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国民一人一人のセンシブルな(常識的な)判断が求められる首都機能移転

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マリ・クリスティーヌ氏の写真マリ・クリスティーヌ氏 異文化コミュニケーター

父親の仕事に伴い4歳まで日本で暮らし、その後ドイツ、アメリカ、イラン、タイ等諸外国で生活。単身帰国後、上智大学国際学部比較文化学科卒業。この頃スカウトがきっかけで芸能界へ。94年東京工業大学大学院理工学研究科社会工学専攻修士課程修了。
生まれながらの環境から学んだ幅広い視点から国際会議・式典等の司会、講演活動など多方面にわたる活動をこなす。

1996年AWC(アジアの女性と子どもネットワーク)代表に就任、2000年国際連合人間居住計画(国連ハビタット)親善大使に就任、2002年日本国際博覧会 愛・地球博 広報プロデューサーに就任、2006年4月あいち海上(かいしょ)の森センター長に就任。

公職として、総務省地方制度調査会、国土交通省社会資本整備審議会、内閣府観光

立国推進戦略会議、外務省文化外交推進懇談会、消防省地方公共団体の国民保護に関する懇談会、CBC地方公共団体の国民保護に関する懇談会、文部科学省中央教育審議会スポーツ・青少年分科会などの委員を歴任。

主な著書に「お互い様のボランティア」(ユック舎)、「愛・LOVE・フレンドシップ」(中日新聞社)、「ありがとう 愛・地球博」(ユック舎)、「自分を生かす人見失う人」(海竜社)、「心地よい我が家を求めて」(TBSブリタニカ)、「ひとを素敵と思う朝」(立風書房)など。


<要約>

  • あらゆる層の人々がQuality of Lifeを享受できる環境づくりが、本当の意味での豊かな国をつくる。
  • 国際化の流れの中で、日本もそれに見合う世界的な視野に立った国づくりが求められている。そのためには外国人への受け入れ態勢の整備や正しい情報の発信、語学力強化に向けた投資が必要。
  • 日本語は言葉を発しなくても共通する認識が多いハイコンテクスト文化の言語だが、グローバル社会に移行しているにも関わらず、意識やコミュニケーションが追いついていないことが問題。
  • 日本が経済大国になった要因として、政治と経済が1ヶ所に集中していたことが挙げられる。コミュニケーションのフットワークを軽くするそうした環境が経済大国日本をつくってきたといっても過言ではない。
  • 一極集中の悪いところは、結局「持つ人」と「持たざる人」の格差をつくっているところ。一極集中のよさを保ちながらも、格差が極端に生じないような施策づくりが必要。
  • 複数の地域に首都機能を分散することで、どこで地震が発生してもどこかで首都機能を維持することが可能となる。
  • 首都機能移転問題を考える上で、自分たちの心の拠り所、日本のスピリットはどこにあるのかということをもっと考えなければいけない。
  • 首都機能移転問題は、新たな公共投資を見据えた上でセンシブルな(常識的な)判断が求められる。一般国民の考えを十分に聞いた上で検討していくべきであり、オープンな議論の場を設け、いろいろな人たちに参加してもらうことも考えられる。 

あらゆる層がQuality of Lifeを享受できる環境から豊かな国は生まれる

私が日本に住んでいて一番強く感じることは、物価の高さです。そして、物価が高い日本ではお金がないと余暇を楽しく過ごせないといっても過言ではありません。例えば家族で1カ月ぐらいどこかでゆっくりと長期休暇を過ごすとすればお金がかかりますし、田舎のおじいちゃん、おばあちゃんに会いにいきたいと思っても、お盆や正月だとお金がかかる上に帰省ラッシュを免れません。お金がかかるので、家族で帰省するとしばらくどこにも行けないという状況も起こりえます。しかし、そうした休暇を過ごすことは本来なら国民の権利の一つだと思います。階級が色濃く残っているヨーロッパやアメリカに比べて、日本は「皆が平等」というイメージがありましたが、今は格差も顕著に見られるようになりとても残念です。そうした現状も踏まえてこれからの国づくりのあり方を議論することが何より先決だと思います。

