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首藤 勝次(しゅとう かつじ)

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最終更新日:2010年4月12日

大分県竹田市長
首藤 勝次(しゅとう かつじ)

主な経歴

1953年
大分県直入郡直入町生まれ
1976年
直入町役場就職
1999年
直入町温泉療養文化館「御前湯」初代館長
2001年
直入町役場退職、大丸旅館社長  
2002年
大分県議会議員

カリスマ名称

「ドイツ文化を取り入れた温泉再生カリスマ」

選定理由

戦後の経済成長のかげで過疎地域として低迷を続けていた直入町を舞台に、「日本一の炭酸泉」が湧出されることを活かして、その先進地であるドイツに学び、またドイツとの国際交流を軸にしながら様々なイベントを開催するとともに、個性あふれる公衆浴場など施設整備を展開するなどにより、観光地としての長湯温泉の急成長を導いた。

具体的な取り組みの内容

首藤氏は大分県「長湯温泉」大丸旅館の長男として生まれた。大丸旅館は芹川のせせらぎを全ての客室から楽しむことができる、「長湯温泉」を代表する老舗旅館である。当然、首藤氏は物心つく頃から旅館や温泉、観光のことを肌で感じながら育った。彼のエネルギッシュな行動や発想の原点はここにある。

典型的な過疎の町

直入町は九州本土の最高峰くじゅう連山の麓に広がる高原地帯で標準標高は450m。典型的な農村風景が続く人口約2900人の寒村である。

1956(昭和31)年の町村合併で現在の直入町となった当時の人口は7200人であったが、全戸の約7割が農林業に従事しており、全国の農村地帯と同様過疎化、高齢化が進展し、ここ40数年で人口は半分以下に激減した。

一通の手紙と日本一の炭酸泉

1988(昭和63)年、東京に本社があるK社から、町に歴史的な挑戦を促すこととなる一通の手紙が届いた。

当時、新製品開発に懸命だった同社の浴剤事業部は、ドイツの温泉保養地で長年研究されている炭酸ガスによる温泉効果に注目し、全国から炭酸泉のサンプルを集めてその効能の研究・分析を行っていた。同部のブランドマネージャーから届いたその手紙には、長湯温泉の将来を占うキーワード「日本一の炭酸泉」が証明された調査書が入っていたのである。

なぜ、長湯温泉が日本一の炭酸泉なのか。まず、炭酸ガスの含有率が非常に高い。平均濃度が1,200ppmもあり、これは市販されている炭酸入浴剤の約7倍の濃度である。また、炭酸泉の効果はこうした濃度だけではなく温度にも比例するが、長湯温泉は炭酸泉としては高温(36度)で、しかも湧出量が多く、温泉医学の観点から見て世界でも珍しい貴重な温泉なのであった。K社の調査書はまさにそうした点を指摘していたのである。

全国炭酸泉シンポジウム

当時、町役場の総務課で企画を担当していた首藤氏がこの調査書に注目したのは言うまでもない。彼は何とかこの調査書の結果を活かしたかった。ちょうど同じ時期に、当時日本中の話題となった「ふるさと創生」事業の話しが舞い降り、財源が担保された。決して豊かでないこの町にとって行動する材料がそろったのだった。
1989(平成元)年11月、戦略の第一歩として首藤氏は炭酸泉のPRを兼ねた「全国炭酸泉シンポジウム」を開催した。このシンポジウムには全国各地から温泉療養の関係者ら400人が集まり、首藤氏の狙った炭酸泉のPR効果は一定の成果をあげた。また、このシンポジウムの成果として町に貴重な提言がもたらされた。それは「炭酸泉というのは国内では珍しい泉質でありその医療効果は高い。温泉療養の世界的先進地であるドイツの温泉地に活用のノウハウを学んだらどうか。」という提言であった。

ドイツに学ぶ

「全国炭酸泉シンポジウム」の成功に勇気づけられた首藤氏は、すぐに町長を団長とする訪問団を結成した。在日ドイツ大使館からの情報を頼りにドイツの代表的な温泉地バーデンバーデンや炭酸泉で有名なバードクロチンゲン、バートナウハイムを訪れた一行は、ヨーロッパ温泉療養の歴史に触れ、そのすごさに圧倒された。

首藤氏はこの訪問で、歴史に基づいた地域独自の温泉文化がいかに大事なのかを再認識したと言う。それ以後、首藤氏の発想や企画は独創性という点で更に磨きがかけられ、行動に拍車がかけられていく。
バーデンバーデンのラング市長夫妻を迎えて
バーデンバーデンのラング市長夫妻を迎えて

