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最先端の技術と基本のコミュニケーションを大切にした新都市づくり

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平野 啓子氏の写真平野 啓子氏 語り部・かたりすと・キャスター

静岡県沼津市生まれ。早稲田大学卒業。東京都歴史文化財団を経て、「NHKニュースおはよう日本」のキャスターや大河ドラマ「毛利元就」、「義経紀行」での語り、教育テレビ「NHK短歌」での司会等を務める。語り芸術家として国内外で公演、語り部として全国行脚中。文化庁芸術祭大賞、松尾芸能賞優秀賞等を受賞。

公職として、内閣府中央防災会議専門委員、政府式典司会、シンポジウムのパネリストやコーディネーターなどを歴任。大阪芸術大学放送学科教授、武蔵野大学非常勤講師も務める。

主な著書に『平野啓子の語り美人』(大和出版)、語り・朗読のCD、ビデオ、DVDを多数出版している。


<要約>

  • 国や地域を知るということは地域の連帯感を保つために必要であり、ひいては自分自身を知るために大事なことでもある。古来より、語り部は、そのために必要な存在であった。
  • わざわざ会いに行って伝えるのは一見効率が悪いようであっても、対面をすることにより人間同士の信頼関係を築き、絆を強くするという意味でとても大切なことである。
  • 昔は親や地域の人たちが折に触れ、子供に「知らない人に声をかけられても、ついていっちゃいけないよ」などと教え込んでいたが、このような伝え合うシステムが今の都市には大きく欠落している。
  • 防災訓練は、連帯感を感じることができ、いざというときには自分の身を助けるものにもなる。新しい都市ではこのような取組を盛んに行い、地域の連帯感を強めるような街づくりを望む。
  • 行政の仕事については、民間企業の営業感覚をもってアピールすることが必要ではないか。また、マスコミに頼るだけでなく、一般の家庭で話題にのぼるような投げかけが必要である。
  • 国会を持ち回りで移動させるということはできないか。そうすることにより、移動先の地域の人たちが、例えば総理大臣をはじめ、政府と国会の主要な関係者に直接対面しやすい状態がつくられることになるのではないか。
  • 新しい都市では、対面して伝えるという基本のコミュニケーションをコアとして最先端の技術を取り入れ、トータルコミュニケーションができるような空間づくりができたら、理想的な街になるのではないか。

「語り部」の大切な役割

まず、私の取り組んでいる語り部の仕事について、少しご紹介させていただきたいと思います。語りにもいろいろありますが、私が最初に取り組んでいたのは、例えば「源氏物語」「平家物語」「竹取物語」といった古典から現代小説まで、文学を暗記し、言葉に自分の魂を吹き込んで伝えるということでした。その後、詩歌や民話、昔話など、レパートリーを広げていったのですが、あくまでも名作を語るということが私の取り組みの中心であったのです。

しかしあるとき、語り部というのは歴史的に見て、いつごろ出発したのかということに興味がわきました。当初、私は「平家物語」の琵琶法師かと思っていました。しかし、実はもっと昔、古代から語りというものがあることを知りまして、びっくりしました。古代から語り部という職業があって、国の歴史や地域の歴史、あるいは、今、国で何が行われているのかということについて、例え話も含めた物語として伝えていた人たちがたくさんいたようなのです。もちろん伝説や民話などを伝える人たちもいました。そうした語り伝えの中から文学として確立していったのが、日本最古の物語文学と言われる「竹取物語」です。

当時はもちろんテープレコーダーもありませんし、今のような通信技術もありません。紙さえ、あまり使われていませんでした。そのため、語ることを一生懸命やらないと、その土地の歴史を守ることもできず、家の存続もできず、また、国を知るということもできなかったようです。逆の言い方をすれば、国の歴史を知り、土地を知り、家のことを知ることによって、自分たちが残しておきたいものを継承できたということです。国や地域を知るということは地域の連帯感を保つために必要なことですし、ひいては自分自身を知るために大事なことでもあります。語り部というのは、そのために必要な存在であったと思います。

