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第3回国会等移転審議会公聴会(東京)の議事要旨

日時: 平成11年2月26日(金曜日)14時0分〜16時0分
場所: 中央合同庁舎第5号館講堂
審議会委員出席者: 石原信雄会長代理、石井進委員、下河辺淳委員、
溝上恵委員、井手久登専門委員、森地茂専門委員
一般参加者: 総計307名

1.意見発表者による意見発表(氏名(敬称略)、性別、年齢(当時))

(1) 氏名:橋山禮治郎 性別:男性 年齢:58

貴重な時間、480秒をいただくことで大変ありがたいと思いますが、簡単に私の言いたいことを4点にまとめて申し上げたいと思います。
まず、いずれにしても、この首都移転の問題は、今お話がございましたように、国民の生活、あるいは21世紀、さらに22世紀まで実質的に規定する可能性のある大変重要な国民的選択を迫られている問題でありますが、それにもかかわらず、率直に言いまして、国民の関心、理解、それから国民的合意というものが極めてまだ低く、盛り上がりを見せておらないというふうに判断せざるを得ません。主権者たる国民の関心と理解と合意と期待というものがなければ、このプロジェクトは成功することは不可能であると言っても過言ではないと思います。これまでの各関係者のご努力にもかかわらず、このままでは国民不在のプロジェクトということで、今までと同じような形でしりつぼみになるということも心配せざるを得ないというのが私の心境でありまして、そうなってはならないという思いから、私はこの機会に率直な意見を述べさせていただきたいと思います。
本審議会が今週、候補地を絞るということに予定はされておるようでありますが、現在の状況下では、残念ながら時期尚早であるということで、さらなる検討期間を置いたほうが賢明ではないかというのが私の率直な意見であります。なぜならば、この審議会の目的は、国民の合意の上に立って、すばらしい日本の誇るべき新都市をつくるということにあるわけでありますので、そのためには、国民の関心と理解をまず深め、その結果としての国民的合意を形成して進めるという民主主義的なプロセスが大前提であります。そうした観点から、私は4点に絞って具体的に申し上げたいと思います。
第1は、国民の関心を高めることの重要性であります。
首都移転は、究極的には国民のために行われるものであります。しかし、一般の国民の現状の関心は非常に低い。したがって、今最も必要なことは、全国民に都市移転の意義、必要性、その成果等について考え、かつ自分自身の判断を持っていただくというための材料、情報、データ等を積極的に提供することであろうと思います。
この公聴会も一つの方法ではありますが、限られた人数で、かつここで賛成、反対を言ったところで、どれだけの意味があるかというふうにも思うわけであります。結局、国民一人ひとりがこの問題を自分の問題として考えていく。それで自分の判断を表明して、国会で決めていただくということでありますので、そのためにも政府は、これからあらゆる機会をとらえて国民に判断の材料を提供するということが必要だと思います。
移転候補地の選定は、幅広く国民的理解のもとで進められるべき計画のプロセスの一環として位置づけられるものでありまして、先行すべきものではないというふうにも思うわけであります。
第2点、首都移転の計画の進め方についてであります。
首都移転が成功するか否かは、次の2点にかかっていると思います。1つは、何のためにやるかという目的についての国民的合意が形成されるかどうか、第2点は、目的達成のための手段、進め方が国民の合意を形成できるかどうか、この2点であろうと思います。
目的は、先ほど石原会長代理からお話がございましたように、3つお述べになりましたが、私は目的は1つのほうがいいと思うのであります。いろいろな目的、あれもこれも追求したいということは、結局、非常に集中力を失うということが往々にしてございます。またいろいろあらぬ意見がそこで出てきて、結局、焦点が定まらないということにもなりかねませんので、私は、目的は、今、日本がぶち当たって閉塞感に陥っておりますが、これは今までの130年、あるいは具体的にはとりわけ1941年以降の日本がとってきたいろいろな諸制度・システムというものを打破して、新しい日本、新しい社会を再びつくり上げるんだということの必要性から新首都をつくる。換言いたしますれば、新首都をつくることが目的ではなくて、新しい社会、新しい日本をつくるために、その契機として、そのシンボルとして新都市をつくるということで、それが基本的理念に置かれるべきだと私は思うのであります。
日本の歴史的な遷都の事例も、また、アメリカとかブラジリアとか、ほかの国の遷都もすべてこういうところに依拠してなされたと私は理解しております。そのためにも、首都移転を契機に、我が国がどこをどう変えるのかということを具体的に示すということが、つまり、行革とか、地方分権とか、あるいは規制緩和とか、そういうものとのパッケージでこのプロジェクトを進めるということが成功をもたらす唯一の基盤であるというふうに思うのであります。
次に、手段についてでありますが、これは時間的に極めて簡単にいたしますが、規模は、確かに10万人くらいで、あんまり大きな都市でないということ。ただ、重要なことは、成長する都市を前提としないということを私は提案したいと思います。ブラジリアとか、私も行ってみましたけれども、とにかく都市自体を制御できないということになりますと東京のようになってしまうわけでありまして、東京の二の舞を踏まないためには、人口は増やさない、定住人口、あるいは永住権を認めない、私有地を認めない、私企業を入居させない、そういう徹底した成長管理が可能な新都市、小さな都市、国会、行政中心の都市で十分だというふうに思います。
候補地の選定のプロセスについてでありますが、ここについて私が一番申し上げたいことは、事前評価の重要性であります。今、審議会の先生方が鋭意やっていただいておりますけれども、きょうお手元にあるような資料は、各地がこういうことであるという事実だけでありまして、より専門的なチームが、専門家集団が、例えば自然条件、あるいは社会的条件、経済性、技術的な側面から、少なくとも4つの側面から専門的な評価スタッフを派遣し、そこで入念な調査をし、それの分析をし、その評価をして、国民にその評価を率直に示すということをまず選定の前提としなければならないと思います。
これはこれからやっていただくことを私は期待しておりますけれども、そのときに重要なのは国民参加ということでありまして、これは住民の意思を何度か確認し、それを計画段階でフィードバックするというプロセスを重視していただきたいということであります。
それから、3番目に申し上げたいことは、いずれ答申をなさると思いますが、答申に含むべき事項として、候補地は複数とすること。それから、詳細な評価データを国民にすべて示すこと。つまり、透明性、責任説明ということが問われるわけであります。2つ目は、民意を尊重した国会の審議と決定をお願いしたい。第3は、国会の移転のスケジュールを国会ではっきりしてくれろということであります。第4の希望は、首相直属の新都市計画庁、何でもよろしいんですけれども、そういう時限立法によって、すべての制度、あるいはフィジカルな計画、行革とあわせ、あるいは規制緩和とあわせ、すべてを総合的にシンクロナイズして進めるという総合調整の場を設けていただかないとうまくいかないのではないか。それから、最後は基本構想。計画、設計、建設、運営、各段階において、我が国内外を問わず、最高のレベルのチームを組んでこれに当たっていただくということであります。
4番目は、国民的合意形成のためには、誤解を排除する努力をしていただきたいということであります。誤解、あえて申しますのは、東京の過密はだんだん解消してきた。だから、遷都は必要ない。それから、10万人程度の人口減少では大した意味はない。ゼネコンのための首都建設だ、新首都だ。財政難のときにこんな余裕はない。ほかにお金を使うことはあるじゃないか。東京を再開発したほうがはるかに経済的だ。首都圏の中での奠都で十分だと言っております。東京都も、都知事、あるいは都議会が反対を表明しておりますが、これは非常におかしいわけです。意見はいいと思いますが、首都というのは国民のためのものでありますので、その点で、東京にはるかに配慮し過ぎるという必要もないのであります。私も都民でありますが、そこは一国民として考えていかなければならないというふうに思います。
いずれにしても、都市はつくられるものではない。新首都はましてやつくるものでありますから、日本の我々の持っている英知と技術力、あるいは構想力というものを十分に結集して、新首都の実現に私は期待したいと思います。
以上、意見を終わります。

