ページトップ

[本文へジャンプ]

政策について
観光庁ホーム > 政策について > 人材の育成・活用 > 観光カリスマ一覧 > 笹原 司朗(ささはら もりあき)
ページ本文

笹原 司朗(ささはら もりあき)

印刷用ページ

最終更新日:2012年9月20日

琵琶倉庫(株)代表取締役社長
(財)長浜文化スポーツ振興事業団理事長
笹原 司朗(ささはら もりあき)

主な経歴

1941年
滋賀県長浜市生まれ
1963年
関西大学経済学部卒業後、笹原商店入社
1998年
株式会社黒壁専務(館長)
1996年
「北近江秀吉」博覧会 開催運営委員長
1999年
株式会社黒壁社長

カリスマ名称

「無一物からの再興のカリスマ」
ガラス工芸と黒壁の街並みを中心とした独創的なアイデアで地域を再興した。

選定理由

欧州と比較して文化的認知度が低かったガラス工芸に着目し、株式会社黒壁を中心に、古い街並みと新しいガラス細工の新旧の観光資源の対比をうまく演出した。その結果、来客が少なくなっていた商店街がわずか数年で活性化した。

具体的な取り組みの内容

琵琶湖の湖岸に開けた町、滋賀県長浜が話題になっている。工芸品としてのガラスと伝統的な街並み。十数年前までは閑古鳥の鳴いていた中心地が、今では年間 480万人の観光客で賑わう。この町づくりの仕掛人が株式会社黒壁の代表を務めた笹原司朗氏である。

株式会社黒壁の設立

株式会社黒壁が設立されたそもそものきっかけは、住民から親しまれていた黒壁銀行を破壊から救済するためだった。そのシンボルである建物を拠点に寂れていた商店街を再び活性化することを目的に第三セクター方式で設立した。
笹原氏は長浜市からの半額出資を期待したが、どうしても4000万円しか出ないため、笹原氏は知人の不動産会社、工務店、ホテルなどの経営者に声をかけ 9000万円を集めた。
黒壁銀行(現黒壁ガラス館)
黒壁銀行(現黒壁ガラス館)

なぜガラスにこだわったか

笹原氏がめざしたのは、活気にあふれた昭和30年代の長浜である。「商店街は大資本に潰されたから再活性化はそれを逆手にとり、資金力ではできない事業を行えばいい」。検討を進めるうちに、建物を含めた歴史、祭りなどの文化・芸術、そして国際性に行き着いた。

この三つのテーマを内在する事業を白紙の状態で世界中から探した。全国のどこでもやっている地場産業とか地元出身者の美術館や記念館では一過性のブームしか起こせないからである。長浜という地域にとらわれず長く続けられるものに取り組む必要があった。

役員が自費で1ヵ月イタリア、ドイツ、オランダなどに行き、美術館・工房を見たり、作家に会ったりした。「長い歴史を持つガラス工芸品は文化性が高い」とカルチャーショックを受けた笹原氏は、この文化を長浜から発信しようと決断した。

帰国後、保存した銀行の建物をガラス館とし世界のガラスを集めて売る。さらに同じ敷地の中に吹きガラス工房を設け、古い蔵はフランス料理のレストランにした。こうして長浜再生の核を誕生させた。
ガラス工房
ガラス工房
ガラス鑑賞館
ガラス鑑賞館

一貫した経営哲学

笹原氏の経営哲学のバックボーンには一燈園の西田天香の教えがある。長浜出身の西田の思想を黒壁を始める15年も前から勉強してきた。そのなかで笹原氏が座有の銘にしているのが《無一物・無所有・無尽蔵》という言葉だ。要するに「1万円を持った人間がこれを増やそうというのは守りの欲で道は開けない。一銭もない人間が無欲で取り組めば際限なく知恵も出る」ということである。黒壁が成功したのは、この“一燈園経営”を実践したからである。おそらく、黒壁のような商業施設が次々に商店街に立ち並んでいったのは、こうした黒壁の経営姿勢が周囲に理解されたためだろう。

街並み整備へ粘り強い交渉

現在、『黒壁スクエア』が中心となっている北国街道の南北1.5キロには120軒余りの江戸から明治にかけての町屋が残っていた。多くはボロボロで空き家も目立った。笹原氏は、400年の歴史を持つ街道沿いにガラスの文化を埋め込んで、古い街並みと新しいガラスの新旧対比の楽しさを演出しようとした。古い町屋の所有者のほとんどが地元の老人たちであるが、笹原氏は彼らと何度も顔を合わせ仲良くなり、使っていない土地や建物を利用させてほしいと口説き続け、街並みを整備していった。
賑わう街並み
賑わう街並み

地元の財産を活用

黒壁を含めた16社が500万円ずつ出し合い空き店舗支援など遊休不動産の活用を図った。設立から7年目までは黒壁が事業の一環として行っていたが、第三セクターが土地や建物などの不動産を手がけると地価の下落などで経営的に破綻をきたすことが少なくない。そこで別会社としたのだが、これが効を奏し、黒壁時代から数えると、空き店舗80を含めて180軒がリニューアルされ、黒壁の景観にとけ込んでいる。

地元の人材を活用

96年に開催された『秀吉博』において、その責任者である笹原氏は出演者などの芸能人を呼んで客集めをしてもしかたないと考え、案内役や説明役に歴史や地理に詳しい親切でバイタリティーのあるシルバー世代を選び、ガイドやスタッフを務めさせた。
また、『プラチナプラザ』も空き店舗での商売をシルバーたちに任せるユニークな試みである。およそ40人のシルバーたちに5万円ずつ出資させ、惣菜店、リサイクルショップ、喫茶店を始めさせた。独立採算で売上から経費を引いた利益をシルバーたちの頭数で割った金額が時給であるが、かなりうまく回転している。

黒壁ブランドの全国展開への挑戦

そこで笹原氏が訴え続けるのは「第三セクターといっても所詮は経営。継続しなければ何の意味もない。事業は利益を出さなければ続かないし、拡大再生産こそがそのパワーとなる。だから黒壁は株式会社であってNPO(非営利組織)ではない」ということだ。この考え方に賛同する自治体の町おこしには黒壁が出資し、ガラスのノウハウも提供する。岩手県江刺市の『黒船』がその第一号である。

参考資料

・『戦略経営者』2000年7月号(株式会社TKC)
このページに関するお問い合わせ
NPO法人 まちづくり役場 山崎弘子様
電話 0749-65-3339
E-mail machiyak@mx.biwa.ne.jp

関連情報はこちら→笹原司朗公式ホームページ