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企業におけるリスクマネジメントと首都機能のあり方

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鈴木 敏正氏の写真鈴木 敏正氏 (株)日本総合研究所 理事・主席研究員

北海道出身。1974年京都大学工学部卒業。京都大学大学院、マサチューセッツ工科大学大学院修了。(株)日建設計 設計主管を経て、1990年より(株)日本総合研究所。1997年より現職。2006年より同社のリスクマネジメントセンター所長を兼任。

また、東京大学客員教授、NPO法人日本防災士機構総務理事のほか、関西経済連合会 災害復興委員会委員、経済産業省工業技術院 リスクマネジメント企画制定委員会委員、経済産業省 総合資源エネルギー調査会臨時委員などを歴任。専門は危機管理、リスクマネジメント、都市経営戦略など。

主な著書に『リスクマネジメントシステム』(日刊工業新聞社)、『企業における防災管理の実践-企業危機管理のガイドライン-』(新日本法規)、『防災・震災管理ハンドブック』(産労総合研究所)などがある。


<要約>

  • 我が国における危機管理やリスクマネジメントは、阪神・淡路大震災での安全神話の崩壊で社会的に認知され、それを契機にリスクという概念が企業に受け入れられてきた。
  • 社会的な存在であることが企業の重要な基盤であるとの認識から、企業のリスクマネジメントの目的としてステークホルダー(利害関係者)が被害を受けないようにすることが重要であるとの考え方が一般的になってきた。
  • 企業が危機管理を考えるとき、最も大事なのは、モノを守ることではなく、機能(ファンクション)を如何に確保するかである。危機管理の目的を決めた上で、それを達成するために必要な機能は何か、その機能を維持するのに必要な資源は何かを考えるのが、危機管理の基本的なプロセスである。
  • 首都機能移転でも、いざというときの首都の目的を設定した上で、首都の必要となる機能を明らかにし、またその機能が失われたことによる被害についての議論を進めるべきである。
  • これからの議論に求められるのは、都市のリスクと公的機関の機能のリスクを分けることと、それらのリスク低減に資する都市機能の役割とは何かについてロジカルな議論をすることである。首都機能移転の議論が既存の日本の都市のあり方を変えるくらいの仕掛けがあってもよいのではないか。 

安全神話の崩壊とリスクマネジメント

日本の危機管理やリスクマネジメントを考えた場合、阪神・淡路大震災が非常に大きなエポックになったのではないかと思っています。それまでもリスクマネジメントや危機管理という言葉はあったのですが、社会的な認知度は非常に低いものでした。危機管理やリスクマネジメントは、頭の中だけで精緻な理論化をすることがなかなかできないところがあって、実際に経験して初めてわかる経験的科学に近いところがあります。阪神・淡路大震災がおこったことで、その重要性を深く認識したと言えます。

一番大きく変わったのは、安全に対する考え方ではないかと思います。それまで日本では、安全の中身がどうであるかは別にして、公が「安全である」と言えば、皆が安全だと思っていました。これが極端になれば、安全神話となります。安全神話とは、安全であるかどうかではなく、誰かが安全を担保してくれている状態です。例えば、公的な安全基準があって、それさえ守っていれば何があっても安全だと思ってしまうということです。それが、阪神・淡路大震災がおきて、絶対に壊れないと言われていたものが壊れたことによって、絶対安全は無いという事に皆が気付きました。その現実を見せられたとき、公的な基準を守れば安全だと思っていたのは一体何だったのか、ということを皆が考え始めたわけです。

安全というのは、我々の知識の及ぶ範囲、いわゆる「known」の枠組みの中でしか担保出来ません。その「known」の世界の中で、ある基準を超えてしまうと「危険」であり、基準内にあるうちは「安全」だということになります。その「危険」の部分をどれだけ少なくするかということが、より「安全」にしていくための我々の取組みになります。

ただ、これは「known」の世界だけの話であって、一方では「unknown」の世界もあるわけです。それまでは、「わざわざ人を不安な気持にする必要はないじゃないか」ということで、あえて「unknown」の世界に目をつぶってきたところがありました。ところが、神戸の辺りには地震はほとんどないという幻想があった中で、とんでもないことが起きてしまった訳です。それで、安全というのは今まで我々が知っている範囲で言っているだけではなかったのかと思うようになったのです。

