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都市防災の主役は一人一人の市民と地域コミュニティー

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重川 希志依氏の写真重川 希志依氏 富士常葉大学大学院環境防災研究科 教授

東京理科大学理工学部建築学科卒業。財団法人都市防災研究所を経て、2000年に富士常葉大学環境防災学部助教授に就任。現在は、同大学大学院環境防災研究科教授。公職として、中央防災会議委員、消防審議会委員、地震調査研究推進本部政策委員会委員、地域安全学会理事、近代消防論説委員などを歴任。

主な著書に、『新学校安全読本』(共著 教育開発研究所)、『学校防災読本』 (共著 教育開発研究所)、『安全・安心のまちづくり』 (共著 ぎょうせい)、『防災事典』 (共著 築地書館)などがある。


<要約>

  • 台風や地震など、日本は欧米諸国に比べ、Hazard(危険原因)が非常に多い国である。したがって、日本の場合、災害に対する脆弱性を改善することが国にとっての大きな政策課題である。
  • どのような被害抑止策を講じようとも必ず被害は起きる。被害抑止策によって100%抑えることができないのであれば、被害が出てしまったときにどうやって少しでも被害を少なくするかを考えることが必要である。
  • 被害が起きてしまったときに最も大きな力を持つのが、一人一人の市民、あるいは地域のコミュニティー、ボランティアである。
  • 災害教育は学校任せにしてはならない。子供が身近な人から体験談を伝え聞くことが大事。家庭や地域住民が積極的に教育に参加しなければならない。
  • 被災者へのアンケートによると、1年、2年の仮設住宅暮らしで一番つらいと思う点として、仮設住宅が駅から遠い、狭いなどというよりも、孤独感や疎外感を挙げている方が多い。被災者の暮らしを守るという点では、物理的な問題を解消する以上に、被災者のこころの問題、ソフト面への対策が非常に重要だ。
  • 首都機能移転では、移転先の地域住民と移転に伴い新しく住民になる人との交流が非常に重要。両者が水と油のような関係では、防災上も問題。
  • 災害時の被害軽減のためにそれぞれの人や組織がどう行動するか、マニュアルを作っておかなければならない。

被害の大きさは災害の大きさと社会の脆弱性の関数

私は、よく「Damage(被害)=Hazard(危険原因)×Vulnerability(社会の脆弱性)」という言い方をします。Hazardとは大雨、大地震などの災害を指し、Vulnerabilityとは社会や地域の災害に対する脆弱性を意味します。災害の大きさと、地域社会がどの程度災害に強いかによって被害の程度が決まるという考え方です。

台風や地震など、日本は欧米諸国に比べ、Hazardが非常に多い国です。したがって、日本の場合、災害に対する脆弱性を改善することが国にとっての大きな政策課題でした。脆弱性を改善するためには、Mitigation(被害抑止策)という対策とPreparedness(被害軽減策)という対策があります。被害抑止策は、地震が起きるのは仕方ないが、構造物の耐震性を高めよう、必ず台風や梅雨前線は来るから、河川改修、護岸の強化をしようという考え方です。Hazardのコントロールはできないが、構造そのものを強くして被害を出さないようにしようということです。

被害抑止を考えると、同じ条件のHazardが起きたら、東南アジアは言うに及ばず、アメリカ、ヨーロッパでは、恐らく日本よりも大きな被害が出ると思います。日本のMitigationは国土交通省が中心になって、被害抑止のための技術開発と予算を使って、国土の安全性を高めてきており、そのレベルは世界一だと思います。

しかし、どのような被害抑止策を講じようとも必ず被害は起きてしまいます。2004年の豊岡水害で1級河川の円山川が破堤したときに、市街地の4分の3が浸水してしまいました。地元の人は、国が管理している川の堤防が切れるなんて思いもしませんでした。被害抑止策によって100%抑えることができないのだったら、被害が出てしまったときにどうやって少しでも被害を少なくするかを考えることが必要です。例えば、避難所の整備、避難体制、情報伝達体制の確立、防災訓練、あるいは救助・救急体制の整備など、死者やけが人が出そうなとき、街が浸水してしまったとき、つまり、ある程度被害が出てしまったときに、いかにそれを最小限にとどめるかという対策をPreparedness(被害軽減策)といいます。

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被害軽減に最も重要なのは市民一人一人

どんなに備えても災害は必ず起こることを考えると重要になるのが、いかに被害を軽減するかという対策であると思います。例えば、国では防災基本計画、各省庁では防災業務計画、県や市町村では地域防災計画というマニュアルをつくっています。また、被災された方たちの食料や水の供給や避難所の提供、し尿処理や仮設住宅の建設など、とりあえず生きていくための最低限の生活を保障するための災害救助法という法律もあります。

