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護衛艦あたご漁船清徳丸衝突事件

 あたごは,舞鶴港を基地とする第3護衛隊群に所属する排水量7,750トンのイージスシステム搭載の護衛艦で,艦長ほか280人が乗り組み,アメリカ合衆国ハワイ沖で装備認定試験を終え,平成20年2月6日10時02分(現地時間)パールハーバーを発し,神奈川県横須賀港に向けて航行中,また清徳丸は,船長ほか1人が乗り組み,マグロはえなわ漁の目的で,2月19日00時55分千葉県勝浦東部漁港川津地区を発し,三宅島北方海域に向け航行中,前記の日時及び地点において,あたごの艦首部と清徳丸左舷中央部が衝突した。
 当時,天候は晴で風力2の北東風が吹き,視界は良好であった。
 衝突の結果,あたごは艦首部に擦過傷を生じ,清徳丸は船体中央部で分断され,船長及び甲板員が行方不明となり,のちいずれも死亡と認定された。


横浜地方海難審判理事所の調査経過
 横浜地方海難審判理事所は,「重大海難事件」に指定し,理事官は,海上自衛隊第3護衛隊群第63護衛隊,護衛艦あたご艦長,同航海長,同水雷長及び同船務長を指定海難関係人にそれぞれ指定して,平成20年6月27日横浜地方海難審判庁に 対して審判開始の申立を行った。

横浜地方海難審判所の審理経過
 横浜地方海難審判所では,7回の審理を行い,平成21年1月22日裁決の言渡が行われた。
 裁決の要旨は,次のとおりである。

裁決
(船舶の要目)
船種船名 護衛艦あたご 漁船清徳丸
総トン数 7,750トン(排水量) 7.3トン
機関の種類 ガスタービン機関 ディーゼル機関
出力 73,550キロワット 435キロワット
全長 164.9メートル 16.24メートル

(損   害)
護衛艦あたご 艦首部に擦過傷
漁船清徳丸 船体が二つに分断,乗組員2人行方不明

主文

 本件衝突は,あたごが,動静監視不十分で,前路を左方に横切る清徳丸の進路を避けなかったことによって発生したが,清徳丸が,警告信号を行わず,衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
 海上自衛隊第3護衛隊群第3護衛隊が,あたごの艦橋と戦闘情報センター間の連絡・報告体制並びに艦橋及び戦闘情報センターにおける見張り体制を十分に構築していなかったことは,本件発生の原因となる。
 指定海難関係人海上自衛隊第3護衛隊群第3護衛隊(旧第63護衛隊)に対して勧告する。

理由
(事実)
@事実の経過
(1) 護衛艦「あたご」航行指針
 護衛艦「あたご」航行指針(以下「航行指針」という。)は,艦の運航にあたり,各操艦者に安全な操艦に関する基本的事項を熟知させるとともに,運航の安全に万全を期するため,航海準備及び航海当直における当直士官等の行船上の留意事項等を,艦長が,艦橋命令として定めたものであった。
 航行指針には,当直士官の留意事項として,当直交替に先立ってCICで所要の情報を収集整理して準備を整えること,当直交替時の申し継ぎ中は周囲の警戒を怠らないこと,見張り指揮を適切に行い自らも厳正な見張りを行うこと,艦橋の見張り員及びCIC等との連携及び情報交換を重視して見張り指揮にあたること,及び小型船に対する配慮等が具体的に定められていた。

