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「首都機能移転は問題提起に意義がある」


堤 清二氏の写真堤 清二氏 財団法人セゾン文化財団 理事長

1927年生まれ。1951年東京大学経済学部卒業後、(株)西武百貨店に入社。その後、小売業をはじめとした多面的事業展開を行うセゾングループを育てる。(社)経済同友会の副代表幹事を務めるなど、経済界でも活躍。また、1998年、中央大学にて経済学博士号を取得。主な著書に「変革の透視図」(1979年、日本評論社)、「消費社会批判」(1996年、岩波書店)など。詩人・作家「辻井喬」としての顔も持ち、1994年に小説『虹の岬』で、第30回谷崎潤一郎賞を受賞。



首都機能移転の理由

首都機能移転問題は、首都の移転ではないわけで、立法、司法、行政を移転するということです。ですから問題としては経済と立法、司法、行政とが物理的に分離できるのかどうかということ、それから、何のために移転するのかという問題、いろいろな問題がその中に含まれていると思います。最初に首都機能移転が発議された意図としては、国政全般の改革を促進することにあったわけです。つまり省庁の再編、規制緩和などを進める上で首都機能移転が効果のある一つの措置になるのではないか、と期待されたのです。昔も奈良に都をつくる、滋賀県の大津に都をつくる、藤原京をつくる、少し中世になりまして平清盛が福原に遷都するとか、いろいろ首都の移転が歴史上あったわけですが、その時には新しい国の政策、律令制など政策のそれぞれの区切りで移転する、あるいは主権者が替わることで移転する、という極めて具体的な関係があったわけです。しかし、今日の首都機能移転は主権者はもともと国民ですから、主権者が替わるということではありませんし、政府を構成している政党も替わっていない、つまり省庁再編、規制緩和、地方分権を進める上での促進剤としての首都機能移転が言わ れているわけで、その点今までの首都移転とは異なっているといえます。

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一極集中の是正

機能には集中することと分散するという二つの運動則があります。現在の議論を読んでみますと分散という形としての首都機能移転という感じもするわけです。決して首都をどこかに持っていくというわけではない、それはわかる気が致します。また1つめに東京の一極集中を是正しようという動機もあるようです。ある意味でこれは非常によくわかる動機です。ただ問題はなぜ東京一極集中が起こったのかという問題、その本質的な原因を明らかにしておかないと、またどこかで一極集中が起こりかねません。巨大な中央と小さな地方というメカニズム、その社会のメカニズムそのものが変わったのかどうか、ということを考えてみますと、社会のメカニズムは私にはどうも変わったとは思えないのです。変わらなければいけないという議論はたくさん出てきますが、理念だけで変えられるものではありません。

なぜ一極集中が起こったのかという点になりますと、発祥は明治維新にまで遡らなければなりません。あの時は日本が列強の植民地になってしまうという危険を避けるために、その当時もっていた知識、知恵、優秀な人材、資金を一極に集中して、そこで富国強兵ということを大急ぎでやらなければならなかったわけです。国の危機のために、一極集中をせざるを得なかったわけです。私は明治政府のその判断は極めて正しかったと思います。ただ、そこから中央が中心となり、地方を格下に見るというものの考え方が生まれました。外国に行ってみると、ニューヨークタイムズはローカルペーパーなのですが、日本ではローカルペーパーというと「えっ、どうして」という感じを受けます。中央と地方との縦の価値の序列というものは、世界中どこにもないのです。アジア地域では一部ある国もありますが、主なところはありません。日本だけが地方は格が下がるというそういう価値観が今も変わっていないのです。その価値観が変わらずに、分散・機能の移転ができるのでしょうか。移転する方はどこかで都落ちという感じがつきまとうのではないでしょか。

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市場経済と情報

次に、過密の緩和という理由もよくわかります。今計画されている立法、司法、行政の移転を実現すると、56万人の人が移っていくことになり、地下鉄の混雑も10%くらい減少するという計算になっているようですが、その一方で、市場経済は情報の集中を今まで以上に要求するようになってきています。これは教育問題を議論したときなどにも感じたことなのですが、経済界の中に、市場経済原理主義とでもいうべき規制緩和の主張があります。私は規制の作りなおしが必要であると考えています。つまり新しい分野に関しては、それが一人立ちできるまでの間、規制がある程度必要であり、決して規制の何もかもが悪いわけではないのです。ですから今日の日本の経済の発展について考えますと、行政が規制を維持しながら誘導したという功績は非常に大きいものがあると思います。何でも自由にやれば、見えざる神の手が働いてうまくいくということは、200年前ならいざ知らず、今日の社会ではおとぎ話にしか過ぎないと思います。ついこの前のアジアにおける通貨危機は流動性の高い外資が非常に急速に引き上げたことから生じたわけで、IMFの要求を丸飲みしていた国の経済は破壊されたわけです。緩和すべき規制は徹底的に緩和しなければなりませんが、新しい規制を設けるべき分野も経済の中にはあるわけで、市場経済原理主義という考えは間違いだと私は思っています。市場経済原理主義を唱えている人が情報の集中を批判するのも、矛盾していると思います。市場というものは情報が集中しなければならないのです。もう一つの点は、日本の経済人がパブリックという考え方をどの程度持っているかによって、規制の必要性の強弱が決められてくるのですが、残念ながら私もその一人だったのですが経済人のモラルの水準は決して高いものではありません。

