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澤  功 (さわ いさお)

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最終更新日:2010年4月12日

澤の屋旅館 館主
澤  功 (さわ いさお)
下町の家族旅館一家。左端が澤功氏。

主な経歴

1937年
新潟県豊栄市生まれ
1960年
中央大学法学部卒業
東京相互銀行(現在の東京相和銀行)入行
1965年
澤の屋旅館館主
1982年
外国人客受入開始
1993年
ジャパニーズ・イン・グループ会長(~98年)
1997年
(社)日本観光旅館連盟常務理事
1998年
(社)日本観光旅館連盟東京支部支部長

カリスマ名称

「下町の外国人もてなしカリスマ」
東京下町の低廉な宿泊施設で、これまで延べ10万人もの外国人旅行者を受け入れ、さらに外国人客の下町での触れ合いに尽力している。  

選定理由

倒れかかった下町の小さな旅館を、積極的に外国人旅行者を受け入れることによって再生するとともに、全国各地で外国人旅行者の待遇方法などを説明して、宿泊施設が外国人旅行者を受け入れる際に抱く危惧を払拭することに努め、外国人旅行者の受入促進の啓蒙を図っている。

具体的な取り組みの内容

東京の下町、谷中の根津神社の近所に、客室数12室の日本旅館「澤の屋」がある。一見何の変哲もない小旅館であるが、実は宿泊客の9割が外国人客で、毎日平均7か国の客が訪れ、年間客室稼働率が90%を越え、これまでに80か国、延べ10万人の外国人客を受け入れるなど、国際交流に貢献しているのである。
この旅館の経営者が、澤功氏である。
澤氏の子息・新氏による獅子舞
澤氏の子息・新氏による獅子舞

澤の屋の開業

昭和24年、養母澤ヨシ氏が、戦災を免れ日本情緒を漂わせていた谷中に客室8室の澤の屋旅館を開業したが、当時は戦後の復興期で、東北、北信越からのお客様で賑わっていた。その後30年代に入り主に修学旅行の団体が利用するようになり、32年に建増し、36年に離れを増築し、客室数16室となり、東北、長野等から来る100人程度の小学生の修学旅行宿として繁盛していた。最盛期の客室数は24室もあった。
銀行勤めをしていた澤功氏は、日本中が好景気に沸き東京オリンピックが開催された39年、澤の屋の一人娘と結婚するとともに、ヨシ氏と養子縁組をし、翌年、澤の屋館主となる。

客層の変容と衰退

ベビーブーム世代の修学旅行が終わるとともに修学旅行先の多様化により、修学旅行生の利用が減少していったため、商用旅館に衣替えをして経営を継続した。しかし、家族的な下町の雰囲気を好んでいたはずの地方からの出張者は、昭和48年、53年と相次ぐ石油危機により減少していった。また、個室、バス・トイレ付のいわゆるビジネスホテルの増加が追い打ちとなって、客足が遠のいていった。客室稼働率は54年の71%から56年には58%と減少し、赤字経営となった。そして、57年7月には3日間お客がゼロとなった。

外国人客受入れの取組み

昭和47年に死去した養母から引き継いだ澤の屋をつぶしたくないと考えていた澤氏は、外国人旅行者を受け入れている旅館を紹介された。その旅館に行くと、設備は自分のものと同じ程度、旅館の主人の英語も簡単なものであるにもかかわらず、外国人旅行者で活気にあふれていた。そこで決心がついた澤氏は、外国人を積極的に受け入れている旅館組織「ジャパニーズ・イン・グループ」に57年に加盟し、外国人旅行者を迎える方針に転換した。

「ジャパニーズ・イン・グループ」は、54年に東京、京都の家族経営の小規模旅館が数軒でグループを作り、「ホスピタル・アンド・エコノミカル」をモットーに積極的に外国人個人客の受入を図っている。グループには現在は全国80軒が加盟し、設立以来、80か国、延べ200万人を受け入れており、英・韓・中(繁体字)語表記の「旅館での過ごし方」等の情報を含む予約のための英語版会員名簿を作成するとともに、会員相互の連携、情報交換、各種研修会、接遇マニュアル作成等の活動を通じ、外国人客の接遇向上を図っているが、特に近年では、アジア地域からの外国人客を積極的に受け入れるための研修会を開催し、誘致を行っている。

加盟当時、澤の屋は、施設・設備は和式のまま、例えば風呂は部屋風呂でなく共同風呂、トイレも和式であり、おまけに澤氏をはじめ従業員は外国語がわからず、様々な文化・習慣の外国人を受け入れたために当初は戸惑いや苦労があった。

例えば、和式便器の金隠しに汚物が載っていたが、これはアジアの人にとって扉を背に用を足すことが怖くてできないことから、扉に向かって金隠しに座っていたためであり、ジャパニーズ・イン・グループで作成したイラスト入り和式トイレの使い方を張ることで解決した。

