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愛知県現地調査意見聴取議事要旨

1.日時

平成10年9月17日(木曜日)14時50〜16時50分

2.場所

ホテルアソシア豊橋5階天翔

3.出席者

(審議会委員)

森会長、石原会長代理・部会長、野崎部会長代理、石井(進)、石井(威望)、石井(幹子)、宇野、濱中、牧野各委員(9名)

(専門委員)

池淵、鈴木、戸所森地各専門委員(4名)

板倉大都市圏整備局長(事務局次長)他

4.議題

地域の概況について、首都機能移転に関する対応方針について、事前質問事項に対する回答について、意見交換等

5.議事の要旨

今回は、愛知県内の首都機能移転先候補地の現地調査を行った後、地域の概況、首都機能移転に関する対応方針、事前質問事項に対する回答について愛知県より説明が行われ、引き続き意見交換が行われた。

(1)地域の概況について

愛知県知事より、以下の説明が行われた。

本県の基本的な考え方として、首都機能は国土の中央へ移転すべきであり、その国土の中央が愛知県である。本県の2つの候補地は、全国各地から大変アクセスしやすく、4つの国土軸の結節点になっている。そして、比較的小規模な都市が配置されているので、大変効率的な首都機能移転が容易に実現できる。

具体的な地域としては、西三河北部地域と、東三河南部地域があり、それぞれ岐阜県、静岡県と接している。西三河北部地域は面積12万ha、人口71万人であり、東三河南部地域は面積8万3千ha、人口57万人である。いずれの地域とも、世界と直結した、交流拠点性の高い地域であり、中部国際空港、第二東名・名神高速道路、東海北陸自動車道、伊勢湾口道路、リニア中央新幹線などの計画があり、首都機能移転の基礎工事を行っている。

これらの地域は、大都市名古屋とつかず離れずの距離にあるため、名古屋の都市機能を十分利用できる。また、本県では昔から多核的に都市が展開しており、行政としてもそれを助長する取組を行っている。例えば、東三河では、名古屋に施設を1つ造ると豊橋にも1つ造るというように、二眼レフタイプで行政を進めてきた。

環境負荷の小さい共生型の都市ということでは、愛知県の候補地は里山で、都市と自然との接点になっている地域であり、自然との共生のあり方を考えるモデルとしにしていきたいと考えている。

また、新都市のクラスターは配置については、西三河北部地域では、豊田市に近い地域と岡崎市に近い地域を中心クラスター候補ゾーンと考えており、それぞれ、東海環状自動車道、第二東名に隣接している。東三河南部地域では、浜松市と豊橋市のちょうど中間に位置する地域を中心クラスター候補ゾーンと考えており、両都市が母都市となる。この地域は、新幹線や東名高速道路など現在の交通体系の上に乗っており、今後、長野の方からくる三遠南信自動車道と、渥美半島を縦断して伊勢湾口道路を経て三重県に入るという構想がある。

首都機能移転に関する県民の意向調査によると、平成10年度の調査結果によると、平成8年度の結果と比較して積極的意見が57%から66.2%に増えており、首都機能移転にかけるこの地域の熱意の現れである。

(2)首都機能移転に関する対応方針について

最初に、愛知県議会の副議長より以下の発言がなされた。

首都機能の移転は、東京一極集中の是正に極めて有効な手段であるとともに、世紀の変わり目を迎え、社会・経済全体を通じて広がっている閉塞状況を打破し、新しい日本の進路を開く上でも重要な役割を果たす国家プロジェクトであると考えている。その早期実現に大きな期待を寄せている。

首都機能の移転先地としては、本県をはじめとする国土の中央にあたる地域が全国各地からアクセスしやすく、また国民的な合意を形成からみても、最適な地域であると考えている。

こうした認識の下に、愛知県議会では、平成8年7月本会議において、国が国民的な合意形成を図りつつ首都機能移転の実現に一層積極的に取り組むことと、本県を含む東海地域に首都機能を移転することを強く希望するという内容の意見書を採択した。また、県議会に首都機能移転調査特別委員会を設置し、さらに昨年5月から地方分権の推進を併せて調査するために、これを首都機能移転地方分権調査特別委員会に改め、この問題に積極的に取り組んでいるところである。

続いて、愛知県議会首都機能移転地方分権特別委員会委員長より以下の発言がなされた。

首都機能移転東海4県県議会連絡協議会は、愛知、三重、静岡、岐阜の4県の県議会にそれぞれ設置されている首都機能移転に関する特別委員会の正副委員長が集まって協議会をつくっている。

東海地域は、国土の中央に位置するという共通の優位性を持ちつつ、地形や立地条件、景観、土地柄など、それぞれ大きな特色があるので、これらの中でどの地域が良いかという点については、審議会で十分調査願いたい。

4県議会の協議会としては、審議会での調査、審議を通じ、今後東海4県の中で、いずれの地域に候補地が絞り込まれても、お互い協力していくことで合意している。また、調査対象地域の設定の際に、畿央地域も調査対象地域となったことから、4県協議会の中に加わって、団結をして協力し合うために申し合わせを進めている。しかしながら、奈良、滋賀、京都の各府県では議会の中にまだ特別委員会が設置されていないため、時間をかけてこれらの府県議会においても委員会が設置され、我々と共同歩調で協力し合うという体制をつくりたいと努力をしているところである。

4県の協議会においては、今後の連携を密にして、この地域に首都機能移転が実現するよう努力していきたい。閉塞感の中にある現代においては、首都機能移転や地方分権は歴史的な大きなテーマであるので、閉塞感を打破するという意味においても、積極的な推進を望んでいる。

