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漁船第七蛭子丸転覆事件

 第七蛭子丸は、旋網漁業に従事する網船で、20人が乗り組み、船首2.59メートル船尾2.98メートルの喫水をもって平成5年2月17日5隻の付属漁船とともに根拠地の舘浦漁港を発し、東シナ海の漁場に向かった。
 第七蛭子丸には、規定を上回る重量の漁具が積載され、また、フォアピークタンクと海水バラストタンクにも漲水されていたことなどから、満載出港状態の喫水が満載喫水線を超えたままの状態であった。
 五島列島北西方の東シナ海の漁場において操業中、荒天となったことから、操業を中止して舘浦漁港に向けて帰航することにし、風浪を右舷後方から受け横揺れを繰り返しながら航行中、右舷側にひときわ大きく横揺れしたとき、船尾甲板の漁網が大きく崩れ、船体が大傾斜し、復原力を喪失して傾きが戻らなくなり、2月21日午前0時22分右舷側に転覆した。
 転覆の結果、第七蛭子丸は沈没し、乗組員のうち甲板員1人が救助されたが、残る19人は行方不明となった。
 本件については、平成6年3月29日長崎地方海難審判庁で裁決された。
 
長崎地方海難審判理事所の調査経過
 長崎地方海難審判理事所では、本件を「重大海難事件」に指定し、第七蛭子丸甲板員、船舶所有者、同船団乗組員、造船所関係者等に事情聴取を行い、理事官は、甲板員及び船舶所有者を指定海難関係人に指定して、平成5年5月20日長崎地方海難審判庁に対して審判開始の申立てを行った。

長崎地方海難審判庁の審理経過
 長崎地方海難審判庁は、参審員の参加を決定して5回にわたって審理し、平成6年3月29日裁決の言渡しが行われた。
 裁決の要旨は、次のとおりである。

裁決
(船舶の要目)
船種船名 漁船第七蛭子丸
総トン数 80トン
機関の種類 ディーゼル機関
出力 667キロワット
全長 36.90メートル

(関係人の明細)
指定海難関係人 甲板員 船舶所有者

(損害)
第七蛭子丸 船体は転覆の後沈没、乗組員19人行方不明

主文
 本件転覆は、第七蛭子丸が、満載喫水線の遵守が不十分であったことと、荒天準備が不十分であったこととに因って発生したものである。
 船舶所有者が、満載喫水線の遵守について、乗組員に対する指導監督が不十分であったことは、本件発生の原因となる。

