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環境負荷を減らすために必要な意識改革と都市づくり

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枝廣 淳子氏の写真枝廣 淳子氏 環境ジャーナリスト、翻訳家

環境ジャーナリスト、翻訳家、(有)チェンジ・エージェント会長、(有)イーズ代表、NGOジャパン・フォー・サステナビリティ(JFS)共同代表。

東京大学大学院教育心理学専攻修士課程修了。講演、執筆、翻訳等の活動を通じて「伝えること、つなげること」でうねりを広げつつ、行動変容と広げるしくみづくりを研究。個人向けに「システム思考で自分の成長を考える」コース、「自分のビジョンを描き、自分マネジメントシステムを身につける」コース、「伝える力」を鍛える翻訳通信講座『Next Stage』などを開催。企業や組織向けにシステム思考や「学習する組織」などの変革のスキルを提供するファシリテーション・コンサルティングを提供するほか、教育機関向けのシステム思考トレーニングコースも開催。

主な著書に『地球のなおし方』『地球のためにわたしができること』『枝廣淳子の回収ルートをたどる旅』『いまの地球、ぼくらの未来』『なぜあの人の解決策はいつもうまくいくのか?』『朝2時起きで、なんでもできる!』『細切れビジョンで、なんでもできる!』、訳書に『不都合な真実』『成長の限界 人類の選択』『カサンドラのジレンマ』『デーリー先生の話し方コーチング』ほか多数。


<要約>

  • 日本はこれだけ豊かになったのにまだ質的な成熟へと転換できていない。転換に向けては昔の日本にあった「もったいない」という考え方を取り戻すことが大事。
  • 深刻化する環境問題に対応していくために、これまで一緒だと考えられていた「成長」と「環境負荷」を離して考える「デカップリング」の考え方が重要になる。
  • どこまで成長すればいいのかということは企業にとって今後の最大の経営課題といえる。国や企業自身のためにも成長のコントロールを一番に考えることが必要になってくるのではないか。
  • 都市環境を考える上で大事なことは、都市に入ってくるものと出ていくものを把握すること。せめて、自分が食べているものが国産か外国産かということだけでも意識すれば、東京のような大都市でも自給率を変えていくことが可能になるのではないか。
  • ピーク・オイル(石油の生産量が頂点に達していること)はこれからの都市づくりのカギを握っているが、日本ではまだ意識が低い。ピーク・オイルに関する現状認識とともに、自治体や都市設計者は都市づくりの前提を見直す必要がある。
  • 何か物事を現状から変えようとする際のポイントの一つはビジョンを示すことだが、その作成にあたっては現状の積み上げで目標を立てるのではなく、将来的に何が必要かという点から現在を振り返る「バックキャスティング」によることが大事。
  • 日本には社会経済的な仕組みづくりにおいて遅れている面がある。日本には「型から入る」という言葉があるように、まず仕組みがあって国民がそれに沿った行動をとることで、結果として目標を達成することもあるのではないか。
  • 国会等の移転は短期的に直接の影響を見れば環境負荷を増大させるものだと思うが、環境モデル都市として日本や世界に展開できるように整備するのであれば、その影響は広く地球環境への負荷を減らすことにもつながってくるのではないか。
  • 国会等の移転の意義は、象徴としての国会議事堂なり首都は存在しても、その機能や情報をどこからでも利用・収集できるユビキタス社会の実現にある。

量的な成長から質的な成熟への転換が遅れている日本

ヨーロッパを訪れるたびに感じることは、自分たちが文明的にどの段階にいるのかという認識がヨーロッパと日本では全く異なる点です。今の途上国がそうですし、戦後の日本もそうでしたが、最初の段階では生産量や所得を増やすといった量的な成長が重視されます。しかし、量的な成長を達成してある段階まで進むと、その文明もしくは国や社会にも、質的な成熟に転換する時期が訪れます。

子どもの成長を測るときに、赤ちゃんの時は何グラム増えたと体重を測りますが、これは量的な部分の成長を測っています。赤ちゃんの時はそれでいいですが、大学生になると成長を体重で測る代わりに知性とか品性とか人間性で測りますよね。人の成長においてもどこかで質的な成熟に指標が移るわけです。

