平成11年11月30日(木曜日)16時0分〜18時0分
中央合同庁舎5号館別館共用第23会議室
森会長、石原会長代理、野崎部会長代理(起草委員長)、新井、石井(進)、石井(威望)、海老沢、寺田、中村(英夫)、濱中、堀江、牧野、溝上、宮島各委員(14名)
井田、黒川各専門委員(2名)
古川内閣官房副長官(事務局長)、久保田国土事務次官、木下国土庁長官官房長、板倉国土庁大都市圏整備局長(事務局次長)、他
移転先候補地の選定に係る議論、答申の文案について他
移転先候補地に係る議論として、溝上委員、井田専門委員、黒川専門委員から意見が述べられ、その後、質疑応答が行われた。その後、重みづけ手法による総合評価、答申の文案について意見交換があった。
地震災害について、溝上委員から意見が述べられた。
地震災害に備えるには、大地震がどこで起きるかについて考えるだけでなく、それがどのくらいの時間的間隔をおいて起こるのかも考えなくてはならない。
阪神・淡路大震災は、淡路島北部から神戸市の直下を走る活断層が、およそ2000年ぶりに大きくずれ動いて起こった大地震による地震災害である。
大阪湾の海底に堆積している柔らかな地層を取り除き、海底の固い基盤をむき出しにした場合、大阪湾の海底から六甲山の頂上を見上げると三千数百mの切り立った崖になっている。この巨大な崖は、過去数十万年にわたり、今回のような大地震がおよそ2000年毎に繰り返し発生し、その度毎に山が少しずつ隆起して出来上がったものである。今回の地震はその1ステップに過ぎない。
大地震が起きると、それまで長年にわたって地下の岩石に蓄積されてきた歪みが一気に解放されるので、同じ場所に歪みが蓄積されて再び大地震が起こるまでには、ずいぶん長い地震がかかる。阪神・淡路大震災を引き起こした兵庫県南部地震の場合には、この時間の間隔は1000年とか2000年といった長さである。これは、地震災害は一旦起こってしまうと後の祭りとなりかねず、事前の備えがいかに大切かを物語っている。
阪神・淡路大震災を引き起こした兵庫県南部地震の規模はマグニチュードM7.2であり、地震の規模としてはとりわけ大規模ではない。この程度の規模の地震は、過去に全国各地で度々発生している。兵庫県南部地震のように内陸部の比較的浅い場所で起こる地震を内陸地震とよぶ。その発生の繰り返し間隔は千年から数千年、場合によっては何万年と実に長い。
内陸地震に対して海溝型地震と呼ばれる地震がある。海溝型地震の特徴は地震の規模マグニチュードM8程度であり、M7程度の内陸地震の20個ないし30個分の規模に相当する巨大地震であることがあげられる。さらに、海溝型地震の繰り返し間隔は100年ないし150年程度と短い。関東地震や来るべき東海地震はいずれも海溝型地震である。さらに海溝型地震はその規模が巨大であるため内陸部の歪みに影響を及ぼし内陸直下で地震を引き起こす場合もある。海溝型地震は海底の大きな隆起・沈降を伴うので大津波が発生し沿岸地域に甚大な被害を与える。震源域が陸に近いと、震度7相当の揺れの範囲は阪神・淡路大震災の場合の数倍に達する可能性がある。
伊豆半島の西の駿河湾から御前崎沖を通り遠州灘、熊野灘、紀伊半島の潮岬沖へとつながる南海トラフに沿って海溝型地震が繰り返し発生し、その度毎に沿岸地域一帯を中心に大災害に襲われてきた。南海トラフの海溝型地震は、西暦684年にまで遡ることができ、最近の5回は明応、慶長、宝永、安政、昭和の大地震が知られている。西暦1800年以降、死者1,000人以上の人的損害を出した地震は17回あるが、その中に1854年の安政東海地震、安政南海地震および1944年東南海地震、1946年南海地震が含まれている。
安政東海地震・安政南海地震の直前と直後には、死者千人をこえる伊賀上野地震や死者1万人を超える安政江戸地震が発生した。その後1世紀たらずして再び昭和の東南海地震、南海地震が繰り返し発生した。これらの地震は1943年の鳥取地震、1945年の三河地震、1948年の福井地震などマグニチュードM7クラスの内陸地震と連動して発生した。東南海地震、南海地震による死者を合わせると1万人弱に達する。このような度重なる南海トラフの海溝型地震は、伊豆半島以西の東海地方、紀伊半島および四国の太平洋の沿岸地域一帯に大被害を及ぼしてきた。