理由
(事実)
 第七蛭子丸は、船長、漁労長、甲板員ほか17人が乗り組み、船首2.59メートル船尾2.98メートルの喫水をもって、平成5年2月17日午前11時5隻の付属漁船とともに根拠地の舘浦漁港を発し、五島列島西方沖合の東シナ海漁場に向かった。ちなみに、本船発航時の状態は、排水量が311.22トンでその相当喫水が2.833メートルであり、トリム修正値を減じた後の平均喫水が2.781メートルとなり、満載喫水線標示位置の2.692メートルを0.089メートル超え、乾舷用深さの上縁が水没する傾斜角が約4度に、ブルワークの上端が水面と接する傾斜角が約22度に、海水流入角が約39度にそれぞれ減少していた。また、見掛けの横メタセンタ高さは1.40メートルに減少してまだ基準に十分な余裕があったが、復原力消失角が約45度と大幅に減少し、復原性能が著しく低下していた。
 第七蛭子丸船団は、いつものように漁労長が総指揮にあたって漁場に向け直航し、同日午後2時50分ごろ北緯33度31分東経128度51分ばかりの地点に至り、錨泊して乗組員を休息させたのち、同5時20分ごろ抜錨して旋網操業を始め、翌18日北緯32度45分東経127度42分付近に、翌々19日北緯33度25分東経127度35分付近にそれぞれ移動して操業を続けた。
 同月20日午前7時ごろ漁労長は、さらに漁場を変更して五島列島の北西方沖合にあたる、五島白瀬灯台(以下「白瀬灯台」という。)から283度(真方位、以下同じ。)10海里ばかりの地点で揚網中、漁獲物を積載して水揚地に向かう運搬船の三七号から燃料油と清水の補給を受け、ほぼ満載出港に近い状態に戻したのち、長崎県松浦港に向かった三七号を除く4隻の僚船とともに、錨泊して乗組員を休養させ、同日午後4時50分ごろ各船に抜錨を命じて魚群探索を開始した。
 漁労長は、各船を分散させて魚群の探索にあたり、ほぼ350度方向に移動しながら探索航走中、同6時ごろ白瀬灯台から315度16海里ばかりの地点で、自船で魚群探知機により魚群を発見して僚船を呼び寄せ、同7時ごろ灯船二六号及び同二七号に命じて水中灯による集魚にかかったところ、同地点付近海底の底質が荒い岩場になっていたので、破網のおそれがない東方海域に魚群を誘導して投網することとし、灯船に水中灯を点灯させたまま、その方向に船団をゆっくりと移動させた。
 ところで、これより先の同5時35分長崎海洋気象台から九州西方海上全域に海上風警報が発表され、同時45分ごろ気象情報を入手した漁労長は、大陸東岸で発生した低気圧が朝鮮半島南部に接近していて、同低気圧から南東にのびる温暖前線が東進して五島列島を通過する状況にあることを知り、灯船が魚群誘導中の同10時ごろそれまで北寄りになっていた風向が南寄りに変化するとともに、風勢が次第に強まってきて、同11時40分ごろ風速が毎秒10メートルばかりの南南東風となり、付近海上の波高が2メートル余りに達したところから、投網困難と判断してこれを断念し、船団所属の各船に対し舘浦漁港に帰航するよう指令するとともに、自船の機関をいったん停止し、漂泊状態として甲板長に荒天準備を行うよう命じたが、漁網を固縛することなど具体的には指示しなかった。
 こうして第七蛭子丸は、甲板長が作業指揮にあたって荒天準備作業が開始され、甲板員が同作業に加わり、甲板上のロープ類の片付けが行われたのち、ハイパワークレーンのブームを網捌機とともに漁具の上に倒して漁網を押さえたが、漁網の固縛が行われず、甲板室後ろ側の水密扉の閉鎖が行われないまま作業終了となり、甲板員が後部船員室に降りて休息し、また、船団各船は、荒天準備を先に終えた三二号、二三号、二七号、二六号及び第七蛭子丸の順に帰途についた。
 同11時52分ごろ第七蛭子丸は、白瀬灯台から328度13海里ばかりの地点で、機関を約9ノットの半速力前進にかけ、針路を生月島の南部に向かう90度ばかりに定めたところ、左舷船首方2海里ばかりに三二号が約10ノットの速力で、右舷船首方1.5海里ばかりに二三号が約8ノットの速力で、右舷船首20度1.2海里ばかりに二七号が約7ノットの速力で、及び左舷船首50度0.7海里ばかりに二六号が約8ノットの速力でそれぞれ東方に向いて先航していた。
 漁場発航後第七蛭子丸は、右舷正横前約20度の方向から風速毎秒15メートルの強風と高さ約2.5メートルの波浪を受けて片舷につき15度前後の横揺れを繰り返し、上甲板にしばしば波しぶきが打ち込み、右舷側に傾く際には、ときおり海水がブルワークを超える状況であり、水はけのよい前部甲板ではほとんど放水口から排出されて滞留することがなかったが、後部甲板では放水口が漁網にふさがれていることも加わって滞留気味になっており、漁網とその付属ロープ類が吸水したことによる重量増加で船体重心の上昇をきたすとともに、たまに船体が20度ばかり横揺れして漁網が傾斜舷側に崩れ易い状態になっていた。
 翌21日午前0時5分ごろ第七蛭子丸は、白瀬灯台から336度12海里ばかりの地点に達したとき、漁労長が潮流計で付近海域の潮流の流向が変化しているのを認めてこれを無線電話で僚船に連絡し、同時20分ごろ左舷側0.5海里ばかりで二六号に、右舷側0.4海里ばかりで二七号にそれぞれ追いつき、このころ波浪がさらに高まって約3.5メートルに達する中を、原針路原速力のまま続航するうち、同時21分半ごろ右舷側にひときわ大きく横揺れしたとき、船尾甲板の漁網が大きく崩れ、船体が同舷側に25度ばかり大傾斜し、機関停止としたものの復原力を喪失して傾きが戻らなくなり、後部船員室の、甲板長が異常に気付いて階段を駆け上がり、甲板員もこれに続き、炊事場を経てさらに階段を駆け上がり、左舷側船橋甲板に脱出したものの、その直後海面下に没した右舷ブルワークを越えて波浪が右舷側上甲板に打ち込み、船体傾斜が急速に増大し、同0時22分白瀬灯台から347度11.3海里ばかりの地点において、船体が右舷側に転覆した。
 当時、天候は雨で、風力6の南南東風が吹き、潮候は下げ潮の中央期であった。
 二七号は、同0時20分ごろ第七蛭子丸に追いつかれたとき、船橋当直中の一等航海士がほぼ左舷正横に同船の航海灯などを視認していたが、同時22分ごろこれらの灯火が見えなくなり、不審に思って船頭にその旨報告し、船頭が無線電話で第七蛭子丸に呼び掛けたものの応答がなく、同船に異変があったものと判断して僚船に連絡するとともに、同時27分ごろ針路を左転して北上するうち、波間に船尾部船底を見せて転覆している第七蛭子丸を発見し、間もなく付近に漂流していた甲板員を救助したが、同0時38分ごろ同船は沈没した。
 その後、僚船の他に、北方で操業を続けていた第六蛭子丸船団の各船が操業を中止して事故現場に集合し、さらに海上保安部の巡視船など多数の船舶と航空機による懸命な捜索活動が続けられたが、他の乗組員は 発見されず、船長、漁労長、機関長、通信士、一等航海士、甲板長、甲板員12人及び機関員の19名が行方不明となり、のちいずれも死亡と認定された。
  第七蛭子丸は、船体に漁網が巻き付いた状態で沈没し、漁網の一部が海面に浮上したところから、サルベージ会社の潜水調査が行われ、転覆地点付近の水深約130メートルの海底に船体がやや右舷傾斜して着底しているのが確認されたが、船体全般に漁網が絡み付いており、浮揚困難と判定されて全損となった。

 (原 因)
 本件転覆は、第七蛭子丸が、満載喫水線の遵守が不十分で、復原性能が低下していたことと、荒れ模様となった漁場から帰途につく際、荒天準備が不十分で、固縛されなかった漁具が右舷側に崩れて移動したこととにより、復原力を喪失したことに因って発生したものである。
 船舶所有者が、満載喫水線の遵守について、第七蛭子丸の乗組員に対する指導監督が不十分であったことは、本件発生の原因となる。

 (指定海難関係人の所為)
 船舶所有者が、第七蛭子丸の乗組員に対し、満載喫水線を遵守することについての指導監督を十分に行わず、満載喫水線を超えた喫水で出航するのを容認していたことは、本件発生の原因となる。船舶所有者に対しては、本件後、不要品を陸揚げすること、燃料油と清水の積込量を必要最小限とすることなど指導し、満載喫水線を遵守して事故の再発防止に努めている点に徴し、勧告しない。
 甲板員の所為は、本件発生の原因とならない。
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