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矢野 学(やの まなぶ)

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最終更新日:2010年4月12日

新潟県議会議員
矢野 学

主な経歴

1940年
安塚町に生まれる
1961年
安塚町役場勤務
1979年
  同  総務課長
1989年3月
  同  総務課長で退職
1989年4月
安塚町長に就任し
【著書】「鄙人の発想」(かんき出版)

カリスマ名称

「マイナスをプラスに、逆転の発想カリスマ」  

選定理由

 豪雪地帯の重荷である「雪」を資源として活用するまちづくりに取組み、雪の商品化やスキー客の誘致に成功した。また、棚田の保存、民家のデザインの統一による景観の保全や体験型観光による集客の通年化に取組み、多くの観光客を招き入れた。  

具体的な取り組みの内容

 総務課長時代から「豪雪」「山間」の自然条件を逆手にとり、「心の過疎」を払拭するため「住民主役のまちづくり」に取り組む。町長就任時には「雪国文化村構想」を掲げ、現在も町づくりの基本理念としている。強力なリーダーシップのもとで、重荷でしかないと思われた「雪」を「雪の宅配便」「雪冷房」などの方法で資源化し、1990年にはスキー場誘致に成功。人口3,700人足らずの町に年間60万人以上の観光客が訪れており、10年前に比べると実に5倍以上の伸びとなっている。

心の過疎からの脱却。内なる活性化の模索

 昭和50年代半ば、安塚町は昭和30年の町村合併による町制施行時からすでに人口は半数以下になる過疎化に悩まされていた。町の主産業は、等高線に沿い山の頂近くまで開かれた棚田を中心とした米の単作。実際の経済は、建設業の日雇いや出稼ぎに頼っており、若者たちは高校卒業後当然のように町を離れていった。
当時30代で総務課長のポストについていた矢野氏は、社会教育の担当者と語らい、「住民の自信の回復」に取り組んだ。「過疎は社会現象。怖いのは心の過疎だ」と。
町じゅうの各地域ごとで車座になって開かれた住民との対話集会により、地域ごとに途絶えていた「神楽」や「塞の神」などの芸能や行事が復活していった。夏には町挙げての「ふるさと祭り」が、冬には過疎の元凶と言われた「雪」と遊ぼうと「スノーフェスティバル」が生まれた。
町中の道に5万本のキャンドルが灯る「スノーフェスティバル」。
町中の道に5万本のキャンドルが灯る
「スノーフェスティバル」。

雪と緑と人を活かした全町公園 ――雪国文化村の発想

次に矢野氏が取り組んだのは、「スキー場造り構想」であった。矢野氏は「日本の国土の内、52%が雪国だと言うのに、結局は人口比率など効率優先の経済、行政の流れの中で東京一極集中は止まらず、雪国のことは雪国自身が考え、行動しなければ何も変わらない」と痛感していた。この思いが、矢野氏と安塚町のその後に大きなうねりとなっていく。
おりしも日本は「バブル景気」、企業は新規事業に目をむけ、「リゾート法」の後押しもあって全国が「リゾートブーム」に沸いていた。とは言え、日本有数の豪雪地帯である安塚町に「スキー場を造りたい」という念願は、町民自身さえ叶うはずがないと思っていたものだった。
こうした中、矢野氏は企業誘致の陣頭指揮を取り、用地買収、開発許可などを驚くべきペースで進めていった。まさに官と民が惚れあったリゾート開発であった。
これらの動きの最中であった平成元年4月、矢野氏は前町長の引退を受け、町長に就任。このリゾート開発を「雪国文化村構想」と名付けてその実現を公約に掲げ、実現に向けて引き続き邁進した。
 まず、「雪国が雪国自身で研究する」母体として「雪だるま財団」を平成 2年9月に設立した。さらに同年12月、スキー場「キューピットバレイ」がオープン。さらには、平成4年2月ふるさと創生資金を活用して町が開発した「ゆきだるま温泉」がオープン、雪国文化村構想がついに実現し、町の風景が一変した。
町の主峰「菱ヶ岳」とキューピットバレイスキー場