誰も安全を担保してくれない中では、明日が安全かどうかは自分で判断しなければいけません。そのような中では、起きるかどうかはわからない事態をも想定しますし、それが万が一起きたときにはどうするかも考えておくことは普通です。文明社会の中で、我々はあたかも誰かが安全を担保してくれているかのように思っていたわけですが、危険なことがおこることは不思議なことではなく、我々がその事を知らなかった、つまり「unknown」であっただけという事に気づいたのです。そういう不確実な社会の中で生きていることに気がつくと、自分で情報を集めて、安全であるかどうかは自分で判断していかなければならなくなります。それが阪神・淡路大震災をきっかけに、リスクという概念が一般の社会や人の中に入ってくるようになった理由の1つだと思います。

企業リスクですが、阪神・淡路大震災までは、災害で会社がつぶれてしまうなどということを考えていた企業はほとんどなかったと思います。地震がおきたら、皆が同じような被害を受けているのだから、皆と一緒に手をつないでいけばいいだろうと思っていたわけです。ところが、神戸市の長田区の企業の例を見てみると阪神・淡路大震災のときに会社数で約2割がなくなってしまっています。地震という自然災害が起きた瞬間に建物が壊れ、経営も成り立たなくなったということです。会社がなくなるということは、そこに勤めていた従業員の職がなくなるということでもあります。職がなくなるから、住んでいた場所に住めなくなって、その結果、地域人口も減ってくる訳です。そういう状況を目の当たりにしたとき、これではいけないと企業も災害に対して自分で備えておかなければならないのではないかと思い始めたのでしょう。

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企業と社会との関わり方の変化が危機管理に与えた影響

日本の危機管理やリスクマネジメントにとって、もう1つ大きなエポックになったものとしては、企業と社会の関わり方の変化があるのではないかと思います。企業がそれまで危機管理を考えるときには、とんでもないことが起きても、とにかく組織として生き延びることが重要である、との考え方が主流でした。ただ、企業が何か問題を起こしたときに被害を受けるのは、必ずしも企業だけではありません。株主や従業員といった企業のステークホルダー(利害関係者)も不利益を被ることがあります。また、企業の周りにいる地域住民にも何か不都合なことが起きることがあります。そのような時、例えば当該企業は住民にすぐに情報を流して避難させるようなシステムをつくっているかといったことも重要となります。

というのも、社会の成熟化とともに社会の価値も変化してきて、企業のこうしたリスクに対しても、企業としてちゃんとした取組みをしたのかどうかを社会が見るようになってきました。ステークホルダーに対する被害あるいは2次災害を少なくすることが企業存続の基盤であり、自らが社会的な存在であることの認識が企業にとって重要であると考えられてきています。その上で企業利益を上げていくべきだというのが社会的な概念になってきたということです。それを受けて、企業の危機管理も変わらざるを得なくなってきたわけです。つまり、今までは自らが生き延びることが企業危機管理の命題でしたが、今はステークホルダーに不利益を被らせないということが非常に重要になってきたということだと思います。

自分たちの行為によってステークホルダーの誰が損害や不利益を被るかを明らかにするために、企業は、その1つ1つの機能が失われたときに誰が被害を受けるのかを特定しなくてはいけなくなります。そのためには、かなりきめ細かい形でリスク分析をせざるを得なくなります。それで、企業のリスクマネジメントが変わってきたというのが、この10年くらいの大きな動きだと思います。

それから、昔であれば、起こるかどうかわからないこと、つまりリスクに対しては、実際に起きてしまっても仕方がないということもあったかと思います。官の世界でも、以前に行われた政策決定の是非は、後から問われないという不文律があったかと思います。ところが、BSEやHIVの問題などで、政策決定の段階で被害が出るかどうかは分からなかった訳だから、後に被害が出ても責任はないということでは済まなくなってきた訳です。そのとき、きちんと必要な情報を集め、合理的な判断をしたかを遡って追及されるようになってきています。政策決定の段階において、きちんとした情報の収集や合理的な判断をしていなかったということになれば、罪に問われたり、責任を追及されるという社会になってきています。官の世界を含めた社会全体で、それが問われるようになってきたということです。これも、リスクマネジメントの社会的認知の上で、大きく影響したのではないかと思います。

