国土交通省No.135
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19日本一危ない国宝〝日本一危ない国宝〞といわれる投入堂。数年前に初めて写真で見たときからずっと心ひかれていた。「どうやって建てたのだろう」。その思いは実際に登るにつれて強まった。まずは三佛寺本堂の隣で参拝登山の受付。三佛寺執事次長の米田さんが案内してくださることになった。〝六ろっこんしょうじょう根清浄〞と書かれた輪わげさ袈裟を渡され首からかける。六根とは目・耳・舌・鼻・身の五感と意(心)のこと。これらには不浄が芽生えるとされ、厳しい修行をすることで断ち清めるのが六根清浄である。山門をくぐり橋を渡ると、いよいよ参拝登山のはじまりだ。役行者の石仏がお出迎え。開始早々から険しい行ぎょうじゃみち者道が続き、すぐに息が上がる。前を行く米田さんの足取りは軽く、確実だ。滑り落ちないよう付いて行くのに必死で足元ばかり見ていたが、ふと視線を上げると木々の緑がまぶしい。しばらく行くと木の根が複雑に絡み合ったカズラ坂にぶつかる。起伏に富んだ自然の山にほとんど手を加えていない行者道は、それゆえ非常に過酷だ。木の根につかまり慎重に一歩一歩確かめながらよじ登る。半分ぐらい登ったところで大きな岩の上に建つ文もんじゅどう殊堂が見えてきた。垂直なんじゃないかと思えるその岩肌を、鎖くさりだけを頼りに登り、舞台造りになっている文殊堂の廻まわり縁えんに座ってみた。身を守る手すりや柵などはもちろんない。あまりの高さと開放感に肝が縮み、震える足をこらえながら這って進むと、そこには見たことのない絶景が広がっていた。まるで空に浮かんでいるような感覚になる。すがすがしい風を感じているうちに恐怖感は薄らぎ、心が静まった。さらに上を目指し、地じぞうどう蔵堂や鐘しょうろうどう楼堂を越える。不安定な岩場に建つ鐘楼堂には、重さ2トンの鐘が掛かっている。この鐘はどうやって運び上げたのだろうか。「大晦日に除夜の鐘を突くのは大変です」と米田さんは笑うが、想像すると笑えなかった。そして、納のうきょうどう経堂を過ぎ観かんのんどう音堂の裏を通って元もとゆいかけどう結掛堂を右へ曲がると…一気に視界が広がり、ついに目の前に投入堂が現れた。一瞬、時が止まり、音が消える。しばらく断崖に建つお堂から目が離せず、同時に頭の中では思考が止まらない。こうして登るだけで精一杯なのに、昔の人はどうやって資材を運び、どうやって近づく道すらない絶壁の岩窟にお堂を建てたのだろう。現実を目の前にしてもなお〝言い伝え〞とした方がしっくりとくる。進むべき道を選び、手と足の動きだけに集中していると、頭の中から邪念が消え、荒い呼吸を繰り返しているうちに、新鮮な空気が体中を巡り、清められたような気がした。自然に溶け込む投入堂の姿は美しく、奇跡にさえ感じる。〝六根清浄〞はじめに聞いた言葉がすとんっと入ってきた。こうして伝説は、魅了された多くの人々によって語り継がれてきたのだろう。

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