(2) 氏名:山本和彦 性別:男性 年齢:52

山本と申します。大学を卒業してから30年近く、都市の再開発に携わっておりました。職業柄、国土とか都市、東京のあり方について常日ごろ考えておりましたので、そういう立場からお話しさせていただきたいと思います。
首都機能移転の最大の論拠は、東京の一極集中の是正ということだったと思います。国土の均衡ある発展のためには、東京への一極集中を抑えなければいかん。東京の力を分散させるべきだということが1つ。それから、東京圏の生活環境は、通勤時間は長いし、家が小さいし、緑が少ないし、地震等の災害に弱い。東京への一極集中を間引かない限り、この問題は解決しないんじゃないか。すなわち、日本国のためにも、そして東京圏に住む人々のためにも、首都機能の移転はプラスになるんじゃないかと、こういうご判断で話が進んだんじゃないかというふうに私は理解しております。
ところが、世界的にも、日本においても、大転換期を迎えておる今日、どちらも意味がなくなったんではないかというふうに私は思います。冷戦が終わり、世界は経済の大競争時代に入ってきております。情報化が進む今日、経済力の源泉は大都市の力だと思います。東京がアジアのローカル都市に陥ったんであれば、日本の経済は成長は望めません。アジアの国際金融情報都市として東京の位置が確立されることが日本の経済の発展のために必要だと、このように思っております。したがいまして、東京の力をそぐということは、日本国の力をそぐことに等しいんじゃないか、このように考えていいんじゃないかと思っております。
次に、東京圏の生活環境が過密だと、こういうことが言われておりますが、これはあくまで平面的に過密だということでございます。立体的利用は大変低いわけでございまして、この土地利用の仕方が間違っているから問題であって、東京一極集中のせいではないと私は考えます。今日、バブルの清算が日本経済の再生のための喫緊な問題になっております。関東大震災、戦災に匹敵するような東京の土地利用構造の転換の大チャンスが今来ておるわけでございます。現実に東京の都心部は空洞化しており、都心4区には40万人ほどの人しか住んでおりません。細分化した土地を集約しまして高度利用を実現すれば、国際金融都市として不動の地位を占めているニューヨークのように、都心4区には150万人ほどの人が住むことができるようになるわけでございます。現在の建築技術、免震、制震等の耐震技術の進歩によりまして、大震災が起きても被害のほとんどない都市がつくれるわけでございます。高度利用によって安全で快適な生活環境が大量につくれれば、仕事のチャンスが大いにあるこの東京に、世界のいろいろな方々が集まって住むことになるわけでございます。そうなってほんとうの意味での経済的な力がある国際都市ができるんじゃないかというふうに思っております。
このように東京等の大都市圏が立体化によってコンパクトな都市に生まれ変われば、それ以外の国土は大きく自然を残したり、自然を保っていることが可能になるわけでございます。コンパクトな大都市をつくれば、そこにたくさんの人が集中して住むことができるわけでございますので、エネルギーのロスも少なくなる。ごみ処理等のリサイクルも非常に効率がよくなるわけでございます。コンパクトな大都市をつくるということは、地球環境にとっても大いにプラスじゃないかというふうに私は信じております。
そのようなコンパクトな大都市をつくれさえすれば、大都市以外については、いわゆる理想的なガーデンシティというのを実現でき、日本列島全体をガーデンアイランドという自然景観のすぐれた国土に再生することができるわけでございます。むやみに人を分散させることによっては、自然をどんどん破壊することになるわけでございますんで、むしろコンパクトに多くの人が住み、それ以外は豊かな緑を残す、これが日本国土の姿じゃないかな、こう思っておるわけでございます。
このように歴史の蓄積のある、都市的魅力にあふれた立体的な大都市と、それから、自然環境があふれ、個性のある地方ができれば、成熟化時代を迎える中で、観光立国という形で末永く日本が生き長らえるんじゃないかと思うわけでございます。
こういう考えが今、国土計画に求められているわけでございまして、首都機能の移転ということじゃないということであることは、私にとってみれば非常に明らかなことじゃないかと考えております。
短期的、中期的に首都機能を移転するということは、このようなことで極めて間違っていることじゃないかな。あえて申せば、来年は西暦2000年でございます。1,000年単位で都市機能の意見ということを考えるならば、それはおもしろいと思いますけれども、現在の非常に危機的な経済状況の中で、こういう愚行は避けるべきじゃないかなと思っております。
先ほど石原先生からも防災の問題、それから政治改革の問題ということが首都機能移転の論拠だというお話をいただきましたけれども、防災の問題は、先ほど申しましたように、現在の技術では、東京圏に3,000万の人たちが安全に暮らせるまちはつくれるわけでございまして、それが東京大都市圏に住む人々のためにも必要だろうというふうに思いますし、政治改革のほうについては、今までのように国政が経済を主導していくということをやめるということでございまして、これからは、国政は市場の声を聞こうじゃないかと、こういうふうに変えるわけでございまして、市場の声の聞きやすいところに国政はあるべきじゃないかな、こんなふうに考えております。
以上、私の首都機能移転に反対のご意見を申し上げました。