このような歴史を知ってから、私の伝えたい内容が少し広がって参りました。先人の知恵や言い伝え、旧辞、教訓などを伝えていくことも必要なのではないかと思い始めたのです。例えば子供の安全、無事を願い、親が何度も何度も念を押すように伝えたことです。さらに、年中行事の由来にも、本当に奥深いものがあるのです。例えば桜の花見というのは、古代の五穀豊穣を願う行事から出発したものだといわれています。いつの間にか、花を見ることをほったらかしにして、飲んだり食べたりのどんちゃん騒ぎになってはいますが、今でも椅子に座るのではなく、地面に腰を下ろして飲んだり食べたりすることが多いことを考えますと、古代からの気持ちが脈々と伝わっているような気もします。

そういうお話を伝えるようになりましたら、むしろそれをとてもおもしろい、興味深いと言ってくださるお客様も数多くいらっしゃいましたので、私の語りのジャンルが幅広くなりました。

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対面のコミュニケーションが人と人との絆をつくる

語りの仕事をしていて、あるとき気がついたのは、人は声だけで表現しているのではないということです。手ぶり、身ぶりもあれば、声は穏やかでも目に涙がたまっているということもありますし、「おっしゃるとおりです」とニコニコ笑っていても、ひざの上で握り締められたこぶしが怒りや悔しさに震えているということもあります。人というのは全身でいろいろな表情を発していて、それが感情表現である場合も多いということに気がついたのです。対面して伝え合っていると、そういうものが瞬時に相手に伝わります。

語りの舞台で一方的にお客様に向かってお話ししていても同じです。お客様の反応が暗い中でも手にとるようにわかるのです。「今、真ん中に座っているお客様が少し飽き始めたかしら」ですとか、「私の右手側のお客様はグッと引きつけられているようだ。どうもメモもとっているらしい」など、その様子が見えなくてもわかるようになりました。つまり、人というのは、目に見えたり、耳で聞いたりする以外に、波動みたいなものを持っていて、それが直接会っていると伝わるのではないかということを感じたのです。

そういうことを繰り返しているうちに、人というのは対面して伝え合うことが大切ではないかと思うようになりました。対面していれば、相手の反応を見ながら話すことができます。わざわざ会いに行って伝えるのは一見効率が悪いようであっても、そこで得られる情報量は意外なほど多いのではないかと思うのです。「今の言葉はまずかったな」と思ったら、瞬時に言葉を入れかえて話すこともできます。対面をすることにより人間同士の信頼関係が築かれ、絆が強まっていくのではないかと考えています。

ひとたび信頼関係が結ばれれば、あとは声だけのコミュニケーションであっても、手紙やメールでのコミュニケーションであっても、「あの人の言うことだから、この言葉の奥底にあるのはこういうことに違いない」と、相手の気持ちを察しやすくなると思います。人間関係を築くという意味で、対面して伝え合うことはとても大切であると思います。

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「伝え合う」というシステムが欠落した現在の日本社会

しかし、対面で伝え合うということがいつの間にか少なくなってしまったような気がします。防犯に関しても、昔は親や地域の人たちが折に触れ、子供に「知らない人に声をかけられても、ついていっちゃいけないよ」などと教え込んでいたわけです。今は防災教育とか防犯教育のように、わざわざ下に「教育」とつけないと教えないようなところがあるような気がします。地域ぐるみで、日常的に声で伝え合うということが、特に今の都市には欠落しているのではないでしょうか。

また、大きな地震が起きたとき、昔は「まず火を消せ」と教わったと思いますが、今は、机の下に潜り込むなどして、「まず自分の身の安全を確保しろ」と教えていると思います。火は、揺れがとまったときにも消すチャンスがあります。ましてや、今は制御機器の発達により、震度5以上の大きな地震のときには自動的にガスが止まるシステムになっていますので、無理をしてまで火を消しに行く必要はなくなっています。そのように優先順位が変わったのですが、この事実を伝える人がいないように思います。

お役所ではお役所なりに広報しています。私もそのパンフレットを見ましたら、確かにそう書いています。でも、まずお役所の広報では、「かつてと比べてこう変わりました」という書き方をしていません。また、広報誌が配られた後、それを見て、「あら、前と違うじゃない。どうしてかしら」と疑問を持って家族で話し合う、地域で話し合う、井戸端会議で話し合うということが少なくなくなってきたように思います。昔は、回覧板が回ってきたら、家族で指さしながら読んだり、話し合ったりする時間があったように思います。今は、マンションでは回覧板もなく、必要な情報はエレベーターの横などに張られています。しかし、住民はエレベーターが到着すれば、すぐに乗り込んでしまうので、きちんと読まれないことが多いのではないでしょうか。このように、今の時代に合った教訓が地域や各世帯に伝わっていないということがあるのではないかと思います。