続いて、豊田市長より、以下の発言がなされた。

調査対象地域として8市町村が関係しており、県と協力しながら調査を進めている。6月には8市町村を含めて連絡協議会を設置し、今日まで地域の代表の方々と意見交換を行い、また、8市町村だけでなく、最近は岐阜東濃地域の関係市町村とも連絡を取りながら、情報交換などを行っている。西三河北部は、岐阜県静岡県も含めると、歴史的に見て、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康ゆかりの地であるとともに、ものづくりの文化で発展してきた地域でもある。かつては、からくり人形から豊田織機、そして今では自動車というように、まさにものづくりの文化で発展し、今日に至っている地域である。こういうことから、この地域は非常に勤勉性に富み、協調性のが強いと自負しており、この地に首都機能移転が決まれば、まさに町をあげて賛成し、行動していくという自信を持っている。

東濃地域と西三河北部地域は、県は違っても一体的にいろいろな文化があり、文化を通じて交流している。特に美濃と瀬戸は焼き物で日本を代表する地域である。

このように、歴史、文化、現代社会におけるリーダー格としての自負を持っている地域であり、非常に勤勉で、協調性の高い地域であるということを再度申し上げたい。

続いて、豊橋市長より以下の発言がなされた。

東三河には19の市町村があり、母なる川・豊川の流域を中心に、山から海に至る各市町村が愛知県の東の拠点となる地域づくりに、日頃から一致協力して取り組んでいる。首都機能移転の調査対象地域となった南部の6市町はその一部であるが、この問題は東三河全体の発展に極めて重要であるとの認識の下に、他の13市町村からも理解と支援を得ている。

さらに広域的に見ると、東三河地域は、東側では浜松市を中心とする静岡県遠州地域と、北側では飯田市を中心とする長野県南信濃地域と、古くから県境を越えた非常に強いつながりを持っている。最近では、これらの3地域が連携して、三遠南信地域として、新しい全国総合開発計画の地域連携軸構想のモデルとなる地域づくりを進めている。

このうち、遠州地域も調査対象地域となっており、今後、候補地が県境を越えて設定されても、これまでの取組の蓄積を活かし、適切な連携を図れるものと考えている。

東三河の6市町では、首都機能移転に関して、かねてより県に協力をして取組を進めてきたが、本年4月には、6市町の首長による連絡調整会議を設置し、取組を強化している。

我々としては、移転の受け入れにあたって、地域合意をきちんと形成していくことが重要と考えている。各市町の経済団体や主婦、学識者の方々と、8月に意見交換会を開催するなどしているが、さらに住民1,000人を対象とする意識調査を11月に実施する予定で、住民の意向を把握していきたいと考えている。これまでの意見交換会では、静岡県西部と連携し移転の実現を図るべきといった積極的な意見もあったが、その一方では、議論の材料となる情報の不足を指摘する意見もあった。今後、一般市民、住民への情報提供に力を注がなくてはならないと考えている。

以上、述べたように東三河南部地域の市町では、移転の実現に取り組む姿勢づくりを積極的に進めているところである。

続いて、新首都「中部」推進協議会代表理事より、以下の説明がなされた。

新首都「中部」推進協議会は、愛知、岐阜、三重、静岡、長野の5県の経済団体で構成されており、経済界として広い視野に立ってこの問題に取り組んでいるところである。

我々は、かねてから首都機能移転先を、日本の真ん中に位置する中部地方の中から選定されることが最も適当であると考えて、一昨年から、東京や大阪、あるいは名古屋で計5回にわたってシンポジウムを開催するなど、首都機能移転の機運の醸成を図ってきた。今年の5月には、東海4県知事と東海商工会議所連合会、中部経済連合会の6者によって「中央地域へ首都機能移転を実現する会」を設置し、行政と経済界が一体となって取組を進めている。

また、中部9県の商工会議所の会頭会議においても、中央地域への首都機能移転を決議し、一丸となった取組を進めている。今後さらに関西の経済界や関係府県にも連携の輪を広げていきたいと考えている。

中央地域は、日本列島の中央、人口重心地に位置しているので、新しく都市を建設する場合にも、コスト、運営コスト、全国各地からの移動コストを最小限に抑えることができる地域だと思う。また、鉄道、道路、空港、港湾などの交通の最重要結節点であるとともに、新しく中部国際空港、あるいは第二東名・名神高速道路などの交通インフラの整備が既に進められている。また、リニア中央新幹線の構想も進められているところである。

さらにこの地域は、名古屋をはじめとした適度な都市の集積を持っており、豊橋や岡崎、豊川、一宮といった都市の集積を持っており、既にいろいろな施設やインフラが整っている。

このようなことから、当地域への首都機能の移転は、経済合理性に優れており、国家財政の面から考えても最適の地域であると考えている。

続いて、中部経済連合会副会長(三遠地域新首都推進協議会代表幹事)より、以下の発言がなされた。

中部経済連合会の立場で、国土構造という観点から説明したい。日本全体から見て、現在の首都東京は東に偏っていて、それよりさらに東、あるいは首都圏の外縁的拡大につながる候補地への移転は、東京一極集中を是正し、国土の均衡ある発展を目指すという首都機能移転の本旨に反するものと考えている。首都機能移転によって我が国は、国会都市と経済都市との二眼レフの国土構造となるが、その場合、東日本に政治と経済の中枢が位置することになると、西日本の著しい地盤沈下を招く恐れが強く、国土バランス上からも東京と日本列島の中央部が二眼レフになることが最も公平で望ましい姿と考えている。

この点については、関西経済連合会をはじめ、西日本の6経済団体で構成している西日本経済協議会でも全面的な賛同を得ており、過去3年間、日本列島の中央部に移転すべきであるとの決議がなされており、関係機関に要望している。

続いて、豊橋商工会議所の会頭、三遠地域新首都推進協議会の代表幹事としての立場から述べたい。

この協議会は、愛知県東三河地域と静岡県遠州地域の商工会議所、商工会など、民間の66団体が県境域を越えて集結し、首都機能移転の実現に向けて活動を続けているものである。この協議会では、新都市の中央部を浜名湖周辺に置き、世界に開く湖水首都、浜名湖新首都構想を提言している。浜名湖を中心とする三遠地域は、東西日本融合型の小さな政府、小さな首都を実現するに最も相応しい、最も効率的な候補地であると考えている。今後、この周辺地域の市民に広くPRを続けていきたいと考えている。

