尾が沈下し、ついで左舷側に大傾斜して横転し、開放中の乗組員室、釣具倉庫及び内部通路後部の左舷側各出入口から海水が船内に急激に侵入し、乗客に対する避難誘導等の措置がとられないまま、同3時40分ごろ横須賀港東北防波堤東灯台から108.5度3,250メートルばかりの地点に沈没した。
 船橋付近にいた乗組員とサロン上部甲板にいた10数人の乗客は、海中に転落したり、飛び込んだりして船外に脱出し、発泡スチロール等の浮流物につかまり漂流して救助を待ち、船長、乗組員1人及び乗客1人の計3人は、近くで展張していた膨脹式救命いかだに乗り込んだが、客室、サロン等船内にいた乗客及び乗組員は、いずれも閉じ込められて脱出することができなかった。
 一方、なだしお艦長は、富士丸が横転するのを認め、同3時39分ごろでき者救助部署を発動し、無線電話によって先航中のちとせに救助を依頼するとともに、せとしおに乗艦していた群司令あて漁船と衝突した旨を報告したが、付近の船舶に対し遭難信号を発することも海上保安庁に事故の発生を通報することもしないまま、その後機関を適宜使用して徐々に現場に近づき、救命ゴムボートの搬出及び部署についた乗員にでき者の発見に努めるよう命じるなど救助活動にあたった。
 午後3時46分ごろなだしおは、救命浮袋で漂流中のでき者1人を救助し、その後救命ゴムボートででき者1人を救助してちとせの内火艇に移乗させたほか、艦上から泳者を送ってでき者1人を救助した。
 ヨットの艇長は、衝突を目撃し、縮帆したのち機走で現場に急行して救助活動に参加し、膨脹式救命いかだに乗っていた第一富士丸船長ほか2人を救助した。
 せとしおの艦長は、中央第五号灯浮標の北方500メートルばかりのところで、横転した富士丸とその付近にいるなだしおを視認し、乗艦中の群司令に報告するとともにでき者救助部署を発動して直ちに現場に向かい、同3時50分ごろ衝突地点の北方600メートルばかりに至り、負傷者の手当に必要な器具類を準備し、横須賀港内から急行してきた海上自衛隊の引船VT59号に看護長及び補助者を乗せて松和丸に送った。
 一方、群司令は、事故の報告を受け、せとしおの艦橋で救助作業全般の指揮にあたったが、なだしおからちとせへの救助依頼及びくらまに乗艦中の護衛艦隊司令官あての通報を傍受したので、同司令官が事態を知っているものと思い、事故発生について上級機関等への報告を行わず、また、海上保安庁の巡視艇はなゆきが現場付近を航行しているのを認め、同庁への通報もすでに行われたものと思い、そのまま救助活動に専念した。
 ちとせは、多数の見学者を乗艦させていたが、救助依頼を受けて直ちに針路を反転し、無線電話で護衛艦隊司令官あて救助に向かう旨を報告して同3時52分ごろ現場付近に至り、医官1人と救助要員10人を乗せた内火艇を発進させて救助活動にあたらせ、でき者1人を救助した。
 また、松和丸は、西方1,000メートルばかりのところになだしおと富士丸との衝突を目撃して直ちに現場に急行し、同3時46分ごろ衝突地点の北方近くに至り、機付伝馬船を降下して漂流中の乗客及び乗組員合計12人を救助した。

 なお、海上自衛隊から横須賀海上保安部への連絡が行われたのは、午後4時ごろであった。
 衝突の結果、なだしおは、右舷艦首部に破口とき裂を伴う凹傷を生じたが、のち修理され、富士丸は、船首下部を圧壊して破口を生じるとともに、右舷ビルジキールに曲損を、中央部船底外板に凹傷をそれぞれ生じ、開口部から浸水して沈没し、サルベージによって引き揚げられたが、のち廃船となった。
 また、富士丸の乗客12人及び乗組員7人が救助され、そのうちの乗客11人及び乗組員6人が負傷して自衛隊横須賀病院で手当を受けたが、乗客の1人は病院に収容されたのち死亡した。
 沈没した富士丸の船内等から乗客25人と乗組員2人が、更に付近海底から乗客の2人が遺体となって揚収され、死亡者の総数は30人となった。

