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「首都機能移転は立ち止まって再検討を」


野中 ともよ氏の写真野中 ともよ氏 ジャーナリスト

上智大学大学院文学研究科博士前期課程修了。ミズーリ・コロンビア大学大学院。帰国後フリージャーナリストとして活動。NHK「サンデースポーツスペシャル」、テレビ東京「ワールド・ビジネスサテライト」のキャスターなどで活躍する一方、財政制度審議会、次世代ネットワーク構想に関する懇談会をはじめ多くの審議会・委員会委員を務める。著書に「ガンバレ、自分!」「私たち「地球人」」など。



首都機能移転にひとまずカンマを打つ時

日本はこれまで何回か首都を移転し、移転によってプラスの結果がもたらされてきたと司馬遼太郎さんが述べられているようですが、これまでの首都機能移転にはそれぞれのロジックがあり、必要性があって、それが実行されてきたのだと思います。それに対して、このたびの首都機能移転は、どこから出てきて、何のためにその結果を望んでいたかということを、2000年をまたいだ今、もう一度考えてみる必要があると思います。私の意見は、あと10年先、20年先の日本の状態からすると、今首都機能移転にピリオドではなく一応カンマないしセミコロンを打って、今の時点ではこれを推進しないということを決めるべきだと思います。

確かにこれまで首都機能を移転するために多くのエネルギーが注がれてきたと思いますが、これまでやってきたのだから、もうここまできたのだから、という考え方はとるべきではないと思います。

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時代は大きく変わっている

なぜそういうことを申し上げるかといいますと、犬が1年間に人間の7倍の速さでを年とることからいわれる「ドッグイヤー」という言葉がありますが、今、技術革命が、まさしくドッグイヤーと言われるスピードで進んでいるからです。

私たちがこれまで経験してきたのは高度経済成長の生活感であり、その中で、政治のパラダイム、技術革新のパラダイム、土地が上がっていくパラダイムがつくられてきました。会社の肩書きもじっと黙ってその会社にいればだんだん上がっていく、給与も上がっていく、国民全体のGDPが前年プラスで推移していく、これが日本丸のほぼ敗戦から1991年ぐらいまでのパラダイムだったわけです。翌日も、翌年も、先輩が言ったとおりの手順を踏んでいくと、物事は動いていったわけです。なぜかというと、基本を支える経済成長の流れがそれを支えていたからです。しかし、首都機能を移転するという発想と、それを実行に移すタイムラグの間に、蒸気機関が登場してきた産業革命以上のパラダイムの変化が起きているのです。

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もう一度本当に必要なインフラを考える

植民地時代の重商主義が産業の時代になって、その中で私たちは、列強の中に入って、物づくり、製造業の大国家を形成してきました。それ以前は羅針盤と航海術を持っている国が覇権国であり得たのが、蒸気機関が出てきたときに様変わりをしたわけです。そこから物づくりの、工業、産業の時代が始まるわけです。そのパラダイムがふたたび、産業革命の何十倍というインパクトによって、すべて変わっていく技術革新が行われているのがまさしく今なのです。

その変化は1990年代後半から始まって、まだ5年もたっていないのです。ファンダメンタルズと言ったときに今まで私たちが思い浮かべたのは、やはり重厚長大です。鉄は国家なりだったのです。けれども、鉄がいくらあってもネットワークソサエティーがなければ、生き残っていけない状況になっています。つまり、いくらいい羅針盤を持っていても、鉄道を利用して世界にロジスティックス(物流網)を広げていくコンセプトに対しては、船だけでは対抗できないのと同じなのです。その羅針盤をもって、ファンダメンタルズと言ってるがごとしなのです。その意味で、日本を支えてきた今までの国力とか、あるいは経済力を担保しているパラダイムは終わっていると思います。もちろん、終わっているというのは、ゼロになるという意味ではありません。拡大再生産をすることが、ほとんど不可能になっているという意味です。

そういう現在の状況を認識した上で、今ある個人貯蓄、今持っている富を、いかに100年後の国家づくりを見据えた中で、無駄遣いをせず、本当に必要なことに投資して、本当に必要なインフラをつくっていけるかが問われています。1人でも多くの国民が、この国に生まれてよかったと実感できる国づくりをするために使わなければならなくなっているという実態を、全員が把握すべきです。

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たおやかな歴史の視座で未来を見据える

首都機能移転はたしかにロジックから言うと、法律で実行しようと決めた話です。ということは、いつやるのか、今やるのか、延期するのか、白紙に戻すのか、いいか悪いかという話でないのかも知れません。しかし今、私たちにとって必要かどうかということを、肩に力を入れずに考え直してみることが必要です。今まで使ったお金を無駄にしないという考え方も必要ですが、今ここでやめた方が今までのお金だけで済むという考え方も同時に成立するわけです。

これまで多くの審議会等で議論をされてきた方にとっては、とんでもないことだと思われるかも知れません。けれども、これは意味がある答申だと思いますし、これだけ時間を割いて、これだけの答申をしたということは、誇るべき財産だと思います。今後のために、こういうプロセスで、こういうクライテリアで検討しましたということをきちんと残すことは大切なことだと思います。

1900年のパリ万博が行われた時、人々は何を考えたかというと、100年後の我々は、きっとこういうふうになるぞ、こういう世の中になるだろうという希望と夢にあふれていました。今私たちも、たおやかな歴史の視座、未来を見据えて、考え直すことが求められています。

ですから、これまでにどれだけのエネルギーを費やしたかに、足をとられる必要はないのです。未来を見据えて考えるときには、将来的な設計図とどういう国をつくりたいというビジョンが必要です。例えば、サービスということで考えてみましょう。それは、役所へ行ったら、みんながにこにこ笑ってくれることではなくて、システムとして、1人1人の国民が差別なく、区別されることなく、つまり、お金を持っているか持っていないか、健常者か身体障害者か、男か女かにより差別されることなく、この国に暮らしているということで、そのサービスを受けられるようなシステムをつくらなければいけないのです。このようなビジョンは、首都機能移転だけを取り上げても見えてこないと思います。もう一度日本の国土の上、日本というリニアな時系列の中で、歴史的な推移の中でとらえて、未来に何を志向するか、10年後にそれを支えるだけの財政的な担保があるのかどうか、よく考えて決断すべき時にきていると思います。

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