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第7回国会等移転審議会公聴会(札幌)の議事要旨

日時: 平成11年5月17日(月曜日)14時0分〜16時0分
場所: 札幌全日空ホテル
審議会委員出席者: 石原信雄会長代理、野崎幸雄委員、堀江湛委員、
牧野洋一委員、黒川洸専門委員、戸所隆専門委員
一般参加者: 総計161名

1.意見発表者による意見発表(氏名(敬称略)、性別、年齢(当時))

(1) 氏名:大久保真弓 性別:女性 年齢:39

こんにちは。大久保真弓と申します。よろしくお願いいたします。
首都機能移転について、私の今現在の意見は、反対ではないというものです。
この期に及んでどうしてそんな消極的な意見なのかとお思いの方も多いと思うんですが、なぜ今、首都機能移転なのかという基本的な疑問も含めて、情報不足であるということ、それと、移転の問題と北海道とのかかわりが見えない、この2つの理由によります。
これまでに、政経分離や地方分権という観点からの議論もなされているようですが、私は、きょうは北海道、つまり地方に住む者として感じるところをお話ししたいと思います。
私は、北海道に生まれて、北海道に育ちました。一時期、カナダに住んでいたことがありますが、「ついの住みかと思えるのはどこか」と聞かれましたら、それはやはり北海道です。そして、自分の子供や孫たちがどんなところで育っていてほしいかということを考えますと、やはり北海道のようなところと、今思います。そんな道産子の私が、首都機能移転をするならば、できるだけ北海道に近いところ、それは「距離的に」という意味ももちろんありますが、それ以上に、風土や環境の面でも、できるだけ北海道に近いところに移転してほしいと思っております。
ふるさとだから愛着があるからだろうというのは、それはもちろん理由の1つではありますし、積雪寒冷地の感覚を国レベルでもわかってもらえるのは、ずっと住んでいる者にとってはいいことだなと移りますが、それだけではありません。
道外からいらっした方は、北海道の大きさや自然や空気の美しさをよく褒めてくださいますが、このような中にいますと、やはり人間、考えることに余裕や幅が出てきます。おいしい空気とおいしい食べ物といい仲間たちがいれば、話の幅や気持ちの余裕が生まれるのも当然だと思います。
政策決定の中枢を担う首都機能の移転先には、そういう環境が何より必要ではないでしょうか。狭いビルの狭い部屋の中で100年後の日本のことを柔軟に考えろと言っても、ストレスがたまってしまって行き詰まってしまうということが起きるのは、これは仕方のない部分もあると思います。
将来は、情報通信の発展の例を見るまでもなくボーダーレスが進むと思います。世界に通じる新たな価値観や哲学、理念に寄与する日本になるためには、そこで働く人たち、あるいは住む人たちが、できるだけよい環境で、そして何より一生懸命働いてほしいと思います。そういう意味で、新しい都市は、ホスピタリティーに厚い人が育つまち、住むまちであってほしいと思います。
私がいましたカナダの首都は、オタワです。人口が三十数万人で、北海道で言うと旭川くらいの規模になるかと思います。まちの雰囲気は、緑が多く、しっとりと落ち着いた大人のまちというイメージです。
そこから飛行機で1時間ぐらい行ったところに、人口約300万、カナダの文化・経済の中心地のトロントがあります。トロントの印象はと言えば、あふれる人、物、ネオン、活力、スピードです。
同様の印象が、私の住んでいましたバンクーバーとブリティッシュ・コロンビア州の州都であるビクトリアにも言えます。ですから、私がカナダにいて、どんなまちだった、どんな国だったと言われると、一言で言えません。異なる印象を与えるまちがあるのは、その国のイメージの幅を広げて、ステレオタイプに海外に伝えられることを防ぐというメリットがあるのではないでしょうか。
先ほど、子供や孫が育つならばというお話をちょっとしたのですが、首都機能移転をするのであれば、まさに子供や孫の時代を考えて、100年先を見据えて、日本の新たな顔をつくるという歴史的大事業になるかと思います。ですから、少なくとも50年先ぐらいのイメージをもってお話をする必要があるのはもう皆さん、十分ご承知でいらっしゃると思います。
50年後、日本の人口はどうなんでしょうか。減っているんでしょうか。地域によるバランスはどうなっているのでしょうか。産業や文化はどういうふうに変わっているでしょうか。そして、そのイメージは、行政が描くだけでなく、広く一般の共感や理解を得られるものであってほしいと思います。
首都機能移転の話が出ている今は、私たちのリアルタイムの今生きている時代であるということ、それから、数兆円という事業費についても、またさらに、将来への責任という意味でも、首都機能移転は全国民の関心事であるべきだと思います。
にもかかわらず、少なくとも北海道内では、関心が低いと言っていいと思います。きょうはたくさん取材に来てくださっている方もいらっしゃいますが、以前、首都機能移転について取材をしたことがあるという方はどれぐらいいらっしゃるのかなという気がしないでもありません。一般の人は、もしかしたら聞いたことがないという人もいるかもしれません。それは、既に候補エリアから北海道は外れているという事情もあるのかもしれませんが、それよりも、首都機能移転が北海道に今後どういう影響や変化をもたらすのかということが不明確だからだと思います。
ですから、例えば地方ごとに、「北海道は」とか「東北は」とか「中国・四国地方は」とか「九州は」ぐらいの分け方で、首都機能移転による地域への影響を調査・分析して、その地域に向けたPRをしてはどうでしょうか。
例えば、北海道では首都機能移転したとして、その後、広大な土地を利用して、災害時に緊急に首都機能の代行を期待するとか、そのための設備投資を具体的に提示して積極的に進めるとか、あるいは、新千歳空港については、特にヨーロッパや北米からの国際線の受け入れに活用する国際ハブ空港として活用したい、これに伴って、北海道と新首都になるところ(機能が移転するところ)との間に、新幹線やリニアモーターカーなどの陸路の交通整備を進めるなどのプランが具体的にどこからか提示されれば、道内のマスコミももっとこの問題を、北海道とかかわりのある問題として取り上げてくれるでしょうし、道内の経済界でも活発な動きが出てくると思います。
そして、そういった何か具体的なきっかけがあることで、北海道からもまた独自の斬新なアイデアが出てくると思います。こういうことが、国民的盛り上がりというのではないかと思います。この中で、地域の個性が育まれて、東京にも、それから機能の移転先となるところにも、新たな個性が生まれるのではないかと思います。
北海道について言えば、フロンティア・スピリットはまだまだ生きていると思っておりますので、何がしかのきっかけがあれば、国民的盛り上がりというものが、ただ字に書いてあることではない、実態が伴うようにこれからなっていくような気がいたします。
少々早口で申しわけありませんでしたが、北海道思いの道産子の一人として意見を述べさせていただきました。ありがとうございました。