(3) 氏名:内田輝明 性別:男性 年齢:26

私は内田と申します。民間の研究機関に勤務し、土地問題の研究をするかたわら、大学院にて土地法の研究を行っております。本日は、このような場で意見を発表する機会を与えていただき、ありがとうございます。
私は、全国で唯一、首都機能を送り出す東京都民として、まず、東京都民から見た東京一極集中の裏側、つまり、東京都民にとっては、東京一極集中の歴史はむしろ分散の歴史であったということについてお話しさせていただきます。続いて、一極集中や地価高騰を防止し、首都機能が地元の住民や産業、自然環境と共生する、共に生きるために何が必要かという点についてお話をさせていただきます。そして、最後にお時間があれば、広く国民の合意を得るための情報公開についても触れたいと考えております。どうぞよろしくお願いいたします。
まず1点目の東京都民から見た東京一極集中の裏側についてお話をさせていただきます。
東京一極集中の是正は、首都機能移転の意義の1つに数えられていますが、この東京一極集中の歴史は、東京都民にとりましてはむしろ分散・拡散の歴史でありました。3代続けば江戸っ子というふうに言われますが、私の先祖も古くから東京に住んでおります。しかし、東京一極集中の影響を受けて、住むところは次第に都心から遠ざかっております。私の家では、ここ霞ヶ関から一番近いところにあるのはお墓です。私の祖父は子供のころ、御茶の水あたりの神田川でよく泳いだそうで、お墓は今もその近くにあります。次に近いのが両親の実家です。そして、都心から遠いところにあるのは、私が今住んでいるところです。先祖は都心に眠っていて、生きている私は毎日2時間半を費やして都心に通っているわけです。
このように、もとから東京に住んでいた者は、地価高騰や居住環境なんかでどんどん郊外へと追いやられているというのが現状です。東京一極集中により確かに人口は増え、経済力も強くなりましたが、その裏側では、従来の東京都民の分散・拡散が進んでいたのです。一極集中に地域を取り上げられてしまったと言っても過言ではないでしょう。
このことを踏まえまして、首都機能の受け入れ側の方々に強く申し上げたいことは、仮に首都機能の誘致に成功したとしても、自分たちがそこから追い出されたならば、何のための誘致かわからないということです。実際、こういう問題に不安を抱く住民は多いのではないでしょうか。平成8年に国土庁が行った「首都機能移転に対する国民各層の意見調査」では、首都機能移転については賛成する者が圧倒的に多いが、自分自身の現在の居住地に首都機能が移転することについては賛否が拮抗する結果となっています。同様の結果を示す調査結果はほかにも幾つかあります。
昨年の国会等移転審議会の意見聴取でも、環境破壊や地価高騰への心配が挙げられ、首都機能は迷惑施設なのではないかという不安、疑問があるという声が示されたり、あるいは県全体の発展と引きかえに地域を国に白紙委任するという懸念があるという発言があったと伺っております。
このように地元住民の一番の不安は、地価の高騰があって、あるいは土地利用が混乱して、自分たちの生活が脅かされるのではないか、第2の東京が自分たちのまちにできてしまうのではないかという不安ではないかと考えます。自分たちが首都機能に追い出されないようにするためには、何らかの対策が必要であると考えます。
首都機能の移転に当たりまして、このような問題が起こらないようにするためには、土地取引規制や都市計画を整え、移転先となる地域や、その周辺地域に地価高騰、一極集中、乱開発などが起こることを防止することが不可欠であると私は考えております。
土地対策に関しましては、国会等の移転に関する法律などで適切な土地対策を講じるものとするとされております。これらの制度を有効に活用し、土地投機が起こらないようにしていただきたいと考えます。
また、国会等の移転に関する法律の基本方針では、移転先の新都市が自然環境と調和し、良好な居住環境等を備えた都市となるようにするものとするともされております。一極集中や乱開発を防ぐ上でこれらの対策も重要であると考えます。こうした対策がうまくいってこそ首都機能移転によって、その地域に新たに住む人と現在住んでいる人との共生、あるいは現在そこにある産業と首都機能との共生が可能になるのではないでしょうか。
最後に、情報公開についてですが、国の首都機能移転ホームページには、審議会、調査部会、現地調査などの内容が詳細に載っており、とても参考になりました。今後もこのような情報公開によりオープンな議論を進めていただきたいと考えております。私も本日の発表を夕方には自分のホームページで発信する予定にしております。
最後に、繰り返しになりますが、首都機能の移転に当たっては、土地取引規制や都市計画を整え、移転先となる地域、あるいはその周辺地域に地価の高騰、一極集中、乱開発などが起こることを防止することが不可欠です。もしこれらのことが起これば、首都機能の移転そのものがうまくいかなくなるばかりでなく、移転先となる地域や、その周辺地域に住んでいた方たちがそこから追い出されてしまう。そこに住むことができなくなってしまうということになります。せっかく首都機能の誘致に成功しても、自分たちがその地域にいられなくなってしまうのでは、何のための誘致であるかわかりません。東京の二の舞になってしまうと考えます。広く国民に開かれた議論を通じて、このようなことが起こらないような対策づくりを望みたいと考えております。
どうもありがとうございました。

(4) 氏名:榎本陽子 性別:女性 年齢:50

榎本と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
話を、過去、現在、未来に分けて時間軸で進めようと思います。
私は自営で会社をやっておりまして、16年ほどやっておるんですが、その社名の頭に恭仁という字がつきます。由来は、恭仁京といいまして、時代は平城京と平安京のちょうど間。場所は平城京のちょっと北にございます。聖武天皇の彷徨といいまして、数年間にわたって信楽京、難波京、そして恭仁と転々と築城しました。内乱や疫病が次々と平城京で起こった結果、彷徨して、それで結局、平城京に戻ったんですけれども、794年の平安遷都まで世情不安は続きます。ちなみに平城京の棄都--都を棄てると書くんですが、その要因は、水路を持たなかった。それから、生活ごみ処理、今のごみとちょっと違いまして、汚水とか、そういったことが多いと思うんですが、ごみ処理がうまくいかずに不衛生であったと言われております。したがいまして、創立当初、我々は早く店じまいしてしまうのではないかと思ったんですが、幸い16年間、会社のほうは続いております。
また、恭仁というのは、国を興すという意味を持っておりまして、古代語でそういう字を書きます。昔は都を造営することを国を興すと言いました。1192年の鎌倉幕府、710年の平城京というように、歴史の節目節目に遷都があったわけです。しかし、それは単に箱物をつくるというインフラの意味だけではなくて、その直前の時期に低迷期がありまして、それを脱して律令国家として確立したとか、幕府として武家社会をつくったとか、あるいは明治維新に伴う文明開化を起こしたとか、法律、経済社会、文化の意識革命の伴ったドラスチックな歴史の大きな転換点にあったことも事実です。
きょうの国会移転のお話といえば、遷都まではいかないのですけれども、現在混迷が続き、歴史上でやはり時代の転換点をなしているのではないかと考えるとき、この機能移転というのは自然な一つの流れとしてとらえて、人為ではなくて、大きく考えてみたほうがよいと思います。現在は、明治以降3番目に来る時代の転換点と言われています。1が明治維新、2番目が昭和恐慌から戦後の3番目に来るわけです。
逆に言いますと、インフラ整備といった箱物をつくるといったことや、公共工事の景気浮揚策や、雇用の創出といった安易な動機ではなく、日本の国が長い不況や混迷、負荷を脱出しまして、一歩進化した緻密な新しい法体系なり、経済社会なり、より深い文化なり、意識革命の伴ったものであるべきはずであります。現状におきまして、都市のあり方に地域特性や文化の集積がなく、非常に味気ないものをつくり続けてしまいました。どこの地方都市も駅前広場は似たようで、店舗も同じような種類が建ち並びます。建物の乱立が結果として負荷を集積したわけでありますが、大量生産・大量消費による低迷から抜け出せないでおります。また、未来を描く新都市のパースが無味乾燥で、絵が非常にまずいと。区画した土地に丸や三角や四角の積木がぽんぽん建っているだけなので、一般の方々の魅力にはならないのです。
一方、東京--江戸は、江戸城、皇居を中心に放射状、環状に拡大していきまして、飽和状態が高度成長時代から長く続き、生まれも育ちも東京の私でもほんとうに住みにくく、また仕事も必ずしも東京が有利とはいかない状況です。むしろ首都が移転されて、ふるさとが東京に戻ってきたほうが望ましいと思っております。何でも東京、東京ではなく、ニューヨークやワシントンのように機能を分化したほうがよい。
現代におきましては、負荷としてスクラップするもの、それから、むしろ気がつかないでいる成熟したものを発見するとか、逆に、長い間進化から外れて低迷しているものを発見して組み立てることが大切と思われます。近年の循環型社会という言葉が出てきたのも、新しい道の発見と言えましょう。
さて、ここから未来の提案に入ります。
一極集中によって都市に過度に集中した人口を地方分散させ、都市型社会から全国ネットワーク型社会に産業も人口構成も再配分していったらどうでしょうか。リストラによって失業した人々を都市で再雇用するのではなく、田舎に帰るなど、例えば食の問題として自給自足の課題などがあり、第一次産業を生産効率を高める新しい技術で復活させれば新産業になります。もちろん、それには情報ハイウエーがインフラとして伴って実現しなければならないわけです。
これからの時代は、デジタル、パーソナル、モバイルと言われております。いつでも、どこでも、だれでもというわけです。これは人が移動するといったことだけではなく、人は移動しなくても、いながらにして均等に情報が得られて、伝達でき、ビジネスも成り立つという発想ですから、偏った今までの都市型、大量生産・大量消費から、成熟した文化へ向かう全国ネットワーク型の循環型社会へ移行するようになるでしょう。
国民が低迷期を脱して、行政、政治が日本の国をとらえ直したときに意識革命が確かなものとなり、先ほど言いました首都機能移転なりが自然体で受け入れられるようになり、新しい遷都が時代の転換点になるのではないかと、そういうふうに位置づけております。
以上です。どうもありがとうございました。

