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瀬渡船甲丸転覆事件

 甲丸は、最大搭載人員26人の瀬渡船で、平成4年1月12日午前中に釣客101人を4便に分けて、山口県蓋井島の各岩場に瀬渡した後、波浪が高くなり、西寄りの風も次第に強く吹き始めたことから、各釣場に寄せて釣客を収容することにしたが、乗船者数を確認することなく、最大搭載人員を著しく超えた46人の釣客を乗せたまま、同県吉見漁港に向け、帰港の途に就いた。
 甲丸は、発航時から船体が左舷側に傾斜していたが、乗客の移動により傾斜を修正しながら航行し、更に強まった風浪を右舷後方から受けて傾斜が戻らないまま続行中、右舷後方から高波を受けて傾斜が増大し、午後1時40分復原力を喪失し、左舷側に転覆した。
 転覆の結果、釣客9人が死亡し、船体は海岸に打ち上げられて大破し、全損となった。
 本件については、平成4年12月10日門司地方海難審判庁で裁決された。
打ち上げられた甲丸
打ち上げられた甲丸

門司地方海難審判理事所の調査経過
 門司地方海難審判理事所は、本件を「重大海難事件」に指定し、船長、釣客、事故第一発見者、瀬渡業者などから事情聴取を行うとともに、船体の検査を行い、理事官は、甲丸船長を受審人に指定して、平成4年3月26日門司地方海難審判庁に審判開始の申立を行った。

門司地方海難審判庁の審理経過
 審判開始の申立を受けた門司地方海難審判庁では、参審員の参加を決定して5回の審理を経て平成4年12月10日裁決の言渡が行われた。
 裁決の要旨は次のとおりである。

裁決
(船舶の要目)
船種船名 瀬渡船甲丸
総トン数 5.5トン
機関 ディーゼル機関・264キロワット
最大搭載人員 旅客24人 船員2人 計26人

(関係人の明細)
受審人 船長
 
(損害)
甲丸 船体全損、釣客9人死亡

主文
 本件転覆は、復原性に対する配慮不十分で、最大搭載人員を著しく超えた釣客を乗せ、乾舷の減少と復原力の低下した状態で、風浪の高まった海域を航行したことに因って発生したものである。

