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国会等の移転ホームページ

第8回国会等移転審議会公聴会(高松)議事要旨

日時: 平成11年5月27日(木曜日) 14時0分〜16時0分
場所: リーガホテルゼスト高松
審議会委員出席者: 野崎幸雄部会長代理、下河辺淳委員、戸所隆専門委員
一般参加者: 総計161名

1.意見発表者による意見発表(氏名(敬称略)、性別、年齢(当時))

(1) 氏名:佐々木淳 性別:男性 年齢:22

私は香大の農学部に通う4年生の者なんですが、出身は山口です。今日は皆さん、スーツでいらして、私は私服なんですが、リラックスして聞いていただければと思います。
では、本題に入りますが、今日、私が言いたいことは2つあります。1つは首都機能移転は必要であるということと、もう一つは国民への意見の聞き方についてです。
まず、首都機能移転は必要である、ということです。今の日本は政治、経済、人口、何にしても東京中心に動いています。最近では、関東中心と言えるかもしれません。また、それが当たり前になっていて、多くの人は、それに反発心なども感じていないような気がします。しかし、そういった人たちでも、自分が住む地域の合併において、自分の地域が不利益をこうむるときは黙っていないはずです。香川県においては、大川郡の合併ということがあります。その場合、各町の町民は、合併後に海側だけが発展するのではないかなど、合併後の利害関係について深く考えています。それは世界の中の日本という地域で見れば、東京にすべてに集中しており、他県は統一によって不利益をこうむっているということに関係してくると思います。首都機能移転に国民は無関心という人はいますが、町の合併に関心のある人は、首都機能移転、東京一極集中に無関心であるということがあるはずがありません。無関心というより、東京一極集中の実態を知らないだけなのです。
話をもとに戻しますが、私の場合、どういうときに関東中心と感じるか、幾つか出してみます。
1つ目は、就職活動をするときです。会社の本社が首都に集まるのは、ある程度仕方がないことですが、あまりにも東京、そしてその周辺に集まり過ぎではないでしょうか。そのため、地方の学生は高い費用をかけて東京まで行き、一方、東京の学生はわずかな費用で本社に行けます。
2つ目は、国の機関並びに、今1つ目に挙げたように本社が集まっていることによって、東京への訪問者が増え、その訪問者によって東京にお金がもたらされるということです。私は、これは一種の参勤交代みたいなものだと思っています。
3つ目に、議員定数が関東において圧倒的に多いということです。東海、近畿を合わせても関東と一緒か、それより少ないはずです。1票の格差を問題にしている人はいますが、一極集中を分散させれば、この問題も少しはましになるのではないかと思います。もし一極集中を分散させる方法以外で、無理やりに1票の重みを平等にしたなら、人口の少ない県の代表者が1人とか、2人とかという問題が生じてくるのではないかと思います。
例を挙げればまだまだありますが、この関東中心の日本を変え、新しい日本をつくるためにも首都機能移転は必要なのです。移転によって変わるのかとか、移転するよりも今のほうがよいと消極的な意見を述べる人がいますが、私は、その人たちに、やらない限り、何も変わらないと言いたいです。
移転先については、少ししかお話しできないのですが、私が移転先として考えている場所は、具体的に述べれば、滋賀県の米原です。実際に行ったことはないので、十分な土地があるかどうかはわかりませんが、新幹線もあるし、名古屋や大阪には短時間で行けます。何といっても、日本海側へ抜けやすいというのがいいところだと思います。米原に移転したとすれば、現在のような日本海側とか、少し発展が遅れているところを考えた政治ができると思います。
次に、移転に関する国民への意見の聞き方、つまりアンケートの取り方についてです。
今のアンケートでは何も見えてきません。政府調査にしろ、国土庁調査にしろ、新聞等の調査にしろ、首都機能移転の問題を考えるに当たっては、どれも偏った調査です。確かに税金の問題など、個人にだけ関係する問題であれば、これらの調査で十分であると思うけれども、首都機能移転という問題は税金の問題などと違い、地域ごとに大きく意見が偏る問題だからです。例えば東京の人は、他の地域と比べ、「移転すべきではない」という意見が多いでしょう。だから、今の調査では不十分なのです。
それで、どうすれば地域の意見を平等に聞けるのか、私なりに考えてみました。
その方法は、まず、各都道府県で独自にアンケートを行い、例えば賛成あるいは反対であるかを調査し、それを比率で出します。数で数えず、比率で見ることによって、東京など人口の多い地域の意見も人口の少ない地域と同等に扱うことができます。そして、すべての県のデータが出そろったら、それを合わせて、日本全体の意見とするのです。この方法でのメリットは、先に述べた人口の多い地域と人口の少ない地域を平等に扱えれるということだけでなく、アンケートを日本全国で行うことによって、東京、そしてその周辺地域、さらに移転候補地の人以外の地域の人たちも首都機能移転問題にかかわっているのだという自覚を持たせ、国民の関心度もアップします。
最後に、こういう公聴会を開くことはよいことだと思いますが、私が考えるに、公聴会だけでなく、意見を戦わせるディスカッション等も行えたらと思います。自分の1人の意見より、その意見を人と戦わせたほうがよりよい意見になるに違いありません。終わります。

(2) 氏名:吉岡和子 性別:女性 年齢:58

ご紹介いただきました吉岡でございます。
今回、意見発表の機会をいただき、大変光栄に存じております。このような機会は初めてございますので、うまく申し上げることができるかどうか心配でございますが、よろしくお願い申し上げます。
まず最初に申し上げますが、国会等移転に関する法律の趣旨には私は賛成です。90年11月に国会の決議が行われ、これを受けて法制定されたのが92年12月であり、この時期はバブルの絶頂期前後のことでありました。法が施行されてから6年半が経過いたしましたが、この間に経済情勢も大きく変わっております。にもかかわらず、政府、関係省庁では、これまで鋭意、その方向で作業を進めてきたものと思います。また、関係業界では、その巨大事業に期待し、満を持している様子が伺われます。
前述したような状況なのに、私たちの周囲では、ほとんど国会等移転について話題にのぼったことはございません。それは移転そのものの必要性をはじめ、移転に伴って生じるであろうメリット、デメリットも当然あると思われますが、これについて判断する十分な知識や情報を持ち合わせていないからだと思います。私たちの耳にするのは、この不況のときに莫大な経費を投入するような計画はおかしい、いや、法律もできて後戻りできないのではないか。なのに、首相官邸の起工式が執り行われたのはなぜであるか、などと視点は必ずしも一致していないままのうわさ話が大半でございます。
そこで、先日5月21日、機会を得まして、私が所属しております商工業者の婦人団体の皆さんのご意見を簡単なアンケートとしてまとめてみました。その結果を申し上げます。そのときの会議への出席数68名。そのうち回答をいただきましたのは56名でございます。
設問1「首都機能の移転について知っているかどうか」を尋ねましたところ、約94%の方が「ある程度知っている」「言葉を聞いたことがある」という回答でございました。
設問2「国会等移転に賛成ですか」という問いに、「賛成」25%、「反対」25%、「わからない」が46%でございました。
設問3「現在の移転計画は可能と思いますか」という問いに、「思わない」は42%、「わからない」も同じ42%でありました。
設問4「新首都はどこがふさわしいと思いますか」という問いに、「北東地域」0%、「三重・畿央地域」10%、「東海地域」26%、「わからない」が55%でございました。
以上を要約いたしますと、「知っているが、移転等の実現は非常に難しく、どこがいいかわからない」というのが50代から60代の女性の考えではないかと思います。
本日の会合のように、地方で公聴会が開かれる目的の1つは、国民的な関心を盛り上げることにあると思います。その趣旨はありがたいとは思いますが、当地が移転候補地外であるせいか、情報が極めて少ないように思います。この事業は極めて重要なものと思いますので、私たち住民にわかりやすい情報を、もっと多く流してほしいと思います。
以上、まことに簡単でございますが、私の意見を述べさせていただきます。