(2) 艦橋当直体制
 あたごは,艦長,艦長を補佐する副長以下,船体,武器の整備・操作を主任務とする砲雷科,通信,電気機器関連の整備・運用を主任務とする船務科,航海,気象に関する業務を主任務とする航海科,主機,補機,応急関係機材の整備・運用を主任務とする機関科,経理,補給,給食に関する業務を主任務とする補給科,及び衛生科の乗組員から構成されていた。
 あたごは,戦闘部署,緊急部署及び作業部署以外の通常の体制で航海を行っており,艦橋当直を2時間又は2時間30分交替の5直輪番当直体制に定め,平成20年2月19日02時から04時まで艦橋第1直としてC指定海難関係人を同当直の責任者である当直士官とし,以下当直士官の補佐等を任務とする副直士官(水雷士,運航2級資格者),当直中の記録,艦内への号令伝達等を任務とする当直海曹(砲雷科員),当直海曹の補佐等を任務とする当番(砲雷科員),連絡等を任務とする伝令(砲雷科員),操舵等を任務とする操舵員(砲雷科員),見張り,艦位測得,敬礼などの礼式,手旗及び発光信号等を任務とする信号員3人(航海科員),艦橋ウイングに左右の各見張り員(砲雷科員)及び船体後部の見張り所に後方の見張り員(砲雷科員)を,同日04時から06時30分まで艦橋第2直としてB指定海難関係人を当直士官とし,以下副直士官(砲術士,運航2級資格者),当直海曹(砲雷科員),当番(砲雷科員),伝令(砲雷科員),操舵員(砲雷科員),信号員2人(航海科員),左右の各見張り員(砲雷科員)及び後方の見張り員(砲雷科員)をそれぞれ配置していた。
 操舵員は,手動操舵あるいは自動操舵にかかわらず,当直中は常時操舵席に配置され,当直士官の指示により操舵モードを直ちに切り替えることができる体制となっていた。

(3) CIC当直体制
 CIC当直者は,艦橋当直士官の指揮下にあり,艦橋のレーダー指示機を含む艦内のレーダーのSTC(海面反射制御)等を一元的に調節し,通常航海中には,船務科に所属する電測員がレーダー見張りにあたって艦橋当直を支援することとされており,種々のレーダー指示機のうち,主としてOPA−3Fにより,対水上レーダーの映像を25海里レンジで表示させ,中・遠距離の映像捕捉に主眼を置いてレーダー見張りを行い,適宜,捕捉した映像の方位,距離,針路,速力,CPA等を測的と称して測定し,艦橋に報告していた。
 CIC当直は,直長,レーダー員4人,海図員及び要務員各1人による,電測員7人の当直者で構成され,2時間又は3時間交替の5直輪番当直体制をとっていた。 
 CICには,平成20年2月19日02時から04時までCIC第1直,同日04時から06時までCIC第2直がそれぞれ当直に就くこととされていた。ところが,直長の上司である電測員長が,直内において交替で電測員を休息させてもレーダー見張りに支障はないものと考え,D指定海難関係人の許可を得ることなく,ハワイ出港後交替で休息をとってもよい旨を各直長に伝えたことから,CIC第1直の直長は,自らの判断により同第1直を2班に分け,02時から03時までを3人で,03時から04時までを4人でそれぞれ当直に就けていた。
 03時から04時までのCIC当直者の配置は,OPA−3Fの監視,艦橋との連絡,及び作業台に各1人が就き,他の1人は,03時15分から03時45分まで,CICに隣接した部屋で,ナイトトランジットと称する自衛隊規則に関する質疑応答や船舶の運動に関する机上訓練を,艦橋の副直士官から受けていた。
 CIC当直者は,当直中に使用するレーダーレンジ,当直員の配置,監視するレーダー指示機の選択,レーダーの調節,測的報告要領などについての各基準が明文化されていなかったので,CIC当直の実施要領が統一されていないまま当直業務にあたっていた。

