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引船第七十七善栄丸被引台船辰二五〇〇水中翼船こんどる三号衝突事件

 引船第七十七善栄丸は、コンテナ35個を積載した台船辰二五〇〇を船尾に引いて広島港を発し、神戸港に向けて音戸瀬戸を航行中、こんどる三号が、乗客50人を乗せ、松山観光港を発し、呉港経由で広島港に向け航行中に、平成3年2月20日音戸瀬戸の最狭部において衝突した。
 衝突の結果、台船は、左舷側外板の中央部から後方にかけてき裂を生じたほか、左舷灯掲示用の支柱を曲損し、こんどる三号は、前翼が脱落したうえ、左舷側前部外板に破口を生じて機関室に浸水し、のち廃船となった。
 また、こんどる三号の乗客50人及び乗組員5人が重軽傷を負った。
 本件については、平成4年3月30日広島地方海難審判庁で第一審の裁決があったが、これを不服として、理事官から第二審の請求がなされ、平成6年1月7日高等海難審判庁で裁決された。
入渠中のこんどる三号
入渠中のこんどる三号

広島地方海難審判理事所の調査経過
 広島地方海難審判理事所は、早速本件を「重大海難事件」に指定し、第七十七善栄丸及びこんどる三号の乗組員、こんどる三号船舶所有者関係者、造船所関係者等に事情聴取を行うほか、各船の損傷状況、音戸瀬戸の状況について実地検査などを行い、これらの証拠をもとに理事官は、第七十七善栄丸船長及びこんどる三号船長を受審人に、また、こんどる三号船舶所有者を指定海難関係人に指定して、平成3年6月18日広島地方海難審判庁に対して審判開始の申立を行った。

広島地方海難審判庁の審理経過
 広島地方海難審判庁は、8回の審理を重ねて、平成4年3月30日裁決の言渡しが行われたが、理事官は、当裁決に対し不服があるとして、高等海難審判庁に対して第二審の請求を行った。

高等海難審判庁の審理経過
 高等海難審判庁では、第1回審判を平成5年2月17日開廷し、3回の審理を経て、平成6年1月7日裁決の言渡しが行われた。
 裁決の要旨は、次のとおりである。

裁決
(船舶の要目)
船種船名 引船第七十七善栄丸 水中翼船こんどる三号
総トン数 130トン 129トン
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 735キロワット 1,618キロワット
被引台船 台船辰二五〇〇
積トン数 1,057トン

(関係人の明細)
受審人 第七十七善栄丸船長 こんどる三号船長
指定海難関係人 こんどる三号船舶所有者

(損害)
第七十七善栄丸 損傷なし
辰二五〇〇 左舷側外板に亀裂
こんどる三号 船体全損、乗客50人及び乗組員5人が重軽傷

主文
 本件衝突は、こんどる三号が、狭い水道のわん曲部に接近するとき汽笛信号を行わず、音戸瀬戸の最狭部を航行中の第七十七善栄丸被引台船辰二五〇〇引船列の通過を待たなかったことに因って発生したが、第七十七善栄丸被引台船辰二五〇〇引船列が、見張り不十分で、警告信号を行わなかったこともその一因をなすものである。
 こんどる三号船舶所有者が、水中翼船の音戸瀬戸における安全航行についての指導が十分でなかったことは本件発生の原因となる。