私は行く先々の講演会場でも聞いてみるのですが、やはり「地震が来たら、まず火を消す」ということが心に刻み込まれている人が多いのです。これからの時代、これではどうしようもないと思います。大きな地震が来たときの対応一つをとってみても、全然伝わっていないのですから、そのほかの細かいことについても話し合いはされていないのではないでしょうか。言わば、伝え合うシステムが今の都市には大きく欠落しているのではないかと思います。

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古代から続く対面して伝え合うコミュニケーションが基本

これからはもっと便利な時代に入っていくと思います。私はそのこと自体、決して否定はしていません。コンピュータや通信技術が発達したために、弱者にとってどれほどうれしい世の中になったかと思うと、もっともっと便利になってほしいと心の底から願っています。私自身、何年か前に熱中症で倒れてしまったことがありました。その時ちょうど、ある新聞のエッセイの締め切りが迫っていたのですが、以前のように机に向かって鉛筆書きで作業をしなければならないという状況であったら、とても間に合わなかったと思います。その時は、パソコンがあったために寝ながら片手で文字を打って、何とか間に合わせました。

けれども、どんなに便利な世の中になっても、決して忘れてはいけない基本は、古代から続く対面して伝え合うコミュニケーションではないでしょうか。eメール、FAXなどは基本のコミュニケーションの代用品であると思います。代用品だけでは、十分なコミュニケーションは図れないと思うのです。これからのまちづくりの中には、必ず顔と顔を合わせて伝え合うコミュニケーションの場づくりを取り入れていただきたいと強く思います。特に首都機能移転で新しい都市ができた場合、旧住民と新住民とが混在して住むことが多くなりますから、対面する場が本当に必要だという気がします。

その方法はいろいろあると思います。例えば盆踊りや地域のお祭りなどの伝統行事を行い、人が集まるような場所をつくれば、自然と語らい合う場ができます。買い物に行ったとき、全然知らない店主と自然に会話を交わすことがあるように、自然な語り合いが人の集まるいろいろ場所で行われる新都市づくりを望みます。

そういう意味では、防災訓練を活発に行って、そこに集まる人同士がまず顔を知るということも大切だと思います。同じ町内にいる人たち、同じマンションに住む人たちの顔を知るということです。私も一般の申し込みで避難訓練に参加したことがあります。最初はひとりぼっちなのですが、不思議といつの間にか、全く見も知らない主婦の方や男性の方と自然にお話しをするようになりました。たとえ数十人しか集まらなかったとしても、その数十人を知ることができたというのはとても安心感につながると思いました。

また、あるビル街でおこなわれた、帰宅困難者のための避難訓練にも参加したことがあります。通勤者と住民、みんなバラバラのところから集まっていても、災害時の生き死にを分ける場面では、一緒に何かをやらないとどうしようもありません。そういう訓練をすることによって、地域の連帯感がさらに強まっていくと思います。

防災訓練というのは、連帯感を感じることができ、いざというときには自分の身を助けるものにもなるということで、一石二鳥どころか、一石何鳥にもなるような感じがします。新しい都市ではこのような取組を盛んに行い、地域の連帯感を強めるような街づくりをしていただきたいと思います。

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各地域が持ち回りで開催する国会

首都機能移転の議論が盛り上がっていた平成12年ごろには、確かに各地で話題になっていたように思います。しかし、その後はあまり話し合いもなく、この話は立ち消えになったと皆が思っているのではないかという気がします。これからマスコミが大きく取り上げて、また各所で議論が盛り上がることがあるかもしれませんが、それに頼っているだけではいけないのではないかと思います。

行政では、一般の方にもわかりやすいパンフレットを作って広報されているようですが、今の時代、これを見た人が「ねえねえ、こういうこと知ってる?」「あなたはどう思う?」と語り合うことはあまりないのではないかと思います。もっと口コミの力が必要ではないかと思います。それは口コミで押しつけていくということではなく、いろいろな人たちが問題意識を持って気軽に参画できるようにするという意味です。これからは、例えば、一般の家庭で年に何度か話題にのぼるとか、もっと身近ないろいろな場所で話し合ってもらうように投げかけていくことが必要ではないかと思います。