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危機管理の基本的なプロセス

日本の企業というのは、何かが起きた後どうするかということではなくて、起こる前になるべくそういうことを起こさせないような努力をしようとします。リスクマネジメントでいうと、事前に実施する対策です。リスクマネジメントというのは何かが起きる前にすべきことをすると同時に、起きたときに如何に被害を少なくする行動をとるかも重要となります。これをエマージェンシー・レスポンスといいます。そして、エマージェンシーの段階をある程度乗り超えた後に、リカバリー(回復)のための行動をとります。

その中で特に重要なのは、事態が起きたすぐ後、つまり危機管理の段階です。日本の防災は、どちらかというと事前の準備をいかにしっかりするかを重視し、それでも被害が起きてしまったらしようがないという諦らめに近いものがありました。しかし、阪神・淡路大震災の例のように、2割もの企業がなくなってしまうという事実を見て、仕様が無いでは済まない大災害の中、そこでも生き延びるためにはどうすればいいかを考えるようになりました。そのためには、災害の発生の瞬間にどうするか、起こった後にどうするかを考えておくことが重要だと考えるようになりました。事前にどういう状態になるかがわかっていることに対する対応は、大変ではあるにしても、ある程度わかるし、準備も出来ます。しかし、残念ながら危機やリスクというのは同じようなことがほとんど起きませんから、新しい被害をもたらすようなことが必ず出てきます。ですから、経験の役立たない新しい危機の時にどうするかが重要となります。

危機管理に当り、企業は、有事において守るべき一番大事なものは何なのかを考えなければなりません。そうして、大事なものを守るために必要な機能を見つけ、それを維持しなければなりません。守るべきはモノではなく、機能だということです。

例えば、ステークホルダーの被害を最小化し、社会的な信用を回復することが一番重要だということになると、そのために企業が必要とする機能は何か、どの機能を維持させればいいのかを考えなければなりません。そのために法律家と相談しなければならないという場合もあれば、その他外部の支援が要る場合も、時として建物を回復させなければいけない場合もあります。つまり、いざというときに大事なものを守るために必要となる組織の機能は何か、その機能を維持するために必要な資源は何かを考え、有効な対策を計画し、実行していくことが危機管理の基本的なプロセスです。

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移転論議に求められる危機管理上の目的と機能

こうした企業のリスクマネジメントの動向から見て、首都機能の移転でも考えるべきことは大きく2つあるように思います。1つはいざというときに、首都が果たすべき目標・目的をどこに置くのかということです。それがはっきりしなければ、失われてはいけない機能は何かということも見えてきません。有事の際、首都機能の全てを本当に守らなければならないのかを議論をする必要があるように思います。今までは、企業も有事の際の目標・目的をなかなか持ちませんでした。なぜかというと、目標・目的を明らかにすると、達成できない時責任を取らなければならないからです。つまり、これまでの社会では責任を曖昧にするという考え方が有り、目標や目的をなかなか明らかにしなかったわけです。

しかし、目的を設定しなければ、リスクマネジメントは出来ません。企業は、この10年ぐらいでようやく企業の一番大事なものをはっきりさせたり、それを守るための機能の重要度の順位付けをするようになってきました。経営者自らが判断するようになって、自らが責任をとるという覚悟も出来、企業リスクマネジメントが進展してきました。国にあっても同じ事で、有事における首都の果たすべき目標や目的を明確にしなければ、リスクマネジメントは実施出来ません。首都にとって有事の本当の目標は何かを明らかにして、政策の優先順位も含めた議論をし、いざという時に何を最低限守らなければならないのかをはっきりさせる必要があると思います。

もう1つは、首都の機能が失われたことによって、誰が困るのか、あるいは国にとって何が大変なのか、その深刻さの程度を明らかにすることです。ある特定の機能を維持することが国民の利害に最も重要であるという場合もあります。あるいは、ある機能が失われると後は何をやってもだめだということもあります。このように、守るべき機能をはっきりさせることが重要です。

この目標・目的と必要な機能の両方がはっきりしないと、首都機能移転で何をするべきかの議論が出来ません。いわば、議論のできないところで議論をすることになってしまいます。ここ10年くらいで、企業リスクマネジメントでは、ようやくそのような議論が出来るようになりました。首都機能移転の議論でも、その段階にきているのではないかという感じがします。