私は文明も社会も同じだと思っています。ヨーロッパは成熟の度合いにおいて転換期を過ぎ、彼らもそのことを意識しています。だから、「もっとたくさん」というよりも、「どれだけ本当の意味で豊かになれるか」「どうすれば幸せになれるか」ということを考えていますが、その点日本は大学生になったのにまだ成長を体重によって測っているかのようなメンタリティーです。言い方は悪いですけど、日本はこれだけ豊かになったのに、まだ途上国のメンタリティーから抜け出せていないのではないでしょうか。量的な成長から質的な成熟へ転換していくには、決して難しいことを考える必要はなく、昔の日本にあった「もったいない」という考え方を取り戻すことが大事だと思います。

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成長と環境負荷を離して考える「デカップリング」という考え方

私が翻訳したアル・ゴア元アメリカ副大統領の「不都合な真実」の中に、ブッシュ大統領が環境政策の話をしたときに使った、天秤の片方に金塊、もう片方に地球が乗っているイラストが掲載されていますが、「成長か環境保護か」という二律背反の考え方は19世紀の古い考え方だと思います。地球に比べて人間の存在があまりにも小さかった頃は、人間の活動が地球に及ぼす影響はそれほど大きくありませんでした。しかし、企業による公害が注目され始めた頃と比べると、今では企業活動が地球を揺るがすほど大きな影響を持つようになっています。これからは「成長か環境保護か」という考え方ではやっていけなくなるでしょう。

そこで、これまで一緒だと思われていたものを分けて考える「デカップリング」という考え方が重要になってきています。「カップル」には「くっつける」という意味がありますが、「デカップル」はその反対の「離す」という意味です。例えば国や企業の成長と環境負荷はこれまでカップルされていました。その考え方では企業やGDP(国内総生産)が成長すればするほど環境負荷も増えるということですから、深刻化する環境問題に対応できません。それを離して考えること、つまり成長しても環境負荷を増やさないようにすることが大事であって、最近はそうした取り組みがあちこちで少しずつ進められています。

その一つは「資源生産性」を上げることです。つまり、同じものをつくるために必要な資源やエネルギーを減らすことです。この分野において日本は技術力も高く非常に進んでいます。もう一つは、「脱物質化」ともいいますが、「経済活動のサービス化」です。つまり、物を売るのではなく機能やサービスを売るという考え方に変えていくことです。物を増やさなくても上手にサービスを売れば、企業は成長と環境負荷をデカップルできます。

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必要性高まる国や企業による成長のコントロール

しかし、資源生産性を上げてサービス化を達成したとしても、どうしても資源やエネルギーを消費しますし、二酸化炭素(以下CO2)も排出します。そもそも企業はどこまで成長すればいいのかということは、今後の経営上の最大の課題といえるでしょう。国や企業自身のためにも成長のコントロールを一番に考えることが必要になるのではないでしょうか。

国や企業が成長をコントロールするという考え方は、これまで経済活動に従事してきた人からは反感を買う考え方でしょうが、そのことを本質的に考えるべき時代が来ています。同じ成長でも、経済活動が地球に与える影響が非常に少なかった頃と、地球を覆い尽くすほど大きな存在となった現在とでは、地球が受けるダメージは全く異なります。私たちが行う経済活動は、地球に大きな影響を与える存在になっていることを十分に認識しなければいけません。言うならば、人類の精神的な進歩、進化の度合いにかかってくると思います。

ある食品会社の経営者で、「企業は成長をコントロールしなければいけない」と昔から言い続けている人がいます。成長の波に乗ると、人を雇い機械を導入して大量生産を目論みがちですが、その波がずっと続くことはありません。あのバブルの時のように落ち込むときが必ず訪れますし、そうなると機械は稼動しなくなり従業員を解雇しなければいけなくなります。それでは社員の幸せにも地域や社会のためにもならない。だから成長の波が来てもあえて成長を抑えるのだそうです。その会社では、たとえ新製品が開発できる状態にあっても人が十分に育っていなければ開発を見合わせています。あくまで企業の成長を人の成長に合わせているのです。それでも会社の業績は好調で、何十期も増収、増益を続けています。このように本当に持続可能な安定成長を続けることが企業や社会の役割ではないでしょうか。一方、国は不況対策ではなく、好況対策を行うべきであると言っています。好況になったときに、バブルの波を惹き起こすのではなくて、それを抑えて持続可能な成長、安定した成長に持っていくことが国の役割ではないかということです。