(2) 氏名:阪田達彦 性別:男性 年齢:24

北海道大学大学院の阪田達彦と申します。
バブル経済崩壊後の不況、行政改革、そして、それに伴う公共事業の見直し。最近の日本全体の大きな変化は、拓銀の破綻、時のアセスメントによる千歳川放水路、標津林道大事業の中止、苫東開発の不調など、最も身近に目の当たりにしてきたのが、北海道に住む私たちかもしれません。こうした、苦悩する北海道の姿に、このままではいけないんだ、変わなければいけないんだという危機感、焦燥感のようなものを私自身も感じてきました。
首都機能移転については、私は基本的には賛成です。これは、少し逆説的かもしれません。公共事業が相次いで見直されている今、財政の引き締めが迫られている今、なぜ首都機能移転なのか。
逆に、今までの公共事業によって、北海道は単なるインフラ整備にとどまらず、建設業を初めとする産業が活性化してきたのに、なぜ変わる必要があるのか。
しかし、21世紀を目前にした今、来る新しい時代に即した首都機能移転という展開を、近年、特にここ北海道で問題視されているような公共事業を負の遺産ととらえるような危惧から躊躇してはならないと考えます。確固とした理念を持った都市を次の世代に引き継ぐことこそ、今だからこそ求められることであり、今だからこそ真剣に議論されることではないでしょうか。
これまで述べてきました「変わらなければならない」という思いが、私の首都機能移転賛成の大きな理由です。
次に、今の東京、首都圏に対する印象を述べさせていただこうと思います。
高校時代まで、主に東北地方で育ち、大学生活を北海道で送っている私にとって、東京での生活は大変なんだろうなというのが、まず率直な印象です。
学校へ自転車で通学できるところにひとり暮らしし、ちょっと遠出しようと思っても、北海道では行ってみたいところはほんとうにより取り見取りです。学校生活に関する限り、北海道で送ってきた私の生活は、ほんとうに恵まれたものだと思います。
地方に住む者として、東京に対するあこがれも当然あります。今、私の実家は千葉県松戸市というところで、東京都心部から電車で三、四十分のところです。しかし、この実家へのたまの帰省だけでも、東京の厳しい現実の洗礼を浴びることとなります。
羽田空港からモノレール、JR、営団地下鉄を乗りかえる空港からのアクセスの悪さ、その間見るのは、どこでも大勢の人ばかりで、席に座れることはほとんどなく、荷物を持っての階段の上りおりで、家に帰るころにはへとへとになってしまいます。
住み心地がいいから、あるいはゆとりある生活を求めて、というよりも、そこに会社があるからであるとか、あらゆる情報が集まる東京にいないと何かと不便だから、そういう理由で、やむを得ず東京、そして、その周辺に住んでいるというのが、生活しておられる多くの方々の事情ではないでしょうか。
都市での生活において、少しの我慢は当然必要なこととは思いますが、その強い動機づけであった企業に対する不安、老後に対する不安、豊かな暮らしに対する意識の変化・多様化が生じ始めた現在、東京はさらに拡大し、そこで生活する方々の豊かな生活を保障していけるのでしょうか。私には疑問です。
すべての情報が東京に集まり、東京で意思決定がなされたこれまでの行政が、地方のことはその地方のことをよく知る地方に任せようという地方自治の方向へ向かっております。地方では、その地方の方々が自らの手で、その地方の意見、ニーズを配慮した、まさにオーダーメードのまちづくり・行政をしていくのが求められます。
そして、国会など首都機能は、ダイナミックに変化する世界との外交問題、国の方向、重要な決定など国策に没頭できる機関でなくてはなりません。インターネット、衛星回線を介したテレビ会議など、世界中との情報交流はどこにいても可能な現在、都市として飽和状態にある東京にとどまる必要はないと考えます。
首都機能移転は、行政改革の単なるシンボル、あるいは不況対策の切り札として、ただ移転する結果に終わってはなりません。首都機能移転は、第一に、新都市が日本のみならず世界に対する情報発信基地にふさわしい都市として、環境対策そして福祉に十分配慮した、21世紀の新しい都市生活の新機軸を打ち出し、第二に、過密した東京が国際競争を見据えた経済都市として、そして東京に住む方々にとって、誇りを持てる文化的都市、ほんとうに豊かな暮らしを送ることのできる都市へと再出発する。この2点が実現して、初めて意味を持つものだと思います。
2020年ごろには、4人に1人が高齢者という超高齢化社会を迎えます。これは、世界中だれも経験したことのない、新しい局面です。大勢の高齢者を支える若い方々が豊かに生活し、高齢者となってもその土地で快適に過ごしていくことのできる都市づくりが必要です。世界一の高齢化社会となる日本の福祉対策が、全世界が注目し、手本とするようなものであってほしいと思います。
首都移転という大事業は、早ければ2004年にもスタートするそうです。それに比べて、世論の関心は薄く、パンフレットを読んでも、まだ抽象的な理想論に多くを割いているような状態のように思います。私は、首都移転の意思決定は国民投票に委ね、そのための情報の開示、アピールをすべきではないかと思います。
ごみ処理施設や太陽光発電、新交通システムもまだ経済的・技術的に解決すべき問題も多くあるはずで、これらに対する現実的な導入可能性の検討が欠けている印象を受けます。理想の都市像を掲げるだけではなく、首都移転の必要性、あるいは解決すべき問題も開示すること、それも情報公開という受動的姿勢ではなく、広くそして強く宣伝していくことが必要です。
新しく日本の顔となる都市に対する関心を高め、広く知見、アイデアを積極的に求める努力抜きに諸問題の解決、成熟したマスタープランはないと考えます。私の全く突拍子もない意見でありますが、何もないところに新都市を新たに建設するよりも、むしろ、東京湾を埋め立てて、そこにアジアを代表する空港、港湾を整備し、流通、行政、経済、あるいはゆとりある住宅用地を確保するというのは既存の都市基盤を有効活用できる意味で、経済的にも可能性があるのではないか、などと考えています。
この重要な議論の判断材料に、世界の事例や過去の歴史をたどることはもちろん重要です。しかし、事例がないのなら、日本が21世紀の新しい都市概念を打ち出すのだという気概を持って進むべきです。既存の概念を打ち破り、環境・エネルギー問題などの技術的課題も克服した日本の新都市が世界の模範となることを大いに期待しつつ、意見発表を終わらせていただきます。浅学ながら勝手なことを言わせていただきました。ありがとうございました。

(3) 氏名:宮野寿美江 性別:女性 年齢:70

札幌市の女性団体の一員として、きょう参加させていただきました。
お恥ずかしい話ですけれども、公聴会なるものが今日あるということを全然知らないでおりました。そのくらい札幌市では、こういう首都機能移転の問題には、まだほど遠いような環境ではないかと思います。
首都機能移転については、政治と経済の中心が東京に集中していることで、官民の癒着が日常的に繰り広げられていると思われる現在だからこそ、首都機能移転には、私は賛成したいと思います。
しかし、お金持ちの日本と言われながらも、経済の低迷している今日において、12兆円とも言われる大金をかけて移転するからには、二度と現在と同じような癒着問題を起こさぬように、政府としては徹底した行政ルールを明確にすることが責務ではないでしょうか。そういうことがきちんと改革されない限り、どこに移転しようとも、また同じことが繰り返されるような気がしてなりません。
しかし、今、21世紀を目前に移転するならば、絶好のチャンスかなと、そんな気もしています。分離をすることで、国民の政府に対する信頼度もきっと変わってくるかもしれないと思いますし、北海道は海の向こうとあって、何かいつも取り残されていたような、そんな気がした時代もありました。
現在では、海底トンネルもできて、本州にストレートに渡ることができます。そしてまた今は、新幹線の問題が急浮上しています。先日も、パークホテルのほうで新幹線をつけようか、新幹線はいつどうなるのかという問題が出まして、その会議にも参加させていただきました。参加した結果、「新幹線をぜひ」という方もいらっしゃいますし、「税金をたくさんかけてそんなものは要らない」という方もいらっしゃいますし、もういろいろな参考意見を聞きました。それでもやはり、全国各地に新幹線なるものが通っている限り、やっぱり北海道にも新幹線が欲しいなと願うのは私ばかりではないと思います。
そうなりますと、移転するんだったら、やはり自然が豊かな北東部がいいのではないかなという、そんな気がしております。何十年後にどうなっていくのかわかりませんが、新都市がぐっと近くなることで、種々経済情勢も変わってくるでしょう。そしてまた、少子化が進む現在、若者の就職にしても、家庭を持ったり子供を育てるにも、余りいい環境ではない東京の現状を打破する意味においても、緑豊かな自然環境に恵まれた北東部をぜひ、選ぶのなら候補地として選んでほしいと思います。
世界数多くの国々が、機能を分離して成功しているように、日本も世界に並ぶ国として、できるなら新しい日本の顔を21世紀には誕生させるべきでないかなと思います。そうすれば、そこにまた新しい生活様式が育まれ、これから育ちゆく若者の夢もきっと大きく膨らむのではないか。
私たちのように70歳になりますと、あと何年生きていられるのか、これが現実化してくるまで生きているのか死んでいるのかわかりませんけれども、こういう時代だからこそ、今声を大にして、日本のためにできるのでしたら、これを首都機能を移転いたしまして、これから育っていく若い方々が大いに、東京だけでなく、各都市にまたがって活躍できるような場所を政府の方が一生懸命つくっていただくようにお願いできたらばと思っています。
私は、東京生まれのチャキチャキの江戸っ子の東京育ちなんです。東京がどんなところかというところは、物すごい煩雑なところで、もうそれは腐るほどよく知っております。過去に戦争経験も豊富にしてまいりました。終戦時は、もう逃げ惑うのに一生懸命、九死に一生を得まして、それから北海道のほうに結婚して渡りましたが、主人も早くに亡くしました。子供はまた東京に行っております。「札幌のほうに帰ってきてくれない?」とお願いはするんですけれども、仕事の都合でどうしても札幌には帰れない。今はひとりで札幌に住んでおりますが、50年近くも札幌に住みますと、札幌が第二の故郷でございます。
札幌から今東京には新幹線ができて、海底トンネルができて、そして時間が短縮されて、東京までも近いとなれば、北東部はもっと近くなるわけですし、私たちは女性団体のほうから、福島、仙台、方々に会議にも出かけます。そういうときに飛行機では、あちらに乗り継いだり、こちらに乗り継いだり、とても便利なはずなのに、千歳まで行くのには大変な時間もかかり、福島まで行くのにあっちへ乗りかえ、こっちへ乗りかえ、ほんとうに苦労することもございます。そういうことからして、移転するんだったら北東部にと思っているわけでございます。
そして、東京はまた最大の危険地帯と今でも思っております。移転の際には、徹底した地質の調査、例えば地震ですとか、大きなそれが一番の問題だと思うんですが、そしてまた、国民の納得の行く具体的な内容、20世紀時代と21世紀に移転した首都機能とは、これだけの差があり、絶対的なものだということをよくよく審議なされた上で、国民の理解を求め、決定されなければならないと思います。
私たちは、政府を信じています。政府の決めたことに従ってゆかなければなりません。しかし、またか、またかと思うほどのダメージをいつも受けてきました。新都市を移転するためには、財政問題や環境破壊問題等数多くの問題も解決してゆかなくてはならないと思います。
移転した跡地もまたどうなるのか。誘致合戦が始まったら、またどう対応したらいいのか。金銭的なことで、またおかしなことができるのではないか。そこに働いていた人たちはどうなるのか。また、移転した新都市をどのような方法で発展させていくのか。人口はどうなるのか。何十年後の計画もきちんと出していかない限り、ただ賛成しても意味はなくなりますし、そういう具体案が出ない限り、反対に変わっていく人たちも出てくるでしょう。
どうぞ、政府の間で移転をほぼ決めているのでしたら、すべての国民に賛辞をもらえるよう、そこへ行き着くまでの経過を国民に納得ゆくよう、情報を公開し、北東地域実現を目指して活動してほしいと思います。
女性団体の一員として、私なりの思ったままの意見を発表させていただきました。ありがとうございました。

