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東京と地方の関係を見直すきっかけになる国会等移転

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桑野 和泉氏の写真桑野 和泉氏 株式会社 玉の湯 代表取締役社長

1964年大分県湯布院町生まれ。

家業の宿「由布院玉の湯」の専務取締役を経て、2003年10月より代表取締役社長に。

旅館業のかたわら、町づくりや観光NPOなどの市民グループの代表や世話人を務める。

由布院温泉観光協会長、社団法人ツーリズムおおいた会長を兼任。

他にふるさと納税研究会構成員(総務省)、地域づくり懇談会構成員(総務省)、過疎問題懇談会構成員(総務省)、中央環境審議会専門委員(環境省)、九州圏広域地方計画プレ協議会検討小委員会委員(国土交通省)、東京都観光事業審議会委員(東京都)、大分県立図書館協議会委員(大分県)、まちづくり審議会委員(由布市)など公職多数


<要約>

  • 由布院のまちづくりの特徴は、マイナスとされることも活かしてきたことにある。由布院では、地域があってこそ観光も成り立つという考えのもと、住みやすい地域づくりを進めることで、地域全体が潤う仕組みをつくってきた。
  • どのまちにも資源はあるが、それを活かしていくためには外との交流によって、いろいろな知恵を取り入れることが必要。
  • 国会等の移転先である未来都市は、日本中のローカルな部分を持ち、良さも悪さも含めてお互いが混じり合う中から生まれてくるおもしろさがあるとよいのではないか。
  • 東京はやはり日本の顔であり、それを肯定や否定をするというのではなく、東京と他の地域をどう結びつけていくのかが大切。
  • これからは地方と都市が対立構図ではなく、お互いが補え合えるいい関係を結ぶことが大切。そのためにも地方は都市の人に地方のことを知ってもらう努力が必要。
  • 移転は東京と地方という関係を見直すきっかけになる。東京を経由せず地域のブロック間で直接キャッチボールできるようになることを期待している。
  • 「国家百年の大計」の中で、国会等を移転するのであれば、いい意味で日本の全てのよさが出てくるような都市づくりが問われる。
  • 国民の目からすると、国会等移転の議論があまりにも遠く感じてしまうのが実情なので、もっと前向きな話がされるといいのではないか。

マイナス面も活かしてきた由布院のまちづくり

年間観光客数が400万人近くに達する由布院も、かつては貧しい寒村で、昭和20年代には由布院盆地をダムにしようという話もありました。温泉や由布岳があるといっても、同じようなところは日本中どこにでもあります。由布院では、自衛隊の誘致など、地域が生きていくために様々な面で努力してきました。

従来の温泉地といえば、温泉街があり、団体客がバスで旅館やホテルなどの宿泊施設を訪れるスタイルが主流でした。しかし、それだと観光事業者だけにしかお金は落ちません。私たち由布院の観光事業者が言い続けてきたことは、地域があってこそ観光が成り立つので、その地域資源である温泉を活かし、観光業界だけでなく地域全体が潤う仕組みをつくろうということでした。

由布院のまちづくりの特徴は、たとえマイナスとされるものでもそれを活かしてきたことにあるでしょう。由布院のように温泉街がないことは、温泉地として集客の上でマイナスに思われがちですが、実はそうではありません。由布院盆地にはあちこちに源泉があります。そうした立地を活かしてそれぞれの旅館や施設が大金をかけずに小規模で点在できることを一番の強みとしたのです。

由布院には100件ほどの宿がありますが1件あたりの部屋数は平均14部屋ほどです。小規模ゆえにお互いの宿につながりができ、それぞれの宿がオープンな姿勢なので宿泊客の行き来もあります。例えば、宿泊はA旅館で、ご飯を食べるためにB旅館に行くとか、あるいはお茶を飲むためにC旅館に行くといったことも珍しくありません。宿泊客が相互の宿を行き来するようになることで、町を散策するようになり、その通りにお土産屋さんやギャラリーなども生まれてきました。このように小規模でもお互いが情報共有して由布院全体で皆さんをお迎えしているのです。