(5) 氏名:森永卓郎 性別:男性 年齢:41

森永卓郎でございます。私、経済の研究をなりわいとしておりますので、その立場から、大きく分けて3点のポイントから反対論を述べたいと思います。
まず第1点でございますけれども、首都機能移転の必要性そのものがもう既になくなっているということです。1990年の国会決議のときにはバブル絶好調の時期でした。このときには地価高騰であるとか、オフィス不足であるとか、通勤混雑であるとか、住宅価格の高騰とか、東京一極集中の弊害というのが一気に噴出して、この当時には国会等移転の合理性というのは確かにあったんだと思います。ところが、ことしに入ってから、そうした大きな問題というのは、ほとんどすべて解決しております。例えば地価は3分の1になりました。都心のオフィスというのはがらがらになって、今やバブル期の半分の家賃で入ることができます。電車の混雑率は、輸送力増強工事の影響もありましたけれども、成年人口の減少によって、今どんどん混雑率が下がっています。これは放っておいても、もう10年もすれば完全に解決してしまいます。住宅についても、年収の5倍程度で十分な広さの家を購入することができるようになりました。
すなわち、東京一極集中の緩和ということがもはや首都機能移転の機能として必要ではなくなったにもかかわらず、なぜこれが続いているのかということについては、国会等移転審議会の前身で国会等移転調査会というのがあったんですけれども、一極集中の緩和が見られたと同時に、国政全般の改革という極めて抽象的な目標というのを続けて出してきました。なぜ引っ越しをすると国政全般の改革になるのでしょうか。もし官業と民間の癒着をやめようというのであれば、例えば天下りを全面禁止するであるとか、それから、贈収賄をした者は極刑に処すとか、そういったことをすれば、何も12兆円ものお金をかけなくても、癒着の防止というのは簡単にできるわけです。それなのに、今、多くの自治体が首都機能移転を受け入れようとして一生懸命誘致活動をしています。
これには隠された目的というのがあるに違いないわけです。おそらく彼らが最も得ようとしていることというのは、新都市建設による経済効果であります。彼らは表向きでは国政全般の改革に協力するんだということを言っていますけれども、ほんとうに欲しいのは首都機能ではなくて、首都機能移転による工事なんです。もしこれがうそだと思われるんでしたら、国会等移転審議会の皆様がぜひ今回の候補地選定で具体的な市町村を1つ指定して、ここだというふうに候補を選んでみてください。必ず今まで誘致を積極的に働きかけてきた地方自治体は全部反対に回るはずです。結局、首都機能移転ということをやろうとして国政全般の改革をするんだということが、逆に土建国家日本という今までの旧来型のシステムを温存して、ゼネコン救済、既得権温存という極めて今の経済構造改革に逆行することに向かうというのは明らかだと思います。
第2点ですけれども、首都機能移転の費用負担というのは、全国すべての国民の負担になるということです。新都市に対する公共投資というのは、お金が天から降ってくるわけではありません。これだけ厳しい財政事情の中で4兆円もの公共投資をするということは、当然、ほかの地域の公共事業を減らさざるを得なくなります。そうすれば潤うのは移転先の都市だけで、ほかのすべての地方自治体というのはマイナスの経済的影響を受けることになります。
さらにもう一つの大きな問題は、コミュニケーションコストです。東京以外の、今回示されているどの候補地に新首都を移しても、少なく見ても年間3,000億円の出張経費、通信経費の増加というのが出てきます。この年間3,000億円というのは一過性のものではなくて、永久に国民に降りかかってくるものですから、それだけ毎年国民の負担が増え、税金が増えていくわけです。情報通信技術の進展によって、もうどこに立地していても、インターネットで通信すればいいじゃないかという意見はあります。ところが、情報化の進展というのは、確かに通信回線に乗る情報の価格というのを革命的に下げました。ただ、その一方でフェース・ツー・フェースのコミュニケーションというのの価値を逆に革命的に上げているんです。ですから、もし首都機能移転を強行すれば、この経済中心と、それから、政治・行政の中心とのコミュニケーションコストの負担というのがものすごく大きな国民の負担になってくると思います。
今でも心ある行政マンというのは、毎日まちに出て、日本の経済社会がどういうふうに変わっているのか、現場を踏まえた行政をしようとして一生懸命努力しています。それが離れた都市にいて、国民を無視した、経済実態を無視した行政・政治というのが行われることになりかねないというのが首都機能移転の大きな影響なのではないかというふうに思います。
3番目に、首都機能移転は日本の活力を喪失させるということです。バブル時代、東京、ロンドン、ニューヨークというのは世界の3大金融センターだと言われました。ところが、バブル崩壊以降、東京証券取引所に上場する外国株式数、既に半分以下になっています。外国株の取引高はロンドンの100分の1以下という惨状になっています。今、香港やシンガポールに東京はアジアの金融センターの座を奪われようとしているのです。確かに工業中心社会のときは、地方の工場がつくり出した付加価値というのを東京の本社が吸い上げるという構造にありました。東京憎しという気持ちはよくわかります。
ただ、これから向かう知的創造社会というのは、その関係が逆転するというのが一番大きな特徴なのです。例えばデザイン事務所とか音楽事務所とかゲーム制作会社などを考えてください。1人の有能なクリエーター、情報発信をする人というのが強くないと、その会社は強くなれないんです。クリエーターが強いと、その周りの雇用や生産が支えられるという構造が知的創造社会の最大の特徴なのです。
このことは国についても全く同じことが当てはまります。東京が強くなければ日本は沈没してしまうのです。東京の強みというのは、世界でも類を見ない工業、商業、金融、行政、立法、これらをフルセットで抱えるということでした。このまま首都機能移転を強行すれば、東京がアジアの小国に転落して、その被害というのは国民全体が受けることになります。
以上のように、日本を取り巻く環境というのは非常に大きく変化しております。政策というのは、決めるときよりも退却するほうがはるかに難しい。ただ、今回の問題が日本の命運を握るということを十分認識いただいて、国会等移転審議会の皆様がぜひ退却の見識と勇気を持っていただくことを心よりお願いして、私の発表を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。