(3) 氏名:丸山修 性別:男性 年齢:76

この国会等の移転問題につきましてでございますが、当四国では候補地にあがっておりませんので、地域エゴとか、利害関係は全く存在しません。ですから、自由な立場で公正な意見が言えるんじゃないかと思っております。
この国会等の移転決議は、平成2年11月に国会決議という形で方向が決まりました。我々は、その後、あまり当地に関係ないからということもありましょうが、あまり関心がございませんで、その後、どうなったんかと思っておりましたら、先日、公聴会が行われるからということでありまして、このバブルの落とし子はまだ生きておったんかと。生きておったどころか、審議会もできまして、候補地の選定に入っておると。今年11月ごろをめどに一応、候補地を決めるという運びになっておるようでございまして、むしろびっくりしたわけでございます。落とし子がいつの間にか認知されて、堂々と歩いておるというようなことで、私の不見識かもわかりませんが、むしろ驚いておるような状況でございます。
私自身は経済界に身を置いておりまして、例のバブル時期、バブルの崩壊後、いろいろと体験を身をもってしてまいりました。最近、新聞紙上で、この3月期の決算の発表が連日新聞を賑わせておりますが、ほとんどは減収減益、中には赤字転落という企業の中で、みんな経営者も社員もリストラにおびえながら、四苦八苦しておるという状況で、偽りなく、1つの混乱期であろうと。まず経済から混乱が始まったんでありますが、経済の混乱がいろいろな方面に影響いたしまして、教育界から、あるいは政治方面、あるいは文化関係にも暗い影を落としておるような昨今じゃないかと思われるわけであります。
ところで、私の意見でございますが、結論から申し上げますと、この問題は10年間ぐらいは一応凍結して、といって、全然放ったらかしにするという意味じゃございませんが、10年間ぐらいはいろいろな結論を急がないで、10年間、いろいろと勉強すると。10年たった後に本格的な議論に入ったらどうだろうか、というのが私の結論でございます。その理由について、二、三申し上げたいと思います。
1つは、行政の問題なんですけれども、行政改革、これはいろいろな問題がたくさんあります。が、この問題をある程度、早くめどをつけなきゃいけない。何とかスタートしたばかりのようでございますが、まだまだ「日暮れて道遠し」という感じがいたしますが、これが今、だんだん動くようになってきまして、政府のほうも、あるいは国会のほうでもいよいよ本格的にこれを実行していこうと。議論だけではなくしょうがなく、もう実行の段階であります。これがどこまで実際に行われるかということは、10年ぐらいたてば、ある程度の道筋が見えてくるんじゃないかと。だから、国会と中央政府の主要なるところは移転するということになると思いますので、いわゆる行政改革のプロセス、あるいは、その結果が見えてからのほうが絵を描きやすいんじゃないかと思われます。10年ぐらいたてば、あらかた、行政改革も、地方分権もどこまで進むかわかりませんが、見えてくるだろうと。それからでも決して遅くないと思います。
第2は、人口問題でございます。これは非常に深刻な問題でありまして、我々経済界としても、2040年ぐらいになって、今の1世帯夫婦2人で1.0を割るような出生率だと、2040年ぐらいになりますと人口が半分近くになっちゃうんですね。そういうことは必ずしも計算どおり、そうなるとは思いません。もちろんいろいろな対策が出てくるだろうし、また世の中も変わってきますので、どうなるかわかりませんけれども、今の少子化の傾向というのは当分は続くであろうと。あと10年ぐらいすれば、それがほんとうにいよいよ日本の人口は幾らと。毎年、幾らずつ減っていくかというところが見えてきます。そこらをはっきりと実感として日本の人口はどうなるか。そうなれば、必然的に国民総生産とか、産業政策も変わります。変わった結果が大体、こうなるなということが見えてくるのが10年。ですから、10年しばらく様子を見てからやったほうがいいんじゃないかというのが第2の理由であります。
第3の理由は、私たちが一番問題だと思うんですが、環境問題があります。新都市には上下水道やエネルギー全部、必要なものがあります。下水道にいたしましても、その地区内で完全に終末処理までできると。そういうものでなければいかん。それから、ゴミとか廃棄物処分でも、完全に首都圏内で完全な処理ができる。そういうものをほかの地区へ持って行くということがないような首都建設をですね。それから、エネルギー、電気の発電をどうするかという問題。炭酸ガス問題をどういうふうにするかと。そういう環境問題が日本で技術的な解決が大体できるのは、まだ10年かかるだろうと思います。それから、そういう技術的な問題を完全にクリアして、それから、この新首都の建設計画をするべきではないかと思います。
まだいろいろあるんですが、とりあえず時間が来ましたので、これでお話を終わらせていただきますが、一応、10年間見てから、それから本気になって検討して、最終的には国民的な合意が必要ですから、法的な問題もありましょうけれども、国民投票というような形で国民的合意が得られたら、なおさら力強いことになるだろうと。また立派な新首都ができるだろうだと考えます。
終わります。

(4) 氏名:新谷稔 性別:男性 年齢:39

まずもって、こういう機会をいただいたことをお礼申し上げます。
この問題について、来るなり、記者の方に賛成か、反対かというご質問をされたわけでございますが、率直に申し上げまして、よくわからないというのが私の第一印象でございます。
その理由は、先ほども意見の中にあったと思うんですけれども、四国という地域の中で、この国会等々の移転に対する意識というものが、ほかの地域と比べて若干薄い部分があるんだろうなと。それがあるからじゃなくて、自分自身の意識の中にも、この問題に対する深い興味というものがあまりない。それが東京と違って、今の国会等々首都の問題が身近に自分にかかわってきている問題でもないというような、いろいろなさまざまな状況の中で意識が薄いということと、それともう一つは、あまりにもさまざまな問題がかかわり合い過ぎて、簡単に賛成とか反対というものを総合的な判断の中では物事を言えるような問題ではないのかなというのが、第一印象でございます。
こういう機会をいただくことで、もっと少しずつ自分なりに、この問題を考えてみました。考えれば考えるほどよくわからない部分が出てきて、ふと気づいたのが、これは国会とか首都を移転するんじゃなくて、私も中小企業を営んでおる者ですけれども、例えば企業の本社を移転するんだという問題に置きかえて考えてみたときに、少しずつ見えてくるわけです。
ほかへ持って行こうとしたときに、例えば企業のトップであるならば、いろいろなことを考えます。そのときに、今ある問題が何なのか。問題点は、今の資料の中にいっぱい出ていますね。一極集中とか、政界、財界の問題だとかと。問題点はあるんです。わかったよと。でも、その問題を解決する方法まで考えてないと、どこかへ持って行ったって、また同じ問題がそこで起きる可能性が十分あるわけです。だから、解決する方法までわかってないと移転しても、僕は意味がないのかなという気がします。
その問題の中に一極集中という問題があるとここにも書かれていますけれども、それは政界と財界の分離が難しい。今一緒になっているから、人、物、金、情報、いろいろなものがそこに集まってきて、ふんづまりを起こし、いろいろなゆがみを起こしている。それは人の生活だったり、交通機能であったり、さまざまな問題だと思うんです。それを解決するために、またいろいろな資本を投入をいろいろやりながら肥大してきたのが今の東京かもしれません。それが問題だから、どこかに移そうではないと思うんです。どこかへ移しても、また同じ問題が起こるかもしれない。
政界と財界が分離したいという思いはわかります。確かにワシントンとニューヨーク、メルボルンとシドニー、いろいろな形の中で政財界を分離した都市もあります。でも、今の日本という社会システムの中で、それを分離しても、ほんとうに首都だけ移転して、では、財界の方はついていかないのか。僕はやっぱり疑問があるんです。それは日本の歴史の中に城下町というシステムの中で政治をしながら、そこで商業を営んできたという長い町づくりの歴史があると思うんです。そういった中で、諸外国のような財界と政界を分離した地域づくりというのがほんとうに可能なのかなと。それも自分の会社に置きかえてみて、やはり市役所とか、県庁とかに近いところに企業は出て行きたがりますよ、基本的には。そのほうが便利なんです。そういう発想が、日本の社会システムの中にはあるのかなと。
そういう社会環境を整理することがまず必要であって、そういう意識改革を進めていかないと、形だけ分離してやりましょうと言っても、気がつけば、また首都があるところにいろいろな企業が集まっていって、同じような東京の問題を起こしてしまうんではないかなということを若干感じております。
だからといって、今のままがいいというものではなくて、何らかの形で整備していかなきゃならないと思っています。そのためには人の意識の改革、今までの歴史も振り返りながら、いろいろやっていくものであって、ただ単に物だけ移したり、そういう問題ではないのかなと感じております。
それと最後に、やはり先ほどの方もおっしゃってましたけれども、この問題は、東京と移転をする地域だけの問題ではない。それは国全体の問題であるし、もっと言うと、海外の方に「日本を知っている?」「トウキョウ」ですよ。だから、これは日本だけの問題ではなくなっているのかもしれない。少なくともアジアの問題かもしれないです。そういった意味の中では、地域でいろいろな意見を聞くのもいいですけれども、もっと広く、諸外国の方の中での意見も必要になってくるのかもしれないと私は思います。
一番必要なのは、やはり国民の意見がどうなのか。それをもとに移転するか、しないかは判断するために最低限必要な条件ではないかなと考えております。
以上です。ありがとうございました。