理由
(事実)
 甲丸は、最大搭載人員26人の瀬渡船で、船長は、平成4年1月12日運航予定の吉見漁港から蓋井島への瀬渡客の予約について、これまで通り前日11日夕方まで予約を受け付けたところで、同日夕方入手した天気予報により、翌12日の運航には支障ないものと判断し、グループ予約客に対してはその代表者に、個人予約客に対しては各人に、電話でそれぞれの乗船確認をとり、さらに配乗が決まったのちも乗船を希望してきた予約客を受け入れ、翌12日には午前3時発第1便で30人、同4時30分発第2便で27人、同6時発第3便で27人及び同10時発最終便となる第4便で17人の合計101人の釣客を運ぶことにした。
 こうして、船長は、予定どおり同12日午前3時吉見漁港から第1便を発し、蓋井島の南岸、西岸及び水島の各岩場に釣客を運んだのち、折り返し第2便及び第3便の運航を続け、蓋井島の南岸から西岸にかけての各岩場に瀬渡しを終え、その後、最終の第4便を運航するまでの間、蓋井島東側で待機中、同9時ごろ同島西岸を見回ったところ、波高約1.5メートルの波浪が発生して西寄りの風も次第に強く吹き始めていることを知り、波浪が高くなって一部釣りを続けることができない状況になっていたので、瀬替りを希望する釣客を東岸に瀬替りさせたのち、引き続いて同10時発最終の第4便を運航し、同10時50分ごろ主に同島東岸を中心とした釣場への瀬渡しを終え、予定していたすべての瀬渡し運航を完了した。
 船長は、蓋井島北東岸付近で最終便の瀬渡しを完了したところで、天候が朝方の凪状態から同9時ごろには釣客の一部を瀬替りさせるほどに変わり、さらに、その後西風が強まり波浪が高くなっていることが気になり、蓋井島北岸の泉水鼻等を見回ったところ、すでに風が強く波高約2メートルに及ぶ波浪が発生しており、さらに海上模様が悪くなる状況であったが、前日の天気予報から考えてこれ以上しけ模様になることもあるまいと思い、一方で、同島の西岸から南岸及び水島の低い瀬に渡した釣客をこのまま残したとき、回収することができない状況になるおそれを感じ、いったん蓋井島の東側に避難させることにした。
 蓋井島の北端を廻り、北西岸から各釣場に寄せて釣客17人を収容しながら南下した船長は、続いて南岸及び水島の各釣場から釣客21人を含む合計38人の釣客を収容したのち、同日午後0時ごろ蓋井島230メートル頂から78度(真方位、以下同じ。)1,050メートルばかりにあたる同島東岸の通称大崎(以下、「大崎」という。)に寄せ、収容してきた38人の釣客のうち、その後の釣客収容のための補助員として2人を残して釣客を上陸させた。
 船長は、そのとき上陸者数を確認しなかったので、後部客室内に4人が居残っていたことに気付かず、同補助員2人を含む計6人の釣客を乗せたまま、さらに避難させる必要のある残りの釣客を収容しようとして蓋井島北岸に回航して10人の釣客を回収し、再び大崎に戻って釣客を上陸させるかたわら、第2便以降の釣客で東岸の岩場に瀬替りを望む釣客に対して乗船するように促した。
 ところで、船長は、釣客のうち特にグループで来た釣客に対して、その代表者を介して乗船便数や同時間を連絡する方法にしていたので、同代表者からそのグループの各人に対してまでは予定乗船便数を必ずしも知らされていないこともあって、すべての釣客に対し各自の乗船便数及び帰港時間が徹底されていなかったうえ、乗客名簿も予約客の乗船を確認するに足る程度の、グループ代表者と個人客が分かるものしか作成しておらず、各便ごとの乗客名簿を作成し備え付けてはいなかった。
 瀬替りを終えた船長は、第1便帰港者が待機している大崎に寄せ、第1便帰港者に乗船を促したところ、当時、大幅に瀬替り及び避難させたので、すでに第1帰港便の発航予定時間を過ぎていたうえ、乗船便数を知らない第1便以外の釣客や、帰りを急ぐ他の便の釣客が乗船するのを知ったので、船内マイクを介して「第1便のお客さんだけ乗船するようにして下さい。」と要請したものの、一部釣客がその要請に応じただけで、最大搭載人員を大幅に超えた釣客が乗船した状態であったが、乗船者数を確認することなく、すでに釣客の瀬替り避難を開始した蓋井島北西岸において、強い西寄りの風と波高約2メートルの風浪が発生している状況であったのに、発航地点付近の水域が、島陰であるため風浪もなく穏やかな状態であったことから、最大搭載人員を超えて釣客が乗船していても運航上支障ないものと思い、さらに、蓋井島230メートル頂から89度1,100メートルばかりにあたる同島東岸の通称一本松(以下、「一本松」という。)に寄せて3人の釣客を乗船させた。
 こうして、当初、船長は、第1便で瀬渡した30人の釣客から順次乗せて吉見漁港に戻ることにしていたところ、第1便で瀬渡した30人を大幅に超え、船首部甲板上に座った状態で8人、操舵室に立った状態で3人、後部客室内に4人、操舵室後部機関室から後部客室にかけての囲壁上及び同付近甲板上に合わせて17人、並びに船尾甲板上に立った状態の14人を含む合計46人で、各自が磯釣り用救命胴衣を着用した総重量約3、250キログラムの釣客を乗せ、また、46人の釣客のほかに乗船を希望しながら船長の要請で1部下船して後便で帰港することになった釣客の分を含む、計55人分の携帯品総重量約667キログラムの大半を前部甲板上に約1メートルの高さに積上げ、燃料約400リットルを搭載した状態で、船首0.43メートル船尾0.71メートルの喫水をもって、同1時過ぎ一本松を発し、吉見漁港に向け帰港の途に就いた。
