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「首都機能移転を新しいプロセスづくりの契機に」


如月 小春氏の写真如月 小春氏 劇作家、演出家

1979年東京女子大学文理学部卒業。1983年より劇団NOISE代表として作品を発表する一方、全国の公共施設で演劇ワークショップにも積極的に取り組む。中央教育審議会、文化政策推進会議などの委員を歴任し、文化・教育に関わる政策に対して提言。現在、桐朋学園短期大学部講師、立教大学文学部講師、国際交流基金運営審議会委員、東京国際交流財団理事、「21世紀日本の構想」分科会委員など。近著に『ピーヒャラドンの謎』、『八月のこどもたち』など。



プロセス重視が効果を引き出す

結論からいいますと、私自身は現在の時点で首都機能を移転した方がいいのか、しない方がいいのか、ということについて、自分なりの結論を出せずにいます。首都機能移転について議論することは、日本のこれからを考える上でいろいろな意味で良いきっかけになると思いますし、うまく進めていけば大きな効果をもたらすと思いますが、今の段階ではそのせっかくの好機を十分に生かせていないと感じるのです。

首都機能移転を考える際には、(1)移転するか否かの問題の他に、(2)決定にいたるプロセスがどうあるべきか、(3)首都機能を移転することで移転先及び東京の双方の都市づくりをどう進めるか、という3段階の問題があると思っています。その3段階のうちで一番重要なのがプロセスで、2番目が都市づくり、3番目が首都機能を移転するか否かという優先順位になると考えています。といいますのも、国をつくる、ある社会をつくるという時には、決定にいたるプロセスがどう経過するかによって、結果のもたらす効果が大きく変わってくると思うからです。これまでのようにグランドデザインを描いて国づくりや社会づくりを進めていく方法による効果と、住民参加による話し合いを積み上げていく中で行政と住民とがコンセンサスを見い出していくという方法による効果と、どちらが今求められているかということを考えますと、首都機能移転問題についても、これから先の日本の国土や国の形というものを、誰のために、誰が、どういうふうに決めていって、どう利用するのかというプロセスの方から考えていくことが、最終的に、国のためにも社会のためにもなるのではないかと思うのです。

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誰のための首都機能移転か

それにしても、誰のための首都機能移転か、何のための首都機能移転か、どうして今かという3つの問いが浮かんできます。また、日本という国にとってどのような効果があるのか、移転していく先の地方自治体にとって、あるいはその地方自治体との関わりのある他の地方自治体にとってどういう効果があるのか、東京にとってどういう効果があるのかという問題もあります。私はこの2通りの問いかけから考えはじめたいと思っています。

まず、誰のための移転かということが、あいまいになっていると感じます。東京都民という立場からいうと、移転しなくても今の東京をよくしていく方法は幾らでもあるのではないか。移さなければいけないのであれば、移転した後の東京についてどう考えるのか。過密の問題にしても、移転によってそんなに極端に人口が減るわけではないだろうし、必ずしも大きい効果が上がるとは考えられない、という東京都の主張ももっともだと思うのです。移転先の地方自治体にしましても、どこに決まるかによって大きく違ってくると思うのですが、やはり開発重視になっていくのかなと思うと、誰のためのという点に、少し疑問符がつくところがあるように思います。もちろん移転がその自治体にとって大きな資産になっていくという面もあると思うのですが、一番大きい効果や利益を得るのは、おそらく国ではないかと思います。つまり、国にとって首都を移転するという非常に大きなグランドデザインを描くことによって、これから先の日本の国土をどのようにしていくのかという問題について、非常にわかりやすい大きな図面が引けるわけです。それをもとに、いわば振り出しから都市づくりをしていける、国づくりをしていけるという面では、有効な手段だと思うのです。首都を移すことはそれほど頻繁にできることではないので、やれたら、これはおもしろいし、何かが大きく変わる可能性もあるだろうなと思う面もあります。ただ最初に戻りますが、やはりこのような考え方自体がグランドデザイン的な発想なわけです。そうではない発想に立つと、誰のためかという点に関して、コストを負担する人たちが納得していくプロセスが抜け落ちているように思います。首都機能移転の問題がサミットの会場を決めるのと同じような誘致競争のレベルでとらえられていることが、とても残念な気がするのです。当たり外れではないですけれど、当落に関心が集まり過ぎていて、この国の大きなグランドデザインを描く一番出発点に当たるような大きな問題であるはずの首都機能移転が、矮小化された、小さい視野での問題としてとらえられてしまっているところに、まだまだ国づくりのプロセスとして十分な段階に達していないと感じられます。

首都機能移転は、効果的に行われたとすれば、日本という国にとって非常に望ましい方向に進むだろうと、私は思っています。ですから、ぜひとも誰のための移転かという点に関して、コンセンサスを得るための、国民レベルの大きな議論を期待したいのです。自分に関わりのある問題であり、コストも自分が負担して、最終的に自分のためになる、あるいは日本の国全体にとっていい方向に進むことなんだということを、もっと多くの人が理解していくプロセスを経ない限りは、移転を決めるべきではないと思います。そのプロセスがしっかりできた上で移転するという結論が出たのならば、ぜひそれに賛成したいと思います。ここまで来るのにすでに長い時間がかかっていますが、にもかかわらず決して国民とのコンセンサスのために長い時間がかけられているようには思えません。その意味で今の段階では、こんな議論のすすめ方で決めるくらいなら移転はやらないほうがいいと考えざるを得ないのです。