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マイナス成長も視野に入れた都市づくりのあり方

成長のコントロールは都市づくりについても同じことがいえます。特に日本では今後都市圏の人口が減少していくことを踏まえ、持続可能な成長や低成長だけでなく、マイナス成長も視野に入れておく必要があります。マイナス成長というのは、低成長以上に反発を買う考え方ですが、人口の推移をみてもそのことを視野に入れておくことは絶対に必要です。これからは、自治体や都市の中でも時代環境に上手く適応できるところと昔の考えを引きずって苦労するところに大きく分かれてくるのではないでしょうか。

都市は、食糧や廃棄物、インフラなど、そこに住む人の基本的なニーズを満たすものを全て引き受けています。企業の場合は「誰に対して何をつくるのか」といったことを含めて自分たちで選択できますが、都市の場合は企業と違って選択できません。その意味では、都市づくりにおいて成長をコントロールする意識を持つことは、企業以上に大事なことかもしれません。

都市づくりの初期の段階で整備したインフラは、その後何十年にもわたってその都市がどれくらい環境負荷を与えるか決めてしまいます。だからこそ、例えば富山市で成功しているLRT(Light Rail Transit:次世代型路面電車システム)のような環境負荷の少ない大量輸送の仕組みを整備することが必要だと思います。また、高齢社会を迎えたこれからの日本では、車いすを使う人が増加することが考えられますので、車いすを使う人が自力で移動できるようなまちづくりも必要になります。都市づくりにおいては、特にインフラの寿命が長いことを踏まえ、「何年後にこの都市がどうなるか」「そこに住む人たちはどのような年齢層でどのようなニーズがあるか」を考えなければいけません。今の若い人たちを中心として想定した都市づくりを目指すと、高齢化が進行した後の負担が非常に大きくなってしまいます。

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自給率の向上に向けて必要な意識改革

世界的にみると、途上国における都市化の進行によって大都市の居住人口が急速に増加しています。そうした状況において、都市のあり方は直接その住民の居住環境だけではなく、温暖化をはじめグローバルに影響を及ぼします。環境問題を考える上で都市の位置付けは非常に高まっているのです。日本はアジアに限らず世界の途上国からも、お手本というか見られる立場にありますから、日本における都市づくりの方向性はこれから都市化の波をまともに受ける途上国にとって大きな意味があるといえるでしょう。

都市の環境を考える上で大事なことは、その都市に入ってくるものと出ていくものを把握することです。東京のように巨大な人口を抱える都市では、食糧自給率もエネルギー自給率も低いのが現状です。日本全体の食糧自給率は約40%ですが、東京の食糧自給率は約1%と極端に低くなっています(注1)

私は小学校の子どもたちに環境について教えることがありますが、そこで、ある夕食メニューの食材が描かれたイラストに食材の原産国の旗を立てさせます。すると日本の旗は白米くらいしか立たず、牛肉だとアメリカやオーストラリア、味噌汁でさえ味噌の原料である日本の大豆の自給率は5〜10%、かつお節もほとんど海外からの輸入ですから海外の旗が立ち並びます。そのように一人一人が食糧自給率や自分が食べているものの産地について意識することで、選択する力も向上します。意識改革にあたっては、国や自治体による啓発活動も必要だと思いますが、せめて自分が食べているものが国産か外国産かということだけでも意識すれば、東京のような大都市でも自給率を変えていくことが可能になるのではないでしょうか。

温暖化対策の一環として屋上や壁面緑化の取り組みも広がっていますが、単に緑化するだけではなく、例えば屋上でゴーヤやサツマイモなどを栽培すれば、温暖化対策に加えて食糧も収穫できます。また、意識啓発に加えて、土地利用においても自給自足を目指す形に変えていく必要があると思いますが、これは一般市民というよりは行政が行うべきでしょう。

(注1)農林水産省「都道府県別食糧自給率」より

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「コンパクトシティ」という環境面からみた望ましい都市のあり方