(6) 氏名:富田勇 性別:男性 年齢:67

富田でございます。私は現在、町田に住んでおりまして、一市民といいますか、国民として、思い切ったご提案をちょっとしてみたいと思っております。
テーマとしましては、勇気を持って若い人々にこのプロジェクトを任してみたらどうかということでございます。未来の日本は若い人々の創造力と構想力を私どもは期待したいと思います。これがテーマでございます。
ご承知のように、国会等移転は私も国家百年の大計と思っております。21世紀の日本を新しく構築する核となるべき首都圏移転、国会等の移転。国家プロジェクトは、今、国民を挙げて真剣に議論すべき時期にあると思いますが、私が知る限りでは、皆さんの認識はあまり上がっているようには思えません。今まで20世紀100年は、私も含めまして、皆様も、先進国を対象として、追い抜こう、追い越せということでやってきたと思います。次の21世紀100年は、私は未来の創造ということだと思っております。
そこで、今こそ21世紀を担う若い人々に、特に私は30代前後の男女の世代の人に、このプロジェクトを勇気を持って任せてみてはどうかという提案をしたいと思っております。
自分の体験で恐縮でございますけど、若い人々は、任せられると、ご承知のように、強いパワーと情熱を持って対処する勇気を持っております。1995年、阪神・淡路大震災震災のときの若い人のボランティア活動は大変すばらしいものでありました。ご承知のとおりだと思います。
方法としては幾つかの案があると思いますけど、私は、この国家百年の大計を首都圏移転のプロジェクトに対して、今申し上げました30歳前後の男女の方に限って、国民全般で構想論文提案を募集して、私は50人ぐらいの程度を人選して、彼らに3カ年間、自由にやっていただく。そういう特別推進プロジェクトチームをつくって、これは法的には私もよくわかりませんけど、できたら内閣総理大臣直轄ぐらいのプロジェクトで、彼らの提案を軸に提案をしてもらうというような考え方を持っております。できれば、このチームは10年ごとに更新をして、10回目で21世紀の世紀末になるという手順も踏むべきではないかと思います。
同時に、ご承知のとおり、現在企画立案されているものも通して彼らに独自の企画をしていただいて、全国民への国民投票的なアンケートで広く市民に意見を求める。きょうもこの会の一つだと思いますけど、もっと密度を上げる。これを若い人に任せてみてはどうかと思います。
構想作成段階の中間におきましても、できるだけ広く情報を開示して、皆さんに理解を求め、そのコンセンサスを得ながら、具体的な決定案に進めてもらうというようなことはいかがでしょうか。同時に、世界にも広く公開して、特にアジアの若い人々の意見を積極的に聞くという場も設ける必要があると思っております。
以上、要点を4つに絞ってみたいと思います。
メリットといいますか、こういうことをやると非常にいいと思うことは、1つは、若い人が21世紀をいかに考え、実行していくかという国家使命を持っていただく。こういう場のチャンスを我々が勇気を持って与えてみることによって、彼らは未来への時間を持っております。そういうことで思い切った方向が出てくるんではないかと、1つ考えております。これは国家の活性化にもつながるという気がしております。
2つ目は、このプロジェクトを推進するプロセスにおいて、グローバリゼーションの中で世界に通用する大きな人物が育つのではないかという気がしております。今、いろんな人材が求められておりますけど、世界に通用する人材はいかがでしょうか。こういう人の中から生まれてくるのではないかと期待をしております。
それから、心配が2つぐらいあります。これは1つは、若い人は体験、経験が不足します。これは私ども中高年、中年の人間がサポートシステムをつくって、支援をして協力をするという体制も必要かと思います。私は今67歳でございますけど、今思うことは、自分の経験を通して高齢者のとうとい貴重な体験というのは国家の財産ではないかと思っております。こういう意味で我々は若い人に協力をするというように考えております。特に戦争体験、私は終戦時、旧制中学の2年でございましたけど、広島におりまして、父は戦死しました。原爆も受けました。こういう体験を今いろいろと次の人たちが考えるためにも、貴重な体験を伝える義務があると私どもにもあると思います。そういうサポートをしたいと思います。20世紀100年のこういう遺産を21世紀にいかに生かすかも、やはり若い人たちではないかと確信しております。
もう一点、よくあることですけど、過度の独走体制に対するシビリアンコントロール、こういうシステムも我々は真剣に考えて対処せざるを得ません。ただ、幸いにも、今、市民活動が大変活発になっております。ボランティア、NPO、情報公開をベースにいろんなことが進んでおります。そこには、市民、企業、行政、団体、パートナーシップが21世紀の新しい大きな動向になると私は確信しております。私も今ボランティア活動をしております。
最後に、若い人々とともに新世紀100年への思いとして私はいつも思うことは、「過去は現在を語り、未来は現在を問う」という言葉であります。そこに日本の未来を創造するのは若い人々であると思います。
どうもありがとうございました。

(7) 氏名:松浦新太郎 性別:男性 年齢:62

松浦でございます。公聴会で意見を述べる機会をいただきまして、ありがとうございます。私は、この会場のすぐ近く、東京の千代田区から参りました。神田で商売をし、また、かれこれ14年にわたりまして町会長をやっております。首都機能移転問題については、我が千代田のまちでもいろいろ意見が出ております。本日は、そうした意見を代表して発表したいと思います。
私たちは首都機能移転に反対でございます。なぜなら、現実逃避、問題のすりかえだと思っているからでございます。移転賛成の人は、首都が東京から移転すれば、政治改革ができる、地方分権や規制緩和ができる、万事世の中がうまくいくと言っております。しかし、ほんとうにそうでしょうか。移転すれば、そんなに簡単に世の中がよくなりますか。そうじゃないと思います。確かに世の中が行き詰まっている、そう感じている人が多いと思います。現在の閉塞感を打破したい。それは私も同じでございます。
しかし、首都を移転したから解決する問題だとは私には思えないのです。例えば地方分権問題でもそうです。新聞で読んだ感じでは、地方分権の審議会が分権の検討をしました。案はいろいろ出ました。しかしながら、霞ヶ関の官僚の抵抗に遭い実現できないとのことです。政治改革も、東京に首都があるからできないのですか。違うと思います。物事の本質は、正面から取り組もうとしないで、首都移転すれば何とかなるだろうとは、甘い考え方ではないでしょうか。現実逃避なんです。もう一度、何が問題なのか考えるべきです。自分のこととして考えてみればわかると思います。仕事がうまくいかなくなったから引っ越しますか。引っ越しをして仕事がうまくいきますか。繰り返しますが、移転すれば何とかなるという甘い考えは現実から逃げる考えでしかなく、私たちは反対でございます。
厳しい経済状況、あるいは財政問題を国の人たちはどう考えているのですか。今、国民みんなが厳しい経済状況の中で歯を食いしばって日々の暮らしを何とかしようとしております。そんなお金があるのなら、税金を下げてほしい。私たちの周りでは、固定資産税が厳しく、住みなれたまちを出ていかざるを得ない人々がたくさんおります。不況で売り上げが減少し、家のローンも払えない。そこに税金ですよ。私たちの周りだけじゃないと思います。首都を移転するお金があるのなら、農家にとって死活問題となるダイオキシン対策に早急に対応すべきだし、全国で問題となっているごみ処分場問題への対応、介護保険で人々の関心の高い高齢化社会の対応こそ急ぐべき問題ではないでしょうか。
さて、この際ですから、移転理由とされていることについて私なりの疑問や不安を挙げていきます。
まず、移転は環境を配慮すると言っていますが、何を言っているのか理解に苦しみます。そもそも大規模な用地取得が可能な地域というのは、山林や畑、牧場など、とにかく自然豊かな土地です。そんなところを開発すること自体が環境に配慮などしていない証拠ではないでしょうか。
また、まちの将来や防災の不安についても言わせてもらいます。私たち千代田の住民は、皇居を中心に、国会、そして霞ヶ関の官庁街、さらに大手町、丸の内、有楽町と続くオフィス街の街並み、その歴史と景観に誇りを持っておるし、また満足しています。むしろ変な移転で跡地がどうなるかというほうが心配です。移転の費用を捻出するため、国会や霞ヶ関の官庁の場所を売却でもされ、オフィスにでもなったら大変なことになります。今より混雑するかもしれないし、むしろそうした先行きが全然見えない不安のほうが増大しております。
特に皇居についてはどうなるのか、よく見えないのですが、とりあえず今の議論は、遷都ではなく、したがって、皇居は移転しないと聞き、千代田区民としてはほっとしているのですが、その場合でも、国会が移転すると、天皇陛下にご苦労を強いるのではないかという疑問が生じ、そんなことでいいのかと思い、私としては大変不満でございます。
防災にしても、移転すれば、国会議員の皆さん、また官僚の皆さんは安全なところへ行くでしょう。しかし、私たちはどうなるのでしょうか。逃げることばかり考えないで、どう地震に対応するか、それが考えるべき内容ではないでしょうか。
首都移転の論議は私たちにとっては不安をあおるばかりで、そうがなくても不況で苦しいのに、国の人たちは何を考えているのかと言いたい。私の周りには、そう考えている人ばかりがいるということをぜひ委員の皆さんにも聞いてほしいと思います。
そもそも首都移転問題は、必ずしも十分国民の間に浸透していないのが実情です。私たちも新聞などを見て少しずつ話すようになり、いろいろ問題を感じ始めているのが現状です。国民だけではなく、国の動きも真剣には見えません。首都移転を論議している中、老朽化や震災対策を理由に、霞ヶ関の官庁は着々と建てかえをしています。確かに自治省や消防庁は建てかえし、建設省と運輸省の建物も建てかえ中だと思っております。また、永田町の首相官邸も建てかえると新聞に出ておりました。これも435億円かかると新聞にあったと思います。だれも移転することを考えていないんじゃないかという気がいたします。
審議委員会の皆さんももっと国民の視点で、国民が納得できる計画性の高い、信頼性のある資料と説明を示して、移転そのものの是非を検討してほしいと思います。一度決めたから、そのまま進めるのではなく、現在の状況変化を考慮し、そもそも移転の是非から論議する。さらに引き返す勇気を持つべきだと提案して、私の意見を終わります。ありがとうございました。