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何のための首都機能移転か、なぜ今なのか

次に、何のための移転かという点です。やはり最終的には、国の大きなこれからの方向性を決めていくための移転だと思いますので、このことには納得はしますが、どうして今という点は納得がいきません。

それは、日本経済が必ずしも良い状態になく、先行きも不透明という経済における時期の問題もありますが、今、候補地に挙がっているところの多くは、首都のベッドダウンと言ってもいいぐらいに、人口の密集度が高くなっています。東京から近いところとなると、どうしてもそうなると思うのです。そう考えますと、どれくらい長期的な視野に立った移転なのか、長期とはどのぐらい先までの見通しなのか、その辺もあいまいな気がしてならないのです。今すぐに役立つことを目指しているのか、長期的に日本という国を考えていくのかということが見えにくいように思います。

どうして今かということで言えば、今日本が抱えている問題の多くは、地域の格差が極端に開いていることに原因があり、いわゆる地方分権とのかかわりの中で、これからそれぞれの地域がどのように自分の地域を形づくっていくのかが重要だと思います。ですから、その視点に立って候補地を再考してもいいのかなと思います。国民があまり関心を持っていないときに、実行すれば影響力の大きいことを決めるのは、これからの日本の国づくりの手法としてはふさわしくないということが一番大きな問題だと思っています。

その一方で日本は今、エネルギー問題やゴミ問題、食料危機に超高齢化など、非常時としか言いようのない時代に直面していると思います。今のままいったら、東京のお年寄りは、周辺の老人ホームや病院に収容して、中心部に若い働ける人が集まって、子供もいなくなって、そういう異常な事態が起きると思うのです。そうしたら、東京の福祉はどうなるのか、教育はどうなるのか、ゴミはどうなるのか、そういうことが全部、本当にぎりぎりの危機に来ています。そういう非常時を背景にしていると考えれば、「どうして今」ということにも1つ理由があるのかなという気もします。

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首都は1つでなければいけないか

よく経済的首都とか、文化的首都とか、いろいろな首都というのを、単に政治的な首都だけではなしに、いろいろ冠をつけて表現することがありますけれども、日本の場合、あまりにもそれを全部東京に集め過ぎたという印象は確かにあります。ただ、そこから政治的な首都を外すということは、東京にとっていいことなのかは疑問だとも思いますし、あるいは、文化的首都とか、経済的な首都というものは、1つでなくてはいけないのかなとも思ったりします。政治的な首都は1つであったほうがいいのかもしれませんが、文化的な首都や経済的な首都、首都というよりも中心地、センター的な役割を果たす場所といった方がいいのかもしれませんが、それをもう少し東京以外のところにも複数育て上げていくという努力、それは払ってもいいのではないかと思います。その中で、明らかに文化的首都はこっちだなと思ったならば、人は自然にそちらに集まると思うのです。政治的首都はグランドデザイン的に動かさないといけないかもしれませんが、文化や経済の首都については、もっと違う方向で動かすことが可能だと思います。地方自治体では、それぞれ大きなホールを建てたり、地域を創造するため のさまざまな試みが行われていますけれども、その中から面白いものが出てくる可能性はあると思います。文化や経済という意味で複数の首都が生まれてくる、そういう方向になる可能性は持っているし、そうなったときには、本当におもしろいものができると思います。

福岡を中心とした地域が、アジアとの文化的な交流、経済的な交流に進もうとしたり、新潟が、ロシアなどと結びつきを強めようという地理的条件を活用した試みが始まっています。そのことが、日本、あるいは他の国まで含めて可視的な形に育っていったときに、日本の中心は東京だけではないんだということが、世界に認知されていくのだと思います。これはとても望ましい方向だと思います。日本の場合は、近代化の過程でどこも似たような形の都市や町ができすぎたこともあって、この十数年特徴づけに非常に苦労をしてきました。その萌芽がようやく出てきたのが今の時期かなと思っています。

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プロセスづくりの新しい形をつくる機会に

これからはプロセスづくりの、もっと新しい形をつくるべきであると思います。その新しい形というのは何かというと、今までの住民参加という言葉よりも一歩進んだ形を想い描いています。住民というか、国民ももっと賢くならなければいけない。もっと決定のプロセスに加わっていくための高度な知識とエネルギーと労力を国づくりや社会づくりに払わなければなりません。そこからまず喚起しなければいけないと思っています。今まではあまりに行政まかせでしたから。

ですから、何もかも政府のほうがサービスして、こういうことをやっていますからご理解くださいという今までの方式は違うと思うのです。プロセスといっても、国民は何で関心を持たないのか、あなた自身の問題ですよ、という気持ちが私にはありますので、政府は政府でグランドデザインをぶつける、そしてそれにきちんと反応が返ってくるようなシステムを日本がつくっていかない限り、これから先も今までと同じようなトラブルが延々続くだけになってしまうと思います。グランドデザインと住民参加というものの関係のあり方をまず一から変えていくような新しい国づくり、社会づくりのプロセスを組み立てるために、首都機能移転はとてもいい機会なのだと思います。

それが、どこに決まるかということだけで問題が語られるのは、あまりに小さいと思います。もったいないと思います。これからの日本のための大きなきっかけになるような討議の場にしてもらいたいと思います。この問題についてすごく真剣に議論する、これを通して、日本が一番今大きな変わり目にあるということを国民のコンセンサスにして、その中で21世紀の日本のあり方を考え、首都機能移転を起爆剤にしていくことは可能なのかというような話にしていかなければいけないと思っています。

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