自立した都市のあり方として、食糧やエネルギーなどをできるだけ自給自足に近い形で供給できることが望ましいと思います。日本では、地方が食料供給者として東京の食糧需要を支え、東京の廃棄物を受け入れる役割を担っていますが、地元で供給すべきものと外から調達するものをしっかり区別して、できるだけそれぞれの地域の中で循環させていくことが大事です。

環境面からみた望ましい都市のあり方として、今ヨーロッパで広がっている「コンパクトシティ」という考え方があります。私が考えるコンパクトシティとは、人とモノの移動を最少限にして、必要な物質を自分たちの近隣も含めてできるだけ自給自足できる都市です。モノの移動を最少限にすれば、それに伴って発生するエネルギー消費やCO2も減少します。それは人も同じで、職場と自宅が近い環境だと人の移動に伴うエネルギー消費やCO2の排出も減ります。

コンパクトシティは決して外との関係を閉じるのではなく、あくまでモノの移動を最少限にするということを目的としており、近隣の他都市との連携を図ることも考えられますし、IT等を活用することで知識や情報面でのつながりも保たれます。

そのような都市の実現に向けて、都心部に様々な機能を持たせるように整備していくことも必要ですが、本当に大事なことは、それぞれの都市そのものが魅力を持つことでしょう。住む人からしてみれば、「地球のため」「CO2を出さないため」と言われて住むのではなく、一人一人が自らそこに住む選択をするためには、都市そのものに魅力がなければいけません。そのためにも、環境面以外でも暮らしやすさや文化面などの魅力を高めていくことが非常に大事だと思います。

最近はそうしたまちづくりが各地で広まりつつありますが、忘れてはいけないのは、まちづくりの主体はそこに住む人たちだということ。よく審議会などの形で市民の意見を聞く場を設けていますが、どちらかというと一過性というか、言葉は悪いですけどアリバイづくりのようなものに感じられます。日本には、人々の思いを重ねてみんなが結集して実現に向けて動いていくためのプロセスや場が不足しているように思います。最近はいくつか事例も出てきていますから、そのようなまちづくりの手法をみんなで共有し合えればいいですね。

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これからの都市づくりのカギを握る「ピーク・オイル」

これからの都市づくりのカギを握るものとして「ピーク・オイル」が挙げられます。ピーク・オイルとは、石油の生産量が頂点に達していることです。多くの科学者によってすでにピーク・オイルに達していると言われはじめていますし、まだピーク・オイルに達していないとする主張の中でも一番遠い予測で15年後となっています。つまり地球上の石油の半分を採掘してしまったので残存量が半分しかなく、今後は生産量も減る一方となります。北米では70年代にピーク・オイルがすでに到来していますし、まだ生産量が増えているところは中東などごく一部の地域だけです。

海外の石油資本の一部も認めていますが、今新たに発見されている石油の量は現在の消費量を下回っています。つまり、1〜2バレル(1バレル=約159リットル)発見される間にも4バレル消費されています。在庫があるうちはいいですが、新たな発見が進んでいませんから、その後はこれまでと同じ規模で生産することはできなくなります。

ピーク・オイルの到来を受け、日本も含めた世界の動きとして天然ガスへの転換が殺到しています。天然ガスは石油より炭素の排出量が少ないため、地球温暖化対策上もあって、火力発電所や自動車においても石油からの切り替えが進んでいます。しかし、天然ガスも化石燃料ですから、地域的にはすでにピーク・ガスの到来が間近になっているところもあります。共著者であり、私が翻訳したデニス・メドウズ氏による研究では、西暦2000年における使用量を基に計算した天然ガスの残存量は260年分です。しかし、ここ30年間の天然ガスの使用量は年率2.8%ずつ増加していますので、このペースでいくと、260年もつはずのものが75年しかもたない計算になります。この計算も今の地質学者の予測から見るとかなり甘いものですし、現在は石油からの転換が更に進行しているので、仮に天然ガスの使用量が5%で増加するとすればあと54年しかもちません。

ピーク・オイルを過ぎた後は石油の生産量が少なくなることから、値段の高騰によってごく特殊な高価なものにしか石油を使えなくなる可能性があります。今世界中でピーク・オイルへの関心が非常に高まっていて、欧米では国や企業が毎月のようにピーク・オイルに対応するための会議を開いています。まさにこれからの都市づくりを考えていく上でピーク・オイルは避けて通れませんが、日本では残念ながらまだ意識が低いのが実情です。まずはピーク・オイルに関する現状認識が必要ですし、自治体や都市設計者は都市づくりにあたってピーク・オイルを前提として見直す必要があるでしょう。