続いて、愛知県企画部長から、事前質問事項に対する回答が以下のとおり説明された。

最初の質問は、4つの国土軸が結節する中央値域への移転が、それぞれの国土軸に与える影響はどうかということである。

この点については、まず4つの国土軸における社会経済活動が、国土の中央で出会い、あるいは交流することを通じて、各国土軸における多彩な活動、形成が促進されるものと考えている。また、個別的に見ると、西日本国土軸については、その中における高次機能が東京へ偏在しているのが是正され、太平洋新国土軸については、首都機能移転により近接し、日本海国土軸や北東国土軸も、東京を経由しない形での他の国土軸と交流する形となり、東京を頂点とする社会経済構造からの脱却に寄与するものと考えている。

2番目の質問は、東三河地域に移転した場合、西日本国土軸にさらなる集中を助長するのではないか、ということであるが、この点については、全人口に占める東京圏、名古屋圏、関西圏の人口割合の長期的な推移を見ると、西日本国土軸の中で人口の集中が著しいのは東京圏のみであることがわかる。このことから、名古屋圏や関西圏では、問題となるような機能集中は生じないと考えている。また、東三河南部地域は、太平洋新国土軸と西日本国土軸を結節する地域でもあり、そこへの首都機能移転は、太平洋新国土軸の形成に大きな役割を果たすものであると考えている。

3番目の質問は、東日本や九州、四国等への影響ということであるが、基本的には中央地域への移転は、4つの国土軸の連携を促進するということで、全国各地における自立的な地域づくりに大きく寄与すると考えている。特に、九州、北海道などは、空路による来訪が中心となると考えられるが、この地域では現在の名古屋空港はもちろん、2005年完成を目指す中部国際空港などによって、一層連携が密になり、九州や北海道の地域から移転先へのアクセスは万全ではないかと思っている。

4番目の質問は、首都機能移転のデメリットについてであるが、首都機能移転により、移転先、周辺地域とも大きな影響を受けるものと考えているが、本県としては、環境面をはじめとする諸問題の発生を防ぐためには、移転する政府機関がスリム化すること、あるいは既存の都市機能集積をできる限り活用することなどにより、移転先における新規の都市整備あるいは基盤整備をできる限りコンパクトにすることが望ましいと考えている。移転に伴う土地問題については、国会等移転調査会の報告においていろいろな制度、手法が提案されているので、それらの具体化を基本としつつ、用地確保の特例措置など適切な対策を検討してもらいたい。移転の受け入れにあたっては、周辺地域を含めた地域の合意形成を図ることが極めて重要と認識している。本県としては、関係地域との必要な調整に最大限の努力を図っていきたいと考えている。

5番目の質問は、新都市と全国との交通ネットワークに関することであるが、この地域は、東西日本をつなぐ複数の国土幹線ルートを擁する広域交通の要衝であるが、新しく整備されつつある、あるいは計画されているいろいろなネットワークがたくさんあり、既に説明しているので省略する。

6番目の質問は、新都市の都市像やライフスタイル、文化、現地に即した都市づくりのイメージについてであるが、この点に関しては、中央地域の優れた特性、例えば東西日本の接点として育んできた多彩な文化、歴史あるいは東京に依存しない形での国際的な活動等の展開が可能な既存の都市集積もある。背後に控える中部山岳や伊勢湾、太平洋などの魅力的な自然環境などの特性を最大限に生かすことを基本にイメージを描いている。

7番目の質問は、リニア新幹線以外による東京都のアクセスの改善方策についてであるが、東海道新幹線ののぞみの停車を考えると、西三河北部地域では、1時間30分程度で三河安城駅まで、また豊橋駅までは1時間20分程度で到着できると想定している。特に品川新駅が平成15年に開業すれば相当な輸送力、利便性も増してくると考えている。

また、道路交通では、整備中の第二東名高速道路は、時速140km走行可能な6車線を基本に事業が進められているので、東京方面との道路アクセスは非常に改善されるのではないかと思っている。

8番目の質問は、中部国際空港へのアクセスであるが、西三河北部地域から中部国際空港へは、現在整備中の東海環状自動車道と第二東名高速道路を利用し、既存の知多半島道路を経由して入っていくルートが考えられる。この自動車専用道路を利用することによって、中心クラスター候補ゾーンから空港までは30数分で到達可能と考えている。また、東三河南部地域からは、国道23号バイパスと、自動車専用道路として計画中の名浜道路を経て空港と結ぶルートが考えられる。このルートによって、所要時間は40数分程度と考えている。

9番目は土地取得に関する質問であるが、先ほど説明したように、国会等移転調査会報告で、都市整備の事業主体に対する先買権の付与や売買代金の支払いにかえて証券を公布し、土地所有者がその配当を得ることのできる手法など、いくつかのアイディアが盛り込まれているので、それらの具体化について検討願いたい。その他、実際の用地買収を念頭に置くと、買収に応じた地権者に対する税法上の特例的な優遇措置、あるいは地権者に提供する代替地の円滑な確保なども有効ではないかと考えている。

10番目の質問は、地震についてであるが、東海地震の被害予測結果によると、本県の2地域については、極めて著しい地震災害が生じるような震度は想定されていない。しかし、昭和19年にこの地域で発生した東南海地震の際には、これより高い震度であったという調査結果もあるので、新都市の整備にあたっては、東海地震の震度想定を上回る地震発生の可能性も念頭に置きながら対策を講じておく必要があると考えている。具体的には、施設の耐震化、クラスター間の適切な間隔を保つこと、さらにクラスター内でもできる限りオープンスペースを確保する。あるいはライフラインの系統を多重化することなど、幅広い対応が必要と考えている。

