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地域が有する歴史的、文化的、人的つながりを含む
“ゆかり”事例集について
平成19年10月26日 |
<問い合わせ先> |
総合政策局 観光資源課 |
(内線27611、27618) |
TEL:03-5253-8111(代表) |
国内外の地域の間には、歴史的、文化的、人的つながりを含むゆかり・縁が存在しており、それらについては、交流のための観光資源としての可能性を有しています。
観光資源課では、各地域において”ゆかり・縁”を活用した観光交流が活発に行われることをねらいとして、昨年度より都道府県に対するアンケート等を実施することにより、事例を収集し、それらを整理する作業に取り組んでまいりました。
今般、そのアンケートの調査結果に基づき事例集を作成いたしましたので、公表させていただきます。
“ゆかり”の事例
戊辰戦争で庄内藩が降伏した際の新政府軍の司令官が西郷隆盛であったが、庄内藩に対する処分は非常に寛大であった。そのため、庄内藩士は西郷隆盛に心服し、その後、庄内藩主酒井忠篤公以下70名余りが鹿児島を訪れ、西郷隆盛の教えを聞き、「西郷南州翁遺訓」としてまとめた。また、酒田市に、西郷隆盛を祀る南州神社があり、現在、神社関係者や青少年を中心に相互に訪問する交流が続いている。
東京美術学校(現:東京芸術大学)、日本美術院の創設者である岡倉天心は、赤倉温泉の地をこよなく愛し、そこで晩年を過ごし没した。北茨城市は、日本美術院研究所が移転しおかれた地である。現在、東京芸術大学から教授等を審査員に迎えて芸術展を開催したり、天心サミットを開催するなどしている。
孫文を支援する神戸市の華僑が建てた別荘「松海荘」には孫文が訪れており、後に「松海荘」の別荘として建てられた「移情閣」は現在、「孫文記念館」となっており、中国や台湾から多くの観光客が訪れるスポットとなっている。
昭和32年(1957年)2月、和歌山県日御碕沖において、デンマーク船エレンマースク号機関長のヨハネス・クヌッセン氏は、火災中の貨物船を発見し、救助のため風波の強い海に飛び込んだが、大きな傷を負い日本人船員とともに殉難した。平成19年(2007年)8月には、クヌッセン氏の故郷であるデンマーク・フレデリクスハウン市のバングスボー博物館にクヌッセン氏の記念コーナーがつくられ、その除幕式に、和歌山県、日高町、美浜町など30人ほどの代表団が赴いている。
日露戦争における日本海海戦の犠牲となって漂着したロシア将校の遺体を町民が丁重に弔い、昭和37年(1962年)にはロシア軍将校漂着記念碑が建立された。最近では、在大阪ロシア総領事出席の慰霊祭が行われたり、鳥取県におけるロシア人向け観光スポットともなっている。
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