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大臣会見

冬柴大臣会見要旨

2008年8月1日(金) 10:49 〜 11:20
国土交通省会見室
冬柴鐵三 大臣

閣議・閣僚懇

 おはようございます。今日の閣議では報告することはありません。人事案件が扱われただけです、以上です。

質疑応答

(問)幹事から1点お願いします。今日内閣改造が行われるということで、大臣ご自身のご所見と、総理からどのようなお話しがあったか等も含めてよろしくお願い致します。
(答)最後の方からいくと、総理からは何の話もありません。この後、臨時の閣議が開かれるであろうということは言われました。したがって、その段階で報道等参考に致しますと、閣僚からの辞表のとりまとめが行われるであろうと思っています。それについての感想ですが、私は平成18年9月26日、それまで幹事長をやっていましたが、これをつつがなくと申しますか、大過無くやりまして、第1次安倍内閣の国土交通大臣を拝命しました。その後、改造が行われた時も再任をして頂き、偶然にも平成19年9月26日、丁度1年目に福田内閣から国土交通大臣を拝命致しました。思い返すと、通算1年10ヶ月と6日間ということになりますから、平均この頃1年位ではないでしょうか。端からみれば倍位させて頂いたと。しかも、国土交通省というのは事務範囲が広く外局も大きいものがあり、そういうところで1年10ヶ月余りで今日円満に退任することが出来るならば、本当に私としては幸せです。閣僚の中には途中で自ら命を絶った方もありました、そしてまた辞任された方も多くありましたけれども、そういうことはなく、大過無くといいますか、ここまで勤めさせて頂いたということは本当に幸せだし、私を取り巻く秘書官をはじめ役所の方々のサポートがあったこそだと心から感謝を致しております。また、仕事の面でも海洋基本法が成立して、海洋政策担当大臣を拝命するとか、あるいは観光立国推進基本法が成立して、観光立国担当大臣を拝命する等身に余る、私のような浅学非才の者がここまでさせて頂いたということは本当に幸せであったと思います。ただ、国土交通省本体の仕事で道路は大きな問題でした。思い返せば、臨時国会、通常国会を入れて4つの国会で20本の法律を成立させて頂くことが出来ました。その法律の中には本当に思い出に残る素晴らしい法律が沢山あります。海洋関係では多くの法律を通して頂きまして、あるいは観光においては観光庁の設置ということで、10月には観光庁、我が省の外局、3条機関として、海上保安庁あるいは気象庁と並んだ大きな役職の外局が出来たと思います。本当に1つの大きな仕事だと思います。また、我が国は海洋国家ですから四面環海です。小さな国ですが、6,847の離島があるが故に、多くの排他的経済水域、陸地面積の12倍、447万平方キロメートルの海洋を管理することが出来る、国際的に認められている。私はそういう意味で、このような島を守って頂いている所へ行って、つい最近も南鳥島まで、ここから1,950キロメートルも離れているところに行って、国土交通省の職員、海上保安庁の職員、気象庁の職員を激励させて頂いたことは生涯の思い出だと思いますし、沖ノ鳥島も上空から視察をしましたし、佐渡島、甑島、奄美大島等離島へも行きましたし、勿論、沖縄や尖閣列島へも行きました。そういう意味で、海洋関係については、辺境で我が国の権益を守るために苦労して頂いている方を激励することが出来たことは幸せだったなと思い返しています。観光も日中韓の三大臣会合も第三回が行われましたし、その間、昨年は訪日外国人が835万人に達しました。2010年には1千万人を目標にしていますが、私はこれを余裕を持ってクリアしたいと一生懸命やってきましたし、その仕上げとして、平城遷都1300年というものを国家行事として成功させたい。またこれを2010年の一つのシンボルにしたいということで、出来ればシルクロードの東の端ですから西の端のトルコ等まで来て欲しいということで、インドのシン首相にも申し上げましたし、中国の胡錦涛国会主席も5月10日には奈良へご案内申し上げました。そういうことも大変な思い出で、2010年にはこの平城遷都、平城京跡を国営公園にすることも決めました。国営公園として立派に整備をし、そこへ多くの外国の国家元首をお招きしたいとの思いでやらせて頂いたということは幸せだったと思います。必ずこれは成功するだろうと思っています。その他言い出したらキリがありませんが、20本の法律を成立させて頂きました。とりわけ、飛行機の関係ではアジア・ゲートウェイということで、首都圏空港について冬柴プランというものを提案させて頂き、成田と羽田の一体運用ということで、羽田も第4滑走路が2010年10月に開港しますが、その時には昼間3万回、夜も3万回、計6万回の国際線の発着をさせるということを、周辺も認めて頂きました。