集中と分散という視点で見ますと、ヨーロッパの分散の形態は各々の地域や都市に連続した歴史と文化があって、その上に成立しています。ところが日本の場合は、これまで歴史と伝統を否定してきています。現在では各々の地域にはっきりした形で歴史と文化が存在していないのです。全国統一の価値観が出来上がってしまっています。いくつかの大学に志願者が集中するというようなこともその一つの表れだと思います。東京一極集中の是正という主張は良く理解できますが、それを是正するということは、掘り下げて考えると並大抵のことでないことがわかります。

首都機能移転論の3つめの、災害への対応は、最も説得力のある理由だと思います。ただ、ここでも首都機能移転は政治・行政の中枢と経済の中枢を物理的に分離することとされていますが、分離ができるのかという、最初に申し上げた問題にぶつかるわけです。経済は金融・株式市場に代表されるようにいよいよ全国単一化する方向に向かって流れています。グローバリゼーションが進めば進むほど、それが加速されます。上場するにしても東京市場に上場していないと、会社の格が低いような感覚にとらわれてしまいがちです。経済の集中が進む一方、商品市場も集中の力が今なお働いています。情報や物流センターもしかりです。経済は今まで以上に集中の方向に向かっているのです。

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首都機能移転のフィロソフィー

このように考えてきますと、首都機能移転が発議された理由は、それぞれ現象から見てもっともな発議であるわけですが、それを実行するとなると日本の経済・社会・文化、全体を深く掘り下げて、腰を据えて変えようとかからないとうまくいかない、ということが見えてくるわけです。

それを認識した上で、首都機能移転のフィロソフィーということについて考えてみますと、都市は人為的につくったり分割したりできるのか、という問題があります。都市がどのような理由で形成されるのかということを考えてみますと、人為的につくられた都市はうまくいかないのではないかという気がします。小さな政府が成立している場合は、移転の成功率が比較的高くなるように思いますが、中身が変わっていないときに移転をすることをきっかけにして中身を変えようというのは、どうも順序が逆ではないかと思えるのです。それから先程も申し上げましたように、全国民の価値が一元化されています。物質的価値が何といっても絶対的な基準になっています。ドイツでは文化的価値、歴史的価値、経済的な価値が完全に分散しています。江戸時代も価値ははっきりと分散していたので、徳川体制があれだけ長く続いたわけです。今1億の人が経済的価値以外のものを見ていないように見える中で、その価値観の問題を集中的に研究して変えて行かなければ、一極集中の是正は難しいと思います。

よく東京の都市計画は失敗したと言われます。確かにヨーロッパやアメリカの都市と比べると雑然としています。たとえば、東京中心部における一人当たりの緑地面積はニューヨークの10分の1くらい、ロンドンの12分の1くらいになっているそうです。そういう視点からみると東京は人間の住むところではない、などと言われるわけですが、にもかかわらず私も含めて東京を離れようとしない。それはなぜでしょうか。私は東京における都市計画そのものは失敗したのではなくて、計画は立派だったのにそれを実現できなかったのだ、と思っています。それは行政の失敗というよりはそこに住んでいる人の問題であって、現在のようにパブリックを忘れた私権が横行しているなかでは、一極集中の問題もなかなか解消できないと思います。それが逆に結果として不平等を助長するような悪循環が成立しています。それをどうやって是正するかというところから、首都機能移転がスタートするのではないでしょうか。