理由
(事実)
 第七十七善栄丸(以下「善栄丸」という。)は、全長27.00メートルの鋼製引船で、船長ほか2人が乗り組み、全長57.00メートル幅15.00メートル深さ3.50メートルの無人の鋼製台船辰二五〇〇(以下「台船」という。)にコンテナ35個を2段に積載し、船首1.20メートル船尾1.50メートルの喫水となった台船の左右先端両舷のビットにそれぞれ係止された直径28ミリメートル長さ約14.5メートルのワイヤロープ各1本に、直径80ミリメートル長さ約43メートルの合成繊維索を連結した引索でこれを船尾に引き、同船尾から台船後端までの長さを103.5メートルの引船列とし、船首1.80メートル船尾3.20メートルの喫水をもって、平成3年2月20日午後3時広島港第1区海田を発し、神戸港に向かった。
  善栄丸船長は、発航時から自ら操船にあたり、機関を350回転の全速力前進にかけ、約8.2ノットのえい航速力をもって、微弱な北流に抗しながら約8ノットの航力で広島湾を南下し、同4時17分ごろ音戸灯台から北23度東(磁針方位、以下同じ。)450メートルばかりの地点で、音戸瀬戸北口灯浮標(以下灯浮標の名称中「音戸瀬戸」を省略する。)を左舷側50メートルばかり隔てて通過したとき、針路を南に定め、機関を300回転の半速力に減じて約7ノットのえい航速力とし、約1ノットの北流に抗して約6ノットの航力で進行した。
  同4時19分半ごろ音戸灯台から南76度東180メートルばかりの地点に達したとき、善栄丸船長は、海図に記載された幅約60メートル維持水深5メートルの水路(以下「水路」という。)に沿う南23度西の針路に転じ、約2.2ノットの北流に抗して約4.8ノットの航力で音戸瀬戸を南下し、同時20分半ごろ同灯台から南32度東215メートルばかりの地点で、音戸大橋中央の橋梁灯と右側の橋梁灯とのほぼ中間に向首する南22度西に転針し、水路中央よりわずか右方を進行した。同4時21分半ごろ善栄丸船長は、音戸大橋の180メートルばかり手前に達したとき、左舷船首1点半600メートルばかりのところに、鼻埼越しに南口付近を西行するフェリー晴洋丸(総トン数699トン)を視認し、同船の監視を続けるうち、同時22分半ごろ同船が右方へ回頭しながら速力を減じたのを認め、自船の通過を待つものと思いそのまま続航し、間もなく音戸大橋の下を通過した。
  同4時23分少し前善栄丸船長は、左舷船首41度520メートルばかりのところに、高速力で南口灯浮標に向けて来航するこんどる三号(以下「こんどる」という。)を視認することができる状況であったが、保針に気をとられ、見張り不十分でこれに気付かず、警告信号を行うことなく進行し、同時23分少し過ぎ船首わずか左200メートルばかりに、水路に向く態勢となった浮上航行中のこんどるを初めて視認したものの、そのまま続航中、同時23分半わずか前こんどるが自船の左舷側を至近距離で航過し、同4時23分半音戸灯台から南1度西500メートルばかりの地点において、南22度西に向いた台船の左舷側中央部に、こんどるの前翼左端が、前方から約30度の角度で衝突した。
  当時、天候は曇で風力3の西風が吹き、潮候は下げ潮の中央期にあたり、衝突地点付近には2ノット余りの北流があった。
  また、こんどるは、船長ほか4人が乗り組み、同日午後3時40分松山港発の第11便として乗客50人を乗せ、船首尾とも約3.5メートルの喫水をもって、定刻どおり同港第1区の通称松山観光港を発し、呉港経由で広島港に向かった。
  こんどる船長は、機関長に右舷側の座席で機関操作と見張りを、操舵手に左舷側の座席で見張りとレーダーの監視をそれぞれ行わせ、自らは中央の座席で操舵操船にあたり、同3時42分半ごろ九十九島を右舷側150メートルばかり隔てて通過し、機関を1,300回転の全速力前進にかけ、フラップ角度を0度として約31ノットの速力で浮上航行し、同4時17分半ごろ情島北端を左舷側650メートルばかりに並航して双見ノ鼻沖合に向けて航行中、同時21分ごろ左舷船首方1,500メートルばかりの、南口灯浮標付近に先航する晴洋丸を視認した。
  同4時22分少し前こんどる船長は、このままでは音戸瀬戸の最狭部で晴洋丸に追いつくと思い、回転数を1,250回転に減じ、同時22分ごろ音戸灯台から南37度東1,340メートルばかりの地点で、双見ノ鼻を左舷側100メートルばかり隔てて通過したとき、針路を南口灯浮標の少し南に向首する北81度西に定め、回転数を浮上航行が可能な最低速力の1,200回転に減じ、約28ノットの航力で進行し、同時22分半ごろ同灯浮標から500メートルばかり手前に達したとき、晴洋丸が減速しながら右に回頭を続けているのを認め、同瀬戸を南下中の他船があるものと思ったが、そのころ鼻埼に遮られ、同瀬戸の最狭部を見通すことができない狭い水道のわん曲部に接近していたのに、長音1回の汽笛信号を行うことなく続航し、同時23分少し前音戸灯台から南10度東990メートルばかりの地点に達したとき、右舷船首61度520メートルばかりに、音戸大橋の下を南下している善栄丸引船列を初めて視認した。
  こんどる船長は、このまま浮上航行を続ければ、善栄丸引船列とは音戸瀬戸最狭部で行き会うこととなり、同引船列の大きさから判断して、無難に航過することが困難であることを知ったが、停止して同引船列の通過を待つことなく、予定時刻より遅れていることもあってなんとか同引船列と互いに左舷を対して航過しようと思い、同瀬戸に入るために右舵10度をとって右回頭しながら進行した。
  同4時23分わずか過ぎこんどる船長は、南口灯浮標を左舷側40メートルばかりに航過したのち、舵を徐々に中央に戻し、同時23分少し過ぎ水路に入り、音戸大橋中央の橋梁灯の少し右に向く北24度東の針路とし、同時23分半わずか前善栄丸を左舷側至近距離に航過したとき、少しでも早く同引船列を航過しようと思い、機関長に回転数を全速力の1,300に上げるよう指示し、そのころ船首が振れて呉市側の陸岸に接近しだしたことから急速に左舵をとったため、舵輪操作が重くなって舵が効かないと叫ぶうち、船首が左に振れて台船の方に向き始め、急いで右舵をとり直したが及ばず、船首が北8度西を向いたとき原速力のまま、前示のとおり衝突した。
  衝突の結果、台船は、左舷側外板の中央部から後方にかけ、水面上約1.2メートルのところに長さ約1メートル及び約5メートルのき裂を生じたほか、左舷灯掲示用の支柱を曲損したが、のち修理された。また、こんどるは、前翼が脱落したうえ、左舷側前部外板に破口を生じて機関室に浸水し、のち廃船となり、乗客50人及び乗組員5人が重軽傷を負った。