(4) 艦橋及びCICにおける見張り体制
 艦橋の伝令,左右見張り員及び後方見張り員並びにCICのOPA−3F担当者は,それぞれヘッドセットと称する専用通信器を装着して連絡をとることとなっており,当直士官の指示,見張り員やCIC当直者からの報告が伝令を介して当該の者に伝達されるので,ヘッドセット装着者は常時,各報告等を聴取できるようになっていた。そして,就役後の各種訓練時には,艦橋とCIC間の連携に特段の支障もなく業務が遂行されていたが,第3護衛隊が,あたごの艦橋及びCICにおける見張り体制を十分に構築していなかったので,いつしか,艦橋当直者が視認した船舶等に対する測的報告がCICから上がってこなくなったものの,艦橋においては,CIC当直者が中・遠距離の船舶等の探知に主眼を置いてレーダー見張りを行っていることを知らないまま,CICでは艦橋で視認した船舶を探知していないか,若しくは危険性がないから報告がなされないものと憶測し,このことを放置する状況となっていた。

(5) 第3護衛隊のあたご艦内の連絡・報告体制の構築
 第3護衛隊は,あたごが就役後,基礎的な事項等に関する慣熟訓練を行うほか,海上訓練指導隊の指導官が乗艦し,当直士官等による見張り指揮や見張り員の行動・報告が適切に行われているかなどについて評価・指導を行う就役訓練を行い,その後,あたごのCICが,艦橋当直を支援する際,当直士官の行船意図や付近海域の状況,使用レンジ,重点探索方向・距離等がCIC当直者に明確に伝わらず,航行海域の状況や他船舶の輻輳状況に応じたレーダー見張りが実施できない状況になったが,就役訓練時の艦橋とCIC間の連携要領に関しての査閲では優秀との評価をしていたので,この状況を把握しておらず,艦橋とCIC間に緊密な連絡・報告体制を十分に構築していなかった。