日本の農山漁村の中でも脚光を浴びているようなところは、決して何か特別に恵まれているという訳ではないと思います。例えば、北海道のニセコ町というとあのダイナミックな風景が目に浮かびます。ニセコではそのダイナミックな風景を活かすとともに外国人観光客を呼び込みやすい環境をつくることで、日本人観光客も増えてきました。また、長野県の小布施でも、新たに生まれた栗のお菓子をしっかりと地域の中に根づかせて、同時に町並み整備やそれに伴う物語を作っています。

どのまちにも資源はあり、それを活かす知恵が地域の中で生まれてきます。そして、その知恵を生むときに絶対に必要なものは、外との交流だと思います。たとえ地域にいい資源があったとしても、それを守るだけでは何も活かされません。それを磨くためには、外との交流によって外の風を入れ、いろいろな知恵を合わせることが必要ではないでしょうか。地域の人達だけで考えるという方法もありますが、地域資源を活かしていく上ではやはり外との交流が大切だと思います。

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外からの応援団と一緒に取り組むまちづくり

外との交流はなにも観光分野だけに限った話ではありません。「ふるさと納税」といった話も出ていますが、地域を取り巻く環境が大きく変化している中で、地域の外の応援団をどれくらい持っているかということが重要です。そのためには、都市と地域が結びつきを持つ必要があるでしょう。そこで、その結びつきをどのようにして作っていくかが問題となります。

由布院では、「住民が住みよいまちは訪れる人にとってもいいまちである」という考えのもとで地域づくりを優先してきました。住みよいまちとは、教育や福祉など、住人が安心できる基盤が整備されているとともに、お互いの住人の顔が見えるようなまちだと思います。そのようなまちをつくっていくことで、まちを訪れる人たちにも安心や快適さを感じてもらえるのではないでしょうか。

由布院のある湯布院町は市町村合併前は人口1万2,000人の町でしたが、400万人近くの観光客が訪れていました。そこで、由布院ではお互いがどのようにして一緒にこの地域をつくっていけるかを絶えず考えてきました。そして、この40年余り、由布院では、自然環境や温泉などの与えられた資源を活かして、そこで気持ちよく暮らし、気持ちよく交流できるような場を、地域の住民と来訪者が一緒につくってきたわけです。

以前は、由布院の人たちにも外部の人たちを受け入れることに抵抗感を持つ人が少なくありませんでした。しかし、由布院に限らず日本の農山漁村は人口が非常に減少しています。人手の問題もあり、地元の人たちだけでは何かのイベントを運営することもできないこともあります。ですから、外部からいろいろな特技や能力を持つ人たちの力を借りてでも、自分たちはこの土地の大切なものを守っていくのだ、といったように心境の変化が確実に現れるようになりました。

現在の由布院は市町村合併により人口3万5,000人の市になりました。道州制なども含め、これからもどんどん行政区は広がってくるでしょうが、そうなればなるほど、自分の町の小学校区ぐらいの歩いていける範囲をどうしていくのかが、地域に生きる私たちにとって大切になってくると思います。その範囲の地域についてじっくり考えていくと同時に、外とつながりを持つことによって、ゆくゆくはその地域が広がってくるのではないでしょうか。

人口減少社会における地域の活性化に向けて、地域間の交流の重要性が高まっていますが、それは由布院だけに限らず、日本の農山漁村は交流なくしては始まらないと思います。交流がしっかりと進展すれば、都会に住む人が一定期間に農山漁村に住む「二地域居住」という可能性も出てきます。「二地域居住」までいかなくても、家族の誰かが農山漁村に住むことで、地域間における新たな動きが起こりますし、ふるさと意識というのも違ってくると思います。

これからのまちづくりは、イベントにあわせて一斉に花壇を作るように、ある日突然できるのではなく、異なる考え方の人たちが集まって、異なる文化が混じりあいつつも同じような色に染まらないように進めていくようになるのではないでしょうか。国会等の移転先である未来都市においても、日本中のローカルな部分を持ち、良さも悪さも含めてお互いが混じり合う中から生まれてくるおもしろさがあればいいですね。