(5) 氏名:大西眞由美 性別:女性 年齢:38

皆さん、こんにちは。大西眞由美と申します。今回、意見を述べさせていただきたいと思います。
この首都機能移転の問題に入る前に、私は、この問題について、はっきり言って、あまり大してよくわかりませんでした。それで、新聞や図書館、インターネットのホームページ、特に国土庁や東京都がつくっているホームページなどでいろいろ資料を取り寄せて、勉強させていただきました。その中で国土庁のホームページの審議会で、よくお名前を拝見したり、図書の本でよくお名前を拝見している先生方と今日、お目にかかれて、ほんとうにうれしいなと思っております。よろしくお願いいたします。
まず初めに私の立場から言うと、首都機能移転には反対です。それについて3つの論点から述べたいと思います。1つ目が論拠の不透明さ。2つ目が経済的な視点の分析がまだまだ足りないということ。それから3つ目が民意の形成が十分になされていないということです。
まず最初に、首都機能移転ということで、いろいろホームページとかで取り寄せました。そうしたら、国土庁さんから、こんな立派な、すごい素敵なパンフレットをいただいたり、あと、平成7年に国会等移転調査報告ということで審議会のほうから出されておられますけれども、これを見ると、もう首都機能移転というのは夢のある、すごくいいことばかりなんですね。そうか、そうかと思って読んでおりましたら、「ちょっと待てよ。おかしいな」と思うところが出てきたというのが、まず一番初めの論拠の不透明さです。
この点については、特にもう各界やマスコミで論点は出つくした感があるんですが、あえて私が気になったのは3つございます。1つ目が政経の分離が果たしてなされるかどうか。防災については、首都機能移転することが果たして必要であるのか。人心一新とうたっているが、果たして、それが一体どんなものなのか。これが大変疑問に思いました。
まず、政経分離なんですけれども、地方分権と規制緩和を進めれば、東京への一極集中が避けられるんではないか。これはよく聞く話です。しかしながら、人によっては、これは八田先生の論文に詳しいと思うんですが、東京の一極集中というのは、そこに中央集権政府があるから起こったものではないと書かれている方もおられます。また、審議会のほうで出されているデータ、60万人の都市をつくって移そうということであれば、たかだか60万人の都市を移したところで、それが首都圏2,300万人の東京一極集中の緩和に何が役に立つのだろうか。その辺が大変疑問に思いました。
小さい政府をつくることでやれるんじゃないかと。例えば例としてアメリカのワシントンの例がございますが、アメリカという国と日本という国は違います。アメリカという国は、憲法で中央政府ができることが限定的に列挙されています。外交、防衛、通貨政策ですか。その残りは地方政府もしくは国民に預託されていると思います。そういったところと日本という国は、政治地盤が全く違うところを比べるのはナンセンスですし、むしろ、そこに行くまでの議論、行政改革や地方分権、これが今の国会で法案が審議されておりますが、「道なお険しい」といった感があります。
それから、防災に関してですが、これはわざわざ何も新しいところに持って行って、つくるというよりも、今既にある都市でバックアップ機能を充実させることによって、防災時のリスク分散もできるのではないかという疑問がございます。
それから、人心の一新に関しては、一番初めに述べました政経分離、これと一緒に述べられることが多いんですが、よく言われる引っ越し理論ですね。引っ越しするときは、要らない物を捨てていく。それで身軽にやってやるというんですが、その「要らない物」をどう捨てるのか。ほんとうに捨てることができるのかという議論が全くなされていない。それにもかかわらず、人心一新というのは、ちょっとあまりにも安易過ぎるんじゃないかなと思いました。これがまず一番初めの論拠の不透明さです。
次に述べますのは、経済的視点の分析がまだ足りないということです。いろいろ調べてみたんですが、調べ足りなかったら申しわけないんですけれども、審議会のほうでなされている経済的な試算というのは、移転費用の試算が第7回の審議会で行われているんですね。3通りの試算で、最大限14兆円の費用がかかるであろうと。こういった試算が見つかっただけです。費用対効果もしくは東京都との比較衡量についてのデータは全くありませんでした。東京都との比較衡量については、法律のほうで答申が出た後で行うということになっているから、今、国土庁ではしていないということで、それはわかるんですけれども、こういう話を進めていく上で、バラ色の計画を書いたところで、経済的な予算とかがどうなっているのかというのを抜きにして語るのは、ちょっと辛いと思いました。
ほかの経済的な分析なんですが、経済学者の金本氏、富士総研の平氏が費用対効果ということで分析されておられました。それを見る限りにおいて、金本氏の計算は、あくまでもバブル時の地価が高いときの試算でありまして、そのときなら、首都機能を移転しても、まあ費用対効果はいいんじゃないかという話なんですけれども、平さんのほうの経済的費用便益分析というのを見ますと、分析結果からは、首都機能移転は、首都地域訪問費用を大幅に増加させることなどから、経済的妥当性はなく、首都地域の交通量の削減が期待できる地方分権や規制緩和は、首都機能移転により促進されるということが事実でない限り、移転はすべきでないという結論になっております。
それからもう一つ、経済的な分析なんですが、これは首都機能移転に大きな反対を唱えている東京都さんが、それは熱心になさっておられました。たくさんあるんですね。これによりますと、東京都さんは立場が立場ですから、否定的な見解で分析は進めております。
これを見た限りにおいては、審議会さんのほうでも、東京都に代表されるような否定的な経済分析が出たような場合、これを踏まえての議論というものが、どうもなされていないように感じるんですね。まず「移転ありき」というほうに話が進んでいて、移転先をどうしましょうかと。そういった話ばっかりがあるようで、どうも、そういった観点にちょっと欠けているのではないかと思いました。
以上で2番目の経済的視点の分析がまだまだ足りないというところを終わります。
3番目なんですが、国民の民意の形成ですね。これにつきましては私事で恐縮なんですが、この話があるまで、私もこの話はよくわかりませんでした。それで実際、審議会のほうでも世論調査などをとっているようなんですが、その質問項目に予算とか、そういったメニューが全然入ってないんですね。ただ、いい話だけを並べて、どうですか、どうですかと。それは合意を得たとは思えないんです。
また、公聴会が、こういうふうに全国各都市でなされているようですが、この公聴会が「国民に意見を聞きました」というアリバイづくりに使われないかというのが、非常に私は懸念しております。
以上、この3つの観点、論拠が不透明であること、経済的な視点からの分析がまだまだ足りないということ、国民の民意の形成がまだまだなされていないということ、こういったことから、私は首都機能移転については反対の立場をとるものです。
モデルルームなどを見ますと、すごく楽しいんです。でも実際に自分が移転するか、新築するかということは、自分の予算の状況を考えたり、お金が足りないのなら、リフォームでもいいのではないか。そういったような視点とアセス、そういった視点が今回、首都機能移転には求められるのではないかと思いました。