(6) 衝突に至るまでの経過
 あたごは,A,B,C及びD各指定海難関係人ほか264人が乗り組み,業務支援関係者13人を乗せ,アメリカ合衆国ハワイ州での武器体系に係る装備認定試験を終了し,艦首6.18メートル艦尾6.86メートルの喫水をもって,平成20年2月6日10時02分(現地時間)ハワイ州オアフ島のパールハーバーを発し,各科訓練等を行いながら,神奈川県横須賀港に向かった。
 A指定海難関係人は,あたごの就役後,航行指針を策定し,適切な見張りの実施を始めとする航海当直要領や当直士官の留意事項等を艦橋命令として周知していたが,これを艦内に徹底させていなかった。
越えて19日00時(日本時間,以下同じ。)ごろ,在橋中のA指定海難関係人は,05時15分ごろに東京都伊豆大島竜王埼北東方の変針点で昇橋することにし,自室に退いて仮眠した。
 02時00分ごろC指定海難関係人は,野島埼灯台の南南東方44海里付近で当直員とともに艦橋当直に就き,法定灯火を表示して,太平洋を北上するにしたがって気温が下がり,艦内で風邪にかか罹る者が出てきたことや周囲に危険な目標がないと判断したことから,艦橋の両舷ウイングに配置していた左右の見張り員を艦橋内に入れるよう,02時10分ごろ伝令に指示して続航した。
 03時30分C指定海難関係人は,野島埼灯台から180度(真方位,以下同じ。)28.0海里の地点で,針路を328度に定め,自動操舵により,10.6ノットの速力(対地速力,以下同じ。)で進行した。
 03時40分C指定海難関係人は,野島埼灯台から182度26.5海里の地点で,伝令を介した右見張り員からの報告を受け,艦首右舷33度ないし43度9海里ないし12海里のところにH丸(総トン数4.8トン,FRP製漁船),I丸(総トン数7.3トン,FRP製漁船),J丸(総トン数7.3トン,FRP製漁船)及び清徳丸から成る漁船群の掲げる白灯のうち3個を初めて認め,その灯火の水面上高さなどからこれらを小型船のものと判断し,また,16海里レンジとしたOPA−6Eで測的を行ったところ,これらが十数ノットの速力で南西方に航走していたにもかかわらず,遠距離で対象物が小さくその映像が安定していなかったこと,レーダーの調節が適切でなかったこと,あるいは十分な時間をかけて継続的に測的を行わなかったことなどから,測的の結果が速力約1ノットと表示されたので,同白灯を操業中の漁船群のものと憶断し,次直へ引き継ぐ必要がないと思い,漁船群の測的を中止して千葉県洲崎沖や東京都伊豆大島付近の航行船舶の状況をOPA−6Eで確認したのち,03時45分ごろ艦橋中央部に戻り,目視による見張りを行いながら続航した。
 このとき,艦橋第1直副直士官は,CIC当直者のうちの1人に対するナイトトランジットのため,03時15分から03時45分までの間降橋しており,03時48分同訓練終了後の昇橋時に前示の漁船群の紅色舷灯を目視したものの,レピーター等で方位を確認することなく,漁船群は右に落ちている(方位が艦尾方に変化すること。)と思い,さらにC指定海難関係人が漁船群を既に認識していると思い,改めて同指定海難関係人に漁船群のことを報告せず,艦橋当直に復帰し,その後漁船群に対する動静監視を行わなかった。
 C指定海難関係人は,その後も,時折,漁船群の灯火を双眼鏡で見ていたが,方位が右方に替わっているように感じたことから自艦の航行に支障がないと思い,自らレピーター等を使用して漁船群に対する動静監視を行わず,右見張り員に漁船群に対する動静監視を行うよう指示することも,CICに漁船群の情報を提供してその測的を指示することもなく進行した。
 このころ,CICでは,CIC第1直の第2班4人のうちの3人が当直に就いていたが,付近海域に漁船が存在していることを知らず,中・遠距離のレーダー映像捕捉に主眼を置いて25海里レンジとしたOPA−3Fを常時監視したまま,8海里レンジとしたOPA−6Eを監視していなかったので,前示の漁船群を捕捉していなかった。また,CICは,03時40分ごろ艦橋の右見張り員からC指定海難関係人への漁船群の発見報告を聴取しておらず,03時から04時の間,艦橋へ新たな測的情報の報告を行わなかった。
 D指定海難関係人は,CIC当直に入直しないで,自室や士官室で訓練調整や各種資料の作成を行っており,その間,CICを適宜見回っていたが,CICにおける当直基準が明文化されていなかったこともあって,各当直者が,適宜,当直体制を変更するなどしている状況のまま,当直体制を適切に維持するよう監督していなかった。
 B指定海難関係人は,03時15分起床して身支度を整え,しばらく待機したのち,03時49分艦橋当直に就くために昇橋し,海図台上の海図で03時30分の艦位を確認し,03時50分艦首右舷前方6海里ばかりのところに清徳丸が接近する状況下,艦橋前面中央のレピーターの後方に立ってC指定海難関係人との引継ぎを始め,同人から針路及び速力等についてはこのままで問題なし,また,艦首左舷前方に漂泊船と艦首右舷前方に漁船群がいるが,いずれも方位が落ちるので危険なしとの引継ぎを受け,16海里レンジとなっていたOPA−6Eで,漂泊船が停止した状態で表示されていること,及び漁船群が目標として捕捉されていないことをそれぞれ確認した。
 03時55分C指定海難関係人は,艦橋当直の引継ぎを終えて降橋し,B指定海難関係人が,他の当直員とともに艦橋当直に就いた。
 B指定海難関係人は,昇橋したとき,艦首右舷前方に肉眼で漁船群の紅色舷灯を認め,また,漁船群は危険がない旨の引継ぎを受けたものの,念のために測的を行うこととし,03時57分野島埼灯台から187度24.2海里の地点で,16海里レンジのままのOPA−6Eで艦首右舷31度3.5海里のところにI丸,同38度4.8海里のところにH丸,同40.5度3.3海里のところに清徳丸,及び同49度6.0海里のところにJ丸の映像を捕捉したが,この漁船群は依然,十数ノットの速力で南西方に航走していたものの,対象物が小さくその映像が安定していなかったこと,レーダーの調節やレーダーレンジが適切でなかったこと,あるいは十分な時間をかけて継続的に測的を行わなかったことなどから,清徳丸とJ丸の映像の測的結果がおおむね停止と表示されたので,両船に対する動静監視を十分に行わず,H丸とI丸の測的結果が針路は南西方と表示されたので,主として艦首方に近いI丸に注意を払いながら,OPA−6Eを8海里レンジに切り替えて続航した。
 このとき,B指定海難関係人は,漁船群の存在に危険を感じなかったことから,漁船群に対する動静監視を,前直から引き続き艦橋内右舷側に入れていた右見張り員や信号員に指示することも,この状況をCICに連絡して漁船群の測的を指示することもしなかった。
 右見張り員は,前直の見張り員から漁船群については当直士官に報告済みである旨の引継ぎを受けていたので,改めてそのことをB指定海難関係人に報告せず,艦首方の見張りにあたり,その後艦首右舷前方の漁船群の監視は行わず,また,艦橋左舷側前部で見張りにあたっていた信号員は,漁船群の存在を認識していたが,艦首に一番接近していたI丸に注意を払って見張りを行い,他の3隻に対する動静監視を十分に行っていなかった。
 このころ,艦橋第2直副直士官は,艦橋第1直副直士官から漁船群は方位が落ちているとの引継ぎを受け,03時59分に引継ぎを終え,その後艦橋後部の海図台に赴き,艦位記録表の記入作業を行い,漁船群に対する動静監視を行っていなかった。
 04時00分B指定海難関係人は,野島埼灯台から187.5度23.8海里の地点に達したとき,清徳丸が艦首右舷40.5度2.2海里のところに存在し,同船のマスト灯及び紅色舷灯を視認でき,その後同船に明確な方位変化がなく,同船が前路を左方に横切り衝突のおそれのある態勢で接近する状況であったが,依然,I丸やH丸の動向に気を奪われ,清徳丸に対する動静監視を十分に行わなかったので,この状況に気付かず,右転するなどして同船の進路を避けることなく進行した。
 艦橋左舷側前部にいた信号員は,艦首右舷前方に4個の紅色舷灯を認めていたが,レピーター等で方位を確認することなく,I丸以外の漁船は右方に替わると思い,I丸の動静を目視により監視した結果,04時03分B指定海難関係人に「漁船増速,方位上がる(方位が艦首方に変化すること。)。」と報告し,04時03分半ごろ艦首右舷前方にH丸,J丸及び清徳丸の紅色舷灯を認めていた。
 また,同報告を受けたB指定海難関係人は,艦首方のI丸の動静をレピーターとOPA−6Eにより把握し,同船との衝突のおそれがないことを確認した。
 このころ,CICでは,CIC第2直の7人が当直に就いていたが,依然,付近海域に漁船が存在していることを知らず,25海里レンジとしたOPA−3F及び8海里レンジとしたOPA−6E等でレーダー見張りを行っていたところ,OPA−6Eに就いた当直員は,艦首右舷前方に数個のレーダー映像が映っていたのでこれらの測的を開始し,04時03分ごろI丸らしき映像の測的を行って,艦橋へ同船が艦首を左に替わる旨を報告したが,OPA−3Fに就いた当直員のいずれもが清徳丸の映像に注意を払わなかった。
 04時04分B指定海難関係人は,艦首右舷前方1.1海里付近に清徳丸の紅色舷灯を認めたので,04時05分ごろレピーターにより同舷灯の方位を確認し,04時05分半ごろOPA−6Eにより同船を確認しようとしたものの,既に清徳丸は0.5海里ばかりに接近し,OPA−6Eの画面の中心から約1海里の範囲に現れていた海面反射内に入っていたために同船のレーダー映像を識別できず,なおもOPA−6Eによる同映像の確認作業を行っていたところ,04時06分艦橋左舷側前部にいた信号員から「漁船増速,面舵とった。」との報告があり,この報告を艦首方の漁船のことと思い,レピーターのところに戻った。
 B指定海難関係人は,04時06分わずか過ぎ信号員が「漁船近いなぁ,近い,近い,近い。」と声を発し,右舷ウイングに向かったので,視線を右方に移したとき,清徳丸の紅色舷灯を右舷側近距離に視認し,04時06分少し過ぎ「機関停止,自動操舵やめ。」と令し,続いて月明かりにより同船の船影が見えたので,汽笛吹鳴スイッチを押して短音等を6回吹鳴し,ほぼ同時に後進一杯を令したが及ばず,04時07分少し前野島埼灯台から190度22.9海里の地点において,あたごは,ほぼ原速力のまま,326度を向いたその艦首が清徳丸の左舷ほぼ中央部に後方から47度の角度で衝突した。
 当時,天候は晴で風力2の北東風が吹き,波浪階級2,視程は良好で,月没時刻は05時07分,月齢は11.5,日出時刻は06時23分であった。
 A指定海難関係人は,自室で汽笛の吹鳴を聞き,続いて「漁船と衝突した。」旨の艦内放送を聴いて衝突したことを知り,事後の措置にあたった。