 (原 因)
 本件衝突は、こんどるが、音戸瀬戸南口に向け高速力で浮上航行中、狭い水道のわん曲部に接近するとき長音1回の汽笛信号を行わず、同瀬戸の最狭部を南下中の善栄丸引船列と行き会う態勢となった際、停止して同引船列の通過を待たなかったことに因って発生したが、七善栄丸引船列が、見張り不十分で、警告信号を行わなかったこともその一因をなすものである。
 こんどる船舶所有者が、音戸瀬戸における安全航行に関し、水中翼船が他の船舶と同瀬戸最狭部で行き会うときの航法について、船長に対する指導が十分でなかったことは、本件発生の原因となる。

 (受審人等の所為)
 こんどる船長が、音戸瀬戸に向けて高速力で浮上航行中、同瀬戸最狭部を南下中の善栄丸引船列を認め、同最狭部で行き会う態勢となった場合、同引船列の大きさ及び同瀬戸の可航幅から判断し、互いに無難に航過することが困難であるから、機関を停止して同引船列の通過を待つべき注意義務があったのに、これを怠り、なんとか左舷を対して航過しようと思い、機関を停止して同引船列の通過を待たなかったことは職務上の過失である。
 善栄丸船長が、大型の台船辰二五〇〇を引いて音戸瀬戸の最狭部を南下する場合、こんどると無難に航過することが困難であったから、同瀬戸南口に向けて浮上航行中の同船を見落とさないよう、見張りを厳重に行うべき注意義務があったのに、これを怠り、保針に気をとられ、見張りを厳重に行わなかったことは職務上の過失である。
 こんどる船舶所有者が、音戸瀬戸における安全航行に関し、水中翼船が他の船舶と音戸大橋付近の最狭部で行き会うときの航法について、船長に対する指導を具体的にしていなかったことは本件発生の原因となる。こんどる船舶所有者に対しては、音戸瀬戸においては着水航行としたほか、新たに運航マニュアルを作成し、水中翼船が他船や引船列などと同瀬戸の最狭部で行き会うおそれのある場合、その通過を待つべき船舶の大きさを定めるなど、安全運航を確保するための指導を行ったことに徴し、勧告しない。
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