(6) 氏名:角田孝幸 性別:男性 年齢:22

よろしくお願いいたします。
私は初めて、今回の首都機能移転問題について聞いたとき、一体、何が移動して、何がどう変わるのか、全く想像できませんでした。そして、今回の公聴会という機会を得て、首都機能移転問題について、それがどのような目的で、どうしていくものか、パンフレットを通じてではありますが、知ることができました。また、それと同時に、幾つかの疑問を持ちました。
1つ目の疑問は、首都機能移転と意義と効果に東京一極集中の是正を挙げているところです。
確かに、これまで日本経済を支えてきた東京一極集中型が見直されるつつあるとともに、地方経済が注目される時代へと変わりつつあります。私は、地方経済の発展なしでは、これからの日本経済の発展は難しいと考えます。
しかし、首都機能を移転することで、東京一極集中の是正が図れるのでしょうか。首都機能の移転により、政経分離を行えば政経一体によるしがらみは解消できるかもしれませんが、東京一極集中がなくなるとは思えません。企業にとって、東京ほど便利な都市はほかにないという現状を考えると、首都機能の移転により、東京に本社を持つ企業が新都市や地方都市に移転するとは思えないからです。
2つ目の疑問は、1つ目の疑問と関係しますが、首都機能移転の意義と効果に規制緩和、地方分権と国政全般の改革の契機を挙げていることです。
規制緩和と地方分権は、東京一極集中の問題を解決していく上で必要不可欠なものであります。これからの地方経済に求められるものは、自己増殖機能を持つ集積の経済であると私は考えます。
しかし、中央集権構造型、中央依存型である現在の地方行政と中央政府との関係のままでは、地方での集積経済の成立は難しいと考えられます。したがって、規制緩和、地方分権によって、これまでの地方行政と中央政府の関係の打開が不可欠であり、それとともに外部要因依存型である地方行政の見直しも必要です。これらは首都機能を移転しないとできないものなのでしょうか。現在、少しずつではありますが、規制緩和、地方分権は進んでいます。このことから、私は規制緩和、地方分権は首都機能移転後に行うのではなく、首都機能移転前に行うべきものであると思います。
一般企業の多くは、規制緩和、地方分権を期待して、首都機能移転を望んでいると私は思います。それが首都機能移転後でもなかなか達成されなかった場合、国民または経済の政治不信はより一層強いものになるのではないでしょうか。規制緩和、地方分権がある程度達成された上で首都機能の移転を行えば、長期的な政経分離にも耐え得る強い日本行政、日本経済が新たに形成でき、移転の進行もスムーズに行われるのではないだろうかと私は思います。
3つ目の疑問は、首都機能移転の意義と効果に、21世紀に向けた新たな経済発展を挙げているところです。
現在の状況のまま移転したとしても、新都市周辺の地域が公共事業により潤うだけで、21世紀に向けた新たな経済発展は望めないのではないでしょうか。新都市周辺の地域が潤うだけの経済効果しか得られない場合、他の地方都市に対して不平等であり、新都市周辺の地域はバッシングを受けるでしょう。
今、日本経済の不況の中、地方都市のほとんどは、外部要因による地元地域の経済発展に期待しています。そんな状況も考慮しながら、21世紀に向けた新たな経済発展は、他の地方都市にも納得させれるものではなければならないと私は考えます。
これらのことを考慮に入れると、首都機能移転は、まだ早いのではないだろうかというのが私の考えです。
しかし、現在の政権は、不正行為や癒着などといったしがらみの打開、首都圏内の問題解決に当たっては、この首都機能移転は絶好の契機であり、また国民の賛成の数から見れば、首都機能が求められていることは確かです。だが、認知度の低さも現状であると思います。私が知人に、今回の首都機能移転問題について話してみても、このことを知っていた人は1割しかいませんでした。日本のこれからを左右するような問題であるにもかかわらず、国民のほとんどが知らないまま決められてしまうほど残念なことはないと思います。
したがって、首都機能移転に当たって、焦って決めるのではなく、信頼でき、参考になる意見や考え方を集めるための場づくりを、このまま継続するとともに、何のための移転なのか、その意義と効果をもう一度考え直し、じっくりと準備を整え、十分な体制のもとで有意義な首都機能移転を行うべきだと思います。
最後に、焦って結論を出すことにより、不安定な日本経済、日本行政また日本の弱体化を招くことだけは防いでほしいと思います。
どうもありがとうございました。

(7) 氏名:古川康造 性別:男性 年齢:42

ただいまご紹介いただきました古川でございます。
本日、首都の移転問題について、こういう発言をする機会をいただきますまでは、正直申し上げて、あまり興味がある問題ではなくて、地方に住む一市民としては、どこか遠い国の話のような感覚でいたわけであります。
それは、国の財布が自分の懐、自分の財布と全く同じものという認識が非常に希薄であったということで、いろいろ勉強させていただければいただくほど、地方に住みながらも一国民であるという意識が非常に希薄であったなということで反省をしておるような次第でいます。
まず、私の意見の要約を先に述べさせていただきます。首都移転に関しましては反対でございます。「ただし」がつきますので、その部分につきましては、後ほどご説明をさせていただきたいと思います。
まず、今回の意見発表に先立ちまして、国土庁の移転企画課さんのほうから、こういうパンフレットをいただいたわけであります。その40ページのところに、「首都機能移転の意義」ということで、3点、挙げられておるようでございます。
先ほどの「ただし」という部分を先にご説明申し上げますけれども、この「首都機能移転の意義」の3番目の「災害への対応力の強化」ということが、「ただし」という部分でございます。
問題を勉強すればするほど、非常に複雑な問題がたくさんあるので、できるだけ、今回の発表に当たっては、簡単に、単純に考えてやろうということで、先ほどもどなたかがおっしゃってましたけれども、私は家の引っ越しと重ね合わせて考えてまいりました。
まず、家の裏に大きな崖があって、おそらく崩れることはないんでしょうけれども、崩れる可能性があるという住まいに住んでおったときに、例えば家計が火の車であっても、おそらく私はお金を借りても、どこかに移転をして、そういう危険のないところに移転をしたいなと考えると思います。ですので、この意義のうちの3番目の「災害への対応力の強化」ということは今回の移転の最重要点であり、これが一番で、もっと極論を言うと、これのみということであれば私は大いに諸手を挙げて賛成をしたかもわかりません。
その残りの2点の、「国政全般の改革」それからまた「東京一極集中」の是正という点につきましては、どうも心の中にもやもやとした疑問があるわけでございます。
よく、地方分権という言葉が出てきて、皆さんがよく口にされますし、本日発表される方もおっしゃっておりましたけれども、どうも私は、地方分権というのは、地方からの情報発信であるとか、これから地方の時代ですとかという非常に体のいい言葉で推進をされているようでありますけれども、ちょっとうがった見方かもわかりませんので恐縮なんですけれども、どうも国は、財政が火の車になって、もう自分で自分を支え切れない。だから、地方の皆さん、自活をしてください、皆さん、自分でやってちょうだい、もう全部、面倒はみきれない、というのが、どうも国の地方分権の推進の本来の意義なんじゃないかなと、ちょっとうがった見方をしておるわけであります。
そういうきれいな言葉で、ついつい、これからは地方の時代だから、地方は頑張らんといかん、ということで推進をしていますけれども、実際、各地方自治体とも補助金がすごい割合を占めていて、当市高松も大枠のところ、補助金で運営をされておりますし、周辺10町に至っては、補助金のみというのが極論じゃないぐらいの国からお金をいただいて運営をしていると。そういうふうに、国がずっと一極集中を推進してきていながら、どうもぐあいが悪くなってきたんで、体のいい言葉で、皆さん、地方の方は、これから後は自活をしてください、というふうに私はとれたということです。それと今回の首都機能の移転が一体、どういったかかわりがあるのかなというのが多いに持っておる疑問の1つでございます。
それから、「国政全般の改革」につきましても、どうも今の我々日本の国の財政破綻の状況を考えていく上で、まず、例えばダラダラとした生活をしておって、これを是正するために、明日、服を買いに行きましょうと。服をピシッとして、それから明日からちゃんとやるんだということが、財政が豊かなときはおそらくできるんでしょうけれども、そうやらんとできんのかなという疑問があります。例えば体裁を整えなくても、やろうと思うことはすぐにもできるんじゃないかなと。そういう非常に強い疑問を持った次第でございます。
それから、最後になりますけれども、同じこのパンフレットの42ページのところに、司馬遼太郎先生のコメントが少し載っておるようであります。司馬遼太郎先生なりの歴史的意義ということでコメントをされておりますけれども、その下のほうの3段目ぐらいに、実は、ここは私は非常に気にかかったところなんです。「今日、土地問題をきちんと解決して移転をすれば、首都機能の移転のたびに日本はよくなったという日本史に新たなる1章が加わると思います」と。さらっと読むと何でもないことなんですけれども、やはり、この中の一番大きな問題は、土地問題、これをきちんと解決するということではないんでしょうか。
日本の国というのは、私の見識不足かもわかりませんけれども、今まで、物をコツコツとまじめにつくってきて、大きくなってきたはずであります。それがどうも、土地を転がして、そういったところで目に見えないお金を稼いで大きくしていったのが、今回、破綻をしてしまった。
だから、おそらく司馬遼太郎先生も、移転については賛成であったんでしょうけれども、ただし、土地問題をきちんと解決してほしいと。これができれば、結構だということではなかったかと思います。
私もやはり先ほど冒頭に申しましたように、家計が火の車なのに、なぜお金をかけて、移転をする必要があるのかなと。ただし、危機管理、危険を回避するためにやるということであれば、お金を借りてでもやるべきであるというのが、本日の私の意見の要旨でございます。
ちょっと時間が早かったようですけれども、以上とさせていただきます。どうもありがとうございました。

