最終更新日:2010年4月12日
富山県氷見市長
主な経歴
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1952年
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富山県氷見市生まれ |
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1978年
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慶応義塾大学卒業 |
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1988年
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(社)氷見青年会議所理事長就任 |
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1991年
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富山県議会議員(2期) |
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1998年
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氷見市長就任(現在2期目) |
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2002年
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国の都道府県、市町村、水産関係団体を会員とする「都市漁村交流推進協議会」が設立され、同協議会の会長に就任
富山県漁港協会会長(1998.4~)、全国漁港海岸防災協会副会長(2001.5~2003.5)、全国市長会理事(2002.7~2003.6)、全国漁港漁場協会理事(2003.5~) |
カリスマ名称
「伝統漁業の定置網を今に生かすまちづくり」のカリスマ
選定理由
伝統漁法である「越中式定置網」を環境に優しい漁法として見直し、「世界定置網サミット in 氷見」の開催等により、国内外に積極的に発信するとともに、地域の海・山・産業の個性を生かした多様な交流拠点づくりを進め、都市等との交流を拡大し、地元経済の活力を創出、さらには、市民の「愛郷心」や「自信」を醸成した。
具体的な取り組みの内容
氷見市は、能登半島の東側基部、富山県の西北部に位置する人口約6万人のまちである。
富山湾に面する延長19.5kmの穏やかな海岸線は能登半島国定公園に指定され、新鮮で豊かな海の幸、富山湾にそびえ立つ白く輝く立山連峰の雄大な景観、緑豊かな農山村、湯量豊富な温泉郷など、すばらしい自然に恵まれている。
しかし、少子高齢化が県内9市で最も進む氷見市は、地域活力の低下が懸念され、近年の漁業の現状においても、高齢化の進行や担い手不足、海洋環境の悪化等による漁獲量の減少、漁村地域の活力の低下など、厳しい状況に直面している。
堂故氏は、こうした現状に危機感を抱き、私達の祖先が知恵と汗を出して築いてきた「越中式定置網」をいかに守り育て、将来につなげていくかということが今の自分たちに問われているものと考えていた。

氷見沖の定置網
地域の伝統漁業「定置網」をクローズアップし、国内外へ発信!
氷見沖には、大小45カ統の定置網が幾何学模様のように敷設されている。魚のまち・氷見の漁業の大半を支えているのがこれらの定置網であり、氷見は、全国の漁業に大きな影響を与えた「越中式定置網」発祥の地としても知られている。
しかし、この定置網も少し前までは、「待ちの漁法」であるため、消極的で時代遅れの漁法とまで言われていた。
こうした意見もあるなか堂故氏は、捕獲する割合が一旦網に入る魚の2割程度で、網目の大きさによって網目より小さい若魚の保護が可能であるとともに、網に付着する海藻や稚貝などが魚礁の役目を果たし、捕る漁法であると同時に増やす漁法でもある定置網漁法は、限りある水産資源を持続的に利用できる21世紀型の「環境に優しい漁法」であると認識していた。
また、魚を傷つけずに生きたまま水揚げでき、鮮度の高い魚介類が提供できることから「消費者に優しい漁法」、さらには、漁業者が毎日帰宅することが可能で省力化・合理化に向けた取り組みも行われていることから「働く人に優しい漁法」という考えから、安全で新鮮な魚を消費者に提供できる定置網漁法こそが将来の氷見市の漁業を支えていくキーになるとの思いで、平成12年度から3ヶ年計画の「氷見定置網トレーニングプログラム」事業をスタートさせた。
事業を成功に導くため、地域の伝統を市民全体で見直す観点から、実行委員会には、市内の水産業関係者だけではなく、市内外の商工観光や国際交流、教育研究機関などの関係者の参画を募った。このことが、定置網漁業の観光資源としての可能性を引き出すきっかけとなった。
事業のステップアップと交流人口の拡大
初年度には、中米コスタリカと中国から研修生を招いての現場での定置網指導や、市内外から4百人が訪れた海洋環境に関するシンポジウムなどを実施した。
2年目の8月には、コスタリカへ技術指導のための派遣団を送った。団員には、漁業者のほか、地元漁業科高校生やボランティアらも参加し、堂故氏自らも加わった。11月には、定置網に関する初めての全国会議「定置網新世紀フォーラム」を主催し、23都道府県から、千百人の参加があった。この模様は、テレビで全国にも発信された。
最終年度には、「海でつなぐ世界と未来」をテーマにした国際会議「世界定置網サミットin氷見」を主催し、4日間にわたって、基調講演、パネルディスカッション、セッション、食文化交流会などを実施し、最終日には、「海との共生」のため、世界のパートナーとともに定置網漁法の発信と普及に取り組んでいくためのサミット宣言を採択した。34カ国からの参加者を含め、延べ3千人が参加した。
こうして堂故氏は、漁村の持つ伝統や特徴を最大限に引き出した個性的な都市漁村交流、国際交流・協力事業をステップアップしながら、政府機関やメディアなど、国内外とのパートナーシップを築き、地域の情報発信力を高めるとともに、交流人口の拡大を実現していった。