11番目の質問は、東海地震等海溝型地震による広域的な被災の際の新都市と周辺既存都市や、名古屋市あるいは東京を結ぶネットワーク上における対応であるが、新都市と岡崎・豊田・豊橋市を結ぶネットワーク、あるいは名古屋市と結ぶネットワークは、新都市の機能を維持する上で極めて重要である。交通ルートの多重化、橋梁部や高架部などの耐震化を重点的に進める必要があると考えている。新都市と東京を結ぶネットワークについては、東海道新幹線や東名高速道路の被災が想定されるが、西三河北部地域では東海環状自動車道を経て、また東三河南部地域からは三遠南信自動車道を経てそれぞれ中央自動車道を経由して東京へ結ぶルートが別途利用できる。また、現在整備中の第二東名高速道路については、阪神・淡路大震災を踏まえた耐震基準で整備が進められており、東海地震に際しても機能を維持できると考えている。

12番目の質問は、東京が大震災によって被災した場合に備えて、新都市はどのような機能を保有すべきかということだが、首都機能移転にあたっては、国の危機管理を支える各種行政機能も新都市に移転されるものと想定しており、これが東京での大地震の際にも、応急対策やその後の復旧対策の全国的な司令塔になるものと考えている。この司令塔が適切な機能を果たすためには、情報機能が特に重要であり、東京あるいは復旧等の前線基地となる東京の周辺地域と新都市を結ぶ多重的な情報通信網を災害時にも確保すること、あるいは新都市における情報機能を十分に備えていくことなどが必要と考えている。なお、東京での大地震では、全国的な経済中枢機能の被災への対応が大きな課題となるが、この点について、中央地域は我が国の製造業の最大集積地であることに加えて、全国的企業の一部本社機能や多くの広域的な支社機能を有する関西や名古屋と連携をとりやすい位置にあり、効果的な対応ができるものと考えている。

13番目の質問は、水供給に関するものだが、現地視察の際に説明済みなので省略する。

14番目の質問は、新都市と周辺既存都市や名古屋市の連携、あるいは新都市と名古屋市との連坦の恐れに関するものであるが、豊橋、豊田、岡崎市が母都市としての役割を果たすことで、移転先の新都市の整備をコンパクトなものにすることを想定している。また、名古屋市との関係では、首都機能の円滑な遂行に不可欠な民間の高度なサービス、あるいは非日常的なアミューズメント等は名古屋市の大都市機能を活用するという姿を想定している。名古屋市との連坦の恐れについては、現地で説明したように、そのような恐れはない。補足的に説明すると、人口集中地区が占める面積割合について他の都市圏と比較すると、10〜20km圏では、東京圏は92.2%に対して名古屋圏は27.1%と小さい。また、20〜30km圏では名古屋圏が13.5%、東京圏が58%であり、30km以内に市街化していない地域が非常に大きく残されている。名古屋から西三河北部地域は30km以上離れているので、名古屋との連坦の恐れは、このデータからも比較的少ないと考えている。

15番目の質問は、里山等の自然の保全、あるいは自然環境と共生した都市づくりの取組についてであるが、この点については、環境調査を適切に実施し、整備計画に反映するとともに、大規模造成を避けて現況の地形や水系を重視しながら、施設は集約的に配置して自然環境への影響を最小限にしていく必要があると考えている。里山の自然は、人との関わりの中で維持されてきたという特性があり、その維持には、適切に人の手を加えていく必要がある。近年、人と里山との関わりが希薄化しており、本県では平成8年度から、全県的な里山の実態調査を行っている。あるいは、県民参加による里山保全活動のモデル的な展開も図っている。新都市の整備にあたっては、これらの取組を発展させ、里山の自然を管理、創造していく仕組みなども検討していく必要があると考えている。こうした考え方は、2005年の日本国際博覧会の会場構想の検討にあたっても重視しており、博覧会会場整備を通じて実験的に具体化された取組を、首都機能移転に伴う新都市の整備にも活用し、里山の自然条件に適合した街づくりを進めていきたい。

16番目の質問は、環境負荷を抑えた都市づくりについてであるが、環境負荷の軽減のためには、先に述べたように、新都市をできる限りコンパクトなものにしていくこと。それから自然エネルギーについては、循環型の街づくりを進めていくことを基本に、いろいろリサイクルやCO2の削減を目指していく必要があると考えている。このため、リサイクル技術の活用とか、あるいは中水道、太陽光発電、ゴミ発電、地域冷暖房など、いろいろなハードの取組、環境共生型のライフスタイルの定着を図るソフト面の取組などを進めていく必要があると考えている。

17番目の質問は、環境面での地域の合意を得るための取組についてであるが、まず、地域の自然環境に関するデータを収集・検討して、計画の早い段階からこれを地域の人々に示す。そしてこれらのデータを踏まえた幅広い意見を吸収する機会を十分に設けていくこと、あるいは、必要に応じて計画の見直しを弾力的に図っていくことが重要だと考えている。本県では、平成8年度から6カ年計画で、愛知県版のレッドデータブックの作成に向け、希少野生動植物実態調査を実施しているのをはじめ、様々な環境面のデータ整備を進めており、移転先候補地に選定されれば、それらの成果も踏まえながら国に協力して、こうした取組を具体的に進めていきたいと考えている。

18番目の質問は、愛知万博についての環境問題からの反対意見に関するものであるが、現時点では、県内で、首都機能移転に環境面から反対する明確な活動は見られず、今後開発区域が具体的に特定されるといろいろな意見が出てくるものと考えている。国際博覧会の開催については、市民シンポジウムの開催や、環境団体との対話などを積み重ね、地域における合意形成に努めてきている。首都機能移転についても、移転先候補地に選定されれば、地域合意の形成に向け、県としても積極的に対応していきたいと考えている。特に博覧会については、当初は一過性のイベントの開催に伴う自然環境の改変という捉え方からの反対意見もあり、この点については、新たな街づくりの中で博覧会を開催するという趣旨をしっかり説明し、理解を得てきた経緯もある。こうした面については、首都機能移転は歴史的な国家事業であるということで、かなり様相を異にするのではないかと考えている。