(8) 氏名:坂上ハツ子 性別:女性 年齢:66

坂上でございます。今日は発表の機会をいただきましてありがとうございます。
私は、首都機能移転は21世紀の新しい国づくりへの大きな契機となると思います。
なぜ首都機能移転が必要かと申しますと、地方分権、規制緩和などの、国政全般の改革を促進し、我が国の活性化に役立ち、東京一極集中の是正ができるからです。目指すところは、緩やかな連邦制国家、ユナイテッド・ステーツ・オブ・ジャパンの実現です。
これらについて、これから4つほど述べさせていただきます。
その1つは地方分権です。平成10年5月9日、政府は地方分権推進計画を閣議決定いたしました。政府は2000年度からの施行を目指した地方分権一括法案を今国会に提出しております。平成11年5月8日の読売新聞を見ますと、この地方分権一括法案には、分権を実質的に担保する税財源の委譲が盛り込まれておりません。また、平成11年5月16日のNHK日曜討論、5月25日の衆議院行政改革特別委員会総括質疑でも取り上げておりましたが、これは私は気になります。地方自治体は3割自治と言われておりますように、予算の7割を国の補助金などで賄っております。全国から集めた税金を分配していただくわけですが、中央からいかに多くの分配金をもらってくるかは、地方自治体の長や議会関係者にとっては最大の課題だと言われております。
大分県の平松守彦知事は、予算獲得、企業誘致、地域指定からバス停1つまで、細かい許認可行政で中央官庁が大きな権限を握っている現状では、さまざまなチャンネルを通して働きかけていかなければならない。東京への陳情は、この10年間で約3倍になり、現在は月に約3回、年を追うごと東京一極集中の是正の必要を痛感するようになった、と述べておられます。
私は、このメディアの発達している時代に何で? と思うんです。陳情とは、読んで字のごとく、情を述べることだからなのか。電話でお願いしたのでは肝心の情の部分が伝わりにくいので、直接、大臣や官庁、国会議員の先生のもとへ出向いて、頭を下げてこそ、奏功するものだからなのでしょうか。
2番目にお話しさせていただきたいのは、官僚主導型経済が一極集中をつくったということでございます。明治維新から100年以上が過ぎ、戦後、地方自治法が制定されましてから40年が経過いたしましたのに、明治以来の中央集権体制は基本的に変わっていないんです。私は40年余り、東京にいましたし、また国会でアルバイトもしたことがありますので、言わせていただきますが、中央集権制のあるところ、陳情があり、この結果、過度な東京一極集中を生んでいるんです。
また、テレビのキー局や新聞社の本社、大手出版も大半が東京にあります。ここにも問題があります。東京の情報は全国に伝わりますが、地方からの情報は伝わりにくいんです。昔は、地域ごとにそれぞれ独自の文化が顕著に存在していました。英語で言うカルチャー(文化)に「土を耕す」という意味があることを思えば、地域が生かされなくては、文化も、経済も活力も膨らまず、豊かな国づくりへの大きな根も張ってこないと思います。
それから、金融機能も東京に集中しております。権力の集中が情報の集中、金融の集中という2大パワーの集中を生み、東京を中心とする首都圏をますます肥大化させているんです。そして、この一極集中と肥大化が日本の政治、経済、文化のあらゆる面でひずみを生んでいるんです。
日本は経済大国になったので次は国際貢献だと言われておりますが、まだまだ厳しい国内状況は少なくありません。その一つに都市基盤整備がございます。東京と地方では都市基盤整備に大きな差があります。例えば下水道普及率は東京が一番高く96%。徳島は10%、高知は19%、香川は25%、愛媛県は31%であり、全国平均の56%よりかなり低くなっております。
私のふるさとは徳島県の大歩危ですが、今、地方は過疎のため、山林を間伐して、大きな木を育てる人材がいないので困っています。大雨が降ると山崩れが置きやすい。昨年9月、山崩れがあり、土讃線は3カ月間も不通となり、地域住民は大変でした。
国際貢献も必要ですが、私は、このような国内の地域の保全や活力の回復にも、地方の声や思いを生かし、国政レベルでもっと真剣に考えていただきたいと思います。
3つ目にお話しさせていただきますのは、東京一極集中是正の成否の鍵は、抜本的かつ実質的な地方分権にあると思います。そこで私は、地方分権のシステムは、緩やかな連邦制国家、ユナイテッド・ステーツ・オブ・ジャパンを構想いたします。
例えば足周りの利便性、穏やかな気候風土など、地方の中枢管理機能に担うおいて、優れた拠点性を高松に四国府を創設し、四国のことは四国で担保する。同様に九州府、中国府という考え方で進めたい。さらに各県の代表からなる四国議会を四国府に併設し、四国府の民主的コントロールを行う。環境や交通、水など県域を越えた問題については、四国レベルで対応するとともに、国の内外の動きに対抗し得る経済圏を確立する。そして、四国府など広域行財政組織をつなぐ組織体として、連邦政府のようなものが望ましい。これが置かれるところが新しい首都というか、言えばワシントンDCに相当すると考えます。
4番目にお話ししたいのは、緩やかな連邦制国家、ユナイテッド・ステーツ・オブ・ジャパンの実現を望みます。アメリカ合衆国は、州政府の権限の一部を連邦政府に委譲することによって成立した国家で、徴税権をはじめ、州政府は大きな権限を持っております。日本では、徴税権の大半を国が握り、国税として徴収したうちの約33%を交付税という形で自治体がもらっています。固定資産税など、自治体固有の税金は予算の約2割程度。これでは大分県の平松守彦知事の言われるように、ますます中央依存度は高くならざるを得ず、地方の主体性や活力はそがれます。
政府は1987年に多極分散型国土の形成を打ち出しました。私は、各省庁の1部局を首都圏周辺に分散する程度の多極分散では一極集中の範囲は広がり、かえって非能率が増すだけだと思います。私は、首都が移転されても権限を集中させたままで、東京が別な場所に移動するようなことになってはいけないと思います。
地方が夢と希望に輝き、国際社会に誇り得る日本にするためには、緩やかな連邦制国家、ユナイテッド・ステーツ・オブ・ジャパンの実現以外の方法はないと思います。
最後にお話しさせていただきます。
私は、地方自治の要は教育であると思います。今、地方にとって怖いのは人口の減少ということもございますが、それより地域の愛着を失わせる心の過疎です。幸い、香川には今、地域に誇りを持ち、積極的に地域づくりに取り組もうという人々が育っております。
それから、そこに住んでいる人には気づかないかもしれませんが、香川には世界に誇り得る瀬戸の多島海をはじめ、気候温暖、空海ゆかりの豊かで奥深い歴史と文化がございます。これらは国際社会に堂々と適用する個性であり、特性であります。また、中国陝西省など、国際交流も活発です。
今はボーダレスエコノミーの時代です。地域の特性を生かし、地域への愛着を育てていく中で、世界に通用するものや、人や、文化が育っていくと思います。つまり、グローバルに考え、ローカルに行動できる人材と風土づくりが肝心だと思います。
地方がよくならなければ日本はよくならないと思います。そこで新首都には連邦政府機能を置き、全国的かつ歴史的、文化的、国際的見地から、私は三重県あたりが適切だと考えます。
どうもありがとうございました。