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東京と他の地域をどう結びつけていくのかが大切

東京もこの20年間で大きく変わってきていますが、東京の持つ首都の顔というのは、やはり日本の全てを物語っています。それを否定、肯定するというよりも、現実に日本の入口は東京であり、その東京と他の地域をどう結びつけていくのかが大切です。たとえば海外から大分県に直接訪れる人が増加することを期待することよりも、海外から東京を訪れる人たちが、そこから日本の様々な地域に容易に行けるようにすることが重要ではないでしょうか。日本だけではなく、世界中の人がまず東京を訪れている現状において、東京を拠点として捉えることが、私たち地方の人間が生きていく道だと思いますし、観光分野においても同様のことが言えると思います。

東京都では、観光や交流分野の推進も積極的に取り組んでいますが、東京の存在が他の都市と異なる点は、外の人間から見ると関東圏も含めてすべてが東京であるということです。都道府県という単位ではなくて、東京の周りの何重にもなっている円状の関東圏が、一緒に都市としての機能を担っています。東京を中心にした1時間半の行動半径はとても広がりがありますし、一緒にまとまる力があります。

ですから、観光だけではなく、他の機能においても東京を中心とする1時間半圏内のことをもう少しトータルに考えていく必要があるのではないでしょうか。交通網の発達や情報や人の流れも考えると、国会等移転においても、距離ではなく時間軸で見ていくと、かなり広がりを持てると思います。

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来て、見て、わかってもらうために地方はもっと努力を

地方にいますと、「東京を始めとする都市の人達は地方のことをわかってくれない」と言いたくなりがちですが、これからは地方と都市が対立構図ではなく、いい関係をお互いに結ぶ時期にきていると思います。地方と都市の格差ではなく、お互いに補い合える関係をつくることが大切です。

今夏の東京は電力不足の不安が高まったことで、東京への電力供給における地方の役割や都市圏を支えている水や緑の存在を多くの人たちが知ることとなりました。また、これだけ地球の温暖化が進行したり、都市に住む人たちの精神状況が不安定になってくると、都市部を中心に以前には考えられない病気や現象が多く生じてくると思います。これからは都市部の人たちが都市にはない何かを地方へ求めていくことになるのではないでしょうか。そういう意味では、これからは都市と地方との「きずな」のような、非常にいい関係が生まれてくる段階にきていると思います。

一方で、地方ではまだまだ社会インフラが整っておらず、環状道路のような道路体系が整備されているところといないところでは利便性に大きな違いがあります。地方に住んでいる人達は、地方の現実を都市の人にわかってもらう努力が必要です。北海道や九州などの暮らし、地方の村や町の暮らしをテレビのふるさと体験、ふるさと紀行番組などで見ても、視聴者にとって遠い存在でしかありません。自然に恵まれて、気候のいいところに住んでいるのだから幸福だろうし、もうこれ以上都市のお金は持っていかれたくないという論調も都市にはあるでしょう。

やはり、都市に住んでいる人にぜひ地方へ来てもらい、自然環境が日本全体でつながっていることを実感してもらうことが必要です。それと同時に、地方と都市部では1時間で行ける範囲が違うとか、公共交通の不便さとか、暮らしの上でも非常に個が負担する部分が大きいことなどを知ってもらうのです。そのためにも、私たち地方の人たちも都市に住んでいる人たちに来ていただける努力をして、「どうぞいろいろな地域を見てください」という仕掛けをやっていかないと、地域振興は机上の空論で終わってしまいかねません。

都市と地方のつながりが生まれてくると、それを一方通行の関係ではなく、相互に理解し合えるような関係を構築していかなければなりません。その努力は、地方側がもっとしていかなければいけない。都市から地方へもたらされるものについて、与えられておしまい、ばらまかれたものを喜ぶという姿勢ではなく、必要なものを選択して活用し、その成果を都市に還元できるような力をつけていく必要があります。