19番目の質問は、隣接する県との連携に関するものであるが、本県の候補地は、両地域とも岐阜、静岡両県の候補地と隣接しているので、隣接県との連携を視野に入れた検討も必要であると考えている。

20番目の質問は、新都市が広域に及び、現在の地方自治体を見直していく可能性についてであるが、移転先の行政区域については、今後検討していく必要があると思うが、現在想定されている新都市の規模を考えると、基礎的自治体としての市町村のあり方が、周辺市町村との関係を含めて大きな検討課題になると思う。この点については、関係市町村の意向を十分に把握して、それをできる限り尊重して検討する必要があると考えている。こうした中で、今後、移転先に関し、特別な自治制度等が国から提案されれば、円滑な移転の実現や、効率的な行政展開を念頭に置きつつ、検討していきたい。

21番目の質問は、地元住民の受け入れ意向についてであるが、先ほど知事から世論調査結果の説明があったので省略する。

最後の質問は、新都市の運営コストに関するものであるが、各種の都市サービスのコストを考慮すると、想定されている新都市の規模の場合、日常的な生活サービスの提供は可能であるとしても、高度なサービスの提供には、事業採算面で限界があるのではないかと考えているが、中央地域では、周辺の既存都市や大都市名古屋で発生する需要も含めた形で、各種の高次なサービスを効率的に提供できるので、運営コスト面についても有利な条件にあると考えている。

引き続き、名古屋大学名誉教授(愛知県防災会議地震部会専門委員)より、以下の説明が行われた。

この地域にいては地震の程度が非常に関心を持たれている。資料に、愛知県に被害を及ぼした震度5以上の地震の震央分布を示している。これを見ると、太平洋に面している愛知県においては、海側の地震、いわゆる海溝型地震が非常に大きな規模で発生している。明応地震1498年以降、現在に至るまで8回、震度5を越えるような地震が発生している。

その一方で、濃尾平野の北部、知多半島、さらに三河湾を覆う一帯に大規模な地震が発生している。そのうち代表的なものが1891年の濃尾地震である。これが愛知県を取り巻いている地震の状況である。

次の資料は、海溝型地震の例で、豊橋の南の方に震源がある1707年の宝永地震などがある。このような海溝型地震の震度分布によると、濃尾平野の台地から渥美半島、さらに静岡方面の延びる一帯に震度6という強烈な地震が発生している状況である。

次の資料は、1854年の嘉永地震であるが、この場合においては、静岡の沿岸部で震度7あるいは6という強い震度を示し、被害が発生している。

このようなことをもう少し細かく見ると、1944年の東南海地震では、愛知県の震度分布は6であった。注意すべきは、濃尾平野、知多半島の付け根、西三河の平野においてはかなりの被害があるが、豊橋付近には震度6に及ぶところが少ない。臨海部の渥美半島一帯は家も壊れて、かなりの津波の被害があったが、天伯原あたりは東南海地震の際においても震度5ないし6状態で終わっている。これは古成層の横断が浅く出ている天伯原の地盤のメリットである。また、地盤が高いので津波の被害もなかった。

このような内陸地震の分布、いわゆるフィリピン海プレートの圧力を見ると、結局、伊豆半島を中心とする駿河湾一帯の圧力が、このような内陸地震の地盤が伸縮する方向を持つことになるが、濃尾平野の北部から三河湾の方に被害が延びている。

特に注意が必要なのは、濃尾地震後の10年間にわたる余震分布で、名古屋をはじめ岡崎の西側、三河湾あたりに余震分布が延びている。そして、その余震分布の末端にあたるところでは、昭和20年の三河地震の発生、言い換えれば横須賀地震断層あるいは河津地震断層によって起きた三河地震の発生となっている。

このようなことから言って、この地域は海の地震が海岸部で発生している一方、濃尾地震を中心とする内陸地震が起きているが、その内陸地震の及ぶところは岡崎より東側、また豊橋より西側となっていて、首都機能移転の調査対象地域にはあまり関わっていないことが注目される。ここには中央構造線や他の活断層もあるが、歴史時代からの地震の分布を見ると岡崎の北部あるいは豊橋を含む一帯が歴史的には地震に対して影響が薄かったと言える。

続いて、名古屋大学名誉教授(愛知県環境審議会委員)から、以下の説明が行われた。

日本は雨が多く、全国どこでも森林が成り立つ。それが日本の自然の形の基本をなしている。ただし、温度によってできあがる森林の姿が違う。愛知県の場合は、ほとんどがいわゆる温暖帯に属しており、基本的な姿は、シイ、カシを中心とする照葉樹林帯である。しかし、照葉樹林は、夏は強いが冬は弱い。したがって、愛知県においては標高350〜400m以上ではこの照葉樹林は成立せず、落葉樹林になる。ただし、標高800mになるといわゆる冷温帯に入り、ブナやミズナラといった本当の落葉樹林帯になる。そういう中間体が存在するということが一つの特徴である。歴史の長い愛知県では、その基本的な姿が人間の活動によっていろいろと変わってきた。

まず、低地部分を占める照葉樹林は、畑や水田になり、市街地になり、工場になりということで、かなりの部分は失われた。しかしながら、それはかえって、非常に地形の緩やかな愛知県にあっては、農業を発達させたという過程があり、21世紀にはやはり農業が一つの基本の産業として、また復権をするのではないかという話もあるが、大きな都市圏の近くにありながら豊かな農業地帯を持っていることが愛知県の一つの特徴かと思う。