 また,清徳丸は,船長F,甲板員Gの親子2人が乗り組み,まぐろはえ縄漁の目的で,船首約0.5メートル船尾約1.4メートルの喫水をもって,平成19年2月19日00時55分法定灯火を表示して千葉県勝浦東部漁港川津地区を発し,東京都三宅島北方の海域に向かった。
 03時00分清徳丸は,野島埼灯台から147度10.8海里の地点において,右舷後方に僚船のH丸,J丸,右舷前方にI丸がそれぞれ同航する態勢で,針路を215度に定め,15.1ノットの速力で進行した。
 03時40分清徳丸は野島埼灯台から180度17.3海里,H丸は同灯台から180度15.5海里,I丸は同灯台から183度17.3海里,及びJ丸は同灯台から175度14.9海里のところにそれぞれ達し,03時57分には清徳丸は同灯台から187度20.9海里,H丸は同灯台から187度19.3海里,I丸は同灯台から188度20.7海里,及びJ丸は同灯台から183.5度18.3海里の各地点からそれぞれ南西に向かって進行した。
 04時00分清徳丸は,野島埼灯台から187.5度21.5海里の地点において,船首左舷27.5度2.2海里のところに,あたごのマスト灯及び緑色舷灯が視認でき,その後同艦に明確な方位変化がなく,同艦が前路を右方に横切り衝突のおそれのある態勢で接近する状況であったが,警告信号を行うことも,行きあしを止めるなどの衝突を避けるための協力動作をとることもなく続航中,04時06分前あたごの右舷側近距離のところで,大きく右転して279度に向首したのち,前示のとおり衝突した。