(8) 氏名:山田真規子 性別:女性 年齢:21

私は東京の郊外から都心の大学に通い、政治経済学部に在学しています。きょうは首都機能移転に反対の立場で発言いたします。
この問題は大学の授業やゼミの仲間で議論してきました。しかし、その内容について知れば知るほど、ますます首都機能を移転する意義や効果がなくなってきていることを痛感しています。きょうの公聴会にはゼミの仲間とともに申し込み、私だけが発言の機会を得ました。こういった場では年配の方々の発言が多いのでしょうが、大学の仲間を代表し、また、21世紀を担う世代の代表として首都機能移転についての意見を述べたいと思います。
私は、ほんとうにこの首都機能移転が必要なのかということについて大変疑問に思っています。この問題では大きなことが議論の中から抜けているのではないでしょうか。それは、これからの社会がどうなっていくのか、その見極めが十分でないということです。21世紀の社会は20世紀と大きく違ってきます。例えば日本は急激な少子高齢社会になります。仮に移転が進んだとして、新都市ができ上がるころ、人口が1億人を割る勢いで減少し、3人に1人はお年寄りという社会になっているはずです。もはや一極集中は過去の逸話です。その結果、21世紀は20世紀の経済成長の中で蓄積したストックを大切に生かしながら、ゆとりある都市生活をエンジョイできる社会となるはずです。そのためには、既存の社会ストックの更新や再生のための費用が最優先で確保されなければなりません。これから時間をかけて新たに都市をつくるなんて、無意味そのものです。
さらに、情報化の進展が社会を大きく変えるでしょう。携帯電話やテレワークに見られるように、生活環境や労働スタイルも随分変わっていくと思います。これからは生活の質を一層求めるようになり、家族のきずなはますます大切になっていきます。それに引きかえ今回の首都機能移転は、国会や中央省庁の運営を中心とした単一の機能しか持たない新都市です。そのため大半の人々が単身赴任をして、家族を引き裂くことになります。このような非人間的な生活を生み出すのであれば、経済成長を最優先した20世紀の姿と何ら変わりありません。こんな時代錯誤のことをするのではなく、少子高齢化、経済の低成長、価値観の多様化など、成熟社会への変化に適応した施策のためにこそ貴重な国費は使われるべきではないのでしょうか。
なぜこのような不合理なことが進められているのでしょうか。それは、この問題が日本の将来、国民にとって極めて大きな問題であるにもかかわらず、全く国民的議論が盛り上がらないことにあらわれています。平成2年の国会決議にしても、その後の法律の制定や改正にしても、十分な国民的議論がなされたとはとても思えません。とにかく意思決定のプロセスがあまりにも不透明だと思います。
国会等移転審議会は非公開で、会議の内容は何週間もたってから要約がインターネットに載るだけです。だれの発言かもわかりません。聞くところでは、審議会委員には初めから移転賛成のメンバーが多く集められているそうです。しかも、21世紀の主役となる私たちの世代が1人も入っていません。非常に偏った議論を行っているように思えてなりません。昨年10月に行われたNHKの報道では、9回行われた現地調査で審議会の委員が半数以上参加したのは1回だけで、平均4割だった。どこまで本気でやろうとしているのか審議の姿勢が問われると伝えていました。私も全くそのとおりだと思います。そんな状況で日本の新しい首都を決めていいのでしょうか。こういう問題こそ国民へもっとオープンにすべきじゃないでしょうか。情報公開が極めて不十分であると思います。
ところで、国が出している意見理由は毎年のようにころころと変わっています。例えば最近では国政全般の改革のためとか、人心一新のためと言っています。また、景気回復のためという理由も根強くあるようです。そうでしょうか。考えなければならないのは、今の政治・行政システムそのものが変わっていかなければ、いくら立派な箱物をつくってもうまくいくわけがないということではないでしょうか。それどころか、今、国や自治体の借金は合わせて600兆円を超え、もうにっちもさっちもいかない状況になっているのです。その上にまた大きな借金をして、そのツケだけを私たちの世代へ残すつもりなのでしょうか。もう開発志向の時代は終えんしなけばいけないのです。その認識が足りないのではないでしょうか。新たな開発より既存のストックの有効利用が優先されるべきであると私は考えます。
一方、全国的な視点で考えると、地方を活性化するには、何より地方分権を進めることです。権限と財源を地方に移すことが中央集権構造を弱め、全国各地を活性化させる最も正しいやり方であることはだれもが認めることです。同じように、許認可権など国が持つ権限・規制を緩和していくことを先に進めるべきではないでしょうか。これらを通じた分散のほうが、どれだけ全国的な効果があるか計り知れません。
よく首都移転の参考にニューヨークとワシントンとの関係が出されます。しかし、これは全く違います。アメリカは連邦国家であり、各州の権限が極めて大きいのです。オーストラリアも同じです。中央集権型国家の日本とは全く政治システムが違うのです。参考にするとすれば、地方への分権をまず進めることではないでしょうか。これが前提にあることは明らかです。この首都機能移転に対する新聞の論調は、今やすべてが移転の是非も含め原点に返れ、あるいはもっと国民的議論をすべきだというものばかりです。それだけ問題が多く残されているということでしょう。
この秋には移転先候補地を決めるそうですが、そんな段階にあるとはとても思えません。これだけ反対意見がある中で、国の、まず移転ありきの動きを見ていると、一体だれが何のために首都機能移転を推し進めるのか疑問を持たざるを得ません。若い世代にも興味が持てる広範な議論の広がりがなくて、これ以上移転を推し進めてほしくありません。また、女性や子供、お年寄りの視点も忘れずに考えてほしいと思います。そして、私たちの世代に大きなツケを残すようなことだけはしないようくれぐれもお願いします。過ちては、すなわち改むるに憚ること勿れということわざがあります。今からでも遅くはないと思います。このままでは後世に汚点を残すことになってしまいます。ちゅうちょすることなく原点に立ち返ってください。お願いいたします。
以上、私の発言を終わりとさせていただきます。ありがとうございました。