(4) 氏名:中野英之 性別:男性 年齢:29

皆様、こんにちは。東区の中野と申します。
私は、大学院で地球環境科学を専攻している学生の者です。
さて、皆さんは、21世紀初頭がどういう時代になっているのか、考えたことがおありでしょうか。
世界では、人口が爆発的にふえ、食料やエネルギー需要は逼迫、地球規模での環境問題も深刻になってきます。日本では、高齢化社会を迎えます。このような、人類全体が大きな岐路に差しかかってくる時代においては、だれもが安心して暮らせる福祉や環境最優先の政策こそ重要な課題です。
こうした現実問題を考えますと、巨費を投入し、大規模な自然破壊を伴うような国会都市をつくる必要がほんとうにあるのでしょうか。私は、現状での首都機能移転に反対の立場からこの問題に触れ、意見を申し上げたいと思います。
まずは、首都機能移転に反対の理由を3つ申し上げます。
まず1つには、首都機能移転の必要性に対する疑問です。首都機能移転は、人口の多い東京にあってこそ意味があります。薬害エイズ問題が和解に向けて大きく前進したのも、何万という市民グループが厚生省を取り囲み、あるいは国会に働きかけたからです。国会を人口の少ない地方の山間部に移したら、国民の声を反映させることは決してできません。
次に、災害力強化のための移転という点ですが、阪神・淡路大震災の際には、東京がその司令塔的役割を担ったように、東京が震災を被ったときには、名古屋や仙台、大阪など既存の都市がその司令塔的役割を担えるような支援体制やネットワークづくりを進めていけばよく、新たにわざわざ自然を切り開いて国会都市をつくる必要はありません。災害時の最大の被害は人災であり、首都機能移転にかかる費用は、全国の災害に強いまちづくりにこそ投入されるべきです。
2番目の理由としまして、何と言いましても、大規模な環境破壊が起きるということです。現在の首都機能移転の新首都像は、開発型の都市建設であります。とりわけ東北地方の候補地では、広大な開発適地があるとして、広域のクラスター型の開発構想を発表し、誘致合戦を繰り広げてきました。
しかしながら、その多くは、一級河川の水源涵養機能を担う貴重な森林地帯であり、大規模開発に適した地域とは思えません。生態系の破壊はもちろんのこと、大雨時の土砂災害、ダムの堆砂量の増加など、さまざまな環境問題を引き起します。
首都機能を呼び込みたいがために誘致活動を行う自治体は、環境問題について意図的に避けているように思います。「自然との共生」というフレーズが、「自然への挑戦」というふうに聞こえます。首都機能移転と言いつつ、東京では新しい首相官邸の建設に着手、中央省庁も建てかえがどんどん進められております。全くのむだな二重投資ではないでしょうか。
我々一般市民は、できるだけむだな買い物をしないようごみの分別を心がけ、古いものも直して長く使う、そういうリサイクルの精神で生活しております。今の首都機能移転議論で見られますようなむだな開発構想では、リサイクルの精神は全く感じられません。
3番目に、国民の合意形成ができていないという点です。
首都機能移転は、移転先の住民の生活に大きな影響をもたらします。私は、移転候補地となっている地域の住民は、あるいは積極的な誘致活動を行う自治体は、そのことについてどのように考えておられるのか関心があり、昨年暮れに、移転候補地となっております福島県主催の首都機能移転懇談会に参加しました。
その懇談会でわかりましたことは、誘致活動を推進する自治体は、地元経済の活性化のみが目的で、まるでオリンピックを誘致するかのような感覚で誘致活動を行っていて、移転によるメリットばかりが強調され、環境や水資源問題、地元農業、中小企業への影響など、住民生活に与える問題についての考察が欠けているということでした。
地元住民にしましても、首都機能移転についてわけもわからず、地域活性化への漠然とした期待だけを抱いている方が多く、住民はこの問題にほとんどかかわれないでいるという状況であります。住民生活に大きな影響が出る候補地ですらこのような状況であり、首都機能移転はほんとうの意味での国民的議論はされていない状況にあります。
ここで、審議会の方に対して要望がございます。
首都機能移転がほんとうに必要なのか。首都機能移転の凍結も選択肢に入れ、白紙に戻した議論の再検討をしていただきたいということです。
そして、十分議論をし尽くした上で、どうしても首都機能移転が必要となっても、分都や転都など、できるだけ既存の都市機能を活用した方策を検討する。どうか一度、自然破壊を一切伴わない首都機能移転を考えていただきたいということです。
もう1点は、昨年行われました現地調査をもう一度行っていただきたいということです。現地調査の議事要旨を拝見しましても、参加されている方は自治体や市町村の長、地方議会議員など、首都機能移転推進者が中心です。移転に反対・慎重な住民はたくさんおります。国や地方自治体は移転によって、あたかもメリットばかりが生じるかのような表現を自粛し、移転によるデメリットについてもきちんと国民に示した上で、移転に反対する住民の立ち会いのもと、公正な現地調査を行っていただきたいと思います。
こうした、白紙に戻した議論は、確かに時間はかかりますが、秋の答申を延期してでもこれをしないことには、ほんとうの意味での国民の合意は決して得られません。秋までに急いで答申を出すことは余りに無謀で危険なものではないでしょうか。
審議会は諮問機関であり、秋までに候補地を絞り込むのが仕事、そういうことをおっしゃっていただきたくないと思います。それで済まされる問題でしょうか。審議会の答申は、非常に大きな影響を持つものです。答申に基づき、国会都市が新たに建設されたとき、一番大きなツケを負うのは、移転先の自然環境やそこで生活する住民だけでなく、環境破壊という大きな負の遺産を背負うことになる我々、若い世代なのです。
答申に当たりましては、首都機能移転の後世に及ぼす問題すべての責任を審議会のメンバーの方が持っていただくぐらいの覚悟で臨んでいただきたいと思います。
最後になりますが、今本州で十分な議論や国民の合意もないまま、大規模な自然破壊を伴う首都機能移転の候補地が決められようとしている現実を、一人でも多くの方が自分自身のことと考えられ、関心を持っていただけることを切に願うものであります。
以上、ありがとうございました。