そうした予測を見据えて、少なくとも10年から20年の長期的な視点に立ち、今は1バレル80ドルの石油の値段が150ドルとか200ドルになった際の都市のあり方を考えておく必要がありますし、国会等の移転にしてもピーク・オイルを織り込んだ形で考えていかなければならないと思います。

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「バックキャスティング」によるビジョンの作成が大事

例えばCO2を減らすといったように、何か物事を現状から変えようとするとき、私は大事なポイントが四つあると思っています。

一つはビジョンを示すこと。いつまでに何を行うべきかを示すことで、国民がそれに合わせて調整できます。ヨーロッパでは多くの国がビジョンを示していますし、アメリカでも2050年までにCO2の排出量を70%減らすという法律が近いうちに成立すると言われています。一方で、日本は削減に向けたビジョンが欠けているように思います。

今世界中でCO2を年間72億トン排出していますが、地球が吸収できるのは31億トンと言われていますから70%減らさなければいけません。そのためには、現状を積み上げて目標を立てる方法によってではなく、将来的に何が必要かということから現在を振り返る「バックキャスティング」という考え方によってビジョンをつくることが大事です。しかし、日本では現状を積み上げる手法がとられることが多く、ビジョンを作成することは得意ではありません。

今アメリカではゼネラル・エレクトリック社など大企業が何十社も集まってNGO(非政府組織)と連合体を形成し、成立が近いと言われているCO2の削減義務を盛り込んだ法律に関してブッシュ政権に働きかけを行っています。経済界のメンバーが多数集まっている彼らですが、法律に反対するのではなく「早くつくれ」と圧力をかけています。なぜ経済界からもそうした動きが出ているのかというと、早く法律ができれば自分たちもそれに合わせて計画を立てられるからです。後から急に法律ができても対応できませんし、CO2を減らすことの必要性を彼らも分かっているのです。

残りの三つのポイントは同時に行う必要があるものです。一つは意識啓発です。日本ではほとんどの人が温暖化問題のことを知っていますし、環境省も力を入れていますので、これに関しては進んでいるといえるでしょう。次は技術開発。例えば、同じ量の電気を使用しても省エネ電球だとCO2の排出は少なくなります。地球環境を守るために省エネに関する技術開発を進めることが必要ですが、これも日本はお家芸ですから非常に進んでいます。日本はソーラー発電にしても省エネ技術にしても他の国に提供できる技術を数多く持っています。

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日本に必要な社会経済的な仕組みづくり

最後の点は技術を普及させるための社会経済的な仕組みをつくることです。意識を高めても人々が環境に優しい行動に移さないと意味がありません。今年、日本はソーラー発電の設置量でドイツに抜かれましたが、ドイツの方が環境意識や技術が高いかというとそうではなく、その仕組みをつくるのが上手なのです。

今の日本では、環境意識が高くてもお金に余裕がないとソーラー発電を設置できません。ドイツでは、ソーラーなど自然エネルギーで発電した電力を電力会社が高価格で買い取る義務があるので、環境意識の有無を問わず投資としてソーラー発電に取り組む人が多いのです。他人に謝礼を払って屋根や塀を借りてソーラーパネルを設置しても利益が出ますから、そのための商売があるほどです。そのように、ドイツをはじめヨーロッパは仕組みづくりが上手なので、日本ほど意識や技術がなくても取り組みとして先を行っています。

日本では、環境税は増税につながるとして反対の声が多いですが、もともとは環境に優しいものを相対的に価格を安く見せるための仕組みです。環境に悪いもの、CO2を出すものに税金をかければ価格が高くなります。CO2を出さない、環境にやさしい製品が相対的に安くなれば、環境意識がなくても多くの人は安い方を買いますから、人々の消費行動を変えることができます。つまり、環境税は「この行動をとってほしい」「この行動はとってほしくない」という国からのシグナルの役割を持っているのです。一方で、環境税をかける分、他の税金を下げることで税収そのものは変えないのがヨーロッパのやり方です。