世界定置網サミット in 氷見 (左)初日のパネルディスカッション(右)
宣言文を掲げる堂故氏と参加者代表
「魚のまち・氷見」の交流拠点づくりによる通過型観光のまちからの脱却
氷見市は、寒ブリを代表とする水産都市として全国に知られているにもかかわらず、観光客が気軽に立ち寄り、魚介類を買ったり、食べたりする施設が無い通過型観光のまちであった。
このため、平成12年4月、「魚のまち・氷見」をPRし、水産業及び観光の振興と地域の活性化を図る「氷見フィッシャーマンズワーフ海鮮館」を開設した。
朝捕れの新鮮な魚を地元の漁師が直接お客さんに売るなどの鮮魚コーナーが売り場面積の半分を超える、鮮度にこだわりをもった施設であり、全国でも珍しい漁港敷地内の「道の駅」の指定にもこぎつけた。外部からの問い合わせも多く、都市との交流を促進する情報の発信基地としての大きな役割を果たしている。
この「海鮮館」のオープンを契機として、年間100万人を割り込み低迷していた観光客入込数が、平成12年度以降は、毎年160万人を超え、まちに活気が戻ってきた。

氷見フィッシャーマンズワーフ海鮮館(左)上空から(中央が海鮮館)(右)内部の様子
文化・情報の発信、都市住民と市民との交流のための仕組みづくり
同年、中山間地の廃校を活用したふるさと文化の発信基地・工房舎「閑雲」がオープンした。運営は、過疎化の進む地元の地域づくりグループが行っており、陶芸体験や木工、楽器、ガラス製作のための工房提供、文化交流等を実施している。個性的な手作りの芸術文化の発信により、市内外の多くの人々が訪れている。
また、平成13年7月には、市内の目抜き通りの一角に、中心市街地の活気づくりのため、まちづくりセンター「Laぶりー茶屋」がオープンした。この施設でも、ボランティアが運営の中心となり、無農薬野菜や特産品の販売、さまざまな文化教室やイベントなどを開催している。また、地元の観光をはじめとした各種の情報が提供できる「まちの駅」の機能も備えており、交流人口の拡大に一役買っている。
不利な自然条件を逆手にとったオーナー事業の実施
中山間地が市域の6割を超え、荒れた里山の棚田が目立ってきていた氷見市では、地域に賦存する棚田特有の環境を生かすとともに、そこに住む人々の思いや工夫を取り入れ、県内初の「棚田オーナー事業」を平成11年度にスタートさせている。
おいしいお米と、棚田から眺める海越しの立山連峰の美しいパノラマ、そして、地元の人々のホスピタリティに、回数を重ねるごとにファンが増えてきている。
こうした反響にさらに応えていくため、平成14年には、近年、人々が手入れをしなくなってしまい、周囲の生態系や人々の暮らしにも影響を及ぼすようになってきていた里山林のオーナー事業も開始した。
これらの事業が、中山間地活性化の認識を市民に浸透させ、積極的な地域活動が展開されるようになった。
かけがえのない白砂青松の地を守る
夏の氷見海岸は、多くの海水浴客で賑わいをみせている。なかでも島尾が「日本の海水浴場88選」に、松田江の長浜が「日本の渚・百選」、「遊歩百選」に選定され、氷見が美しい白砂青松の地であることが全国に知られている。
しかし、平成11年9月に、台風による大量の流木が漂着し、これらの砂浜が大きな被害に見舞われた。堂故氏は、この流木撤去の先頭に立ち、市民への情報提供や国・県への働きかけ、水産団体や企業等への協力依頼を精力的に行った。こうした堂故氏の姿勢に刺激され、6千人にものぼる市民が参集、かつてない大掃除作戦を展開し、海岸は美しさを取り戻した。
この取り組みをきっかけとして、市民による海岸保全活動が活発化し、現在も美しい砂浜を求めて多くの海水浴客が訪れる。

(左、中央)市民参加による流木等の撤去作業 (右)美しさを取り戻した海岸
新たな交流を生み出すため、ひみ田園漁村空間博物館の整備に着手
堂故氏は、現在、建物の中に展示する従来型の博物館とは異なり、地域の自然景観や産業、住民の生活そのものまでを含めて展示物として捉えた、ひみ田園漁村空間博物館の取り組みに着手している。
地域住民が主人公となり、農山漁村の持つ豊かな地域資源を「ひみの宝」として位置付け、その保全・整備・活用を通じた体験活動や来訪者とのネットワークづくり等を行い、多くの人々に氷見のよさをアピールするこの取り組みにより、堂故氏は、更なる観光交流の活性化を目指している。