(5) 氏名:三浦章子 性別:女性 年齢:71

札幌に住んでおります三浦章子と申します。
このたびの首都機能移転に関して、公聴会に意見を箇条書きに出しました。私は、移転に関して、「下記の前提条件が満たされた上で消極的に賛成する。場所は北東地域」と、こういうふうに出しまして、その前提条件というのが、1つは地方分権の確立、2つ目が行政に関する情報公開が十分に保障されること、そして3つ目は、地震などの心配の少ないところに立地する。ですから、消極的移転賛成ということになると思います。
私も、東京に生まれて、東京で育って二十数年、それから札幌に参りまして四十数年、合わせて70年になるんですけれども、いろいろな意味で始終活動の面もあわせまして、東京にも行きます、全国にも行きますけれども、ほんとうにあの一極集中のあそこは人間の住むところでないと感ずるのは、皆さん、同じだと思うんですね。そういうところだからこそ移転してほしいなというのはあるわけです。
ただ、国民的合意がほんとうになされて、その上で、ということがいろいろな点で前提でございます。今申し上げました地方分権と情報公開の問題ですけれども、これは、今政府で言っております、つい最近、中央集権構造の弊害をなくして地方分権が十分に行われるためには、その地方と国とのあれが対等、フィフティ・フィフティぐらいの分権とかと言っているんですけれども、それは、実はタイトルだけでというか、そういうことであって、ほんとうにそれが実施されるということが保障されない限り、今の日本の地方自治の確立というのは非常にお寒い状態だと思います。先進諸外国に比べても、地方自治の確立というのは、まだまだ十分でないし、非常におくれたところに位置していると思います。そういうことを考えますと、タイトルだけでなくて、これが十分に確立された上でと。
北海道に住んで、先ほどもどなたかおっしゃいましたように、北海道には生涯住み続けたいというくらいのいいところだというふうに思います。それから、札幌もそうだと思います。それは、やはり先ほどいろいろ、皆さんがおっしゃったようないろんな条件がまあいいということだというふうに思います。
それから、徹底した情報公開という点で言いますと、私は四十数年、消費者運動というようなものをやってまいりました。そして、今、子供も孫も、実は孫二人も社会人になりまして、ことし二人とも東京に就職を勝手に見つけて就職してしまったというようなことがございまして、東京へ東京へと行くのを阻むことができないんだなというようなことは痛切に感じているんですけれども、それも、政治と経済を分離するという、そして一極集中を排すという意味からいっても、やはり必要ではないかなというふうに思います。
徹底した情報公開というのは、もうこの四十何年間、消費者運動をやって、身にしみて、憲法に基づく国民に主権があるということがいかにまだ不十分かということを、運動をやってもやっても、なかなかそこに至らない、そういう状況の中で、情報公開法とかいろいろな、それから消費者の権利を守るとか消費者が被害を受けたときの法律だとか、いろんなことが少しずつ少しずつは出ているんですけれども、運動をして運動をして、やっとちょっぴりとその法律的に確立されると。その確立されたものは、諸外国に比べて非常にレベルの低い確立の仕方であるというようなことをしみじみと感じております。
それでなくても、先ほど皆さんがおっしゃった中にもありまように、大蔵省と銀行・金融関係の政財界の癒着がもう最たるもので、これが汚職・腐敗になっております。そして、それはもう自動的にというか、情勢の中で、どうしても21世紀をにらんでこれをやらなければならないというような状況になっているとは思いますけれども、それも、いろんな意味で、大変国民に負担をかけた金融再編成、金融建て直しというようなことだというふうに思いますし、それから、厚生省の部門で言えば、薬害の問題、医療の問題。今はもう介護保険のことが非常に沸騰しておりますけれども、そういう福祉その他にわたって情報公開のなされなさというのがいかにこれだけたくさんの弊害をもたらしてきたかということを感じます。
それから、文部省に関して、学校教育でも、ついせんだって校長先生が日の丸・君が代問題で自殺をいたしましたけれども、私は子供、孫、みんな学校教育を終了した形で、非常にびっくりしたというか、今日本でこんなこと、文部省が通達をして、強制的にあれをするような、そういう形。それも教科書の問題もそうです。そして、そんなことが今まだあるんだということに愕然としましたのが、この前の校長先生の自殺問題でした。
これももうほんとうに、情報公開とそれから人権の確立というようなことから言ったら、ほんとうにお粗末な今の日本の現状だと思います。
それから、消費者運動の中で、やっぱり物価問題とか薬害の問題とかいろいろあるわけですけれども、石油、電力それから原子力、そのような問題でいろいろと私どもは何かというと省庁に要請に参るわけですけれども、もう消費者--消費者というのは国民ですけれども、国民のほうよりは企業のほうにすっかり向いているというのが各省庁の実態でございます。そういうことを考えると、情報公開というのは、もうあだおろそか、わずかなことではとても確立できないと思います。
そうすると、企業の社会的責任なんていうことでも、いまだに私どもは社会的責任を感じるならば、原価公表ということは当然あるべきだと思いますけれども、これは企業秘密とか、そういうことを守っているのがまた行政の立場でございます。そういうことがあるうちは、もうとんでもない、私どもは、日本の人権の確立という点ではおくれていると思います。
もちろん、平和の問題。私ども一番基本的に、消費者として平和に生きる権利というのが最高に大事な基本的権利だと思いますけれども、その問題においても、今ガイドラインの問題がありますけれども、しかりでございます。運輸それから総務、警察関係についても、それぞれ情報公開の問題と、それから、それに伴う国民主権が確立するということがいかに諸外国の中でもおくれているほうだということを痛切に申し上げまして、それなしに国民の合意なしの首都機能移転ということについてはあり得ないのではないかということを申し上げて終わりにしたいと思います。ありがとうございました。

(6) 氏名:戸蒔功 性別:男性 年齢:49

国民の一人として、また、国を愛する者の一人として意見を述べさせていただきたいと思います。
まず最初に、これをごらんになっていただきたいんですが、皆さんおわかりのように、これは国土の地形図でございます。これは、私が使っている国土の地形図でございますが、まずおわかりいただけることは、我が国は、かなり変化に富んだ国土であるというふうなこと。地下はマグマ、そしてプレートが激しくぶつかり合う。そして海流は波打ち、そして偏西風は北風を伴って激しく吹いてまいります。大変なエネルギーです。
これは、これまで災害でした。まさに恐ろしいものでした。そして私たちは、これまで、それを克服してきました。そのための方法論が蓄積されてきました。そして、その結果として、今日を迎えているわけであります。
文字どおり、我が日本列島は、災害の巣窟であります。ここ数年の経験に見るまでもなく、それに対する対処も、果たしてどの程度のものであったかは、国民一人一人が知るところであります。
さて今、国内に開発可能な地域は果たしてありましょうか。先ほどの方のお話にもありますように、環境問題は、今や地球規模の様相を呈しております。そして、もう既に、これほどふえてしまった人類のキャパシティーを既に超えているという学者の方もございます。もう国内だけの問題ではないのです。世界中の問題なのです。
しかし、皆さん、考えてみてください。数万年前に私たち人類の祖先は、土器というものを発明しました。土器を発明することによって、飛躍的に人類はふえ、豊かな生活を保障され、そして今日に至ったというようなこともまた事実であります。その結果、いろいろな問題が出てきたら、また、それを克服すべく、多分私たちの生命の中にインプットされているのではないかなとも思うわけであります。
私たちは、数万年前の人類にもっと謙虚に学ぼうではありませんか。そして今再び、このすばらしい国土を、災害列島などではありません、地下のマグマは貴重なエネルギーです。そして、それに伴う地震、津波、恐ろしいものでした。しかし、それを何とかこれから人類が生き延びるためのエネルギーに利用できるような技術を開発することができます。そして、またそれは、もしかしたら可能かもしれません。
豊かな風、そしてその地下のエネルギー、この私たちがふんだんに活用し、そしてそれを活用したすばらしいまちを、すばらしい生活空間をつくることが多分人類的に宿命づけられていると思うのであります。
これは、日本だけの問題ではないと思います。世界中の問題です。恐らく、世界中のテーマとして、今あるはずなんです。それをまず率先して我が国がやってみることの価値は確かにあると思われます。
今、会長代理の方から、その必要性が淡々と説かれました。ひしひしと感じます。まさにそのとおりであります。それに対して私たちは、回答を出さなければなりません。一人一人、今この時代に生きる者の責務であります。そして、それは、世界に誇れるものでなければ、世界中の人々を説得できるものでなければいけないはずなんです。たぐいまれな、このような国土を有する我が国、我が国民であればこそ、それはできるのではないかと確信するわけであります。
ちなみに、1万数千年前に発見された土器は、我が国土から産出されているんです。文明のステータスとしての土器が最初につくられたのが、もしかしたら我が国だと思えば、これは大変な励みになることではありませんでしょうか。
そして、縄文の文化が今また新たな発掘の対象になっております。それは、この東北、北海道の北日本から津軽海峡を隔てて発見されております。そこには、ここ1万年ずっと続いてきたものとはまた別の原理・原則が通低しているのであります。
これまでの原理・原則は、まさに量の拡大でした。そして、スピードを追求しました。とにかく大きいことは間違いなくいいことでした。それは、人類がどんどんどんどんふえていくというふうなことに価値を見出したからにほかなりません。そして、ある程度の臨界点に達した今、まさにその原理・原則を転換し、過去に戻り、過去の原理・原則に謙虚に学び、新しい原理・原則を構築する、そのようなときを迎えているということを謙虚に再認識する必要があると思われます。
それは、まず1つは、エネルギーの生成から消滅、その消滅にまで至る循環生態系に基づく1つの地域を確保することであります。地球全体が1つの循環生態系であるならば、地域も国も、また、その構成要素である都市部の住宅も、一人一人の生活も、フラクタルに展開するものであるはずです。
そこで、その土地で産出したエネルギー、食料をその土地でむだなく使いこなし、そして、それをリサイクルし、むだなく消費する、そのようなサイクルが技術的に可能な新世紀であることが望ましいと考えます。そのような実験パターンとして、1つのまちが今待望されているのであります。
それは、地球規模で人類が待望しているのであります。それを、我が日本が率先してやろうではありませんか。そのための知恵を結集しようではありませんか。そのための歴史的なまさに経験は、数万年にも及ぶ私たち先祖のつき支えた知恵の中にあると確信しているものであります。
かなり集中した都市体系を具体的には考えざるを得ません。もし、地上に開発可能性がなければ、海とか宇宙とかということにしかならないわけですから、それは22世紀を担う方々に当面はお任せするといたしまして、新世紀21世紀、とにかく地上にそれを実現させるためには、多分それは限られた国土、限られた小さな場所で、もうかなり集中的に機能が重層したものをつくる。
例えば、もう10ヘクタールの小さなところに数十のまちが全部入るような、極力そのアクセスを少なくし、極力効率的にその機能が発揮できるような、もちろん災害対策も微々つ起きない。そこで、その地域で生産したエネルギーを、そして、そのまちで全部処理しリサイクルするという、そのようなものを私どもは考えております。
今日本に必要なのは、夢を見る感覚であり、そして夢を育む心であり、そして夢を実現させようとする情熱であります。この3つを私たち一人が持ち得ることによって、それは実現可能だと思われます。
当局の方々の取りまとめに大いに期待したいと思います。そして、ふんだんに情報を取りまとめていただきたいと思います。
時間になりました。終わります。