開発を受けなかった照葉樹林は、人間のいろいろな作用によってすっかり姿を変えた。すなわち、農業のために落ち葉や薪が採取され、地力をだんだんと奪われ、本来の照葉樹林は成立できなくなり、その後に二次林ができあがった。これはひどいところではマツ林で、そうひどくないところではコナラ、アベマキという落葉樹が占める二次林になっている。これが最近、いわゆる里山という言葉で呼ばれている森林地帯かと思うが、これがかなり広く広がっているのが愛知県の特徴である。

それからもう一方で、林業的に人工林がかなり増えてきている。愛知県は43%が森林であるがそのうち64%がスギ、ヒノキの人工林になっていて、全国平均を大きく上回っている。とかく人工林というのは評判が悪いが、最近は木材というものが循環資源であるという性質に着目し、見直しが進んでいる。また、この人工林は生長量が大きいので、二酸化炭素の吸収に関して非常に大きな働きをしているという特徴がある。

このような自然は改変がいろいろとあったが、愛知県というのは、大都市を抱えながら、他府県と比べると、俗に言う自然の豊かな県であるといわれている。このことは、農業生産とも相まって、豊という字のついた地名が非常に多くなっている。

それから、周伊勢湾植物というのがあり、伊勢湾を取り巻くような格好で、丘陵地帯の非常に貧栄養性の湿地に特殊な植物が分布している。例えば、代表的なものはシデコブシで、ナンジャモンジャの木(ヒトツバタゴ)というものもあり、特徴となっている。

里山、いわゆる二次林では、農家が落ち葉や下草をとって肥料にする。また、薪や柴をとって燃料にする。薪や柴は燃やしたあとに残った灰が肥料になった。このように、繰り返す人間の収奪が知力を失わせていったが、愛知県の場合には、それに加えて瀬戸物で代表される陶器産業があり、土自体をとってしまうこともあった。また、燃料としての薪採集も非常に進んだ。

そういう二次林が、今回の候補地の一帯に分布している。明治の初年には、実は愛知県、特に瀬戸の周辺ははげ山状態であった。明治30年に砂防法が施行されて、それから営々と造林が行われて緑を回復して現状に至った。

ただし、昔は農業利用等の肥料、燃料に使われていたのが、昭和30年代、肥料革命、農業革命が起こって、放置されているのが現状である。これは全国どこでも同じようなことが言えるが、愛知県ではコナラ、アベマキが特徴的である。このような落葉・広葉樹林の二次林が広がっていて、これは非常に明るい雰囲気を持っており、扱い方によっては人手をきちんと入れて整備すると、誰にも好かれる、非常に人の好みにあった森林ができあがり、新都市の背景をなすのに最も適切な植生であると思っている。

もしそこで、遷移が進み、常緑広葉樹シイ、カシの林に移っていったとすると、照葉樹林というのは、現在の日本文化を育てた母林であるから、それは里帰りになるということが言えると思う。

続いて、中京女子大学学長(前愛知県地方計画委員会県民生活部会長)より、以下の説明が行われた。

愛知県をはじめとする東海地域は、東京や関西とは異なって、いわば目立たない存在であるということが言えるかと思う。その気風にも、東京の中央意識であるとか、関西の進取の気性のような積極性というものはないと思われる。

しかし、その一方で、豊かな自然とものづくりの伝統に培われた、穏和で堅固な県民性というものがあり、地道で豊かな生活を育んできたということが言えると思う。濃尾平野を中心とした地域、これを取り巻く海域が、多様で非常に安定した第一次産業をもたらしたし、工業生産についてはいうまでもなく、人々は1時間以内の通勤圏で、広い住宅を確保して、独自の文化的な生活を築いていると思われる。したがって、地域経済の発展とか、あるいは国家投資の誘導といった側面、経済的な動機から首都機能を誘致しようという考え方は、当地の一般的な市民にはないのではないかと思われる。つまり、経済的な効果を狙って首都機能に来てもらいたいということは、基本的、一般的な感覚ではないというのが私の見解である。

むしろ、国会の移転に伴って、赤坂等の東京の夜の風俗が一緒について来はしないかとか、あるいは乱開発によって環境破壊が起こらないか、もしくは地価高騰が起こらないかということが、平凡な市民の心配だと思う。ひょっとすると、首都機能は迷惑施設ではないのかという、いわば漠然とした不安、疑問というものがないとは言えないと思う。

しかしながら、日本列島の中央部に位置し、人口重心にも近い地域に首都がおかれる。全国民の統合と利便性に帰するということもまた理の当然であろうということは、この地域の人々は理解していると思う。これは素直な常識的な感覚で理解できるものである。

百数十年間にわたって、京阪神と東京、地域の狭間で送ってきた静かな暮らしというものは、私たちにとって大変貴重なものであるが、全国的、世界的な役割を果たすことが求められれば、それに応える気概というものも、この地域の人々にあると私は考えている。

それは、2005年の万博をきっかけにして、地域の市民社会の新たな気運が出てきたということで説明できるものであるが、同時に、当地の伝統に根ざしたものでもある。日本史をひもとくと、真に国家の命運が左右されるようなときには、普段おとなしいこの地域の人々が積極的な役割を担ったということが理解できるかと思う。壬申の乱の折りには後の天武帝の大海人皇子がこの地域の人々を頼りにした。彼の舎人、そして手兵であった人々の中心的な役割を担ったのは、美濃や尾張のゆかりの人々であったし、尾張の刀鍛冶が鍛えた武器が壬申の乱で勝利に導いたものであったと理解している。

また、104年にわたる応仁の乱の混乱に終止符を打ったのも、そしてその後250年以上にわたる世界屈指の安定の礎を築いたのも、信長、秀吉、家康というこの地域の出身の人々であったということはいうまでもない。そして、それは私たちがこの地域に住んでいる中で育っている文化の一つの中で誇りとするところであり、また、気概とするところと言えると思う。今再び、この地域の人々の働きが日本のため、世界のためになるのであるならば、人々は微力を尽くすことはいとわないと私は思っている。