(7) 捜索救助及び損傷状況
 衝突後,あたごでは,04時07分海難対処部署を発動し,人命救助のため,搭載艇を降下したのち,艦上から探照灯等を使用して清徳丸周辺の海域を捜索し,救助活動にあたるとともに,04時23分国際VHF無線電話により海上保安庁第三管区海上保安本部警備救難部救難課運用司令センターに,その後部内通信系により護衛艦隊司令部当直幕僚及び横須賀地方総監部に事故通報をそれぞれ行った。05時ごろには海上保安庁の遭難通信を傍受した付近航行中の自衛艦2隻が到着して捜索救助活動に加わり,05時40分ごろ海上保安庁のヘリコプターが到着して特殊救難隊員が降下し,清徳丸船内の捜索を行い,その後他の艦艇,船艇や航空機も到着して捜索救助活動にあたった。
 あたごは,13時11分自衛艦隊司令部からの指示により捜索救助活動を取りやめ,現場を離脱して横須賀港に向かった。
 2月19日から3月2日までの間,海上保安庁の延べ52隻の巡視船艇,41機の航空機及び特殊救難隊員36人,2月19日から3月19日までの間,海上自衛隊の延べ90隻の艦艇,190機の航空機,2月19日,同20日,同22日の3日間,清徳丸僚船の延べ216隻,その他水産庁や千葉県の漁業取締船等がそれぞれ捜索にあたり,また,独立行政法人海洋研究開発機構が保有する海洋調査船による海底探査が実施された。
 衝突の結果,あたごは,艦首部に擦過傷を生じ,清徳丸は,操舵室を喪失して船体が二つに分断され,陸揚げされたが,F船長,G甲板員は行方不明となり,のちいずれも死亡と認定された。