西洋と日本の温泉文化フォーラム

1992(平成4)年、首藤氏が中心となって企画した国際イベント「西洋と日本の温泉文化フォーラム」が盛大に開催された。その前年には、この国際イベントを何とか実現しようと、日独協会や在大阪・神戸ドイツ総領事館の支援を受けながら、第2次表敬訪問団を結成し渡欧している。
こうした首藤氏の努力が実り、このイベントにはヨーロッパから40数名の参加者を迎え、全国からの参加者は800人にも達した。「小さな町の大きな挑戦」としてマスコミでも話題になり、直入町に炭酸泉と国際交流のイメージが定着して行った。そしてこのイベントの成功は、後の1998(平成10)年に開催される国際シンポジウム「温泉と文化」につながっていく。

直入ラベルのドイツワインの誕生

この国際イベントで同時に開催された「ドイツ物産フェア」で直輸入したワインが飛ぶように売れたのを首藤氏は見過ごさなかった。首藤氏は、ジェトロ(日本貿易振興会)の支援を受けて商工会を中心にミッション団の結成を呼びかけ、友好都市バードクロチンゲン市との経済交流の開始にこぎつけた。
ぶどう栽培の北限に近いバードクロチンゲン市ならではの深い味わいを奏でるワインは人気を集め、直入町でしか手に入らない、味わえないという「直入」ブランドが誕生したのである。さらに、1997(平成9)年、交流に積極的なバードクロチンゲン市から直入町に直入ラベル専用のぶどう畑をプレゼントしたいという話が持ち上がり、翌年5月現地のぶどう畑で贈呈式が盛大に行われた。
こうして、それまでは町内6軒の酒屋で売れていたワインは年間わずかに100本程度であったものが、今では年間1万2千本が買われていくまでに成長し、直入町に大きな経済効果をもたらしている。

飲泉場整備

首藤氏はソフト戦略の一方で、長湯温泉の歴史を紐解きながらヨーロッパとの融合文化を前面に押し出す施設整備を考えていた。きっかけは、とある民家で発見された昭和初期の文献資料に、「東方日本の長湯温泉、西方ドイツのカルルスバード」と銘打ってドイツのような温泉療養地を目指そうとした当時の様子が記されていたことであった。

目指そうとしたものは、ドイツで600年以上もかけて育まれてきた、炭酸泉という特異な泉質ならではの「温泉を飲む文化」であった。首藤氏はこうした歴史を知り、直入町でこの文化を花開かせようと考えた。そのため、まずは飲泉場の整備を考えた。

1993(平成5)年の春に姿を見せた飲泉場は、中世ヨーロッパ調の個性溢れるデザインで新しい観光名所となった。壁に飾られた銅版にはこの地を訪れた駐日ドイツ大使や友好都市の市長などのメッセージが刻まれており、海を越えたローカル国際交流の歴史を語り続けている。

その後、町内4ケ所に個性的デザインの飲泉場が次々に完成。散策を楽しみながら新鮮な温泉を飲んで健康回復を目指すという、まさにヨーロッパ流の温泉療養地とも言うべき環境が整いつつある。
町民にも、陶器と木製のオリジナル飲泉カップを製作し、これが土産品として人気を呼んでいるなどの影響がある。

温泉療養文化館「御前湯」

温泉をテーマにした国際交流が始まって10周年を迎えた1998(平成10)年10月、首藤氏は念願の中核施設である温泉療養文化館「御前湯」(ごぜんゆ)をオープンさせ、その初代館長に就任した。
江戸時代、岡藩の代々の藩主から湯治場として愛されてきた名門湯が、町営の公衆浴場として復活したのである。長湯温泉に伝わる外湯めぐりの文化を再構築したいという首藤氏の夢と地域の願いは一致していた。
翌1999(平成11)年の春、ドイツ友好都市の温泉館「ビタ・クラシカ」と国際姉妹施設の提携書を交わすことになり、さらに交際交流の絆が深まっていった。

「御前湯」の入館者数は当初年間8万人を予想していたが、その予想をはるかに上回る13万人を超える入湯者が毎年訪れている。日曜日ともなれば「御前湯」の駐車場は県外ナンバーの車で埋めつくされるほどの盛況ぶりである。
御前湯外観
御前湯外観
御前湯大浴場(一階)
御前湯大浴場(一階)
首藤氏は、「長湯温泉」を急成長させることに成功した。人口約2900人の寒村はこの15年間で大きく変貌し、「長湯温泉」のイメージが向上するとともに、交流人口は20万人から70万人へと大きく増大している。首藤氏はその後、国際シンポジウム「温泉と文化」を成功に導いた後、役場を定年退職し、家業の大丸旅館の社長となった。 (首藤氏ホームページへ) その後、県会議員にも当選した首藤氏は、今でも直入町のさらなる発展を考えている。
韓日国際交流大会(韓国・亀尾市にて)
韓日国際交流大会(韓国・亀尾市にて)
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首藤氏連絡先
電話 0974-63-1111