2.出席した各委員の感想等

【下河辺委員】

私は国会等移転審議会の委員の1人で、下河辺と申します。今日、公聴会に参加させていただきまして、皆様方のご意見を聞かせていただきました。私たちが気がついてないことも含めて、多彩なご意見を承りましたので、まず最初に感謝申し上げたいと思います。
そして、全体の締めくくりは、代表の野崎さんがやってくださるので、私は最初に発言するということから、私の考え方をちょっとだけ申し上げて、もしご参考にしていただければと思います。
まず、聞いていて一番思いましたことは、四国の皆様方に対して、国会等移転に関する情報が極めて薄くて、公聴会を開くというので勉強していただいたという方が大部分だったかもしれないというぐらい、国会等移転に対して四国の皆様方と政府なり、あるいは審議会との情報交換が著しく不足していることを再認識いたしました。
しかし、それだからこそ、今日の公聴会が意味があるものとして、今後、国民の1人として四国の皆さん方が、首都ということ、あるいは首都移転について、いろいろと討論していただけるチャンスになり、私たちがつくった情報を漏れなく見ていただくということになれば、今日の公聴会の意味がとてもあると思ったことが、まず最初です。
2つ目に言いたいと思いますのは、国会等移転審議会を開催して、相当精力的に部会までつくってやっておりますが、私は必ず出席して聞いておりまして、議論百出で、とてもまとまる状態ではないということも皆さんにお知らせしておきたいと思います。
おそらく、ありとあらゆる意見が飛び出しておりまして、私の無責任な感想では、今年の秋、候補地1カ所を答申するなんていう雰囲気では現在では全くありません。夏休みで頭を冷やすと急にまとまるかどうかは知りませんが、現状では議論百出で、今日、皆さん方からいっぱい意見をいただいた大部分は議論になっておりますし、気がつかなかった点もあるので、帰ってから審議会で、またこれをご報告すると、また議論百出を激化するということにきっとなるだろうと。
しかし、この問題はそのぐらい重要であって、もっと時間をかけて議論してもいいんじゃないかというのが、私の個人的意見でありまして、公聴会でそう言ったというのが知れると、後で政府にしかられるかもしれませんが、率直に言って、そう思っています。
3番目に言いたいことは、今日、皆さん方のご意見の中で、賛成、反対ということでご議論をいただきましたが、私は、今日の限りは全く反対という方はいらっしゃらなかったと受け取りました。そして、いろいろな条件がついて、「この条件ができなければ」と穏やかに言っていただいた方と、その条件ができそうもないから反対ということでご議論があったと思うんです。
しかし、よく考えてみると、日本という国が21世紀、生き生きと生きていこうと思えば、ご指摘のあった点が全部解決しなきゃどうしようもないんじゃないかとも思うわけでありまして、辛抱強く挑戦して、何とか解決していかなくちゃいけない問題であるという点では、皆さんとご意見はそう違わないんじゃないかと思いました。
特にそれを考えるときに、今年、場所が決まって、来年着工して、10年後に工事が終わって、移転が10年後に完成するという前提でご議論していただいているとしたら、そういうことは不可能なことであります。私も戦後50年、こういう仕事をずっとやってきましたが、国会等移転のため都市をつくろうと思えば、これからすぐにやろうと決めても、地元との調整とか、利害関係の調整とか、アセスメントとか、アンケートとか、いっぱいやらなければ不可能なことですし、工事には私は幾ら急いでやっても30年ぐらいの工事がかかると思っておりまして、移転というのは50年というテーマだということを改めて認識していただく必要があると思っております。
10年では尚早というご意見を伺ったときに、もし仮に10年でやれと、今日言われたら、どうやってお断りするかというのが頭痛の種でしたら、10年では早いと言っていただいたんで安心いたしまして、やれと言われても10年では絶対不可能です。そして、工事をして都市をつくるのに私は最低50年かかると。そして、その都市が首都として機能するのは、100年という長さ。それが成熟して東京のようになるのには500年という長さで、日本の21世紀以降の首都を考えるときが来ています。
考えてみると、今の東京は威張っていますけれども、太田道灌から始まって徳川家康が骨を折って、明治政府が骨を折って、経済成長の東京一極集中構造が骨を折って、500年でできた都市の蓄積ですから、新しくできる都市が500年の蓄積に勝てるわけはないんです。ただ、江戸だって、太田道灌がやろうとしたときは、利根川の暴れた、人が住めない荒れ地であったということを思うと、我々だって500年で、いかなるところでも首都をつくる力は持っているぞ、と叫びたいような気分でいます。
京都や奈良なんかを見ておりまして、やはり建設工事は500年以上かかって、現在の京都なり、奈良ができているということも申し上げたいわけで、経済政策とか、バブルとか、そういったような短期的なテーマとはわけが違うということを皆さんに訴えたいと思いました。
最後にもう一つだけ申し上げたいのは、ご意見の中でもいろいろ出て、拝聴いたしましたが、要するに、四国の皆さんが日本の未来を語っていただきたいと。夢のある、希望の持てる日本、そして四国ということに夢を描いて、その描くことを首都移転の問題に事後的につないでいくというところは行政上の仕事かもしれません。しかし、最初に夢がなくて、首都移転という議論はあまり意味がありません。
そうすると、今は、地方分権とか、規制緩和ということが終わればという話になりますが、それが一段落するのを待ってやることはとても意味があります。しかし、日本の夢を語り出した場合に、地方分権化とか、規制緩和とか、行政改革とか、政治改革は、ここ二、三年で完成するような易しい話ではありません。これはひょっとすると100年がかりの戦争であって、聖徳太子以来、律令国家をつくって、今日まで来た日本の政治、行政の歴史を決算していくような大仕事であるということを思うわけです。私は、行政改革後に移転ということにはあまり考えておりませんで、移転と改革とは同時並行していっちゃうということが現実的ではないかと思っています。
したがって、四国というのは何なんだ? というのが今日、私が戦後50年、国土計画をやった人間の1人として一番思いますが、これは高度成長ということで近代化に疲れた日本人が心を癒す場所というようなことに歴史的な価値を感ずるわけであります。場合によると、紀伊半島の熊野の文化から、高野山の文化から、四国の文化から、このあたりのところで日本の心の安らぎの場ができるというようなビジョンを、もっともっと徹底的に討論して、新しい首都ができたときに、新しい首都とそういった紀伊半島、四国の地域の特性とがどのような関係を持つとすばらしいことかということもを議論していただきたいと思っていまして、最後に余計なことを言いますが、新しい首都を四国に持っていくなんていうことはお考えにならないほうがお得ではないかと思います。どうもすみません。