国民がお金をかけないで“Quality of Life”(生活の質)を享受できるためには、国立公園や廉価で利用できるホテル、リゾート地の充実はもとより、国立公園内でのキャンプを可能にするなど、インフラや法の整備という点でもやらなければいけないことがたくさんあります。アメリカやヨーロッパのリゾート地は、1泊2〜3千円あれば家族で楽しめるような宿から高級ホテルまで選択肢が豊富です。そこではあらゆる層の人々がQuality of Lifeを享受できます。そのような環境づくりが、本当の意味での豊かな国をつくるのではないでしょうか。

昔の日本の農家の人たちは、農閑期に温泉に湯治に出かけて体を癒していたという話を聞いたことがあります。湯治場に一カ月もの長期間滞在し、そこでは各地から集まった農家の人たちがお互いに農産物を持ち寄り、皆で食事をして交流していました。見知らぬ人同士がそうやって交流し、なおかつ体を癒していく、これはとても素敵なリゾートライフですね。しかし、今はそうした習慣から日本人が遠ざかってしまい、西洋風の大リゾート地で過ごさなければリゾートではないという傾向にあります。

ヨーロッパには有名な最高級レストランがありますが、一般庶民はそのような場所に特に行きたいとは思いません。自分たちの生活環境の中でも十分楽しめるものがたくさんあるからです。しかし、日本だと東京をはじめとする大都市の多くの人たちがブランド品を持っていなければ安心できないようにみえます。そうしたものに駆られる環境が、ある意味では豊かな国づくりを妨げているように感じますし、逆に国づくりがきちんとできていないからこそ、皆がそうしたことに豊かさを求めてしまっているのかもしれませんね。

いま団塊の世代が退職を迎える時期にさしかかり、故郷につながりのある人たちをはじめ、退職後は地方で暮らすという人もいるでしょう。しかし、長年自分の生活基盤を東京に置いてきた人たちは、故郷に帰っても、友人もいないし自分の居場所もありません。また、利便性からすると住み慣れた都会の方がいいという人もいるでしょう。そうした人たちのためにも、これからは都心部にもっと充実した生活環境をつくらなければいけません。

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もっと世界的な視野に立った国づくりを

一方、国際化に見合った国づくりも求められています。外国人の受け入れ態勢の整備もその一つです。日本に来る外国人の中には、いろいろな価値観を持った人がいますし、日本では経験できない暮らしをしてきた人もいますから、いいも悪いもいろいろな知恵を持っています。日本人は外国人への対応のあり方を見直さないと、国際化の波に追いつけなくなってしまいます。

私はいま政府の出入国管理政策に関する会合にも参加していますが、話を聞いていると、とても悲しくなります。それは、外国人がまるで犯罪を起こすために日本に来ているかのような議論になってしまうからです。外国人にとって今の日本は暮らしにくい国といえるでしょう。それでも日本に来たがる人たちは、よほど物好きか、お金を稼いで家族にもっといい生活をさせたいという思いを持つ、本当にまじめな人たちが大半です。外国人の犯罪は一部のことであって、外国人すべてが悪いわけではありません。犯罪を起こす人たちは組織などに入っていることが多いので、それに対処するためには、警察は積極的に犯罪を予防しようとする努力と、もっと語学力をつけなければいけないでしょう。情報収集するにも、日本語しかできないから外国人に聞き込みもできないのです。

日本人は何でも徹底してやれる国民なのに、外国人を受け入れる態勢ができていないから、どこから手をつければいいかわからないのではないでしょうか。それこそ外国人の中には日本が好きな人もたくさんいます。いろいろな国の言葉を使えるそうした人たちにもっと働いてもらえるようにするには、警察だけでなく、公務員に日本語ができて一定レベルの知識を持つ外国人を採用するとか、法律を変えてみてはどうでしょうか。

これからは世界的な視野に立って国づくりをしていかないと、経済活力も停滞していくでしょう。日本はものづくり産業が経済を牽引して目ざましい成長を遂げてきましたが、今日では製造拠点をアジアを中心とした海外へ移転する傾向が拡大しています。中東のドバイは、石油産業への依存から脱却するため、シンガポールのようなアジアにおける経済の中心地を目指して、一大リゾート地の開発や国際会議の誘致などを行い、アジアとヨーロッパを結ぶ拠点になりつつあります。それこそ日本も、アメリカとアジアを結ぶ拠点になり得るわけですが、国際会議の開催数をとってみても中国や韓国に及びません。それはなぜかというと結局、日本では英語が通じないからです。しかも、これからは英語だけではなくて、いろいろな国の言葉が通じなければいけません。それとやはり物価の高さがネックになっています。