 発航時、船体が左舷側に傾斜しているのを認めた船長は、乗客に右舷側に寄るように指示して傾斜を修正したのち、午後1時15分ごろ蓋井島230メートル頂から82度1,200メートルばかりの地点で、針路を網代鼻に向首する118度に定め、主機を2,000回転の全速力前進にかけ、約18ノットの速力で進行したが、同島を替わったころから西寄りの強い風と波高1.5メートルばかりの風浪を右舷後方から受ける状況になり、同時20分ごろ水島から15度800メートルばかりの地点で、1,900回転に下げて約14ノットに減速し、同時21分ごろさらに風が強まり、ところどころ白波が現れ、水島を替わったころには、時折波高約2メートルに達する状況となった。
 この様な風浪を右舷後方から受けて船体が大きく左舷側に傾斜するようになったのを認めた船長は、マイクで乗客に対して右舷側に移るように再度要請し、6人の釣客を後部客室上及び機関室囲壁上に移動させるなどして、傾斜の修正に努めたものの、その後左舷側へ大きく横揺れ傾斜するたびに船首部甲板上の携帯品が左舷側に移動して傾斜が戻らないまま続航した。
 その後、船体がゆっくりと横揺れしながら、左舷側に傾いたまま波に乗って滑走する状態となり、船長は、同1時31分ごろ来留見瀬灯標から326度2.5海里ばかりの地点に達したところで、主機を1,000回転に下げ約7ノットに減速して進行していたところ、同時36分ごろ網代鼻まで約1,200メートルばかりの地点に達したころ、左舷側への傾斜が大きくなり、危険を感じて主機を約500回転に減じて続航中、同時38分ごろ右舷後方から波高約2メートルの高波を受け、船体が波がしらに乗り、左舷側に大きく傾斜する状態となったので、操舵室から後方の甲板上に居る釣客に対して「右舷側に寄るように」との指示を出したところ、左舷側に傾いた状態で、さらに高波を受けて船首が右に振られながら傾斜を増し、急いで主機を最低の約400回転に下げたが、同1時40分来留見瀬灯標から340度3,350メートルばかりの地点において、約4ノットの速力となって波に横を向く状態で復原力を喪失し、左舷側に転覆した。
 当時、天候は晴で風力5の西寄りの風が吹き、海上は最大波高約2メートルの高波が発生する状況で、当日午後0時45分に下関地方気象台から波浪注意報が発表されていた。
 船長は、転覆直後、船底を海面に出して浮いている自船に泳ぎつき、後部客室内に人が残っていないことを確かめたのち、海上に投げ出された釣客とともに付近に浮いているクーラー・ボックスにつかまり、また、転覆した甲丸の船底にはい上がった釣客らとともに、折からの西風に圧流されながら網代鼻付近に向かって漂流を始めた。
 同2時15分ごろ来留見瀬灯標から352度3,000メートルばかりの海岸で、磯釣り中の釣り人が、転覆した甲丸の船底につかまって救助を求めている釣客を発見して電話により警察に連絡し、警察及び消防署の職員ほか地元住民や近くの水産大学校の学生らが現場に駆けつけて救助活動が開始され、船体とともに次々に網代鼻付近の海岸に打ち寄せられてくる釣客の救助に当たり、また、連絡を受けた第七管区海上保安本部や下関水上警察署の巡視艇、警備艇及び海上自衛隊のヘリコプターも出動し、近くの漁船も加わって総合的な救助及び捜索が行われた。
 その結果、9人が病院に収容後、溺水による急性心不全等で死亡し、船体は網代鼻海岸に打ち上げられて大破し、全損となった。
 なお、本船が運んだ101人の釣客のうち島に残った55人は、同日風浪が静まった夕方に臨時の市営定期船や地元漁船などによって吉見漁港に引き返した。

 (原 因)
 本件転覆は、山口県蓋井島から吉見漁港に釣客を乗せて帰港する際、復原性に対する配慮不十分で、最大搭載人員を著しく超えた釣客及びその携帯品を甲板上に搭載し、乾舷の減少及び復原力の著しく低下した状態で風浪の高まった海域を航行中、右舷後方から高波を受けて傾斜が増大し、復原力を喪失したことに因って発生したものである。

 (受審人の所為)
 船長が、瀬渡しを行った釣客を乗せ、蓋井島から吉見漁港に帰港する第1便を発航するに当たり、天候の悪化が予想される状況で同便に乗船する予定の釣客以外の釣客が乗船することを認めた場合、最大搭載人員を厳守するなどして、乾舷の減少及び復原力の低下を生じないようにすべき注意義務があったのに、これを怠り、最大搭載人員を超えてもなんとか航行できるものと思い、乾舷の減少及び復原力の低下を生じさせたことは職務上の過失である。

瀬渡船甲丸転覆事件参考図

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