開発と保全の両立―美しい安塚町の風景を守り育てる条例

 スキー場がオープンしたその冬シーズンだけで町には10万人を超す観光客が出現した。まばらだった道路に車があふれる。そのことが人々の心を刺激しないはずは無く、ただ単ににぎわいを嬉しく思うだけでなく、商業的な意欲をも生む。
 矢野氏は先手を打った。平成3年、県下はもちろん、全国的にも先駆けとなる「町全体を対象とした景観条例」を施行した。看板の大きさ、ネオンサインを制限し、色調も木調に統一。公共施設はもちろん一般住宅にまで屋根を茶系、壁をページュ系に。この条例は新築・改築の際の届出を義務化し、50年、100年後の町の景観を育てていく意味のものである。当然、施行にあたって物議をかもしたが、罰則はなく、「お願い条例」であるにもかかわらず、90%を越える協力が得られた。少しずつ「目立つより調和する町並み」が、道路の花とともに広がっている。
 一方、町の特徴である「棚田」がおりなす「だんだんの風景」は、棚田の耕作放棄が起こす地滑りとともに危機的状況が考えられ、矢野は全国の棚田のある自治体有志とともに「全国棚田(千枚田)連絡協議会」を設立。国からの棚田保存の直接支援制度の実現を導いた。
 また、環境自治体会議、全国明るい雪自治体会議など共通課題を持つ全国の自治体とのネットワークを積極的に広げてきた。
双海の菜の花

行政が経営を引き継いだスキー場

 スキー場オープンから10年。バブルの崩壊により、デベロッパーである大手製鉄会社も関連事業からの撤退を余儀なくされたが、スキー場は、すでに安塚町経済の核となり、農業純生産を上回る売上と人件費や地域産品消費による大きな経済効果をもたらしており、スキー場が無くなることは考えられない状況にあった。
 そのため、矢野氏は、様々な可能性を探った結果、町自身で経営を引き継ぐことを決断。施設をすべて町有財産とし、2億5,000万円の資本金のうち98%を町が出資する第三セクター「キューピットバレイ」を運営会社として設立した。
 同時に、自ら社長に就任、社員の意識改革、「地域貢献」を全面に打ち出す営業戦略など町と直結した企業の強みを生み出し、経営を引き継いだ平成11年以来3期連続の黒字経営を実現している。民間から行政が経営を引き継ぐ事例としては、非常にまれに見ることである。

スローライフ・スローフードのまちと交流人口の拡大

 また、どうしても冬場に偏りがちな集客対策として、夏場の魅力を足元に見出し、農村の持つ自然、棚田、地域の人々の伝統技術、郷土料理などを商品として「体験型観光」に取り組んだ。
 平成10年に近隣(東頸城郡)6町村とともに立ち上げた「越後田舎体験事業」は、まず総合学習の実施に伴う教育旅行の変革ニーズを先取りし、初年度から10校、1,000人余りを集客、毎年50%もの予約増加を見、15年度には、40校以上延10,000泊の予約が入るまでになっている。この事業においては「住民との交流ができる本物体験」がもっとも強い商品力を発揮し、町内宿泊施設だけでなく農家自身にも直接的な経済効果を生んでいる。まさに町全体が受け入れ体制をつくることで、グリーンツーリズム、アウトドア志向、自然志向など一般旅行自体のニーズ変化をも先取りできている。
 今、スピードだけを追及してきた現代社会への反省から、「スローライフ」「スローフード」が叫ばれるようになり、様々な場面で目にするようになった。安塚にとって言葉の新しさは別として、その理念は矢野氏が提唱し、実現に向け努力を続けてきた「雪国文化村」の理念そのものであり、安塚町で住民と行政が協力しあって守り育ててきた「町の魅力」がさらに多くの交流人口を拡大させていくことであろう。
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