しかし、イタリアとかニューヨークのホテルは、安いところでも大体1泊2〜3万円しますが、日本のちょっとしたシティホテルだと、1万円程度で泊まれるわけです。つまり、日本の物価は高いという一般的なイメージが先行し、海外からの集客に苦戦しています。私は事実と異なるそうしたイメージを覆すための情報発信が不十分だったことが問題だと思います。

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グローバル社会に対応するためには語学教育の充実が必要

グローバル化に対応できていない日本の現状を変えていくためには、やはり教育の充実が必要です。中学、高校と6年間以上も英語を勉強して、英語で日常会話すら話せなければ、アメリカでしたら親が学校にどなり込んでいくと思いますが、日本の親は怒りもしない。アジアでは義務教育のときからしっかりと英語を身につけさせています。

最近、インターネットを利用していたときに不明点があったので、問い合せのためにダイヤルフリーで電話したところ、そこは中国のコールセンターでした。そこにいる中国人スタッフは中国で英語を学んだ人たちで、英語ができる人たちを中国政府が集めて、コールセンターで働いているのです。中国では、語学力は自分の国の産業の一つであると認識し、必要な投資を行っています。日本もこれからはそうした投資が必要です。日本人は能力があってまじめで勤勉ですが、そうした能力を海外で発揮できていないことは本当にもったいないですね。

日本には、「ツーと言えばカー」という言葉がありますが、これは英語には訳せません。それは日本人同士で共通認識を持ち合わせていて、心でつながっているところがあるから成り立つことだと思います。それは日本人のすばらしいところでもありますが、ときとして自分が思うことと相手が思うことが違っているのに、何かお互いわかり合ってしまっているつもりになって、誤解が生じてしまうこともあります。

英語はコミュニケーション用語でいうと、人種のるつぼであるアメリカに象徴されるローコンテクスト文化(注)の言語です。「私は何々をします」とか、「あなたは何々を考えていますか」とか、はっきりと細かいところまで言わないとお互いに理解し合えません。一方、日本語は言葉を発しなくても共通する認識が多いハイコンテクスト文化(注)の言語だから、少ない言葉で通じ合えます。しかし、グローバル化社会の到来を迎え、日本もこれからはローコンテクスト文化への意識を高め、語学教育を充実させていくことが必要不可欠だと思います。

(注)「ハイコンテクスト文化」と「ローコンテクスト文化」・・・アメリカの文化人類学者であるエドワード.T.ホールが提唱したコミュニケーション環境の識別法。ここでいう「コンテクスト」とはコミュニケーションの基盤である「共通の知識・体験・価値観・ロジック・嗜好性」などを意味する。ハイコンテクスト文化とはコンテクストの共有性が高い文化のことをいい、コミュニケーションを図る際に、コンテクストに依存するため、お互いに意図を察しあうことで通じ合う環境をいう。一方、ローコンテクスト文化とは、コンテクストに依存せず、あくまで言語によりコミュニケーションを図ろうとする環境をいう。(エドワード・T・ホール著、岩田慶治/谷泰訳「文化を超えて」TBSプリタニカ 1979年)

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一極集中のよさを保ちながらも極端な格差を生じさせない施策を

日本は世界で1位、2位を争う経済大国ですが、面積で見ると非常に小さな国なのに、今までうまくいっていた理由の一つに政治と経済が一ヶ所に存在していたことがあるのではないでしょうか。ある意味では小さな村のようなもので、ちょっと走ってあっちへ行ったりとか、風呂敷を持ってこっちへ来たりということが可能であり、コミュニケーションのフットワークを軽くするそうした環境が経済大国日本をつくってきたといっても過言ではないでしょう。

アメリカは国の首都(ワシントンD.C.)と経済の中心地(ニューヨーク)が異なりますが、ニューヨークとワシントンD.C.は非常に交通の便がよく、タクシーやバスのよう30分ごとにシャトル便が飛んでいますし、空港からワシントンD.Cの中心部やペンタゴンへのアクセスも容易です。国を動かす都市にはモノが集約されていることもとても大事です。