(8) 本件後の再発防止措置
 本件後,あたごは,適切にレーダーを使用し,航行中のレーダー探知目標情報等を艦橋とCIC間で共有すること,また,CICの航行補佐機能の活用などを図るため,「艦橋及びCICのレーダー指示機OPA−6Eの運用要領について」,「レーダー指示機OPA−6EのARPAの使用標準について」,及び「CICの航行補佐標準について」と題する艦橋命令を策定し,海事法規に関する教育,海上交通の安全確保に関する法令の遵守・徹底,航行指針に基づく見張りや当直体制の再教育,安全航行に関する運航態勢の再確認と教育等の事故再発防止対策を導入した。
 防衛省は,平成20年2月19日海上幕僚副長を委員長とする艦船事故調査委員会を設置して海上自衛隊における本件の事故調査を開始し,同年8月に至るまでに,運航安全総点検,艦橋内(CIC)チームワーク態勢の審査要領等の見直し,及び艦全体として見張りが適切に行われていなかったことに対する対策等の護衛艦「あたご」艦船事故に関する当面の再発防止策に加え,ブリッジ・リソース・マネジメント(BRM)講習,艦橋内(CIC)チームワーク審査,及び艦長に対する指揮統率上の留意事項の徹底等の護衛艦「あたご」衝突事故再発防止策を取り纏(まと)めた。

 (原 因)
 本件衝突は,夜間,千葉県野島埼南方沖合において,両船が互いに進路を横切り衝突のおそれのある態勢で接近中,北上するあたごが,動静監視不十分で,前路を左方に横切る清徳丸の進路を避けなかったことによって発生したが,西行する清徳丸が,警告信号を行わず,衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
 第3護衛隊が,あたごの艦橋とCIC間の連絡・報告体制並びに艦橋及びCICにおける見張り体制を十分に構築していなかったことは,本件発生の原因となる。

 (指定海難関係人の所為)
 B指定海難関係人が,夜間,艦橋当直に就いて千葉県野島埼南方沖合を北上する際,前路を左方に横切り衝突のおそれのある態勢で接近する清徳丸に対し,動静監視を十分に行わず,同船の進路を避けなかったことは,本件発生の原因となる。
 B指定海難関係人に対して勧告しないが,艦橋当直に就いた際,他船に対し,自ら又は見張り員やCICを活用してその動静を十分に監視しなければならない。
 指定海難関係人第3護衛隊が,あたごの乗組員の教育訓練にあたり,艦橋とCIC間の連絡・報告体制並びに艦橋及びCICにおける見張り体制を十分に構築していなかったことは,本件発生の原因となる。
 第3護衛隊に対しては,旧法第4条第3項の規定により勧告する。
 A指定海難関係人の所為は,本件発生の原因とならない。
 C指定海難関係人の所為は,本件発生の原因とならない。
 D指定海難関係人の所為は,本件発生の原因とならない。

   護衛艦あたご漁船清徳丸衝突事件参考図1

   護衛艦あたご漁船清徳丸衝突事件参考図2

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