【戸所専門委員】

私、専門委員をやっております戸所隆と申します。
私は実は東京での仕事というのは、現在、こうした仕事をやらせていただいて週に何回か行っているわけですけれども、基本的には29年間は京都の大学で生活していたものでありまして、現在はふるさとの関東の北の隅にあります小さな市立大学で生活しているものであります。
そういう面から東京というものを比較的客観的に見てきたのでありまして、今回の国会等移転審議会における公聴会も、現在、候補地になっているところでなくて、福岡とか、札幌とか、ご当地の高松に来させていただいて、候補地になってないところから見て、どうなんだろうかと。こういうふうに思っております。
そういう面から見まして、先ほどのお話をお聞きしていまして、今、下河辺委員からもありましたように、皆さんのお考えの中に、かなり東京というものを考える場合でも、今問題になっていることを比較的短い時間のオーダーで考えておられるんじゃないかと。実は現在、問題になっているいろいろなことというのは、ここ数十年のことじゃないかなと思うわけです。例えば一極集中という問題が問題になっていますけれども、日本が今日に至るには、あれが必要だったわけです。ただ、今から、これからどうなんだろうと。これからは、それが問題であると。今までよかったものでも、時代が変われば問題になってくる。こういう中でどうしていったらいいかという話じゃないかなと思っています。
そういう面で考えますと、今、私はアルビン・トフラーが『第3の波』ということを言われましたけれども、日本も情報革命の中に来て、新たな時代を迎えているんじゃないかなと。
実は京都に生活しておりまして感じましたのは、ここは農業文化、農業の時代の首都だったんだなということを感じたわけであります。いろいろな伝統文化というものが農業に根ざしているわけであります。そう考えますと、東京というのは何だろうと。東京というのは、明治以降の産業革命以降の、いわゆる工業化の時代の首都であると。そして、じゃ、今日、そこにいろいろな問題が出てきているのは何なんだろうかと考えると、それは情報化時代において、どこか別な形で、新しい時代に対応した首都をつくっていく、いよいよその時代に来たんだと。どうもそれをしないと、いろいろなものがミスマッチを起こしてきてまして、今、ギクシャクしていると。経済の問題を含めて、そういうことじゃないかなと思うわけです。
例えば今、トキの赤ちゃんが生まれて喜んでいます。あのトキとか、ああいうものを見たときに、実は私の生活した空間の近くでありまして、私の小さいころというのは、田んぼにいろいろな、ああいう鳥が飛んでいました。ドジョウをついばむんですね。トキは何を食べて生活をしているかというと、ドジョウとか、ああいうものですね。今、あれがいるかどうか。なぜトキが生活できないか。結局、農業時代と違って、工業化時代になりまして、そういう形になりまして、農業でも工業に伴う、いわゆる肥料や何かは工場でつくった物によって生産力を上げてきた。そういう時代、そういう中ではトキもなかなか生きにくい。保護されてしかできない。それがまた新たな時代をまた迎えていると。こういう中で、首都というものを考えていく必要があるんじゃないかなと思うわけです。
その点で考えますと、じゃ、構造的にどういうふうに変えていかなきゃならないのかというと、皆様よくご存じのことであるかと思いますけれども、今まで東京一極集中というのは、東京を頂点にして階層的なネットワーク構造をつくってきたわけです。東京に最後には収斂していくような形であると。それに対して、今日はどこの地域も、大きくても小さくても、お金があるところでも、お金がない県でも、同格にいろいろネットワーク、水平的ネットワークでいこうじゃないかと。これはコンピューターで言うと、ダウンサイジングになってきた。しかも、ボーダーレスになってくると。こういう中における首都のありようというのは、あるいは国の形というのはどうなんだろうかと。この辺を十分に考えていく必要があり、その中で首都機能移転というのを考える必要があるんじゃないかなと思うわけです。
と申しますのは、この四国はあまり関係ないよ、ということがあるかもしれませんが、実は私、この近くの青島という島を1970年と1994年にしばらく調べさせていただきましたことがあります。
1970年のとき、なぜこちらへ寄せていただいたかというと、それは船員の島ということで、あそこに海員学校があって、非常に独特な人材を育てて、やっている島であるということで見てまいりました。そのころは、あの島の子供たちというのは、そこから育って、世界に羽ばたいていって、また戻って来る。船員をやめた後、また戻って来る。住所は、あそこに置いておくと。こういう形が多かった。ところが、1994年ですか、行きますと、もはやどういう形になっているかというと、当時、海員学校から行っていた子供たちは、今や東京の大学に行く。そして東京のネットワークであって、人材はどんどん吸収されていく。おそらく四国もそういう状況だと思います。
今、橋ができました。橋ができたということは四国にとって非常によいことですけれども、これは全国のネットワーク構造に組み込まれていくということでもあります。そういう中で、それを単に東京とか、そういうほうに向かうだけではなくて、相互交流できる。ほんとうに交流ができる空間づくりというものにしていくためには、これは新しい首都像、新しい国の形というものを考えるときじゃないかと。そういうふうにお考えいただく必要があるんじゃないかなと口幅ったいことを申し上げているわけです。
実は先ほどお聞きしまして、一つ一つにどう答えたらいいのか。非常に全部、答えられない。議論したいなという気持ちがあったんですけれども、なかなか一つ一つにお答えできません。そういう意味から、今のようなことを申し上げましたが、そうしますと、水平的なネットワーク構造するためには、実はそれぞれの地域が、私のところはこれだけのいいところなんだ、ということを情報発信していくということが必要なんじゃないかなと思うわけであります。
実は今、声を上げている11の府県という候補地になったところ、ここだけじゃなくて、下河辺委員が先ほど、最後に言われた言葉がありますけれども、私は別な意味で、自分のところは、こういうふうにいいところなんだということを互いに言い合うことが必要なんじゃないかなと。新たに、今までは東京からすべて情報が出ていた。これを地方から発信するための1つのきっかけに、こういうものがなればいいんじゃないかと。この公聴会も、またその1つであると私は認識しておるわけであります。
移転をするに当たりまして、いろいろな問題がございます。例えば中央と地方の関係をどうするのか。あるいは東日本と西日本をどう考えるのか。あるいは内陸と沿海部をどう考えるのか。その関係をどうするのか。太平洋側と日本海側をどうするのか。先ほどの中にも、日本海側に関係するから、米原がよいというようなお話もありましたが。それから、過密地域と過疎地域の関係をどうするのか。あるいは大都市と中小都市の関係をどうするのか。こういうことをいろいろ考えなきゃならないわけであります。
その中で、単にこれは東京と候補地の問題だけではなくて、みんなすべて、自分たち一人一人の国民にかかわってくる問題であるとお考えいただければありがたいなということが私の感想であります。
そして、最後に申し上げたいことは、実は私自身も、この仕事に携わせていただきながら、幾ら私が頑張っても、こんな大きな問題がどうなるわけでもありませんし、また、私自身の利益にどうこうという問題じゃないです。と言いますのは、おそらく私の目の黒いうちに、この問題が決着するということ、新たな首都像が出てくる、ほんとうに目の前に出てくるというのは難しいんじゃないかと。やはり数百年オーダーのものであると。そういう意味では、ここにおられる方も、自分たちの子供たち、あるいは子々孫々への贈り物という形で、この問題を考える必要がある。先ほど、下河辺委員が言われましたように500年オーダーで考えたらば、荒れ地のところでもいい首都ができると。それはそういうことじゃないかなと思うわけであります。
そういう意味で、単なる誘致運動とか、そういうものじゃない。ほんとうに、これからの日本というものを--今までは模範があった。しかし、これからの日本がリーダーになっていく中で、どういう国のあり方、国の形、地域の形、こういうものをどうつくっていくか。これを一人一人が考えるときだと。その1つのきっかけというのが、この首都機能移転である。こういう認識で私はおりますし、また皆様方とそういう形でお話し合いができてくればと思っております。