日本の経済成長も首都機能や経済など各機能が集約される「一極集中」に拠る所が大きいと思います。一極集中の悪いところをあげるとすると、必要とされないものまでもがインフラとして無駄に整備されてしまうところだと思います。結局「持つ人」と「持たざる人」の格差をつくっているところです。ですから、一極集中のよさを保ちながらも、格差が極端に生じないような施策づくりをすることが重要です。利益至上社会ではなく、「利益も人も大事」というように、もう少しバランスをシフトしていけるといいですね。

日本は、問題が発生した後の始末がとても上手ですけど、予防はとても下手だと思います。誰もが予測できるにもかかわらず、それを予防する対策をとらないでしょう。例えば、地価の高騰の問題で、どこの国も中心地の地価が最も上昇するわけで、地方都市における中心部の地価も同様です。東京では、都心部の地価が大きく上昇していますが、郊外では低下しているところもみられるなど、同じ東京の中でさえ違いが生じています。土地問題は予防対策がとても大事で、東京への一極集中によって地価が高騰していることについて、きちんとした施策をつくるべきだと思います。

私は以前パリにも住んでいましたが、パリの都心部でマンションを購入する場合、一定期間は売却できないことになっています。これは投機目的の購入によって相場が上昇することを抑えるための措置なのです。このように、一般市民にとって悪影響を及ぼすだろうと思われることについては、問題が起きる前に予防策をとることがとても大切です。

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日本人に足りない日頃からの危機管理意識―防災面からの首都機能分散

防災の面で考えれば、複数の地域に首都機能を分散することで、どこで地震が発生してもどこかで首都機能を維持することが可能になります。

絶対にあってほしくないことですが、他の国から戦争をしかけられたりすることがあるかもしれませんし、自然災害が起こることも想定されます。首都機能を東京以外の地域に分散することで、有事の際に国の機能を維持していくことも可能になります。だから、一概に「イエスかノー」ではなくて、様々なことを秤にかけながら、ベストの選択をしなければいけないと思います。

私の父はアメリカの軍人でしたから、私は有事のときの心構えを小さいときからしょっちゅう聞かされていました。ベルリンの壁ができた年に暮らしはじめたドイツをはじめ、私が子どもの頃に暮らした国はどこも冷戦構造の中でアメリカにとって重要な国ばかりでしたから、そうした緊張感は子どもながらも強く感じていました。何か起こると、軍人の家族も「エバキュエーション(evacuation)」といって、必ず避難することになるので、そのための準備の一つとして私たちはいつもスーツケースを用意していました。

父がアメリカで勤務していた当時、ブルーリッジ山脈に軍の施設があり、ここは核戦争が発生したときに大統領が指揮をとる秘密基地になっていました。当時の父は他のお父さんのように日焼けしてなくていつも肌が白かったのですが、父がそこで働いていたので外に出る機会があまりなかったのだと後にわかりました。

子どもの時からそうした危機管理意識を身につけていた私からみると、危機管理意識が十分でない日本は、いざというときに一体どうなるのか心配になります。

私は1970年代に来日しましたが、日本で台風などの災害放送が流れるようになったのは最近のことです。一方、FEN(極東放送、現AFN:米軍放送)では以前から、災害情報を絶えず放送していました。それも、台風が接近するずいぶん前から、「お風呂一杯に水をためなさい」とか、「2〜3日分の食料やローソク、懐中電灯、ラジオを準備してください」といった内容を放送していました。

日本の場合、いざ何かをやり始めると全てにおいてものすごく徹底します。それはとてもいいことですが、その気になるまでに時間がかかります。首都機能移転問題についても、何かあった場合に「やっておけばよかった」と後になって言われる可能性もあるかもしれませんね。

私は国連ハビタット(国際連合人間居住計画)の親善大使もやらせていただいていますが、爆撃により都市が破壊され、復興が必要な地域が世界各地にあるわけです。日本人は戦後たった60年でこれだけすばらしい国づくりを達成しました。もう二度と戦争は起こってほしくないにもかかわらず、多くの人がその時代のことを忘れつつあります。私は平和慣れした日本人の危機感の欠如と事なかれ主義に危うさを感じます。