また、澤氏は電話を受けて、 

「ハロー・アイ・ウォナ・ブック・ワンルーム」
(ブック....?  本?) 
「ユー・ドント・ハブ・ア・ルーム?」
(本がどうしたのだろう。いや、やはり予約の電話だ)
「はい、イエス。 エーッ、トゥナイト?」
「ノウ・ワン・ナイト」
「えーと、ユー・カム・トゥディ・ナイト?」
「ノウ・ノット・トゥナイト」

と判じ物のような会話をしていたが、「ブック」に「予約する」という意味があることを後で知った。

外国からの宿泊予約方法は、当初は電話が主体であり、慣れない英会話や時差に苦労した。FAXによる予約を開始した後は、高い国際通話料金に悩まされた。しかし澤氏は、英会話の簡単な受け答えを書いた紙を電話のそばに貼ったり、国際電話の各種割引制度を研究して利用したりするなどで対応していった。

商用客を受け入れていたときは、いつ来客があるかわからなくても料理の仕込みをしておかなければならなかったが、外国人客を受け入れて以降、彼らから「夕食代が高い」とか「食べないので値引きをしてくれ」とかいった苦情があったことから、夕食を出すことをやめた(洋朝食は300円)。その代わり近所の食堂で宿泊客が食事できるように、外国人客の受入と英文メニューの作成を依頼した。また、銀行、郵便局、病院、洗濯屋、寺社等を記入した谷中・根津周辺の英語の地図を作成し、宿泊客に配っている。

澤氏は、「澤の屋」が町の中で外国人宿として孤立しないように町の行事に積極的に参加していたが、そうした澤氏の努力もあり、また、震災・戦災に遭わなかった下町気質が外国人客を町に受け入れる土壌としてあったため、日本情緒を味わいたい宿泊客は、花見、夏祭り、菊まつり、餅つき、豆まき等の町内の年中行事に参加することができ、谷中・根津界隈で草の根の国際交流が図られている。

こうした努力の結果、ツアーに参加しない外国人個人客を初めて受け入れた57年には220人だったが、58年は3,128人、59年には4,154人(稼働率90%)と飛躍的に増加して、これまでの20年間で延べ10万人を受け入れた。平成14年には41か国からの外国人客、延べ5282人を受け入れた(日本人客1,290人、年平均部屋稼働率95.1%)。
谷中の墓地の花見
谷中の墓地の花見
大円寺の菊まつり
大円寺の菊まつり
夏祭りの町会みこし
夏祭りの町会みこし

家族経営旅館としての新しい取組み

外国からの予約受付後に困るのが「ノーショー」といわれる不泊である。澤の屋では、年間平均55件、1週間に1件程度の不泊があるが、客室数12室の澤の屋にとっては経営上の大きな問題であった。

そこで、米国のクレジット・カード会社からの紹介でクレジット・カードでの予約客に対して、日本ではなじみのないギャランティ・リザベーション制度(クレジット・カードで予約を受けた場合、連絡なしに不泊であれば1泊分の宿泊代をカード会社に請求することができる制度)を導入した。

この制度は広く世界で利用されているが、日本ではまだ根付いておらず、澤氏は、零細な小規模旅館が安心して外国人客を受け入れできるようにするため、同制度の振興を図っている。 また、インターネットの普及に着目し、平成10年にホームページを立ち上げ、eメールでの予約を受け付け始めた。

外国人旅行者受入の普及・啓蒙

澤氏は、ジャパニーズ・イン・グループの理事、副会長、会長を歴任し、同グループの組織の充実、拡大強化、会員の指導育成等にあたってきた。また、テレビ、ラジオ、新聞等に、澤氏が外国人客を積極的に受け入れていることが多数取り上げられている。
平成15年2月に愛媛県で行った講演
平成15年2月に愛媛県で行った講演
これはすべて、外国人旅行者の受入を普及・啓蒙するために行ってきたことである。澤氏は、小さな澤の屋旅館でも外国人旅行者の受入はできたのであり、もっと外国人旅行者に満足してもらえる日本旅館が全国にたくさんあるのに、外国人旅行者を拒み続けるのは日本にとって損失だと言ってはばからない。外国人旅行者を受け入れることになかなか踏み出せない旅館経営者などにこう語りかける。「いつでも澤の屋を見に来て下さい。そして私共の設備を見て私の英語を聞けば、外客を受け入れる自信がつきます」。
このページに関するお問い合わせ
澤の屋旅館(原則ご本人が対応)
電話 03-3822-2251
FAX 03-3822-2252
E-mail sawanoya@tctv.ne.jp

関連情報はこちら→澤の屋旅館ホームページ