(7) 氏名:紺野裕乃 性別:女性 年齢:28

ただいまご紹介いただきました紺野と申します。
私は、北海道開発における社会基盤整備のあり方や、寒冷地技術開発を主な業務とする公益法人社団法人開発技術センターの研究員として、社会基盤整備におけるコミュニケーションのあり方やライフスタイルを主な研究テーマにしております。
きょうは、首都機能移転について意見を述べさせていただきますが、既に候補地は3地域に絞り込まれており、北海道ではないようですので、雪国、北国にある候補地の応援団として、第一に気候風土の条件、第二にエネルギーと水、第三に地理的条件の3つの視点から述べさせていただこうと思っております。
まず初めに、気候条件についてですが、我が国は南北に長い島国です。そのため、地域によって気象条件が大きく異なっており、季節感や文化、住宅、衣服、行事などの面にその影響が色濃く出ております。
例えば、4月と言えば入学シーズンです。新入学の小学生と和服姿のお母さんが桜吹雪の中を入学式に向かう姿は、昔の教科書に出てきた4月の典型的な日本の風景と思います。一方、私の住む北海道では、4月とは言っても、たくさんの雪が残り、桜の花もなく、おしゃれした上に防寒コートを着たお母さんが、子供の手を引き、泥はねを気にしながら水たまりをよけて歩くのが私にとっての季節の風景なのです。南の九州、沖縄では、海水浴ができるのに、北海道はまだまだスキーシーズンです。
このように異なる気候でありながら、住宅などの建築基準を初めいろいろな基準・規格が東京を中心に決定されています。確かに地域性もある程度考慮されていますが、十分ではありませんし、的を得たものになっていない場合も少なくありません。
我が国の南の地域にも、同様のことが言えると思います。雪のほとんど降らない東京で、積雪寒冷地にかかわる重要な決定のほとんどが行われていることは、変化に富んだ我が国の気候的特徴を生かし切れていないと言っても過言ではありません。新首都建設には、地域性、つまり気候、風土、歴史、文化の違いを反映できるような意思決定システムの構築と、基本政策において国土面積の半分を占める積雪寒冷地の生活や地域事情なども意識できる地政的バランスを考慮していただきたいと思います。
続いて、エネルギーと水問題についてです。
夏になると、東京以西の大都市では熱帯夜が続き、クーラーの使用で電力需要が逼迫していることを報じるテレビや新聞をよく目にします。電力の供給能力は、この真夏のピーク時に合わせて設定されているそうです。一方、クーラーの要らない北海道では、1世帯当たりの電力消費量が全国平均を大きく下回っており、増加率も小さいようです。
地球環境問題が声高に叫ばれ、ほとんどのエネルギーを外国に依存している我が国にとって、消費エネルギーを抑制することは、極めて重要な国策です。
冬季の暖房用エネルギーの使用がありますので、積雪寒冷地が省エネルギー的な面から見て有利なことばかりではありませんが、精密機械工業のように、暖房需要に比べて冷房需要の大きな産業もあります。人口配置や産業配置を北日本にシフトすることによって、真夏の電力需給のピークをかなりカットすることが可能になり、省エネ効果ばかりでなく、電力設備拡大の必要性が減り、環境問題などで住民との対立も少なくなることが期待されます。
このように、エネルギー資源に乏しい我が国は、寒い地方と暑い地方をもっとバランスよく利用すべきであり、寒い地方の有利な条件をもっと活用すべきだと思います。そのためにも、首都機能は、雪や寒さを意識できる地が望ましいと考えます。
もう1つ、夏になるとよく耳にするのは、関東以西の水不足があります。異常気象などと言う方もいますが、基本的には、現在の我が国の人口分布、産業分布が水資源量と一致していないことに根本的な原因があると思います。つまり、水資源から見た適正な人口収容力以上に人が住んでいるということです。
その上、水道の水が飲料水としては使用できず、ペットボトルの水が欠かせない都市もあります。近代工業社会になって、地域の食料、水、エネルギー供給力と関係なく人口が分布するようになり、その無理をひたすら技術によってカバーしてきたのですが、いよいよ限界ということでしょう。
それに引きかえ、北日本や雪国に水不足はほとんどありません。そろそろ水資源に合わせた人口の配置転換を考える時期ではないでしょうか。
3つ目の視点として、地理的条件です。人、物、お金がボーダーレスで駆けめぐり、ビジネスや交流が地球規模でどんどん拡大、活発化する時代に、我が国は、南北に長い国の特徴を生かし切れていないことを強く感じます。
日本を中心として、世界各地との実距離を正確に平面上に描けば、我が国の中で、北海道が北米やヨーロッパに最も近いことは明らかですし、北米とアジアを結ぶ海上航路は、津軽海峡を通過することが最短ルートです。同じように、九州は、東南アジアの国々と近いわけです。
ですが、北海道から北米やヨーロッパに行こうとすると、一度成田か関西空港に南下して、また北上し、北海道の周辺を通過しなければなりません。往復のむだな時間、成田空港内での移動の煩わしさ、利用者から見れば必要のないジェット燃料と国内航空料金。むだなことがとても多いように思います。
もし千歳空港がハブ空港となり、北米やヨーロッパに行くときには、東京や大阪の人が千歳から国際線に乗り、東南アジアに行くときは九州から乗ることができれば、燃料も時間も大いに節約できるほか、諸施設にかかる費用も安くなり、航空会社の経営や国際競争力の面でも有利なことが多いように思います。
首都機能というものは、現在のように何でもかんでも首都周辺に集めなければならないものなのでしょうか。北や南にあったほうが効率的であったり、便利であったりするものがたくさんあると思います。もっと南北に長い我が国の地理的条件を有効に利用するような首都機能の見直しと再配置をぜひ検討していただきたいと思います。
また、首都機能の分散は、首都に大災害が発生したとき、首都機能をある程度バックアップできる拠点となることから、国の安全保障の面でも大きな意味を持ちますし、地方拠点都市に地方分権の受け皿として自立した国際都市に成長するよい機会を与えることになると思います。
最後に、私がきょう申し上げた意見の多くは、私の所属します社団法人北海道開発技術センターが自主研究として取りまとめ、提言した「2050年に向けた北海道ビジョン案」に基づいております。
この提言は、現在北海道において、それぞれの分野の第一線で活躍するエンジニアの方々と調査・議論をしながらまとめたもので、そのメンバーの中心となる執筆と編集を行ったのが、北海道開発局の大橋猛さんでした。残念ながら昨年の6月にがんのために49歳の若さで天国に旅立たれ、この提言が絶筆とも言えます。
この大橋さんの残された言葉の中に「夢のない人生はつまらない。それと同じように、まさに夢のない地域はつまらない」という言葉があります。私は、大橋さんの言われたように、北海道を夢のある島にしたいと思いますし、ここで夢を持って生きたいと思います。
ですから、首都機能移転という大事業は、ぜひ日本にとって、日本人にとって、夢を与えるものであってほしいと私は強く思います。もし夢を与えられないような事業であれば、実施する必要はないとも思います。
以上が私の意見です。ご清聴ありがとうございました。