(原因の考察等)
1.航法の適用
 本件は、浦賀水道航路の中央線を横切り横須賀に向かって西行中のなだしおと、横須賀港の港域内を南下中の富士丸とが、同港第五区において衝突したものであるが、第三船の介在によって二船間の行動が制約される場合に当たることから、二船間のみに適用される海上衝突予防法第15条の航法規定は適用がなく、船員の常務によって律するのが相当である。
2.原因判断
(本件発生の原因は、「原因」の項で記述のため省略し、ここでは多数の死傷者を生じた原因について記述する。)
■衝突時なだしおに約3ノットの、富士丸に約6ノットの残存速力があったが、残存速力が少なければ、平行に衝突しても富士丸がなだしおの艦首部に乗り揚がって横転することはなかったと考えられるから、両船にこのような残存速力があったことは原因となる。
■富士丸の最大とう載人員は旅客36人船員8人の計44人であり、これを遵守しておれば47人の死亡者及び負傷者を生じなかったから、最大とう載人員を超えて乗客及び乗組員を乗せていたことは原因となる。
■富士丸の船内から外部への出入口が、前部及び後部に各1箇所あるほか、左舷側に3箇所あるものの、右舷側には機関室囲壁に1箇所あるのみであった。外部への出入口は、緊急時いずれの舷からも脱出できるよう左右舷同数設置されることが一般的であるが、本件の場合右舷側に3箇所の出入口があったとしても、衝突後左舷側に横転して短時間のうちに沈没したものであり、衝突直後船体が大傾斜したことからすると、客室、サロン等船内にいた乗客及び乗組員が船外に脱出できたとは考えられず、出入口の設置状況を原因と認めることはできない。
■富士丸の乗客及び乗組員48人のうち乗客12人乗組員7人が救助されたが、これらの乗客はいずれも衝突前甲板上に出ていたものであり、死亡者の大半が客室等の船内から揚収されていることからすると、なだしお側における救助の措置は原因とならない。

(原因)
 本件衝突は、浦賀水道航路西側の海域において、同航路を出て横須賀に向かって西行するなだしお、南下する第一富士丸及び北上するヨットが、互いに接近する状況で進行した際、なだしおにおいて、ヨットとの衝突のおそれが解消したのち、第一富士丸に対する動静監視が十分でなく、衝突を避ける措置をとらなかったばかりか、接近してからの操舵号令が確実に伝達されず右転の措置が遅れたことと、第一富士丸において、ヨットの前路を直進して自船に接近するなだしおに対する動静判断が適切でなく、衝突を避ける措置をとらなかったばかりか、著しく接近してから左転したこととに因って発生したものである。
海上自衛隊第二潜水隊群が、浮上航行時における安全航行の基本事項について、なだしお乗員の教育指導が十分でなかったこと及び第一富士丸船舶所有者が、多数の乗客を乗せる第一富士丸を運航するにあたり、最大とう載人員を超えた釣客を募集し、乗客の安全についてこの種の船舶に不慣れな乗組員に任せるなど運航管理が十分でなかったことは、いずれも本件発生の原因となる。
 なお、多数の死傷者を生じたことは、両船がほぼ平行に衝突したとき、なだしおに多少の、第一富士丸にかなりの残存速力があったため、同船がなだしおの艦首部に乗り揚がって横転し、短時間のうちに沈没したことによるものである。

(所為)
 第一富士丸船長が、第一富士丸に多数の乗客を乗せて浦賀水道航路西側の海域を南下中、西行するなだしおと北上するヨットとを認め、同艦がヨットの前路を直進する態勢のまま自船に接近するのを知り、同艦を先に航過させようとして半速力に減じた場合、引き続きなだしおの動静を監視して衝突のおそれの有無を確認すべき注意義務があったのに、これを怠り、なだしおが自船の前路を先に航過するものと思い込み、その動静を確かめなかったことは職務上の過失である。
 なだしお艦長が、なだしおを操艦して浦賀水道航路を出たのち第一富士丸とヨットとを認め、ヨットと無難に航過する状況になった際、第一富士丸に対する動静監視が十分でなく、衝突のおそれのあることに気付かず、衝突を回避する措置がとられなかったことは本件発生の原因となるが、同人がすでに海上自衛隊において懲戒処分を受け、乗艦に必要な資格の更新手続を行わず、乗艦勤務を断念したことに徴し、勧告しない。
 海上自衛隊第二潜水隊群が、安全航行の基本である見張り、他船に対する動静判断、衝突回避等について乗員の教育指導が十分でなかったことは本件発生の原因となるが、本件後同潜水隊群が、幹部職員に対する海上交通法規等の再教育、乗員に対する水上行船法、見張法等基本的な訓練、不測事態への対策強化等を実施したうえ、航行安全の教育訓練を継続して行っており、航海保安部署の発動を浦賀水道全域とし、また、潜水艦の装備について操艦系交話装置等を改良し、その他種々改善の措置をとったことに徴し、勧告しない。
 指定海難関係人第一富士丸船舶所有者が、多数の乗客を乗せる第一富士丸を運航するにあたり、最大とう載人員を超えた釣客を募集し、運航管理規程に準ずるものを作成せず、乗客の安全についてこの種の船舶に不慣れな乗組員に任せるなど運航管理が十分でなかったことは本件発生の原因となるが、本件によって唯一の所有船舶である第一富士丸が廃船となり、その後清算会社となったことに徴し、勧告しない。
潜水艦なだしお遊漁船第一富士丸衝突事件参考図

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