特に、私たちは首都が欲しいと思っているわけではない。しかし、愛知県もしくはその隣接地が選ばれるのであるならば、その首都を未来の日本人達、世界の人々から託された預かりものとして大切に育て、見守るつもりがある。

初めて日本が民主主義国家として、国民の手で生み出す首都を、ここに至る文化と、そして生活を持ったものとして育てなければならないと思っている。そして、このような基本的なスタンスに立った上で、私どもは首都機能移転を考えたいと思っている。そして、それにあたっては、是非首都機能移転を進めるにあたって、お願いしたいことがいくつかある。

1つは、国民の政治離れが指摘されている中で、首都機能の移転の議論の進め方という問題がある。これは、多くの国民が関心を持ち、話題にすることができる問題であり、国民が、自分たちが国の主権者であるということを自覚する上で大変重要な、そしてまた盛り上がるテーマだろうと思う。これまで日本人は、現在の東京を含めて、首都の所在地を自分たち自身で決めてきたという経験はない。国政改革のきっかけとして首都機能移転を進めるということであるならば、移転先の決定の仕方も、是非とも国民が主人公であるという政治・行政のあり方を先取りするものであって欲しいと思う。

恐らく、移転先で国会が開催されるのは、最短でも2014年度以降と聞いている。新首都が本格的に機能を発揮するのはさらに先のことであろう。そのころには、私も多分引退してしまっているかもしれないと思っている。そのように考えると、実際に新首都を利用することになる、そして育てることになる若い世代の人々が本格的に議論に加わってくる必要があろうかと思う。例えば、候補地のない北海道、九州、沖縄などを含め、全国各地の高校生、大学生、若者達がやはり積極的に自分たちの求める首都像を語り合う場というものが必要であろうし、インターネットなども利用しながら、そういう議論がなされるべきであろうと思う。

首都機能移転というものは、夢のあるテーマである。そして、そのような問題を通じて、やはり国に対する気持ち、政治、行政に対する認識というものを次の世代が育てていくことになるのではないかと思う。

審議会や公聴会といった従来の形式も必要であるが、若者達の中から首都機能移転についてへの、いわば勝手連的なそして積極的な動きが出てきて、移転の論議が国民的なものとなり、日本の進路を決めるのに相応しいものになることを心より祈っている。

(3)質疑応答

県側の説明のあと、以下のとおり質疑応答が行われた。

・本日、現地を実際に見て、西三河北部地域は、岐阜の東濃地域で考えているプロジェクトと関連があり、東三河南部地域の方は、静岡と非常に関連があるのだと思う。今後進めていくときに、これらの関連はどのようになるのか。もう少し、具体的に踏み込んだ絵のようなものは描かれていれば、わかりやすいと思った。

また、谷岡学長の発言にあったように、愛知県民のみでなく、一般の日本人の首都機能移転に対する考え方というのは、基本的に一番大事な問題だと思う。本日、県民の首都機能移転に対する意向は上がっているということであったが、実際に住んでいる方はどう考えているのか。静岡の人達と豊橋関係の人達、あるいは、東濃の方と西三河の方との関係についても、住民意識調査を行うと明らかになるのではないか。

また、新都市は、非常にコンパクトな日本の21世紀の姿を象徴するものでなければならないが、一方でそれなりの経済的な基盤が必要であると思うし、さらに文化を持たなくてはならないと思う。そのような意味では、例えば、東濃の地域と一緒になった新都市の中には自動車産業もあり、陶磁器文化もあるということを検討してはいかがか。

→数十年前から、日本も世界も大交流時代に入ってきていると思っている。そういう意味で、21世紀においては、県境域のポテンシャルをどう活かしていくか、県境を越えてというのがテーマではないかと思っている。

そういう意味で、新しい首都をどうするかというのは、極めて広域的なプロジェクトであり、そういう点で、我々は、浜松を中心とする遠州地域と、豊橋を中心とする東三河地域で、何度も交流を重ねて提言をまとめた。このような点から考えると、西三河の北部は東濃地区との連携ということになり、今後、首都機能移転の調査にあたっては、県境域を越えた形で検討願いたい。

→今説明があったように、この地域では、プロジェクトの推進などで非常に連携を持っていて、首都機能移転問題についてもいろいろ情報交換を行ったり連絡体制を十分とっているが、まだ具体的に絵を描くというレベルまで達していない。今後事態の進展にあわせて、そのような取り組みを行っていきたい。

・本日、東三河南部地域を視察して、この地域はかつては軍の演習地であったため、開拓農家が多いのではないかと思った。恐らく終戦後に入植し、歴史はまだ浅く、各々の方が開拓に汗水を流したことと思う。そのような思い入れのある土地を買収するのは困難ではないかとおもうが、この点についてはどのように考えているか。

→浜松地域と連携しながら首都機能移転に対する提言をしているが、その提案では、浜名湖を中心として様々な首都機能をクラスター型に提案している。

浜名湖は6,500haあり、その真ん中に2,000haほどの村櫛半島がある。現在の永田町と霞ヶ関は、126haほどで、村櫛半島の先端部の一部だけで十分入ってしまうくらいの面積である。新都市の中心部をそこにおいて、開拓地域の外周地域にリゾート法で指定を受けている太平洋に面した約1,00haの地域がある。

また、県の調査の結果では、東三河地域全体で3,00ha程度の候補地がある。そういう意味で、我々は、分散型にすることと、いろいろな都市機能を東三河地域から浜松、磐田、小笠山の地域くらいまでに配置することを提案している。

このように、県境域を越えて運動を進めているので、広域的な調査を行ってもらいたい。

・それぞれの候補地について、中心クラスターを考え、それに周辺クラスターを配置するという計画をしていると思うが、新都市はコンパクトであって一体性がなくてはならないという気がする。土地が非常にとびとびにあって、そこを中心に開発していくと、中心クラスターと周辺クラスターがただ道路で結ばれて、その間に従来の市町村が入ってくるという形になりかねないと思うが、一体性という点で、何か絵を描いたりはしていないか。