日本でも社会の仕組みを上手に整えてあげれば、これだけ環境問題に対する意識や関心が高く、技術も持っている国民ですから、CO2を70%削減することも可能でしょう。そのためには、国、自治体、企業それぞれのレベルで仕組みづくりのことを考えてほしいですね。日本では「型から入る」という言葉もあるように、まず仕組みがあって国民がそれに沿った行動をとることで、結果として目標を達成することもあると思います。

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国会等の移転を可能にするには環境負荷を減らすデザインを

私の判断基準は、直接・間接、短期・長期を含め、「環境負荷が減るかどうか」ということです。国会等の移転については、新しく多くのものを整えなければいけないので、短期的に直接の影響を見れば環境負荷を増大させるものでしょう。しかし、都市の設計の仕方とかモノの選び方によって、直接の影響を減らすことができます。もっと大事なことは、何十年にもわたって間接的な影響を減らせる可能性があることです。それは、どのようなデザインでどのような形で移転するのかによって違ってきます。

環境モデル都市として、日本や世界に展開できるように整備するのであれば、その影響は広く地球環境の負荷を減らすことにもつながってくるでしょう。ただ、直感的には実際の物理的な移転に伴う環境負荷は膨大だと思いますから、それを鑑みてもなお100年先もしくは世界的視野で考えると負荷が減少するという確信を持てる設計図が出てくればいいですね。

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国会等の移転の意義はユビキタス社会の実現

首都機能とは物理的なことだけではなく、様々な情報や意思決定などがそこに集まっているということですよね。その意思決定に参加したり情報を収集するために物理的に移動することは個人の負荷のみならず環境の負荷も増加させますので、そうした負荷をいかに軽減させるかが大事だと思います。そのためには、物理的にはある場所に首都機能が存在するとしても、日本中どこにいても意思決定に参加したり、情報を収集できることが条件になります。国会等の移転が日本の社会や国民に役立つ形になるとすれば、象徴としての国会議事堂なり首都は存在しても、その機能や情報をどこからでも利用・収集できるユビキタス社会(注2)の実現にあるでしょう。

今は多くの国民にとって国の機能は閉じられた存在で、政治や社会についても「誰かがやってくれる」「自分たちには関係ない」といった意識を持っています。日本人の社会に対する主体性のなさは大きな問題ですし、それは環境問題を考える上でも同様です。NGOも少しずつ増えてきて、洞爺湖サミットに向けたNGOの動きも出てきていますが、欧米に比べると市民社会の成熟度はまだ低いといえるでしょう。それは社会に対して主体性を持つ個人がまだ少ないからで、国会等の移転をするとすれば、国民に主体性を持たせるような形で設計できるかどうかがカギといえます。例えば、今の霞が関をどこか他の場所へ移すだけではおそらく変化は起きません。余計に閉じられたイメージを与えてしまい、ますます人々を政治や社会から遠ざけることになりますから、そうでない形でどうすればできるか考えなければいけません。そのためには、議論そのものもオープンにしていくことが大切だと思います。

国会等の移転もそうですが、政府広報のあり方についても見直していく必要があります。政府広報もコミュニケーションの一種ですが、私はコミュニケーションにとってもいわゆるPDCAサイクル(注3)が重要だと思っています。国民に政府の考えや計画を理解してもらうことが目的であれば、まずどのようにして伝えるか計画を立て、次に計画に従って広報を行い、それが誤解なく伝わったかどうかチェックして初めて次の計画に反映されますが、多くの政府広報はこのPDCAサイクルがきちんと実行されていない印象を受けます。それを実行するためにどうすればいいか。もちろん政府の側も考える必要がありますが、広報する側が自分で考えるにも限界がありますから、例えば民間、できればNGOのようなところと組んで、一緒にPDCAサイクルを回していくのもいいのではないでしょうか。

(注2)ユビキタス社会・・・あらゆる情報機器が広帯域ネットワークで結ばれることにより、「いつでも、どこでも、何でも、誰でもつながるネットワーク」の利活用環境が実現される社会

(注3)PDCAサイクル・・・企画立案(Plan)・実施(Do)・評価(Check)・政策への反映(Action)のサイクル

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