国土交通No.119

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国土交通No.119

〈取材協力者〉藤田奈織美さん三豊市政策部産業政策課。粟島でお会いする島民の皆さんに挨拶し、ふれあいを大切にする。島の魅力をとても理解する一人。http://www.city.mitoyo.lg.jp森本哲司さん(右)、臼山勇さん香川県政策部地域づくり推進室。うどん県副知事の要潤さん(ポスター)は、三豊市出身、三豊ふるさと大使。http://www.my-kagawa.jp/『アオリイカ』(森田さん作)瀬戸内国際芸術祭2013http://setouchi-artfest.jp/◯瀬戸内海の島の文化や暮らしに出会う現代アートの祭典。2010年に第1回が開催され、今年、塩飽諸島の四島(沙弥島、本島、高見島、粟島)及び伊吹島が追加され、開催される。○国土交通省四国地方整備局及び四国運輸局は、「瀬戸内国際芸術祭実行委員会」の構成員として、本年の芸術祭に参画している。めて教わったことが沢山あった。そし「4カ月間の島民とのふれあいで、初術家である。2012年1月に粟島に移住した芸り、4カ月間滞在した森田さんは、翌2011年秋に粟島芸術家村に入し粟た島ア芸ー術テ家ィス村トから島に移住●塩飽諸島などの離島支援について○国庫補助航路の指定してくれた。国土交通省では、粟島を含む塩飽諸島の4航路について国庫補助航路に指定し、地域公共交通の確保、維持を図っています。○全国の島々が集まる祭典「アイランダー2012」国土交通省は、全国の島が一体となって島の持つ自然歴史・文化・生活などのすばらしさをアピールし、交流人口の拡大、離島地域の活性化に資することを目的とした「離島と都市との交流事業」を毎年、東京で開催しています。なお、粟島からも参加いただいています。島民との交流をとても嬉しそうに話達から野菜やみかんも頂きます」と、ときに解るのかもしれない。今後のことを考えています。島の人当の魅力は、訪れた者が肌で感じたコミュニケーションができ、そんな中でセットできる自然豊かな癒しの島。本咲く植物を島の人と一緒に探す間にたり、のんびりと、日ごろの自分をリ展示する予定。「制作に必要な野に風景も人も優しく、ゆっくり、ゆっを、島の家に融合させた作品としてる。島がそうさせるのかもしれない。灰が作りあげる植物模様のガラスストが様々なかたちで表現しようとすで窯で焼成することで残る真っ白な力がある。その魅力を多くのアーティ海から集めてきた珍しいモノが作品のテーマとなる。粟島の草花を板ガラスの間に挟んう粟島には、言葉では言い表せない魅れた際、島の魅力を感じたからだ。多くの個性的なアーティストが集祭2013」に向けた現地視察会に訪粟島の本当の魅力とは!の島と決めたのは、「瀬戸内国際芸術気づき、粟島芸術家村に応募。瀬戸内鑑賞することができる。ら帰国後、「日本は島国だった」ことにカ」を、宿泊施設「ル・ポール粟島」で森田洋美さん芸術家。埼玉県出身。夫は建築設計士(兼釣り人)。愛猫「タマす」(たます)が作品のモデル。佐々木さんは、4年半の米国滞在かそんな森田さんの作品「アオリイ秋の芸術祭への出展を目指すからは、海を描きたい」滞在期間を延長して、的で色も変わったと言われます。これたけど、島に来てからの作品は、空間やしている。適。今まで描いた作品は標本的だっ活動にもつながる」と、創作意欲を燃と思っていた。島の生活はとても快チャンスは、自分の力だめし。今後の雑踏がイヤで、もともと島に住みたいでいる。「瀬戸内国際芸術祭への出品て、人の温かさを強く感じた。都会の90年の歴史を閉じた海員学校が、粟島の海洋の歴史を伝える粟島は瀬戸内海の中央に位置し、天然の良港であったため、江戸時代から日本各地との交易で活躍した北前船で繁栄した。しかし、近代化がうまくいかず海運業は衰退。船で生計を立てていた島民の将来を考え、明治30年に日本初の海員養成校「粟島海員補習学校」が村立で設立された。その後、郡立、県立の時代を経て、昭和15年に国立の「商船学校」、昭和27年に「粟島海員学校」(旧運輸省所管)に改称され、日本の海運業界に多くの船員を送り出してきた。しかし、海運不況や外国人船員の増加で、昭和62年廃校となり、90年余りの長い歴史に幕を閉じた。その跡地は、粟島海洋記念公園として生まれ変わり、島のシンボルになっている。檜垣忠則さん(粟島海洋記念館)海員学校第9期卒業生。元船員。現在、粟島の海友会員として、島の歴史を伝える。18