1944年東南海地震の時に、その震源域は熊野灘一帯に留まったため、駿河湾から御前崎沖ないし浜名湖沖の一帯は未破壊領域として取り残された。そのためこの地域では安政東海地震から現在までの歪みの蓄積が続いており、いつ海溝型地震が起こっても不思議はない状態にある。御前崎の先端部は年間数ミリメートルの割合で沈降しているが、これはフィリピン海プレートという海のプレートが、陸側のプレートを下方に引きずり込みながら東海地方の直下に沈み込んでいるためである。歪みが極限に達すると、この沈降が停滞し間もなく陸側のプレートの先端部が跳ね返って東海地震が起こる。気象庁では、いつ起こっても不思議ではない東海地震に備えて24時間連続体制の監視観測を行っている。
東南海地震、南海地震が起こってからすでに半世紀たった。南海トラフの巨大地震の再来までに約40年を残すだけとなっているので、東海地震だけでなく、東南海地震や南海地震に対しても備えていく必要がある。
こうして見ると、地震災害については単に地震の発生地域だけではなく、発生間隔や発生時期の切迫性という視点からも検討することが大切であると思う。
火山の噴火というのは、地下のマグマによって起こるが、マグマがそのまま液体の状態で出てくると溶岩になる。溶岩の災害というのは余り重視するに至らない。もう一つのマグマの出方として、爆発を起こして粉々に砕かれる。極端なものが火山灰であり、粉々に砕かれたマグマが空気と混ざって噴煙状になって出てくる。その噴煙状のものが、上がって風に流されて広がり火山灰などを落とす。これを降下火砕物といい、比較的小さな噴火でも広域に影響を及ぼす現象である。
噴煙状のものが浮力を獲得し損なうと、山腹を流れ下り、雲仙のときに問題になった火砕流となる。もともとはマグマで、非常に高温のものが空気と混ざって、100km/hぐらいの速度で落ちてくる。直接的に大きな脅威になるが、噴火の規模や問題となる場所などによっては、必ずしも、そんなに重要視されないかもしれない。
ただし、比較的小さな噴火の場合でもこの火砕流が、冬に雪が積もっているときに起こると、雪を溶かし、融雪泥流というものを引き起こす。数百年に1回程度起こると想定される噴火でも起こる。これが起こると川に沿って泥流として流れていく。
1985年にコロンビアのネバド・デル・ルイス火山の噴火で起こった融雪泥流は50kmも流れ下り、三角州に広がっていたアルメロという町を埋め立て、2万人以上の生命が失われた。我々が着目するのは、広域的な火山灰、降下火砕物、火砕流や融雪泥流を考えている。
北東地域の西側にほとんど火山がつながっており、その地域は何らかの意味で影響をされている。中央地域に関しては、富士山と御岳山の影響で、例えば岐阜、静岡などが影響を受けている。
特に栃木地域、宮城地域が、降下火砕物の影響をうける可能性がある。
関係した火山がどのような噴火をしているかというと、那須岳は割と小さい噴火、中規模の噴火をしており、例えば1408年の噴火がある。
富士山は、桁の違う大規模な噴火をしている。
一般的に1つの火山で見ても、大きな噴火も小さな噴火も起こる。その頻度は、小さな噴火の方が当然、多くなる。発生間隔等の関係から、数百年に1回の噴火とはどれくらいの規模のものかを見積もっている。
富士山は、かなり大きな噴火をし、ここで考える火山の中では、大規模な噴火を高い頻度で繰り返している。ただ、調査対象地域から距離が離れているため、調査対象地域よりも東京に大きな影響を与える。海溝型の地震の場合には、同じような規模のものが繰り返し同じような頻度で起こるという傾向があるが、火山の場合は、必ずしもそれが言えない。火山の場合には大きな噴火と小さな噴火が混ざって起きる。間隔も規則性も見られないわけではないが、乱れることが多く、規則性がほとんど無い場合もある。噴火が起こったから、しばらくは安全だとは言いがたい。