そのためにも、東京の人たちと今からつながっていくことが必要です。これから人口は減少していく中で、誰も助けてくれませんし、国も地方自治体もお金はありません。しかし、「ないながらも一緒に取り組もうよ」といった、日本人の持っているよさみたいなことも含めて、気持ちが「原点」に帰っているように感じます。そういった面では物事を考えるのに非常にいい時代になっていると思います。

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移転に対する一番の期待は地域ブロックごとのキャッチボール

国会等移転は、東京と地方という長きにわたる関係を見直すきっかけになります。政治家もこれまでは東京と自分の選挙区だけに目が向いていたように思いますが、本来、政治家には日本全体を見てもらわなければいけません。移転後は、東京という経済圏、自分の選挙区、新都市を見るようになります。また、今までのように飛行機でのアクセス面も全て羽田に向かっていた流れにも変化が起きてきます。そして、東京を経由するのではなく、九州、中国、四国、近畿といったブロック間でのキャッチボールができるようになるのではないでしょうか。そういうところが、私どもが移転を考えるときに一番期待したいところです。

また、移転によって国民が希望を見出せることが大切です。単純に人口が増え、とても巨大な都市をつくるというのではなく、移転先のブロックの人たちが、全員で迎え入れるような、県を越えて何か一つの誇りみたいなものが生まれてくるような都市づくりが進められるといいですね。

九州は東アジアの一員のようなもので、各県の空港もいま韓国や上海と定期便を結んでいますが、現状はかなり厳しいものがあります。九州というブロックで見れば、国際線はほとんど福岡空港に発着しているので、ある程度集約してもいいように思います。たとえば行きの便は福岡空港を利用し、帰りの便は大分空港とか宮崎空港とか、もう少し県を越えて海外とのつながりを持っていかないといけないでしょう。同時に、アジアだけでなく、欧米から日本に入ってくるとしても、これまでのように成田や関西や愛知だけでなく、九州から入ってきて、そこから日本各地を回っていける方法があってもいいと思います。

アジアの人たちは経済的にも力を蓄えていて個人旅行客も増えています。しかし、そういう人たちを受け入れる体制がまだまだ日本側にできていないような感じがします。以前のように団体旅行客のイメージが強く、そうした客層向けのメニューしか用意できていないというミスマッチがあります。特に韓国、中国の人たちに対しては、彼らのニーズに合わせたものが必要になってきます。由布院は小さな町ですが、選択肢だけは多くするようにこころがけています。宿の料金にしても5,000円から5万円くらいまでの幅がありますので、幅広い層の方々に由布院を満喫していただけます。

これからは、海、山をはじめ、いろいろな独自性のあるメニューを持つ地域が連動し、どこか1カ所だけということではなくて、多様な九州とか多様な大分といった感じで味わってもらえるようなことを次の段階で考えていきたいと思っています。

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国のあるべき姿と自分の生活圏の問題の両方を考えていくことが大切

国や県、市町村の財政状況も大変厳しい今日において、公共サービスのあり方についての見直しも進み、一昔前のように誰かがやってくれるという考えはなくなりつつあります。そのような中で、民間の私たちでできるような公益的な取り組みを地域の中で一緒に考え、行っていくことが必要になっています。

地域の活性化に向けての取り組みが活発化する中で、NPOなど、持続可能な公益的な性格を持つ受け皿が増えてきており、そこがある意味で地域の新しいコミュニティを形成したり、外の人たちとの交流のためのコミュニティになっています。人が生活していく上で考えなければいけないことはたくさんありますし、参加する皆さんもすごく一所懸命になります。

例えば、いま少子化が問題になりながらも子供を産める病院や小児科が少ないのが現状ですが、それを今から各村につくることはできません。しかし、ある都市部に行けば病院があるといった場合、現状では家からそこまで60分かかるなら、道路の整備によって30分にするとか、今からでもできることもあります。今の時代、特に地方においては住宅地がばらばらに分散していますから、そこにハードをつくるよりも、そこの結び目と役割をはっきりさせるべきだと思います。