羽田−虹橋間の定期便を開港出来たことは非常に大きな思い出であり、これが日中国交正常化35周年のその日の9月29日に就航して私も第1便に乗っていくことが出来たことも大変な思い出であったと思います。空港はほぼ概成しましたが、離島は別です。離島の空港はこれからも整備しなければなりませんが、むしろ、空港整備というよりは空港の運用ということが非常に大事になってくるでしょう。そういう意味で、空港と空港周辺の自治体のまちづくりとの融合といったことを進めたいということも緒に就いたと思っています。もう一つは船です。日本は人流も物流も船と航空機によって運ばれている訳ですから、その船につきまして貿易量の99.7%は外航海運によって運ばれております。食料は61%、エネルギーは99.6%、鉄鉱石は100%、こういった物を運んで頂いております。これが大変弱体化していました。これを強化するために、トン数標準税制というものを導入する海上運送法及び船員法の一部を改正する法律案を国会で通して頂いたということは非常に大きな思い出です。今後、海運について、5年間で日本籍船を倍増する、10年間で日本人船員を1.5倍にするという目標を立てることが出来て、海運国家日本として再生していきたい。そんな色々な思いがあります。最後になりますが、道路特定財源ですが、これにはおそらく歴代国土交通大臣で一番沢山国会答弁を求められたと思います。また、謝った数も一番多いのではないかと思います。悪いところは直ぐに謝り改める、改革もするということで、私としては相当政治主導で思い切ったことをさせて頂いているつもりでありますが、こういうものを通じて再生しなければならないと思っています。今後、5月13日の閣議決定に基づいて、道路特定財源が一般財源化されるとともに、暫定税率についても検討されるし、また、道路の将来像についても今度は10年を5年に縮めるということですが、私としては10年間の中期計画というのは、本当にこの国はこれを造らなければならないという最終の姿を示していたという意味では、非常に大きな成果だと思っています。外局では、海上保安庁は本当によくやってくれました。私は、海上保安庁の355隻ある巡視船艇の代替整備を急がなければならない。旧式のものは新しく改めなければならないということで、就任直後から一生懸命予算獲得のために頑張ったつもりです。それから、2百余隻ある巡視艇ですが、これはワンクルーだけでは1日6時間しか動かすことが出来ません。24時間のうち6時間です。したがって、私は空き巡視艇を埋めるために複数クルーにしなければならないということで、複数クルーにすることによって、12時間なり運用出来ることになります。こんな苦しい中ですけれども、定員増をお願いして、それなりに複数クルー制を進めることが出来たと思っています。海上保安庁は、岩手・宮城内陸地震の時には153名の孤立した人たちを海上保安のヘリコプターでつり上げたということがありました。そういうことで、海だけでなく陸の奥深くまで行って活躍して頂きました。また、中国四川省の大地震の時には13名の海上保安庁の人達が派遣されました。亡くなっていたとはいえ、2人と14人、16人の方々を瓦礫の下から発見して引き出すことが出来ました。中国の方からもの凄く感謝して頂きました。一昨日ですが、ホテルニューオータニで、駐日大使ご招待による盛大な感謝の集いというのがありました。その中でも、海上保安庁の働きについて駐日大使から私に本当に心から感謝の言葉を述べてもらいましたし、今後も国土交通省の協力を得たいと仰っていました。気象庁ですけれども、世界初めての緊急地震速報を昨年10月1日から実施することが出来ました。まだ始まって間もないですから、色々と不自由な面もありますけれども、これがあったが故に多くの被害について減災することが出来ました。これは私は誇りです。その他、竜巻が佐呂間で起こった時に参りまして、こういうのは予報出来ないのかということで、ドップラーレーダーというものを備えることにより、きちんとピンポイントで予報することが出来ないにしても、この範囲で起こる可能性はあるという予報は出来ます。それではそれをやろうではないかということで、財務省とも掛け合って、全国をカバーするドップラーレーダーを配置することが出来ました。気象庁関係ではそういうこととか、ハザードの速報も始めました。外局は頑張ってくれていると私は思います。長くなりましたけれども、私の思いつくままに、1年10ヶ月を振り返りますと、そういう色々なことがこれに対して国土交通省の職員挙げて徹夜で私をサポートしてくれました。そして、事細かくレクをしてくれたということに対して感謝の思いで一杯です。キリがありませんのでこの程度で終わりますけれども、振り返ればそういうことです。

