第1 “謎の左転”から半世紀
−宇高連絡船「紫雲丸」と「第三宇高丸」の衝突−
 今から半世紀前の昭和30(1955)年5月11日06時56分,濃い霧に包まれた瀬戸内海の香川県高松港沖合において,日本国有鉄道(国鉄)の宇高連絡船の紫雲丸と第三宇高丸とが衝突し,紫雲丸が沈没して乗客乗員168人が死亡・行方不明になり,その多くが,修学旅行中の小中学生や婦女子であったという痛ましい海難が発生した。
 「レーダー」,「ジャイロコンパス」及び「無線電話」といった,当時としては最新式航海計器を装備した両連絡船が,霧中信号を行いながら全速力で航行中,両船が接近したところで突然の紫雲丸の左転によって衝突し,短時間で沈没するといった結末を迎えるに至っている。
最近では,平成17年7月に濃霧の熊野灘から房総半島犬吠埼沖合にかけて衝突が続発し,そのうち2件の衝突で15人もの尊い命を失うことになった。
このように,霧中での海難は,船舶及び各種航海計器の性能が向上した現在でも,毎年4〜8月の濃霧シーズンを中心に繰り返し発生している。
そこで, 霧中海難の再発防止のため,多くの教訓を残した半世紀前の「紫雲丸の衝突」をひもといてみることにし,この海難の経過と背景から,どこにどのような問題点があったかを,読者の皆様自身の目で検証していただくことにした。