行政の方は、「自分たちのしていることを自慢げに言ってはならない」というお気持ちが強いのかもしれませんが、私は行政の仕事についてもっとアピールしたほうが良いと思うのです。民間企業が自社の商品を宣伝するような営業感覚が行政にもあっていいのではないかと思います。

例えば、今は地方の人が中央官庁の人とお話ししたいと思ったら、わざわざ霞が関まで出てこられているのだと思います。その逆があってもいいのではないかと思います。行政自ら地方に出向いていくということです。もちろん移動シンポジウムのようなものを各地で展開されたり、出前講座のようなことも行っていらっしゃるのでしょうが、依頼されたから行くというだけでなく、こちらから出向くことが重要です。行政の方々にとっては大変でしょうけれども、国が今、何を考え、どういうことを進めているのかということをじかに聞けるということは、喜ばれると思います。しかも、それは行政関係者だけが聞くのではなく、商店主や主婦、あるいはお子さんも含めて、聞きたいと思う人が聞けるようにできればいいなと思います。

対面が大切だという観点から考えれば、国会を各地域持ち回りで開催するということを考えてみてはどうでしょうか。単純な考えかもしれませんが、例えば総理大臣をはじめ、政府と国会の主要な関係者が移動すると、移動先の地域の人たちは高い交通費を使わなくても、国の要人に会いやすい状態がつくられることになります。そのように国の主要な方々が、会いたいと思っている人たちの近くに行ってあげるということができればいいと思っています。

このようなイメージが湧くのは、先端技術の発達があるからなのです。例えば東京をキーステーションにして、資料やデータをきちんと整理さえしておけば、国会がどこに行っても、高速の通信手段を使いいくらでもやりとりができますし、国会答弁のときに必要な資料などもすぐ揃えることができるのではないでしょうか。主要な方々がある特定の1カ所に集中していて、そこによそから会いに来るしかないということの方が問題であるという気がします。

ただし、その場合でも、やはり全体を目配りする場所というものが必要だと思います。分散して、それぞれの地域だけが盛り上がればいいというのではなくて、日本の国全体を見た目配りがなされなくてはなりません。そういう意味では、首都機能をそのままどこかに移転するという考えも一つはあるのだろうけれども、全体を目配りする機能を東京に残すという方法もあると思います。

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基本のコミュニケーションを大切にした都市づくりを

私は最近、あらゆる手段を使ってコミュニケーションすることを「トータルコミュニケーション」という言葉で表現していますが、それが可能になる時代が到来すると思っています。今でも電光掲示板や液晶画面、さまざまな音声伝達手段など、随分便利になってきましたし、これからも新しい手段が出てくるかもしれません。これからの街づくりでは、このような最新の情報伝達機能を整えていくことが基本になるだろうと考えています。

例えば、遠くで暮らしていても、「おふくろ、元気かい」、「ああ、おまえも顔色良さそうだね」と、まるで直接会っているかのような双方向のコミュニケーションがとれることはとても大事ですし、お互いの安心感につながると思います。また、先ほどの防災の話でも、災害時、離れた場所にいて自宅がどうなっているかがわからないときに、情報をいち早くキャッチできれば、「家は大丈夫だ。じゃあ、すぐに帰らなくても平気だ」ということで、自分の行動を早く決めることができます。また、これからは地球上だけでなく、宇宙まで視野に入れて、どんなに遠くにいても、1秒でも早くコミュニケーションがとれる方法を確立していくことが望ましいと思います。

しかし、どんなに技術が発達しても、対面するという基本のコミュニケーションは常になければいけないと思います。電話を100回かけるよりも、足を運んで対面するほうが人の心を打つと思います。例えば仕事をもらいたければ、相手が遠くにいようと、「お願いします」と足を運ぶ。もしミスをしてしまったら、「ごめんなさい」と謝りに行く。相手が会ってくれなくても、何回も通う。そういうことを昔の人たちは当たり前にやっていました。そのように熱意を身体で示すということが、今の時代、少なくなっているような気がします。

東京一極集中から地方分散へと手助けするのも最先端の技術だと思います。新しい都市では、基本のコミュニケーションをコアとして最先端の技術を取り入れ、トータルコミュニケーションができるような空間づくりができたら、理想的な街になるのではないかと私は思います。

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