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第1章 首都機能移転の歴史的意義

明治政府は、首都を東京に移し、政、官、民の密接な連携の下に、我が国の近代化を図るため、強力な中央集権体制の確立を目指した。この基調は、その後の政治体制や社会情勢の変化にもかかわらず、今日まで一貫して維持され、我が国の近代化や、第二次世界大戦後の廃虚から復興し、世界有数の経済大国に発展することに、大きな役割を果たしてきた。

東京には、情報や仕事を求めて、多くの企業や人口が流入し、特に戦後は、その傾向が強くなり、政治、行政、経済、文化など様々な機能が集中するに至った。
他方、東京への一極集中は、全国各地域の活力を低下させ、情報、文化の画一化をもたらし、各分野に見られる弊害を指摘する声は、次第に大きくなってきた。

首都機能移転については、東京の過密とそれに伴う弊害が顕在化してきた昭和30年代以降、学界や研究機関等から多くの提言が行われてきた。政府も、昭和52年に策定された「第三次全国総合開発計画」、昭和62年に策定された「第四次全国総合開発計画」等において、首都機能移転を国土政策上の重要な課題として位置付けてきた。また、平成2年、国会は、「国土全般にわたって生じた歪を是正するための基本的対応策として一極集中を排除し、さらに、21世紀にふさわしい政治・行政機能を確立するため、国会及び政府機能の移転を行うべきである。」との決議を行った。
平成7年に発生した阪神・淡路大震災は、同地に甚大な被害をもたらし、大都市を襲う大規模災害の恐ろしさと、首都機能と東京にある経済等の中枢機能の同時被災を阻止することの重要性を、改めて我々に強く認識させた。平成8年6月、調査会報告を受けて一部改正された移転法の前文には、「阪神・淡路大震災による未曾有の被害の発生により、大規模災害時において災害対策の中枢機能を確保することの重要性について改めて認識した」ことが付け加えられている。

歴史を振り返ってみると、我が国は、これまでも、大きな時代の転換期において、その時々の要請に対応するため、政治の中心を移転することを伴う国政の改革を行い、新しい時代にふさわしい統治制度をつくり上げてきた。奈良時代末に律令体制が動揺すると、平城京から平安京に都を移し、それまでの行き掛かりを離れて政治を一新することに成功した。平安時代に武士の勢力が拡大してくると、鎌倉に政治の中心が移り、武家政治の基礎がつくられた。明治維新においても、古い伝統やしきたりを色濃く残す京都から離れて、江戸を改称した東京を新たな国づくりにふさわしい首都として選択し、殖産興業、富国強兵を旗印に急速な近代化を図り、東京を中心とする中央集権体制を確立して、今日の繁栄の基礎を築いた。

戦後50年を経て、我が国を取り巻く内外の環境は激変し、今や、我が国は、重大な転換期にさしかかっている。これに対処するため、現在、地方分権、規制緩和、中央省庁等改革などの国政全般にわたる歴史的な諸改革が進められているが、この流れを本格的な軌道に乗せ、新たな時代を築くためには、我が国の将来を見据えて、明治期以来の現行諸制度を、その根源に立ち返って見直すことが必要である。その一環として、東京一極集中の是正や災害対応力の強化等の観点から、江戸開府以来約400年にわたり国政の中心であった東京の在り方を改めて根本的に問い直すことが求められている。

既にみてきたように、我が国では、歴史的転換期において、国政改革と併せて政治の中心を移転し、人心を一新して新しい時代に対処してきた。内外の諸情勢をかんがみるとき、我が国は、今、正に歴史的転換を図るべき時期にある。

審議会は、首都機能移転が我が国の将来に深く関わり、国政の在り方をも左右する極めて重要な問題であり、世紀を越えた長期的視点に立って構想すべき歴史的大事業であるとの基本的認識の下に調査審議し、ここに本答申を提出するものである。

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