(8) 氏名:倭雅則 性別:男性 年齢:40

最後になりました倭雅則と申します。
本日、公聴会ということで、意見、一方的な発表の場ということになりまして、質問、私のほうからいろんなことをきょう来ていただいている委員会の方に質問できるとか、そういう場ではないんですが、ひとついろんな資料を、今回、国土庁の方々から送っていただきまして、非常に新聞・マスコミに出ています記事等を30枚ほどいろいろ送っていただいておりまして、これをずっと自分の意見を見るに、いろんな賛成・反対がありまして、その中で自分の発表の意見の何かの足しになるかなと思いまして、ひとつおもしろいのがありまして、それは何かというと、『週刊新潮』の中に出ていました「世間漫録」というですか、これ、去年の12月に出ていました。
これは全然知らなかったんですが、どういうことかちょっと読みますが、「まだやっている首都移転論議」という記事が出ていまして、これは僕が選んだのではなくて、国土庁の清水さんという方がいらっしゃいますが、その方が送ってくれた中のおもしろい記事、記事といいますか評論家の意見。
「国会等移転決議(90年)を推進した中心人物は、故金丸信氏。当時、党副総裁、建設族のドンと聞き、まさにバブル経済の全盛期。」とこういうくだりがありまして、ずっと続いていまして、「アメリカのとてつもない内需拡大の要求を前にし、政治家たちは最大級の公共投資は何かと思案」しましたと。「その中に、第三セクターによる大規模なリゾート開発もその一環ではあったが、これはバブルの崩壊とともに倒産し、消滅した。」とこういうくだりがずっと続いていまして、その中には、これは当然反対の意見で、こういった中で、非常にうさんくさい国家的なプロジェクトに政治の理念が果たしてここに存在しているのか否かという1つの記事が出ていました。
新聞その他の報道をちょっと説明しますと、その中で、ほとんど賛成--僕の送っていただいたのは全部とは限りませんが、賛成の論調が2通、反対のほうが7通と、まあ圧倒的に反対の意見の評論家の方々ないしは新聞社の論説委員の意見が主流でした。
それで、私はこの公聴会を募集するに当たりまして、いの一番にもう賛成という意見ですぐ出しまして、あららら、ちょっと何かな、単純に書き過ぎたのかなと思って、1週間ほど前、こういった資料に目を通しました。その反対に対するマイナスの意見が確かに相当な意見が出ておりまして、これを一つ一つ論破するのは相当厳しい問題であろうというのが私の実感であります。
ただ、公聴会ですから、私がなぜ賛成をしたのかというところの立場から、まず非常に反対意見の中に多いのは、財政の問題とかそういうことがありましたが、我々の国民のレベルで財政の問題、4.4兆円、7.9、合計12兆円と。ただ、官が4.4、民間も7.9ということですから、あながちその数字について我々が云々言えるほどの知識もないですし、また、論調は言えませんが、大きい問題としては、その財政問題。1つの意見の中に、その4.4兆円をまた東京に集中したらどうかと。東京再構築のために、これだけのお金を費やしたらどうかというような意見もありました。
それで、あとはもちろん環境の問題。これは景気回復、環境の問題もあるし、景気回復のために企業のための投資になってしまうのではないだろうかと。その中には、政治の理念がひとつ見えてこない、ないしは、国家の理念というものが深く見えてこないという一方的な論調でありました。
ただ、私がこの中でいろんな反対意見もありましたが、なぜ賛成をしたか。この中で、きょう会長代理、当時石原信雄様も官房副長官としていらっしゃって、その辺の金丸さんのところはもう重々承知の上で、またこの場で、それに対して論評ができるようなお立場でないことはもう承知しておりますが、それよりも、会議の委員の方もいろんな政治判断、また、もろもろの判断の中でこういった会ができ、また、秋まで答申しなければならないということは存じております。
資料を見まして、私が賛成した1つの理由というのは、まず東京都です。東京都は、これだけ集中し、関東圏で約3,500万の人口を抱えるスーパー都市となってしまった。この都市を、ではみすみすこの先、後世に向けつぶしてしまうのではないかということが、端的に言ってしまえば、東京都を守らなければならないのではないかということが1つの大きな要素です。
すべての機能が東京、大阪、中部地区に集中していますが、今はこの1990年にこの法案が提起になったときから、より増して東京に集中しているのが事実です。地方都市の存在価値は、その中でどんどんどんどん別な意味で情報通信が発達し、交通がこれから20年、30年、50年、1時間ないしは2時間で新首都に行けると僕は確信していますし、今まで出張ということで行かなければならないものは、これだけ通信網が発達した今の世の中では、我々の出張の機会も著しく減っております。
そういった世の中で、これだけ発達した東京を、このまま災害時、天災ないしは安全保障の面で50年、100年続くという保障は一体どこにあるのかわかりません。阪神大震災、ないしは、あれが関東圏に来たとき、通勤ラッシュ時に来たらどのような大災害が起きたか。そのときの危機管理のときの縦の連絡、横の連絡、こういったものに我々の日本国民が十分にできるほどのまだ我々の組織もそろっていないというのが私自身の意見であります。
しからばどうするか。それに対して、新たな土地を見つけ、その中でまず新しいものをつくり上げ、我々が一番考えなければならないものは、今までこういったいろんなものの考え方は変わってきて、新たに夢のある21世紀、22世紀に我々、後世に伝えるために世界から尊敬される立派な都市をつくる。それは、前お話があった環境問題も含め、そういった方々が英知を出して、尊敬される理想都市というものをもう一度日本国ないしはアジア、世界に向けてつくっていくことが我々の新しい責務であると同時に、信頼を回復できる日本国のためではないかと思っております。
どうもありがとうございました。