例えば身近なことですが、ヨーロッパとかアメリカでも大都市では、いつひったくりに遭うかわかりませんから、貴重品は小さなバッグに入れて体の前に肩がけするなど、いつも危険と背中合わせにいるという認識を持たざるを得ません。よく海外でこんなひどい目に遭ったと話す日本人がいますが、「怖い」という意識を常にどこかで持っていないと、海外では生きていけません。日本は安全な国ですから、危険に対して無知になり過ぎています。例えば、日本における外国人犯罪が怖いとかよくいわれますが、きちんと予防意識を持っていればそれほど怖くもないのに、それを持っていないために、犯罪が発生したときに、警察も対応できないという部分もあると思います。

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首都は国の象徴

私は子どもの頃に父の赴任先のドイツ、アメリカ、イラン、タイで暮らした経験があります。ドイツへ移ったのはちょうどベルリンの壁ができた年で、私たちはフランクフルトの近くに住んでいました。当時は国の中心のベルリンに行くことは大変な苦労を伴いました。それはアメリカも同じで、アメリカ人にとって首都ワシントン.D.Cは一生に一度は行ってみたいという場所であり、しょっちゅう行くところではありません。大きな国際会議とか運動に参加するなど、国に対して何かをしたいときに訪れるようなところです。むしろアメリカ人は、日本でいうと、地方に住む人が東京に来るような感覚で州都を訪れています。

また、首都は国を象徴するものですから、首都機能があり、そこに国のリーダーがいるということが重要だというイメージがあります。タイの首都バンコクにも王室の宮殿があります。

内閣総理大臣の親任式は皇居で行われますが、移転後はどのように対応するのでしょうか。「都(みやこ)とは、尊い方がいる場所だからこそ都である」と大学で学びました。天皇が京都から東京(江戸)にいらしてこちらが「都」になりましたが、京都の人たちはまだお帰りになるのを待っているという話もあります。もし首都機能を移転するならば京都に戻られることになるのでしょうか。私も日本人ですから、国民の心の拠り所となる国を象徴する方と首都機能移転とは一緒に考えなくてはならないことだと思います。このことについて言を避ける人もいますが、首都機能移転問題を考える上で、自分たちの心の拠り所、日本のスピリットはどこにあるのかということをもっと考えなければいけないと思いますし、議論をもっとするべきだと思います。

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首都機能移転の議論にあたってはセンシブルな(常識的な)判断を

現在の移転候補地として挙げられている地域はどこもいいところだと思いますが、他にもふさわしい候補地もあるのではないでしょうか。東京がこれだけのインフラを整え、海外から人を受け入れる環境づくりをしているにもかかわらず、移転によって新たな公共投資も必要になるわけですから、移転の議論にあたっては、そうした投資効果を見据えた上でセンシブルな(常識的な)判断をすることが必要だと思います。

最近の報道で、オランダが河川の護岸整備をやめたという話がありました。せっかく整備をしても、河川の氾濫時には弱くなった部分から崩壊してしまいます。それならば水とともに生きよう、そのために水に浮く家をつくってはどうかということになったのです。家の土台の部分は地盤と接しているものの、パイプを軸として家が上下に可動して水に浮く仕組みになっているので、増水時にも家が水浸しになることはありません。このオランダのやり方は非常にセンシブルだと思います。

センシブルな(常識的な)考えを持つことがとても大切です。例えば、車椅子車両の駐車スペースを建物入口の一番近くにすべきだと考えることもその一つでしょう。

活断層が国会議事堂のすぐ下を通っているような(笑)例えばの話ですが、何かあれば国が滅びるという一刻を争う事態であれば、とにかく早く移転しなければいけませんが、確かに移転することの意義がわかりにくいということはありますので、様々な情報を収集した上で、どうすればいいのか議論して決めてほしいと思います。

日本には何かをするときに「みんなで一緒に」という傾向がありますから、道州制に移行するのであれば、各州持ち回りで国会を開催しましょうとか、臨時国会はこちらで開催しましょうとか、寒い時期は南の地方で開催とか、いろいろなことが考えられると思います。

首都機能移転問題は、国会議員だけで決めることではなく日本の国民が決めなければいけないことですし、一番いいと考えられる方法を国民一人一人が選択する権利を持っていると思います。そのためにも、一般国民が何を考えているかということを十分に聞いた上で検討していくべきです。また、議論はとても重要ですから、オープンな議論の場を設け、いろいろな人たちに参加してもらってはどうでしょうか。そのためには、首都とは自分の中でどういう存在なのかとか、首都機能移転の意義などを一人一人が認識しなければいけないと思います。

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