2.出席した各委員の感想等

【石井委員】

こんにちは。石井進と申します。本日は大変有益なご意見を8人の方々から伺わせていただきました。それからまた会場の方々からのシートも拝見させていただきました。大変勉強になりましたということを申し上げなければならないのでございますけれども、個人的な感想ということで1つ2つ思いついたことを申し上げさせていただきたいと思います。
私は歴史を専門としている者なんですけれども、仕事上、東京以外のところにもわりあいによく行く機会がございます。特に山の中の過疎地帯の村というようなところへ行くことも多くあるのですけれども、そういうところから東京というほうを見ておりますと、これから先、一体どうなるんだろうかという心配をいつも感じてなりません。本日頂戴いたしましたシートの中にも、首都機能移転ということと首都が東京からなくなる、ほかへ移るということは必ずしも同じではないというふうに私なんかは了解しているわけですけれども、首都としての東京というのは、日本全国の人々から見ての首都である。そこに住んでいる人たちだけの首都ではないんだ。きょうご意見を伺っていて、そういうようなことを感じたというシートをきょう拝見させていただきました。
私はそういうようなご意見も大変心に残りまして、これからさらにいろいろな形で審議会で勉強させていただきたいと思いますけれども、きょうの公聴会の皆様のご意見、それからまた、これから方々の公聴会でご意見を伺うわけでございますけれども、東京という立場だけでなく、全国民的な立場から首都機能移転の問題というのを考えていかなければならないんじゃないか、そういうふうに感じております。
簡単でございますが、一言申し上げました。

【下河辺委員】

下河辺と申します。私は、ほかの委員と多少違いまして、戦後すぐから首都移転について行政の中で仕事を続けてきた人間の一人です。ですから、ゼネコンのためにとか、そういうことで首都移転を考えたつもりは全然ありません。そして、今日になって新たにもう一度首都移転を考えたいというふうに思いました動機は、国会が国会等移転ということを超党派で決議したということが私には非常に大きな刺激になりました。この決議は、明治政府が議会制度をとって100周年のときに決議したわけです。そのときの政治家たちの意見は、明治以来の憲法、そして、戦後の憲法のもとで国会運営を今までしてきたけれども、このままでいいとは思えないということを政治家たちが言い出して、いかなる新しい日本の政治をつくるかということを熱心に討論されたときに、鶏と卵のように、体制を議論することと、どこにどういう新しい首都機能の移転先をつくるかということを鶏と卵というような形で議論したいと。そのときには、ひとつ行政のほうに申し入れて、議員立法で場所と形を論じてもらって、その報告を受けた上で政治家がみずから日本の進路を決めるべき首都機能について決めるということを言われて、今、審議会としては、その下請仕事をしているわけで、きょういただいた議論は、我々の猛烈な勉強の種が、賛成の場合でも反対の場合でも、とてもあります。しかし、最後に首都機能の移転を決めるのは国会であるということを皆さんにしっかりとお伝えしたいということが私が言いたいすべてでありまして、審議会としては、その国会の意思を尊重していきたいと思うのです。
そして、国会が移転するということで議事堂のことがテーマになりました。今の帝国議会の議事堂の中で密室のように談合する政治で日本の未来があるかということに代議士が挑戦し始めたわけでありまして、開かれた議事堂という言葉が出た途端に、開かれた議事堂ってどんなイメージかということが問われているというのが現在です。極端に言えば、芝生の上で車座で代議士同士が討論するというようなことまで開かれた国会のイメージではないかということまで話題になっておりまして、帝国議会のひな壇に大臣が並んでいるというような建築じゃもはやないだろう。
そうしましたら、調べてみましたら、今の帝国議会は、明治憲法ができてすぐに討論になって、どこへどういう建築をつくるかということが議会の大テーマでした。そして、基準ができて、設計コンペをしたのは、実に大正6年ぐらいの話でありまして、20年近くもめ抜いて設計方針を決めて、コンペにして、コンペをした設計を建設して完成したのは、実に昭和11年という建物なわけです。これから国会を移転して、国民に開かれた議事堂をつくろうということは、明治のときのことを勉強し直してみて、これから何年ぐらいかけて日本の未来の議事堂のビジョンをつくるか、その設計はどうするか、その建設はどうするかというプロセスが今や一番重要なことであるということも皆さんにご理解いただきたいと思っております。
最後に一言申し上げたいのは、審議会の様子なり、政府の考えていることがなかなか国民の皆さんに届かないということでありまして、情報公開の議論にありますように、国民の皆さんに知っていただくということは極めて重要でありますが、今の情報公開は、政府が隠す。したがって、それを摘発して、知る権利を行使して知ろうという関係だけ議論になっていますが、私たちがこうやって審議会をやっていますと、審議会で悩んでいることをもっともっと皆さんに知っていただきたいというのが本音ですが、知らせる方法というのは非常に難しいです。記者会見して、そのことをいろいろと述べましても、記事には数行しか出ないということを繰り返しています。そして、もし疑問を感ずると大きな記事になりますが、まあまあというやつはあまり記事にはならないという中で、国民へのお知らせの仕方が我々にとって非常に問題です。そして、今ようやく若い方々に対してインターネット型のホームページを持てば見ていただけるということで、わずかに窓が開けたと思っています。
旧来の国土庁としては、全部お知らせを印刷物に頼っておりまして、私から見ると、戦後50年の行政経験で、首都移転ぐらいパンフレットを立派につくって配った例はあまりないと思うんですけれども、それにもかかわらず、見たといった方にお会いすることがほとんどありません。あの印刷物はひょっとするとむだになっているかもしれないということさえ思うわけで、これから、どうぞお互いの情報の交流についていろいろとサゼッションいただいて、むしろ審議会のいろんな委員の悩みを聞いていただけたらありがたいと思います。
どうもありがとうございました。

【溝上委員】

先ほどの8人の方のご意見を伺いまして、大変勉強になりました。その内容を私なりに整理してみますと、国民的議論の盛り上がりのこととか、情報公開、それから、将来の展望、日本の国、社会を含めての、それから、価値観の変わり目、あるいは価値観の問題ということにまで触れられていたと思います。
ただ、私は地震をやってきました人間といたしまして、地震の問題はどのようなご意見が伺えるかと若干期待して座っておったんですが、その話はほとんど出ませんでした。ところが、後でシートで回ってきたものを先ほど見せていただきましたら、その中に、都民として、あるいは首都圏に住む者として、これから起きてくるかもしれない地震についての危機管理、安全対策ということについてはかなり関心を持っておられる方、ご意見を持っておられる方があるなというふうな印象を受けました。
東京は、関東大震災、そして戦後の空襲を受けて、二度焼け野原になったわけですけれども、地震という意味から申しますと、関東大地震が起きて76年、これといった地震の災害を受けないまま復興、あるいは都市として非常に膨張してきたわけですけれども、実際にさまざまな観測をやっておりますと、首都圏の直下には、もう関東地震のときに解消したひずみの3分の1がまたプレート運動によって戻ってきているわけです。過去のこういった南関東のサイクルを考えますと、安政の江戸大地震を引き合いに出すまでもなく、江戸時代で荒川河口付近で直下地震が起きまして1万人の人が亡くなっているわけです。そういう足元の危うさ、そして、今我々が生きているこの世代というのは、ちょうど七十何年の地震活動の静穏期がいよいよ終わって、ぼつぼつと様子が変わりつつあるという証拠があちこちに見られます。
もう皆さんお忘れかもしれませんが、1987年、千葉県東方沖、九十久里の沿岸で地震が起きたときに、東京湾岸一帯が液状化が出ました。非常に予想外なことでしたけれども、それから、浦賀水道の沖合の深いところで起きた地震で、1922年2月2日、ちょうど私立中学の試験があり、前夜から雪が降っていたわけですが、東京は実に大混乱になったわけです。そういう状況を見ますと、やはり首都機能の移転というものの中に、こういった地震を含めた過密都市の危機管理というものを今重ね合わせてどうしても見ていかざるを得ないというふうな感じを私は持っております。
これは、賛成、反対といういろいろなことはさておいて、災害に対して超過密ということがいかに多くの危険の目をはらんでいるかということは、都民としてどうしても念頭を離れるわけにいかない。いつも考えていかなければいけない。それに対して我々みずからのいろいろな準備、備えを固めていかなければならないというふうに考えております。
そういうことで、きょうは地震に関することのご意見はあまり伺えなかったことは非常に残念だったんですが、シートの上でかなりいろいろな意見を拝見させていただいて、これからもいろいろその点について勉強させていただきたいと思っております。