2.出席した各委員の感想等

【野崎幸雄部会長代理】

野崎でございます。ご意見を伺っていて、この問題が成功するかどうかは、それについての国民的合意というものが形成できるかどうかということにかかっているという感を非常に強くいたしました。
今、先ほど係官のほうからのお話がございましたけれども、私どもといたしましても、その点については大いに留意をして、頑張っていかなければならないというふうに考えております。
それから、この首都移転の問題の経緯を見ておりますと、当初、石原会長代理からお話がございました阪神・淡路大震災の問題というものが首都移転をさらに必要であるということに考えるための大きな要素になっているということを痛感いたします。
ご承知のように、阪神・淡路大震災では、神戸を中心にして大きな災害が発生したわけですけれども、どちらかというと、点と線を結んだ災害でありました。しかし、にもかかわらず大変な被害が出たということは皆さんもよくご承知のとおりであります。
関東大震災の場合を見ますと、ご承知のように東京が焼け野原になったということはよく知られておるんですけれども、実は小田原からずっと横浜、鎌倉を通って、面で大きな災害が発生しております。恐らく、あのような被害がもし発生いたしましたとしますと、立法機能も行政機能も完全に麻痺するということになりかねない。これではいけないのではないかということが、この首都移転について「防災」という観点を強調する1つの要素になっておるわけであります。
首都機能が移っていますれば、そこに行政機能もあれば立法の機能もある。そうすると、仮に関東に大きな災害が発生したとしても、その再建には新しい首都が大きな力を発揮することができる。これが、首都というものは東京圏から60キロ以上離れていないといけない、つまり同時被災をしないところに選ばないといけないということの理由になっておるわけであります。その点はよくご理解をいただきたい。
それから、首都機能移転をすると決めましても、すぐに新しい都市ができるわけではないのでありまして、何十年間かかかって首都は形成されていくことになります。せんだってオーストラリアへ行って、キャンベラというところを見てきたんですけれども、1908年からスタートいたしまして、まだ1950年ぐらいまでは非常に小さな規模のものでしかなかく、1950年代に入って都市化が進んでいくということになって、今日に至っております。
日本の場合は、もっとスピードアップをしないといけないのでしょうけれども、それでも、かなりのスパンがかかるわけでありまして、それまでの間は、首都機能というものは、東京と新首都との間に重複した形で存在せざるを得ない状況が続くことになろうかと思います。
先ほど来、官庁の新設とかいろんなことを述べられましたけれども、急に東京から首都機能がなくなってしまうということにはなるのではないということをひとつご理解いただきたい。
そのほか、環境問題。いろいろ大きな問題があることはご指摘のとおりであります。私どもとしましても、これからいろいろご指摘になりました点をよく踏まえた上で審議を進めてまいりたい、かように思っております。
簡単ではございますが、私の感想を述べさせていただきました。ありがとうございました。

【堀江湛委員】

堀江でございます。先ほどから皆様方のご意見をいろいろと承ってまいりました。皆様方のご意見の中に、かなり強いご意見として、今なぜ首都の移転なんだ、こういうようなお話があったような気がいたします。
私は、考えまするに、これはやはり時代の新しい第二次大戦後50年間の日本のこれまでの社会の、あるいは政治・経済のあり方が、今、根本的な転換に迫られている、そういった転換を進めていく上で、実は首都移転、政治機能というものを、三権を新しい首都に移すということもまた、21世紀における日本が、情報化と国際化がますます進んでいく社会の中で、日本が持続的な発展を続けるためにはぜひ必要なのではないかというのが私の結論なのであります。
なぜそういうことが言えるかと申しますと、第二次大戦後50年間、日本の経済、戦災復興から始まりまして、やがて高度経済成長へ日本の国民が営々とした努力を積み重ねて、そして今日、世界で最も豊かな国の1つに発展をさせてきたわけであります。
そういった経済復興から高度経済成長への過程において、同時に並行して、日本の政治的なさまざまな制度の民主化も進んでまいりました。しかし、振り返ってみますと、非常に限られた資源、そして、限られた状況下において、そういった国民の持つあらゆる力を吸い上げながら日本の発展を進めていくという上では、日本独特の行財政といいますか、政府主導という形で日本の経済発展、あるいは戦災復興、あるいは社会文化活動の発展が行われてきた。
しかし、50年間たって、極東の1つの孤立した社会における日本で、日本の発展をつき進めてくる最も有効であったと思われる方法が、もはやこのままの形では通用しなくなってきた。これがまさに今、経済活動においても、国際的なスタンダードを導入して、そうしてその中で国際競争を生き抜いていかなければいけない。あるいは、情報化が進んでいく。したがって、世界中で起こる情報が、あるいはお金が、リアルタイムで瞬時にして世界を動いていくという時代になってきた。そういった時代における日本のこれからのあり方を考えていきますと、従来のような中央集権的な政治では困る。中央集権的な経済統制では困る。それは、今まさにこの最大の議論になっております行政改革であり、もう1つは規制緩和であり、そして、もう1つが地方分権ということになるわけであります。
先ほど、何人かのご意見を発表なさる方が強調なさった地方分権も、ようやく形を整えて動き始めようとしているところでありますし、いずれの皆さんもお触れになった情報公開も、このたび初めて情報公開法が制定され、情報が国民の目で確かめることができるようになるわけであります。
さて、そうなってまいりますと、この従来のように、はしの上げおろしから何から何まで国が面倒を見る、一々国に相談をしなければ何事も進んでいかないというのでは困る。そういった意味での政治の、あるいは行政の手法を根本的に転換しよう、こういうことになりますと、今までのようなこの日本の政治経済のシステムでは困る。
それは、では東京でそれがあってはなぜいけないのだ、こういうことになるわけであります。しかし、やはりそれは、明治以来100年間、東京を首都として、そしてそこの長い歴史的伝統の中で培われてきた、そういった官依存の体質というものをここで断ち切って、そして、できるだけ民間の活力を利用しながら、あるいは、国民が自らの意思で、自らの責任でそれぞれの社会活動を展開していくということになりますと、やはりこの際思い切って東京の地から、新しい首都へと中心の三権の政治の中枢を移す。
そのかわり、これまでのように、規制、規制で、そして既得権の保護といったようなことで、この日本全体が何となくぬるま湯につかったような、そういった「なあなあ主義」とか、あるいは「助け合い」と言えばいいんですが、実際にはさまざまな「なあなあ主義」とか、どなたかのご発言にあったような「癒着」といいますか、そういった関係を断ち切ろうではないか、こういうことで首都移転が行われるわけであります。
そして、これには時間がかかります。そして、確かに行政改革も進みましたが、制度が変わっただけで、直ちに、では日本の中央省庁がその制度どおりに機能するかというのは、これはまだこれからの課題であります。
規制緩和は進んだか。これも、ある点では進んでおりますが、規制緩和を進めるまた規制が行われたり、まだまだ規制緩和というのも、掛け声は大変高いんですが、現実はまだまだ、規制をさまざまな自由な活動を妨げる規制が、網の目のように残っております。
地方分権はどうだ。これも、形の上では大きな権限が地方に移され、そして、地方分権が発展させるいわば制度的な土台はできましたけれども、では、あしたから地方分権がすぐ現実のものになるかというと、どうもそうはありません。
そうすると、こういうことがなされないでもし首都移転をいたしますと、瞬く間にその新首都は第2の東京になってしまいます。何のために首都機能移転したかわからぬことになります。
そういう意味でも、実は私は、首都機能移転をしなければならないけれども、それをやるためには行政改革を徹底して実行し、あるいは規制緩和をさらに大胆に推し進め、そして、地方分権を一層推進して、そして国民の体質、社会活動、経済活動、教育もそうであります、すべてが国に依存する前に自らの責任で自ら実行する、そういう態度をまず養成していかなければいけない。それなくして首都移転ということになりますと、何度移転しても同じことだということになるのではないでしょうか。
そういう意味では、21世紀において我々、新しい国際社会で生き延びていくためには首都移転をしなければなりませんし、そのためには、今申し上げたような行革と規制緩和とそして地方分権というのを推し進めていく必要があろう、かように考える次第であります。
少し長くなりました。

【牧野洋一委員】

牧野でございます。本日は、8人の方の意見発表を真剣に、かつ興味深く拝聴させていただきました。また、休憩時間に提出をしていただいたご意見・ご感想も拝見させていただきました。さまざまな視点から、賛成・反対の意見がいろいろとあったように思います。
賛成意見の中には、50年後の国家構造をイメージして計画を進めるべきだとのご意見、あるいは、地方分権や国の行政改革を行って移転規模を決めるのが先、ないしはセットで行うべきだ、とする条件つきの賛成意見、あるいは、自然環境の保全のために既存のストックを活用すべきだとする意見など、相当な幅があるように思いました。
一方、反対意見では、国会で移転決議がされたのはバブル最盛期の平成2年であって、その後の社会経済情勢が大きく変化をして前提条件が当時と異なったことから、白紙に戻すべきだとする意見や、現在の厳しい財政事情を考えると、移転を凍結すべきだとするご意見、あるいは地方分権を行えば、今の堀江先生のお話もございましたのですけれども、あえて移転は必要ではないとする考え方などがございましたように思います。
立場の違いによって移転問題についての受けとめ方がさまざまであることがよくわかります。大変参考になりました。また、こうしたご意見を伺うにつけ、私どもとしても、国民の皆さんにさらに具体的な情報をお伝えして、それでご意見をというような必要があるという感を強くいたしました。
何はともあれ、皆さん方のご意見やご感想を十分踏まえて、さらに議論を深めていきたいと思っております。
なお、先ほどのどなたかの委員のお話がございましたのですが、日本の危機管理のために首都機能を移転すべきだということについては、審議会の中でも、現時点では議論のいろいろとあるところだということを承知をしているところでございまして、一言苦言をさせていただきました。ありがとうございました。