(問)福田内閣が今日改造で期限を迎えるとのことなんですけど、昨年の9月の発足から10ヶ月間内閣の閣僚としてどう評価されるかという点と、もう一点は国土交通省については先程大臣仰いましたけれども、道路財源の問題とか官製談合の問題とかそういう省が抱える問題も在任中に色々吹き出した面があったと思うのですけれども、そういうことについてのご所感と対処が十分出来たのかと、この10ヶ月ですね、その辺についてお考えをお願いしたいのですが。
(答)福田内閣は本当に私が見ていて歴代内閣の中でも仕事をきっちりと進めてきた内閣だと思います。非常に困難な中で、手堅く、地味ではありますけれども。ただ、残念ながら内閣支持率があまり上がらないということが最大の関心事だったと思いますけれども、今回の改造で清新な人々が加わり、人心一新という言葉がありますけれども、これにより実力通りの評価を国民がして頂ければ我々もありがたいと思います。福田内閣の中でも色々ありますけれども、やはり洞爺湖サミットを成功させたということは大きいと思いますし、また道路特定財源の問題で大混乱をしましたけれども、再議決あるいはみなし議決というような形で何とか国民の熱望する道路というものついて現状維持を図ることが出来た。一ヶ月という時間を要しましたけれども、これは非常に大きな仕事だと思いますし、勇気のある仕事だと思います。それからインド洋の給油の問題ですが、これも非常に困難な中を再議決という形で実施しました。こういうのは、将来見直して頂ければ評価されるだろう、評価されなければならないと思っています。官製談合を指摘されたことは本当に慚愧に堪えませんし、私は国民に心からお詫びを申し上げなければならないと思っています。その度にですね、私は3ヶ月分を3回と2ヶ月分を1回報酬を返上しましたけれども、私としましてはそうあるべきだと、政治家は当たり前だと思っていますし、これで担当者の方もコンプライアンスを徹底しなければ、多くの人が嫌になったんだ、大臣も苦しむんだということが分かって頂ければありがたいと思います。道半ばですけれども、今着手している改革案というのは相当思い切ったものです。必ずやり遂げなければならない。やり遂げることによって国土交通省は再起しなければならない、そんなふうに思ってます。そういうことがあったけれどもTEC−FORCEは非常に良かったと思ってます。総理からも閣議の席でTEC−FORCEについてはお褒めの言葉を頂戴いたしました。私は国土交通大臣として心から誇りに感じているところです。