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機能論から議論することで得られるもの

危機管理のために首都機能を移転するというと、どうしても物理的に首都のハードの議論が先に来がちで、これまでの議論もそうだったような気がします。しかし、皮肉な言い方ですが、ただ単に首都機能を移すことでは有事の危機管理ができたことになるのではないということを知るべきです。なぜかというと、ある首都機能を2つ同時に置いたとしても、もし何かあったときにはそれだけでは足りない場合も有ります。一方、逆に、人さえいれば、モノがなくても機能を果たせるという場合も有ります。

例えば、首都圏直下型の地震を想定し、すぐに回復しなければならない機能と1週間後でもいいもの、誰かが代替可能な機能などを明らかにすべきです。そういう機能の議論で、必要となる機能をはっきりさせ、その機能は誰が果たすべきか、機能維持のために何が必要なのか、機能が失われた時の被害者は誰なのかということを考えなければなりません。

現在の首都が被害を受けたとき、一体どういう機能が失われ、誰がどういう被害を受けるのか、その被害の重大度はどういうものなのかということを明確にしていけば、首都移転の機能についても具体的な議論が出てくるのではないかと思います。目的やプロセスを明確に見せるようにしていくと、国民もどうしてこういうことを考えているのかという議論に参加できるし、首都機能移転は単純に街が移るだけではないということが見えてきます。遠回りのようにも見えますが、こうした目的やプロセスをきちんと議論することが重要だと思います。そのような議論をしていけば、本当の意味で危機管理やリスクマネジメントの対策としての首都機能移転を提示することができるのではないでしょうか。

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ロジカルな展開から日本の都市を変える仕掛けを

都市のリスクを確実に抑えることは出来ません。ですから、防災に加えて、いかに被害を少なくするかを考える、いわゆる減災が重要になります。首都の減災については、誰のどういう被害を少なくするかという視点から、2つに分けて考える必要があると思います。

1つは、首都という都市そのもののリスクを下げるということです。首都への機能の集中が進むことによって、リスクは増大します。首都機能を移転させることで首都に付随するリスクを少なくする必要があります。都市のリスクは、通常潜在化しており、何かが現実に起きたときにはじめてわかるといった、非常に厄介なものです。現在の東京は、都市として膨らんだことによって、潜在化したリスクがかなりのところまできていると皆が思っているわけですから、機能移転で、この東京の都市リスク減じようと考えるのは合理的です。

例えばアメリカでは、政府機関の近くは、一般の企業にとってもリスクが高いと言われています。政府機関などが集中しているところは必然的にテロの対象になりやすくなっているためです。このようなビルには、なるべくVIPは行かないようにしたり、多数での打ち合わせをしないようにします。そういう意味で、政府機関が集中することで増大してしまった都市のリスクを、社会が許容できるレベルにまで下げようという考えから、移転の方向性が見えてきます。

もう1つは、今行われている議論の基本的な考え方だと思いますが、国会や政府などの公的機能のリスクを減らすということです。これは、先ほどの機能論的な議論を粛々とやっていくことで、被害者は誰なのかも見えてくるし、リスク負担者は誰なのか、つまりそのときに必要とされる機能を誰が果たすのかということも見えてきます。

都市のリスクを減らすということと公的機関の機能のリスクを減じるということを一緒にして話をすると、非常にややこしい議論になってしまいますので、これからの議論で必要なのは、この2つをどういう形で分けるかということではないでしょうか。そうしないと、リスクマネジメントのアプローチとしては論理性がなくなってしまいます。リスクを考えるとき、実際に起きるかどうかがわからないものを対象にする訳ですから、余計に論理性が必要になってきます。

もう1つ重要なこととしては、「首都機能を移転した後の東京はどういう街になるのか」というイメージを明確にすることだと思います。今までのようなごちゃごちゃとした街ではなくて、首都機能を移転することによって東京がもっとよくなるという夢のある絵をかくことで、移転について前向きな議論がでてくるのではないかと思います。

都市というのは、いつの間にかできあがり、潜在化したリスクも増えていくことが常だったのですが、このあたりできちんとした絵をかくことで、リスクに強い都市を提示することも我々の考えるべき1つではないかという気がします。議論をすることで、移転により都市のリスクが増えるのか、減るのかを明らかにすべきです。首都機能の移転というのは、かなりの大事業ですし、首都機能移転によるリスク低減によって日本の都市のあり方を変えるくらいの仕掛けがあってもよいのではないかと思います。

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