【黒川洸委員】

黒川でございます。きょうの意見についての印象でございますが、非常に熱っぽく8人の方が意見を言っていただいたのは、非常に私たちはそれを真摯に受けとめて、我々もこういうことをやらなければいけないということを感じました。
それから、先ほど石原会長代理も野崎副会長代理も言われたんですけれども、我々が災害ということを考えているときには、実は1つはこの間の阪神の大震災で、私なんかから見ると、起こったことは起こったことにしても、あとの処理が非常にうまく行ったのは、東京がやられていなかったことではないか。
例えば、民間の企業の会長さんでも、大阪にいた人が現場に行かないですぐ東京へ来て、東京の本社から司令を出したということで、うまく対応できたという会社もあります。それから、国としても、東京の国の機能がなくなっていないことがうまく対応できた。
そういう意味では、災害の方から考えると、日本は太平洋の環状線のところにありますから、地震が起こらない地域はないというふうに言ったほうがいいので、ですから、そういう意味では、絶対に安全な場所はどこかにあるかということに関しては、日本にはないというのを前提に考えると、東京と同時に被災をしないようなところにそういう国の機能と経済を分離して、民の機能と分離して置いておくことが必要ではないかということが災害についての関心事だということについて、もう少し補足をしたほうがいいかなというふうに思いました。
そのかわり、別なことを言うと、賛成も反対もあったんですが、新しい首都についてはもっと夢を持てるようなものにするべきだとか、循環型の実験都市みたいなのをつくるべきだというのは、私も大賛成でございます。我々も、そういう議論をしております。
私、実は、後ろにかかっている新首都のイメージという絵をつくるときにも参画をしたんですが、あれ、実は苦労しているのは、あの絵から候補地がばれてはいけない。だから、あの絵を見たら、どこかがイメージされるようではいけないけれども、何か一見実現しそうなイメージにしなければいけないという、相反することをかいてありますので、あれくらいうそっぽい夢をかいた絵はないんです。
それは、そういうふうにしないと、どこかの地域に、あれはおれのまちだとばれてしまったらいけないという配慮からやっているので、そういう意味では、どういうふうにして情報公開をするかというのも、かなり情報を持っている側も苦労しながら、なるべく正確に、それから悪用されないこと。要するに、善意の人が全部であれば多分簡単に情報は公開できるんですが、非常に巧妙に考えている方が考えると、違うことができちゃうわけです。
例えば、私、もう1つこの中で担当しているので行けば、「土地の取得の容易性」なんていうことを言うと、まただれかがその土地を買い占めに入るのではないかということについて対応できていないので、なかなかそれがどういう意味を持つかというのは議論が表に出せないというような苦労をしておりますが、きょうの意見も参考にして、さらにいろんなことを決めていきたいと思います。どうもありがとうございました。

【戸所隆委員】

戸所でございます。きょう、いわゆる候補地でない地域の皆様方のお話をお聞きできまして、私自身、非常に参考になりました。
皆様の、ご発表いただいた方のご意見、あるいは書いていただいたご意見を見させていただきまして、それに全般として答える形で4点申し上げたいと思います。
1つは、会場の方に書いていただいた中にもありまして、奈良とか京都とかという時代があって、そして首都が移り、東京の時代になっている。もう東京も、東京時代になって、そろそろ出したらどうや、こういうご意見がありましたが、まさに私自身、そのとおりだと思いまして、1つ目は、京都というまちが首都であった時代というのは、私もそこに29年生活しておりましたけれども、農業時代の首都なんですね。いろんなことが農業の行事の中で行われている。
工業化時代、産業革命以降の工業化時代の首都としてできてきたまちが東京でありまして、この工業化時代でつくられてきたこの構造というものが、今、非常に転換になっている。先ほどから皆様が言われています「時代の変化」の、あるいは「時代の転換点」というのは、そういうことだと思います。
まさにこの情報化時代に合った新しい形態の首都機能都市というものをつくっていく必要があるというのが今課題であろうと。これは大きな、歴史的な意味であるかと思います。そういう面から、ひとつ必要であろう。
2番目は、では、どんな国土構造にしていったらよいのかということでありますけれども、これは、今まで工業化時代の国土構造というのは、東京があり、次に大阪があり、名古屋があり、そして、この札幌のようなところがあり、また、帯広とかがあるように、階層的なネットワーク構造なんですね。上のほうから命令が来て、ネットワークなんですけれども、上下関係を持っている、こういう時代でありました。これは、工業化時代は、それが一番効率がよい。
ところが、これからは、コンピューターのダウンサイジングではないですけれども、水平的なネットワークの時代になる。この北海道にしましても、今、札幌の一極集中ですね。これではやっぱり問題があると思います。国土構造が東京一極集中を変えるということとともに、北海道も一極集中を変えていく。大きくても小さくても、それぞれ意味のあるものが同格で付き合っていくという、こういうものにしていかなければならない。そういうことをしないと、これからの国土構造はうまく行かないだろう。そういう面で、ネットワーク構造にしていくということだと思います。
そういう点におきましては、3つ目なんですけれども、このどうも首都機能移転問題というものが、候補地になっているところばかり燃えて、そうでないところは余り燃えないという、そして、先ほどから出ている「国民的合意が得られない」とか、そうなっていないじゃないかという、こういうご批判もあるわけですけれども、これは、それぞれの地域から情報発信する、そういういい機会ではないかと思うわけです。
きょうのご発表の中でも、北海道のためにどうなるか、それを大いに言っていくべきではないかと思います。候補地でなくても、首都が移るということはどこにも関係する。決して、私のところは関係ありませんということではない。単純なある機能を誘致するものと違って、国民一人一人すべてにかかわるものであるというこの認識に立ってこの問題をぜひお考えいただければと思うわけです。
そして、第4番目の問題としまして、私自身も若いつもりでおりますけれども、恐らくこの首都機能移転が非常に慨世化し軌道に乗ってくるときには、この世にいないのではないかなと。ここにお集まりの方の多くもそうであると思うわけです。
したがって、自分たちの利益のためにこれはやるものではなくて、将来の贈り物、将来の日本国民あるいは世界の人たちに、日本がどうあるべきかという中で贈り物をすべきものである、そういう形で公平に考えていくものではないかなと思っております。
以上です。きょうはどうもありがとうございました。

【石原信雄会長代理】

最後になりましたが、皆さん方のご意見を拝聴し、また、提出していただいたペーパーを拝見して、全体として感じられますことは、情報不足といいましょうか、首都機能移転の意義とか、あるいは背景とか、こういった点についてまだまだ国民全般の十分なご理解が得られていないということであります。
これは、政府の関係当局としては、随分努力して、いろんな資料もつくり、説明もしているのでありますが、残念ながら、移転対象地域以外の国民の多くの方々は、余りこの問題について関心を持っていただいていない。
しかし、首都機能移転ということは、申すまでもなく国民すべてに重大なかかわり合いのある事柄でありますから、政府として、もっともっと国民全体の理解を深める努力をしていただきたいというのが私の感想でございます。
本日は、皆さん方から大変熱心なご意見をちょうだいできました。そのために、予定の時間も既にオーバーしてしまった次第でございますが、皆さん方からの熱心なご意見の開陳と、それから議事の進行に対するご協力を改めて感謝申し上げたいと思います。
本日ちょうだいいたしましたご意見につきましては、これからの審議その他の場で、これを十分参考にさせていただきたいと考えております。私ども、公聴会でちょうだいした意見は、全部整理して、すべての公聴会、地域の審議の模様、ご意見の模様を整理して、まとめております。最終的には、私どもの審議会での審議の参考にすると同時に、初めにも申しましたように、最終的に国会首都機能を移転をするのかしないのか、また、する場合にはどこにするのか、どういうスケジュールで行うのかということは、すべて最終的には国会で、法律で決めるわけであります。全国民が選んだ国会議員さんによって、最終的な結論が出されるわけです。
その際には、こうした各地域の公聴会でのご意見等も重要な資料として、これは使っていただくことになるであろう、このように思います。
そういった意味で、きょうのこの公聴会も、私は非常に意義のあるもの、このように考えてやっております。
本日は、長い時間にわたりましてご協力を賜りまして、ありがとうございました。
以上をもちまして、第七回の国会等移転審議会の公聴会を終了させていただきます。ありがとうございました。

以上

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