富士山は1707年の宝永の噴火で、交通が麻痺するような降下火砕物が東京に及んでいる。北東地域の一番南の辺りに影響が及ぶかもしれないが、深刻ではない。宝永の噴火の一月半前に宝永の大地震が起こっている。地震によりひずみの状態が変わったことが噴火の発生に影響した可能性がある。
降下火砕物の分布は、日本の場合には偏西風の影響で、東側に偏ることが多い。特に、高くまで上がった場合にはその傾向が強い。北東地域の場合には、西側に火山が並んでおり、影響を与える。ただ、風向きは絶対ではなく、いつも西から東へ吹くわけではない。
栃木県の評価地域についてであるが、高原山は活動度は余り高くない。日本全国で86の活火山があるが、その中に高原山は入っていない。那須岳に関しては、かなり活動的であり、1408〜1410年に掛けて、中規模の噴火を起こしている。
火砕流については、数千年以上に1回の頻度の大規模な火砕流だと何かしら直接的な影響が出る。問題はそれが安全だと言えるのかどうかであるが、雲仙普賢岳では、噴火が起こるまで火砕流が起こるとは思われていなかった。後から調べて、過去にも火砕流が数千年前に発生していたことがわかった。
火砕流、泥流等に対する予測は、「そろそろ危ないことが起こるかもしれない」との情報は出せるかもしれない。今の実力ではそれ以上に精度の高い情報は無理である。
火砕流は、非常に高温の物質が時速100キロぐらいで落ちてくる。泥流でも時速50キロでおそわれたら、逃げられない。襲われた範囲は全滅だと思っていただいた方がいい。火砕流、泥流で一つの都市が全滅したという例は歴史的にある。その頻度の予測も難しいところがある。
続いて質疑応答が行われた。
土地取得というのは、最終的には、土地を所有する地権者が土地を売ることに同意しなければできない。
評価要素は評価尺度確定要素、評価尺度あいまい要素、評価尺度未確定要素の3つにわけ、このうち評価尺度確定要素はメッシュデータを使って、土地に関する法的な規制、建物用地等の要素を考えている。評価尺度あいまい要素と未確定要素については、はっきりとわからないが、各府県が、新都市の受入を表明している地域は、地元の情報を総合して勘案しており、まとまった土地が購入できる可能性は高いだろうと評価している。
第1段階約1,800haという土地が必要であるが、全部を一遍に全面買収するやり方と先買いによる土地区画整理事業という事業手法の2つが考えられる。
全面買収事業は、その後の事業は非常にやりやすいが、対象地域の中に集落などがあると全面買収するのは非常に難しい。
土地区画整理事業では、地権者と事業主体が一緒になって、国会等の都市をつくる場所と、そうではない集落のところの土地を交換しながらまとめていくということである。必ずしも、全面買収する必要がないが、建設するとき全部の地権者と合意をとらないと事業が進まない。
筑波の研究学園都市のときの計画から実際にでき上がるまで、用地の状況により計画が大きく変化している。昭和38年に土地のことは余り意識せずに計画を立てたが、プランナーはできるだけコンパクトにまとまったような町をつくった方がいいのではないかと考えた。昭和40年には、地元から、取得可能な土地の図面が出てきて、それを基に、少し膨らませようと努力をした。そのとき、全面買収方式、新住宅市街地開発事業、土地区画整理事業といった考えられるあらゆる事業の組み合わせでつくった。
結論として、検討地域について絶対に無理であると確定して言える要素はほとんどない。この中に新都市の国会等を建設する国会都市は、約1,800haの土地が必要であり、数百haもの用地を一括して取得できる国公有地があると有利である。
民有地の林地は、売りやすくなってきており、民有の林地はまとまって買収できる可能性は高い。
人が住んでいるところは、権利関係が輻輳しており、一般的には用地買収は難しい。田畑になっているところも、買うときには生活再建の問題を抱えるから、どうしても時間がかかる。
続いて質疑応答が行われた。
重みづけ手法の評価方法について、意見交換が行われた。
答申の文案について、野崎起草委員長より説明があった。
次回、第29回の審議会について、12月10日13時から行われることが、事務局から提示された。以上
(文責 国会等移転審議会事務局)