【野崎部会長代理】

本日は非常に熱心にご討議をいただきまして、ありがとうございました。
これで8つ、公聴会が開かれたことになると思うんですが、私は、その中の4つに出席しました。多分、消極論が一番強い公聴会は、ここだったんじゃないかという気がいたします。なかなか厳しいところを突かれました。また、私どもとしましても、もっと広報活動といいますか、なぜ首都移転が必要なのか、今、どういうことを考えているのかということ、もっともっと地方の方々に理解していただくための努力をしないといけないなということを痛感した次第であります。
感想を幾つか述べさせていただきたいと思います。
よく使われます言葉に、日本の制度は1つの制度的疲労を来して、壁にぶつかっているということがよく言われます。
いろいろな意味で使われるんだろうと思いますが、私は小学生の時代に始まって、中学生の時代に大戦が終わったわけですけれども、戦後の混乱期を振り返ってみますと、今の不況などというものとは全く違ったもの、大変な時代だったと思います。そういった時期に、日本を復興させていくということの最も効率的な方法というものが、やっぱり中央政府が権限を集中させて、国を引っ張っていくシステムをつくり上げていくことだったと思います。だから、戦後の一極集中というのは、これは戦前とはうんと違った形で、東京に集中してきておるわけでありまして、私はよく申し上げるんですけれども、私らが小学校のときの教科書には、東京は政治の都、大阪は商工業の都と書いてありました。現に当時の例えば手形交換所における手形の交換される数とか、兜町と北浜の証券取引所で取引される額などというものは、そんなに離れていたんじゃなかった。多分、手形は大阪のほうが上だった時期もあったと思うんですね。しかし、一極集中が始まりますと、大阪からも、神戸からも、どんどん本社が出て行った。それが現在の格差になってあらわれております。しかし、そのおかげで日本は復興した、日本の経済は発展したというところはあるんだと思うんです。
しかし、今、それが大きく壁にぶつかりました。日本の社会も、経済も、もう国が引っ張っていくようなものではない。もっともっと大きなものになってきていると思います。そういうことになって、果たして、今まで50年やってきたとおりを今後もやっていっていいのかということになりますと、それはいけないという答えが出てくるわけでありまして、それが各種の行政改革の議論であり、規制緩和の議論であり、地方分権の議論であろうと思います。これは必然的なものであると私は考えます。
どこで公聴会をしましても、発表者は、そういうものをはっきり確定してから首都を移転すべきであるということを言われますけれども、これはそんなに簡単なものではないのでありまして、現在、省庁の統廃合が行われようとしておりますけれども、これだってまだどう進んでいくかはわからない。規制の問題にしても、いろいろ変わっていくに違いないものがあるわけでありまして、方向は定められても、その内容が細かく定められることはとても不可能だと思います。
しかし、もし現在、首都の移転というものが決まりまして、2000年に入ったころから、非常に長いスパンの事業ではありますけれども、それが進むようになりますと、それを契機として、今申し上げたような改革は大きく展開していくということが考えられます。それは日本の歴史を見ましても、首都移転というものは常に日本の社会情勢の変革の節目になっておることが、それをよく示しておると思います。私どもは、そのことを期待いたしまして、現在、首都の移転先をどこにすべきかということを審議しておるのでありまして、その点をぜひご理解いただきたいと思います。
それから次に、首都移転というのは非常にスパンの長い問題なんだということを話されました。京都から江戸へ都が移ったときは、江戸は既に京都をしのぐ大きな町であったわけですが、今、首都の移転先として手を挙げておるところを私は全部、見て回りましたけれども、つまり、人のいないところでありまして、山であり、森であるわけであります。ここに新しい都市をつくるということは、先ほど下河辺委員がおっしゃられましたように、大変な事業、時間のかかる事業であります。
よく現在の不況対策としてやるんじゃないかとかということを言われるんですけれども、そういう問題にはなり得ないわけであります。例えば審議会で仮に秋に移転先を決定したとしましても、これから国会で議論がなされるわけでありますが、国会が移転先を決定したからといって、直ちに工事が始まるわけでもないわけであります。そんなに長い間、まだ今の不況が続いては困るわけですから、その後の経済情勢というのは当然変わっているということになるわけであります。そのときそのときの情勢に従って、首都移転事業というものは展開されていかなければならないものでもありますし、また先ほども申し上げましたように、行政改革でありますとか、規制緩和でありますとか、地方分権でありますとかは非常に目まぐるしく発展していく社会の中で、どんどん変革されていくものでありますから、それによって新しい首都の大きさでありますとか、機能でありますとか、そういったものは非常に影響を受けていくことは明らかであります。したがいまして、首都機能というものは、60万都市を最後に目指すんだということになっておりますけれども、これも1つの予想なのでありまして、これから大きく変わっていくところがあると。
しかし、1つだけはっきり言えることは、私はどこの候補地を見ましても、そんなに大きな都市はつくれないんですね。日本というのは非常に山国でありまして、平地が非常に少ないです。それから人の住める環境というのは非常に少ないです。そして、そういう環境にあるところには人はもう住んでおられますから、とても東京から60キロ以上300キロ以内という範囲内に、そんなに大きな都市ができる余地はないわけであります。必然的に、そのことは今後の経済のあり方、政治のあり方、地方と中央のあり方に大きな変化をもたらしていくことは明らかであろうと思います。その点を今後、いろいろ議論されるに当たっては、ぜひ一つ、ご理解をいただきたいと思います。
それから最後に、災害の問題について申し上げます。
こちらは淡路が非常に近いところでありますので、おそらくご親戚などもおられたのであろうかと思います。大変な被害をもたらしました。しかし、どちらかというと災害型としては、点と線を結ぶような形で大きな災害が出ている。しかし、にもかかわらず、あれだけ大きな災害になったわけです。
私は今、神奈川県の藤沢という江ノ島の近所に住んでおりますけれども、そこの氏神様が諏訪神社なんですけれども、そこへ行きますと、関東大震災で亡くなった方々の碑が建っておりまして、そこは小さな昔の村なんですけれども、大変な数の方が亡くなっておられます。私はまた、役人をしておりましたときに、横浜地方裁判所に勤めたことがありますが、横浜地裁も関東大震災では一瞬にして倒壊をいたしまして、地裁の所長以下五十数人がやっぱり亡くなっています。
四国から見ますと関東大震災は非常に遠いところでありますが、その被害というのは小田原から東京まで面の形で非常に広がっていっておったわけでありまして、例えば鎌倉などの社寺仏閣も非常に倒壊したわけです。そういう災害というものが決して遠くない時期にあるかもしれないということが言われるようになっております。
そのようなことを考えますと、災害対策との関係でも、冒頭に申し上げましたように、首都機能と政治、経済すべての機能が東京に集中しておるということが、どれだけ危険であるかということは、阪神淡路大震災と比較していただいても、よくおわかりできるんじゃないかと思います。
もし仮に関東に大災害が起きたとしても、新首都が災害を免れて、そこに立法、行政、司法の中枢機能が残っているとすれば、その対策に全力を挙げて取り組むことができることは明らかなのでありまして、そのためにはやはりバックアップセンターだけを移すというのでは足りないのでありまして、機能を2つに割っていくということが必要であろうと思います。
それから、先ほどちょっと申し忘れましたけれども、首都機能移転がスパンの長い話だということになりますと、しばらくの間は、新首都と東京との間を--しばらくと申しましても、何十年かはデュアル・キャピタルといいますか、2つの首都があるような、首都機能が2つに併存するような時期が続くことになります。首相官邸の話なども、そういったとを考えて建てられておるのでありまして、別にあれを建てることによって移転をやめるという趣旨を明らかにしたものではないわけであります。私、先日、キャンベラというオーストラリアの首都に行ってきましたけれども、あそこも100年ぐらいかかっているんですね。その間は、どうしても首都機能というのは幾つかの町に分散せざるを得ないということになります。
でありますから、首都機能の移転というのは、大変の息の長い話で、その間に、まだ修正がいろいろきく話でもあるということをぜひご理解いただきまして、今後ともこの問題についてご熱心にご討議もいただきたいと思いますし、ご意見もお寄せいただきたいと思います。
今日、お伺いしましたご意見は持ち帰りまして審議会に報告いたしまして、今後の審議に反映させていただくつもりでございます。
本日はどうもほんとうにありがとうございました。

以上

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