→浜名湖新首都機能配置とイメージについてのパンフレットがある。中心的な部分は村櫛半島を中心とする浜名湖周辺地区におくことを提案している。浜名湖を中心として半径15kmの円を描くと、ちょうど豊橋市役所と浜松市役所が全く同じ距離で入ってくる。この範囲はちょうど東京23区と同じ面積である。さらに、浜名湖の周囲にモノレールをつくると、ちょうど山手線の延長と同じとなり、その地域を中心地域として、特に湖水を十分いかした都市を考えていて、それほど分散しないと考えている。

→補足的に説明すると、国公有地の間の民有地については、必要があれば買収することになる。また、距離的にも一体性が必要であることはその通りであるが、情報網なり道路ももちろん必要であるが、その間の民有地を買収することで十分一体性は保てると考えている。

・全国民に夢のある首都機能移転という視点から質問したい。先ほどの説明で、東京は首都として東に偏っているという話があったが、確かに人口重心ということで考えると、岐阜あたりに人口重心がある。しかし、トンネルないし橋でつながっている日本の4つの島に、東京を中心としてコンパスで円を描くと、北海道は少しはずれてしまうが、西日本は九州まで全部入ってくる。ということは、地理的な中心は、東京よりもまだ北にあるということである。人口重心が岐阜にあるということは、日本列島全体に人口が西の方に偏っているという構造になっているためである。東北や北海道の人達は、東京でも遠くにあるという感じがするという印象を持っている。あるいは、特に若い学生達にそういう印象を持っている人がいる。そういう人達にも夢を与えるということから、仮にこのエリアに首都機能が来たときに、4つの国土軸の接点ということについては、概念的にはわかり、東京や西日本とのアクセスはよいが、東京より東の方との関係ということがあまり念頭に置かれていないという印象を受ける。

そういう意味で、関西から東京に首都が行ったために、現在の北海道、東北があるという見方もあるし、こちらに首都機能が移った場合に、どのようにしたら東の方もバランス良く国土構造を造っていくことができると考えているのか。

後日文書により回答

中央地域には4つの国土軸の接点となる地域でありますので、そこへの首都機能の移転は国土軸相互の連携強化に大きく寄与し、移転を通じ、新しい全国総合開発計画がめざす「多軸型国土構造の形成」が図られていくものと考えおります。

そうした中で、北東国土軸あるいは日本海国土軸に位置する東北・北海道などの地域は、太平洋国土軸や西日本国土軸との交流・連携を通じ、多彩な文化・産業等の創出が促進されるものと考えております。

それに加え、東北・北海道などの地域は、北方圏や環日本海などの特色ある国際交流を進めつつ、首都機能移転を契機にリニューアルされ経済・文化面を中心に世界都市として発展していく東京との連携を図りながら、自立的な発展を遂げていくものと想定されます。

なお中央地域が移転先となった場合、東北・北海道のうち空路による来訪が想定される地域については、現在でも名古屋空港と東北・北海道の13空港との間に1日42往復の定期便がありますが、さらに国際ハブ空港として2005年の完成をめざす中部国際空港により国内定期空路網の充実が期待されます。

また、新幹線等による来訪が想定される地域についても、将来的にはリニア中央新幹線により、アクセス時間の大幅な短縮が想定されます。

・東三河地域については、かなり具体的に静岡県との間の開発、整備イメージが議論されているようであるが、西三河地域については、岐阜との間であまりそういった具体的な議論がないように思う。西三河でも、県境にまたがってどのような首都機能移転の候補地の整備をするのかという議論をした方が良いのではないか。

→東濃地域と西三河地域では、県議会ではそれぞれ11名、14名の議員がいるが、ここ4、5年連絡を取り、この問題については非常に真剣に双方が情報交換するとともに、道路あるいは鉄道その他、付帯する要件整備のために協力し合おうということで議論を重ねている。

ただ、この問題は、移転される首都機能がどのくらいの規模で、どのような形にしようということを、我々の方から絵を描いて提案するのはむしろ失礼ではないかと思う。ある程度国が示したものを元に、提案するべき事案ではないかと思う。地域としては情熱を持っているが、謙虚な姿勢を持ちつつも、協力したいという気持ちは真剣である。

それと同時に、万博の問題で反対があり、すぐ近くではないかという質問があるが、反対者は極めて少数であり、新しく愛知に住むようになった方々が多い。本当に長い間愛知の歴史とともに生きてきた方々は、そういった運動にはほとんど加わっていない。このようなことから西三河北部地域の場合、反対運動はないと言っても過言ではないと思う。

・将来、首都機能委が移転した県域における行政機構について、国会等移転調査会の新都市部会の中でも、どのような行政組織であるべきだろうかという議論があった。その時に、例えば県と同格の自治体として、県から切り離すという議論があり、今後そのようなことになる可能性がないわけではない。そういう状況を住民に示すなり、地方公共団体の間でも議論をし、そのようなことになる場合でも首都機能を誘致した方が良いということになるのか。先ほどの説明の中でアンケートの話があったが、このような場合でも、自分たちのところへ首都機能を持ってくるという合意がなされるであろうか。NHKの世論調査によると、愛知県民に対して、首都機能移転に賛成で自分のところに移転を希望という方は、平成8年度で、28%弱程度、他県へ移転希望という方が39%、移転に反対という方は18%いる。このようなデータの中で、今述べた点についても検討してはいかがか。

→県と同等の公共団体を新しくつくるということに関しては、まだそのような議論はしていない。どこにに新都市があるべきかという議論を専らしている。個人的な考えでは、そのような特別団体にはしない方が良いと思う。広域的に考えていこうというときに、そこだけが新しい団体になってしまうのは、いかがなものかと思う。

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