しかし、自治体も自分が被災者になって、初めてそれらのマニュアルをめくってみたというような対応が多かったのではないでしょうか。阪神・淡路大震災以降、被害が起きることを前提に、後はどうすれば良いかを大分検討されるようになってはきましたが、それでもまだまだ手薄であるというのが現状です。

さらに、被害が起きてしまったときに最も大きな力を持つのが、実は一人一人の市民、あるいは地域のコミュニティー、ボランティアであると私は思っています。

ところが、国民の側は行政が守ってくれるという意識が強い。それはどこから来ているかというと、行政が被害防止を一生懸命やってきましたので、防災というのは役所がやってくれるものだという精神が、ついつい生まれてしまったのではないかという気がしています。

学校での防災教育も一部やられていますが、今は何でもかんでも学校に持っていこうとしています。いま子供たちが学校の管理下にいる時間は、1年のうちの10%前後で、意外と少ないのです。たった1割のところにすべてを詰め込んで、家庭での教育まで放棄して、しつけも学校に任せるという風潮もあります。本来家庭とか地域社会で担っていた教育を皆が放棄してしまっているのが現状です。

防災の中に盛り込むべきものは何なのかを考えると、家族はもちろん、隣近所のおじさん、おばさん、おじいちゃん、おばあちゃんから体験談を伝え聞くことが大切です。家庭あるいは地域で、町内会まで広くなくとも向こう三軒両隣、回覧板を回す範囲の関係者が積極的に教育に参加しなければいけないと思います。

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被害軽減のための三つの対応

実際に災害が起こってしまったとき、いかに被害を小さく食い止めるかという災害対応には三つの目的があります。

一つは、当然のことですけれども、まず命を守るということです。

二つ目が、生き残った人たちの暮らしを維持していくことです。災害救助法などがまさにそうですが、何もしなければ、水も来ない、食べ物も来ない。けがをした人を治療することもできない。子供の教育も途絶えてしまいます。

三つ目は、やはり災害によって被害を受けた市民、あるいは地域の復興を図っていくことです。この三つのどの対応フェーズをとっても、実はその一番大きな力を持っているのは市民と、市民がつくる地域のコミュニティーです。

まず一つ目の「命を守る」ということでいうと、阪神・淡路大震災のときには5万人程度の人が生き埋めになってしまいました。そのうち消防、警察、自衛隊が助け出した人が約5千人で、残りはその場にいた普通の人が助けています。もちろん公共の救助体制を充実させることは決してマイナスではありませんが、それよりもその場にいた人たちが、自分だけが避難することを考えないで一歩とどまって、助けを求めている人々を自分たちでいかに助け出すかということを考えた点が意味深いと思います。

消防署員は、いま人口約1,000人に1人という配置となっています。いざというときのために予算をたくさん使って消防署員を倍にしたとしても、我々市民500人に1人にしかならない。それよりもやはり一人一人の市民の力を伸ばすことのほうが、税金を使わなくて済み、しかも大きな力を持ちます。

二つ目の「被災者の暮らしを守る」という点では、必ず行政が非難されます。避難所に食事が届かない、冷たい御飯ばかりだ、揚げ物が多い、野菜が足りないなどから始まって、仮設住宅が狭い、うるさい、駅から遠いなど、もう何をやっても怒られ、まず褒められることはありません。私は、「それでは、それを解決するすべがあるのでしょうか」と問いたくなります。駅前の一等地の良い場所を持つ人が、「どうぞ自分の土地に仮設住宅を建ててください」と言ってくれるでしょうか。被災者の暮らしを守るという点では、物理的な問題を解消する以上に、被災者のこころの問題、ソフト面の対策が非常に重要だと思います。仮設住宅生活者へのアンケートによると、1年、2年の仮設住宅暮らしで一番つらいと思っているのは、仮設住宅が駅から遠い、狭いなどというよりも、孤独感や疎外感を挙げている方が多いのです。受け入れる側の地域も、例えば今までニュータウンで一定の生活水準の人たちが暮らしていたところに、いきなり家を追われた人たちが入ってくると、やはりそこで言うに言われぬ異質感、違和感というものを感じてしまうそうです。

実際に神戸の地震のときにあったことですが、被災者のこころの問題に対して、仮設住宅を受け入れた地元の町内会長さんが大変熱心に取り組んだそうです。もともと住んでいる人たちに事前に、「うまくやっていこう」と問いかけたり、コミュニティー紙を発行したり、地元の住民と仮設住宅入居者とがなるべく水と油にならないように努力してくれたことに感謝している被災者がたくさんいました。