(問)これまでの1年10ヶ月を先ほど振り返って頂きましたけれども、申し訳ないですけど一言でというか、長い年月なんですけれども一言で、例えば四字熟語等で、例えば先の国会では防戦一方だったという答弁もありましたし、常在戦場の国交省の1年10ヶ月、大変疲労困憊されてきたと思いますけれども、率直なお気持ちとして一言で表すとどうでしょうか。
(答)私は謝るものは謝り、防戦一方と見て頂いてその通りだったんですけれども、私は防戦をする中に国土交通省の仕事を皆に説明し、分かって頂く努力もしましたと。うれしいことは、昨日、ある地方の女性の方が来られて、「もう一度我々の地方に来て欲しい、道路に関する話をして欲しい」、という話を言われました。私は、新聞報道によると、「明日か明後日にはそういうことはないと思いますけれども」、とお話をしたのですが、「いや絶対に再任されるよう祈ってます」、ということを言って頂きました。そういう人もいらっしゃる。別にこういうのは見方であり、絶対に悪い所は悪いのです。私はそういうものは絶対に許さない。けれども必要な事は、国家100年経った時に必要な事は思いっ切り僕は言ってきたつもりだし、それに対する野党もその部分に対する反応は無かったです。君達不要なものがあるというのなら言ってみろ、どの道路が不要なのか言ってくれと尋ねても誰も答えられなかった。そして、僕はあなたの地方ではこういう道路が必要ではないですかと、そういうことをこういう所で言わないで欲しいというのを言われました。弱いんですよ彼らは、絶対欲しいのです。欲しい道路があるにも拘わらず、無駄な道路を造っているというけれども、私はそういう意味で、随分長い時間をかけて答弁させてもらいましたが、攻撃も受けたけれども、しかし道路についてはこういう必要性があるんだ、道路が通ることによって地方が活性化する、地方の活性化というものは道路と非常に密接に因果関係がある、ということが分かって頂けたと私はそう思います。従って防御ばかりでないし攻撃の部分も十分あったと思っています。

(問)改革の話なのですが、このあと、また秋以降道路の話等色々と残っている課題があるかと思うのですが、ここで辞められるというのは、多少後ろ髪を引かれる思いがあるかと思いますが、もうちょっとお続けになりたいということはありませんか。
(答)今、辞められると言われましたが、まだ決まっていません。辞めることは辞めますよ今日。だけどどうなるかはわかりません。それは神一人が決められる事でございます。これは1つのポジションですから誰が座ろうと、やらなければならないことはやらなければならない訳であり、ですから私が引いた改革路線は絶対に仕上げなければならない。私はまだ国会議員ですから、国会議員として国土交通省を厳しく見ていきます。国土交通委員会でやりますよ、私は。「ここ出来てないじゃないか」とやります。そういう意味で別にどこに居ようと改革は進めなければいけないと思っています。

(問)自己評価としては100点満点で言うと何点ですか。
(答)0点ではありませんけれども、及第点は何点ですか、55点くらいですか。ちょっと超えたのかなと思っています。

(問)逆にそのマイナス45点というのはどの辺でしょうか。
(答)その辺はもっとやり方があるのかもわからないけど、私は気配りの男でございますので、なかなかガリガリとすることが出来ませんが、長い目でみればそれが急がば回れということになるのではないかと思います。例えば都市再生機構やあるいは住宅金融支援機構等が潰されるような時期がありましたが、これに対して一生懸命総理に申し出て猶予期間をもらいました。私は猶予ではなく、全部分かって頂いて、この都市再生機構の有している賃貸住宅は、高齢者その他社会的に弱い人達の住宅のセーフティーネットとして、これはどうしても残さなければならないものだということを確定して欲しかった、本当にそのように思います。それから今の住宅金融支援機構にしても、なかなか難しいのですが、こういったものがあればこそサラリーマンが安心して長期で低利の融資を受けることが出来る。そういうものをもっともっとアピールしてその積み残しではなく、そこでファイナルな結論を得たかったと思っています。

(問)しみじみしたところで申し訳ございませんが、昨日大阪府の橋下知事が伊丹空港の廃止を含めて検討するなり協議をしたいという発言があったと思いますが、それについてご所見をお願いします。
(答)素人ではないですか。素人の発言だと思います。議論すればそういったことは潰れます。そういうことにはなりません。あまり素人が大胆なことは言わない方が良いと思います。