また、限界集落(注1)の話にしても、そこにまず人が暮らしているわけですし、それほど単純には解決できません。そうした小さな村々で起きていることと、国会等移転といった話も別個の問題として捉えるのではなく同時に考えていくことも大切だと思います。これからは、自分たちの身近な問題だけではなくて、日本のあるべき姿もしっかりと考えることが必要です。移転問題は、もう一度そういうことを考える機会になると思います。

(注1):「限界集落」について必ずしも明確な定義が確立しているとはいえないが、大野晃氏(長野大学教授)の定義では「65歳以上の高齢者が集落人口比率の50%を越え、独居老人世帯が増加し、このため集落の共同活動の機能が低下し、社会的共同生活が困難な状態にある集落」(大野晃『山村環境社会学序説』(社)農山漁村文化協会、平成19年3月)を指す。

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いびつになった東京を軽くするという発想

地盤が弱り、山を切り開き、地球温暖化が進行している今、従来とは治水の考え方も全く異なります。先日、由布院では70年ぶりの大雨が降りましたが、そのような災害を経験することで、身をもって災害の怖さを実感しました。ビル群がそびえたつ東京のような大都市に何か起きたときの怖さも想像できるようになりました。今は多くの国民が地震や台風災害を経験し、国土が弱っていることを実感しているのではないでしょうか。

近年、再開発が進む東京は投資の対象になり、外資も次々と入ってきています。新たな街が次々と生まれることは、私にとっては不思議な光景に映ります。この小さな地域に住んでいますと、地域に生きる者としてここをどう維持するかということを考えます。しかし、この地域だけが生きればよいということではなく、日本という国があって、国が健全で、多様な姿を持つからこそ私たちも生きられるのです。今は、この日本という国が何か少しいびつになって、「東京とそれ以外」という構図だけで見られています。第三の新しい空間、新しい日本の未来図のような所が生まれてくることによって、単純に「東京とそれ以外」という構図ではなく、お互いが結びついていくのではないでしょうか。そうすると、小さな村や町も、その一員として、様々な可能性が出てくると思います。

日本の「国家百年の大計」の中で、首都機能を移転するのであれば、いい意味で日本の全てのよさが出てくるような都市づくりをするべきでしょう。それは多分、従来のニュータウンをつくる際の考え方とか研究のレベルではなく、やはり100年単位ぐらいの重さで考えなければいけません。

日本の国土は山が多くあまり平地がありませんから、その中で工夫して、15万人ないし50万人ぐらいの都市が生まれてくるとしたら、ワシントンのようなアメリカ的な都市とは全く異なる都市になってくると思います。山間を結び合いながら、やはりその土地のよさが入ってくるようなものと言えましょうか。東京と新都市の双方が役割分担できる関係であればいいですね。東京の永田町とか霞ヶ関あたりを新都市にそのまま持ってくるということではなくて、その土地との調和の中に生まれてくる、日本の未来図みたいなものを生み出す知恵をもっともっと出してもらえるといいと思います。

そのためには、国会等移転を語るときに、この国のあり方も同時に見せていくことが重要です。小さな島国ながら、一山越えると気候も全く異なることがありますし、このように多様な国民性や国土はあまり類を見ないわけですから、その多様性を国土形成に活かしていただきたいと思います。

首都機能が移転したとしても、単純に東京から何もかも移るわけではなく、東京の持つ変わらない役割はあります。現状において東京は、政治や経済や他の様々な分野においても集中が進みきっています。そうした意味では、いびつになった東京を軽くしてあげることを考えればいい。

国民の目からすると、今では国会等移転の議論があまりにも遠く感じてしまうのが実情なので、もう少し前向きな話がされるといいのではないでしょうか。平成2年に決議がなされて、それから17年ほどたっている今だからこそ、国会等移転について「第二の考えるとき」だと思います。

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