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新しい国家像と首都機能移転

それから新しい国家像がない首都機能移転というのは、魂のない虚像に過ぎないのではないでしょうか。私も経済同友会で新しい国家像について2年間にわたって座長を務めてきましたが、その時に憲法9条の問題で、年輩の方は憲法9条維持派と破棄派に分かれて熱中して議論をするのです。それを見て年輩の方はまだまだエネルギーがあると頼もしい感じもしましたが、その一方で若い人が無関心になっているのです。世界の中で日本がどのような役割を果たしたらよいかというところから国家像を考えるという姿勢は全国民的に見られません。同じようにアジアの中で日本が果たせる役割は何かという意識から国家像を考えることもないわけです。アジアの中で日本が果たすべき役割は何かということがはっきりすれば、首都機能の移転先はどこがいいかという問題も整理がつきやすくなるのではないでしょうか。候補地は3つくらいに絞られて誘致運動もあるようですが、そのときに国際社会において日本が果たすべき役割という観点からどのように整理ができるのか、という議論が抜けている場合が多いように思います。それから新しい国家像という観点で考えますと、憲法の問題も憲法だけで議論することは間違いで、どういう国家になっていくのか、通商国家になっていくのか、経済中国・生活大国になっていくのか、というようないろいろな国家像によって憲法のあり方も規定されるわけです。それ抜きにして憲法の問題を議論することは極めて観念的な討議になりますから、あまり生産性は高くないと思います。余談になりますが、私は憲法を改正した方がいいと思っています。前文から読んで見ますと「てにをは」がおかしく、美しい日本語になっていません。これは書き換えるべきだと思います。そういうことをいうと「君は文章を書いているから気になるのだろう、では9条はどうだ」と言うのですが、核武装しない、徴兵制をしない、海外に派兵しない、という3原則を明記したら9条は必要ないのではないですか、と答えるわけですがどうも反応が鈍いようです。つまり議論の仕方が極めて偏っているように思います。新しい国家像を国民的な規模で議論をして、そのうえで憲法の問題も首都機能移転の問題も考えていくプロセスが必要なのではないでしょうか。同じように社会像に関しましても、すっかり破壊されてしまった共同体をどのようにして再構築するかという問題があります。共 同体の問題は最近ではそうでもなくなってきまし
たが、戦後タブー視されてきた面がありました。村落共同体が破壊され、それに職場共同体が代替してきたわけですが、バブルの崩壊とリストラで職場共同体もまた崩壊過程にあります。そうなりますとアノミーといいますか、分子化が進んで、凶悪犯罪なども増えているという状況になっています。したがって昔の村落共同体とは異なる新しい地域共同体が必要になると思います。NPOやNGOなどが新しい共同体のモデルを提供していくのかも知れません。どういう新しい共同体がつくられるべきかということがきっちり議論されて、それから初めて首都の問題も現実的な議論が可能になると思います。

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改革の本質

今まで私どももいくつか改革を主張してきましたが、どうも皆うまくいっていない気がします。その一つは政治改革です。政治改革推進協議会(民間政治臨調)という組織が作られ、熱心に政治改革に取り組みました。しかし選挙制度が変わったことで、政治の水準は上がったのでしょうか。どうもそのようには思えません。そもそも政治改革とは何だったかといえば、選挙制度の改革ではなかったはずです。政治風土そのものの改革の中で、多くの課題のうちの一つとして選挙制度の改革があったはずなのに、いつのまにか選挙制度の変更が政治改革そのものであるかのような錯覚が起こってしまったのです。第2次大戦後につくられた政治風土そのものの分析を誰もしなかったことに原因があると考えています。見当違いのことを言っているかも知れませんが、省庁の再編に関しても何が目的なのでしょうか。手順的にも、再編成されたばかりの新しい行政機構で、首都機能移転のような大事業が果たして可能なのでしょうか。省庁の再編と行政のメカニズムそのものが変わることとは別のことではないでしょうか。役所の名前が変わっても、メカニズムが変わらなければ何も変わったことにならないので はないでしょうか。首都機能移転は行革の進展、財政構造の健全化などをにらんだ上で、それが緒についたことを確認し、結論を出すのが良いのではないかと考えています。一時凍結をするくらいの勇気を持ってはいかがでしょうか。その間に世論を掘り起こし、合意の形成を進めていくことが一番間違いのない方法ではないかと考えています。

最後に行政改革に関しても世間的に誤解があると思います。私は行政の機能は今まで以上に強くなければいけないと考えています。許認可という点は大々的に地方に分散して構いませんが、しかし質的には行政の機能はいっそう重要になってきています。日本全体がどうしても変わらなければならない時代になっている中で、行政の機能の質がさらに強いものになっていかなければ、日本は立ち行かなくなってしまうと思います。敗戦から立ち直って現在のような日本をつくりあげることができたのも、行政の功績が非常に大きかったからであり、そのことは歴史上の事実としてきちんと認識する必要があると思います。それを表面的なことで行政全体を非難するのは間違っていると思いますが、そういう雰囲気がある中で首都機能移転を進めてもなかなか成功に結びつかないのではないかと考えています。

首都機能移転の問題は日本の社会経済システムの集中的な問題点が見えてくるテーマとして、徹底的な議論が必要と考えています。今のままではいけないということを意識づける上で、早急に結論を出さず、問題提起をずっと続けていくことが重要なのではないでしょうか。

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