三つ目の「暮らしの再建、復興」を考えても、やはり行政にできることには限りがあると思います。一人一人の被災者が、皆のために自分は少し我慢する、自らが多少損害を被っても、それは公共の福祉を優先すべきという考え方を持てれば、多くの問題を解決できるでしょう。

日本では、公共の福祉のために皆が少しずつ犠牲を払うということに不得手ではないでしょうか。逆にアメリカ人は、ふだん自己意識、権利主張がすごく強くて、日本人と正反対だと言われるけれども、彼らはいざ事が起きると変わります。例えば、阪神・淡路大震災の1年前のノースリッジ地震のときに、ロサンゼルス市長は最初の記者会見で、「今日は市役所の職員は役所に来なくて良い、企業も基本的には今日は休んでください」と言っています。その理由は、震災直後の24時間は人命救助のための緊急車両の交通を最優先させるから、不必要な車と人は動くな、ということです。確かに最初の24時間は電気も電話も水もストップしていて、市役所の職員が役所に来たって何もできません。ましてや企業もそうです。それよりも最初の24時間は近所の人命救助、初期消火に協力しなさいということです。

例えば、日本でロサンゼルス市長と同じことを言ったらどうなるでしょうか。まず、「こんなときに役所が休みだなんて一体何を考えているんだ。税金を何のために徴収しているんだ」となるでしょう。二つ目には、「企業に休めと言うけれども、その間の損失はだれが補償してくれるのか」となるでしょう。

やはりいざというときには、個人の利益にもまして優先させなければいけない公共の利益というものがあることを、もう一度きちんと認識をしていただくことが、防災で一番重要なことと考えています。

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新都市でも求められる災害対応マニュアル

首都機能移転では、移転先の地域住民と移転に伴い新しく住民になる人との交流が非常に重要です。両者が水と油のような関係では、防災上も問題です。ただし、首都機能が急に入ってきても、その地域と簡単に交じり合うことは難しいでしょう。この点では、つくば学園都市の事例を研究すれば良いかもしれません。一方、移転に伴う人々が単身赴任であったら、殺伐とした都市ができてしまうことが懸念されます。単身赴任を無くすような仕掛けが必要でしょう。

また、とりわけ昨今は、いわゆるHazardの種類が自然災害だけではなくなって、武力攻撃、テロなども予想されます。例えば、荒川下流河川事務所でシミュレーションのビデオを上映していますけれども、荒川が破堤させられたら、延々と都心部に水が流れ込んできて、地下鉄から何から浸水してしまい、大変な混乱に陥ります。現在、地震については対策をある程度想定していますが、浸水被害、あるいは、電力が意図的に止められたときの対策は不十分であると思います。被害防止も重要ですが、被害が発生したときにどう軽減するかの対策が手薄になっているので本気になって考えなければいけません。被害軽減のためにそれぞれの人や組織が災害時にどう行動するかをよく考えて、マニュアルを作っておくことが必要です。

昼間のオフィス街でもし災害が起こった場合、地域の共同体での助け合いが重要なのは当然ですが、職場単位の助け合いも非常に重要です。阪神・淡路大震災のときにも、実は仕事中の人はいました。青果市場とか、鉄道関係とか、早朝のあの時間帯に既に仕事をしていた人たちがいて、彼らのその対応行動を調べてみると、最初にしたのが自分の命を守ることでした。次にしたのが、その場に居合わせた仲間を守ること。3番目にしたのが、二次被害が起きないように火の始末とかガスの始末をすることでした。

そこまでやれたら、家族の安否を確かめるために家に帰りました。これは、新潟県中越地震でも土曜日の午後6時前に起きていて、多くの人が家庭にいなかった時間で、そのときの行動も同じでした。ということは、地域にいようが、職場にいようが、駅にいようが、災害が起きたときにまずやるべきは自分が助かること。次にやるべきは、そのときに周りの困っている人を助ける。3番目は、その場で例えば火災が起きてしまったとか、ガス漏れしているとか二次災害が起きそうなことがあったら、それを皆で抑える。そこまでやったら後は、やはり一番大切な家族の顔を見に帰る。いくら業務継続計画を作っても、それを実行するのは人間なんです。人間が会社や国のために頑張ろうという気持ちになれない限り動かない。会社や国のためと言われても、まずは、家族が無事でいればこその話です。災害対応のマニュアルを作るのであればこういう視点を欠いてはいけないと思います。

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