【井手専門委員】

私はこれまで生態学的な観点から自然環境と土地利用の問題を扱ってきた者でございますので、主として環境の面からのいろいろ話を何か聞けるかというふうに考えておりまして、今、溝上委員のお話のように、時間の関係もあったのかもしれませんけれども、環境に関する部分についてはあんまり話を承ることができなかったという、そんな気がいたしております。
そこで、私、印象といたしまして若干の環境に関する部分についてのコメントをさせていただこうと思いますが、1つは、移転の問題を考える当たりまして、移転するとかしない、あるいは賛成、反対という場合でも、これは跡地の問題も含めまして、現在、将来の我々の住んでおる地域、あるいは生活環境、都市環境というのをどういうふうに考えるのか、あるいはどうするべきかということは大きなテーマであるというふうに思っております。
そもそも環境というのをどういうふうにとらえるのかというのは、国、地域、人々によって全く変わっております。先日、ちょっとニュージーランドに参りましたが、ニュージーランドには資源管理法という法律が最近できました。その中で環境という概念は、エコシステム及びその法制部分、あるいはもろもろの資源と同時に、人々、地域社会の健康とか安全とかアメニティ価値というものも含めるというのが環境の定義になっております。このように考えますと、国によっても環境という概念のとらえ方は随分違うわけでありまして、その意味では首都移転を考えるときには、これは自分たち及び地域の人たちにとっての環境というのをどう考えるかという問題でもあるという側面があるのではないかと思います。
それからもう一つは、よく自然破壊とか緑の保全というように、どちらかというと保全という側面が環境の問題では語られることが多いわけでありますが、同時にもう一つは、どういう環境を形成していくのか、あるいはつくっていくべきか、あるいはどのようにしておくべきかというような観点がどうしても必要なわけで、その意味では、私は、ちょっと飛躍するかもしれませんけれども、首都移転の問題というのは、それぞれの人たちの環境観の問題とも深くつながっているんだというふうな印象を、きょういろいろお話を伺いながら、私なりの専門の立場から考えたことでございます。
こういう側面からこれからも調査会の中で少し発言をしていこうかというふうな印象を持った次第でございます。
以上でございます。

【森地専門委員】

私は、交通とか地域計画を専門に勉強している者でございます。きょう冒頭、石原会長代理から3つの意義というご説明がございましたが、当然のことながら、代表的な意義はそういうことですが、議論としては、いろんな議論をしているつもりでございます。きょう伺ったいろんなことも含めて、これからさらに出てくる国民の皆様の意見についてすべて考えて、それから意思決定する、これは当然のことだろうと、こう思っております。
それで、1つ、こんなことも考えているんですが、21世紀に向かって環境とか生活、文化、情報、国際、あるいは地方分権とか、いろんなキーワードがございます。そういうことのシステムを含む場としての都市というのは一体どういうものなのか、こういうことを考える絶好の機会だと私は認識しております。翻って豊かさが感じられないこの生活空間はどうなったのか。あるいは諸外国と比べて我々の住んでいる都市とか国土が一体どうなってしまったんだろう。大変無念な思いをすることが多いわけですが、そのバックにはおそらく、土地利用制度ですとか、あるいは計画の制度ですとか、あるいは計画の実現する力だとか、あるいはいろんな社会資本整備の手順前後ですとか、あるいはもっとベースには、環境とか、そういうことに対する国民の、総論は賛成だけれども、各論になるとどうなのか、こういうところの差だとか、いろんなことがございます。
このプロジェクトが首都移転、首都機能移転という、こういう国家的なプロジェクトがあるがゆえに、今までのいろんなしがらみでできている制度を越えて、特別立法したら一体どんなことが実現できるのか、こういう壮大な実験の場にもなろうかと思います。実験の場というのは、実舞台でということよりも、この計画作業の中でそういうことが考えられるんではないかと思っております。もしそういうことが国民の皆さんの受け入れるところになって、実際に実現して、日本人が100年とか200年、世界に誇れるような都市ができたとしたら、それを契機にして日本の都市もまた変わっていく一つのきっかけになるんではないか、こんな夢も描いております。
それから最後に、これは多分実態と違って、私がマスコミを通じてしか知らないせいでしょうけれども、東京というのは一番多様な意見があるはずなのに、聞こえてくるのは、都知事、あるいは都議会、全員そろって反対です。こういうことで、一体どうなっているのかと、こう思っていたんですが、少なくとも私のイメージする東京都の議員さん、これは都民のリーダーであるわけですから、首都のリーダーは、やっぱり全国のこと、あるいは世界のことを考えていろんな多様な議論をしていただきたい、こういうことを思っております。きょうは、そういう意味では大変多様な意見を聞かせていただいて安心した次第でございます。これからも頑張って勉強したいと思います。ありがとうございました。

【石原会長代理】

最後になりましたが、会長代理として本日の会議全体の進行をやらせていただきました者として、一言意見を申し上げたいと思います。
先ほど来、8人の皆様から、賛成、反対、それぞれの立場に立って大変貴重なご意見をちょうだいいたしました。また、きょうご出席の皆さん方から、シートによって各種の意見をちょうだいいたしました。いずれも大変貴重な意見と考えております。
首都機能移転という問題は、私ども国民にとって大変重要なテーマでございます。国民的な論議をさらにさらに深めるべきだというご意見については、全く同感であります。私ども審議会といたしましては、こういった皆さん方のご意見を踏まえて、さらに審議を深めてまいりたいと思っております。
それにいたしましても、先ほど下河辺委員からもお話がございましたが、この首都機能移転につきましては、国土庁を中心に随分その意義とか内容とか、これまでの経緯とか、いろんな資料で国民の皆様に知っていただくための努力がなされてきておるんですけれども、それにもかかわらずまだ十分状況がわかってないというご指摘がしばしば聞かれております。きょうもまたそういったご指摘がございました。私は、これから国民の皆様にこの問題についてさらに実態を正しく理解していただくための情報伝達、情報開示の方法について工夫をしていただきたい。これは主として事務局に対してでございますが、そういう感じを深くいたしました。
いずれにしても、本日は皆様方の大変熱心なご論議によりまして本日の公聴会が大変充実したものになりましたことを心から感謝申し上げたいと思います。
本日ちょうだいしたご意見は、今後の国会等移転審議会の審議に十分に反映させていきたい、参考にさせていただきたいと、このように考えております。
予定の時間を超過してしまいましたけれども、以上をもちまして、第3回の国会等移転審議会の公聴会を終了させていただきます。ありがとうございました。

以上

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