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『国民益』と『地方分権』を考えた国会等移転の議論を

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福武 總一郎氏の写真福武 總一郎氏 株式会社ベネッセコーポレーション 代表取締役会長兼CEO

1945年生まれ。1969年早稲田大学理工学部機械工学科卒業。1973年日本生産性本部経営コンサルタント指導者養成講座修了。1969年日製産業株式会社入社、1973年株式会社福武書店(現在の株式会社ベネッセコーポレーション)入社、1986年同社代表取締役社長、2003年同社代表取締役会長兼社長兼CEO、2007年同社代表取締役会長兼CEO。

公職として、財団法人福武学術文化振興財団理事長、財団法人福武教育文化振興財団理事長、財団法人直島福武美術館財団理事長、財団法人文化・芸術による福武地域振興財団理事長、等。2007年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。


<要約>

  • 日本の意思決定においては、「国益」は考えても「国民益」についてあまり考えられていない。「国民益」を考えるには、近代化と自然の世界をまたがるような環境が必要である。
  • 今の日本にとって最も重要なテーマは、中央集権から地方分権へ移行させる国政全般の改革による、政官民の新たな関係の構築。国が成熟すれば通常は地方分権へと移行していくが日本はそうなっていない。そのことがこの国を不幸な状況にしている。
  • 国会等の移転にあたっては、できるとかできないの議論ではなく、「国民益」と「地方分権」を踏まえた国の本来あるべき姿を議論していくことが重要。
  • 地方分権に向けて、政府をコンパクトにすることが先決だが、それがなかなか進まないとなれば国会等の移転という形で実行すればいいのではないか。
  • 地方分権の意義は、国民が主体性と自立性を持つことにある。それは、今日本に問われているグローバリゼーションへの対応という観点からも重要な要素である。
  • これからの国づくりは、地方にある多様な文化を尊重した、江戸時代の「藩」に近いかたちがモデルになる。多様な個性と魅力ある地域の集合体こそが魅力的な国だと思う。
  • 国政に関心を向けさせるには、国民皆投票制度を導入すればいい。例えば選挙の際に事実を提示することで国民からも様々な意見が出てくるのではないか。 

一番の安心・安全は「豊かな環境と食べ物」が近くにあること

古代より「やおよろずの神」を尊敬してきた日本人は、「自然」を大事にするDNAを持つ、世界でもまれな民族です。グローバリゼーションの時代において、その点こそ、日本人が世界に最も誇るべき資質といえるでしょう。しかし、経済中心で欲に基づいた今の文明社会では、若者の興味は「仕事」と「消費」にあります。だからこそ若者が東京へ出て行くのでしょう。

私も東京勤務を終えて岡山県に戻った最初の頃は、情報もほとんど入ってこないし、何をしていいか分からないような状態でした。しかし、岡山で暮らし始めて数カ月経つうちに、東京の方が間違った世界だということに気づきました。地方にいると、手を伸ばせばいくらでもおいしいものがあるし、自然も豊かでよほど居心地がいい。「衣食足りて礼節を知る」ではありませんが、人間にとって一番の安心・安全は、自然に囲まれたいい環境と食べ物が近くにあることでしょう。私は岡山で暮らすようになってから「よく生きる」とはどういうことか真剣に考えるようになりました。社名を「ベネッセ(ラテン語を組み合わせた造語で「よく生きる」という意味)」に変え、本社を岡山から一切動かさないことに決めた理由は、自らの体験によるものです。

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日本では「国益」は考えられても「国民益」は考えられていない

今の東京には情報やお金は集まっていても、自然や歴史、文化のキーワードが欠けています。地方から見ると、それは「まともな状態」とは言いがたく、「狂っている」とさえ感じることがあります。東京は一見すると華やかに見えますが、人々は不安だらけで、ある種の虚構の街だと思いますね。そのような街に住んでいては、まともな考え方もできなくなるでしょう。

日本の意思決定において「国益」は考えられても、「国民益」についてあまり考えられてきませんでしたが、それは意思決定の場が東京にあることと無関係ではないと思います。政治や経済、文化など様々な分野の意思決定の場が東京にあることで、いろいろな意味で「ズレ」が生じ、その結果が、国と地方併せて1000兆円ともいわれる借金に現れているように思います。この国は経済成長が目的化され、GDP(国内総生産)は世界第2位にまで昇り詰めましたが、一方で1000兆円近くもの借金を残し、子どもや孫の世代に大きな負担がかかってくる。それは絶対におかしいと思っていますが、一番の問題は中央集権にある。だから、そこを変えるのは完全分権化とグローバリゼーションしかありません。

このような状況を打開する方策として、国会等の移転は非常にすばらしい考えだと思います。「国民益」を考えるためには、「近代化された場所」と「自然」の両方の世界をまたぐことができる環境が必要です。あまり議論されていませんが、それが国会等の移転の最も重要な意義だと思います。ワシントン、パリ、ロンドンといった海外の首都では、車で20分も走ればうっそうと木が生い茂る森へたどり着きます。近代化された場所と自然との間を常に行き来することで、政治家をはじめ、重要な意志決定をする人達は、お金やモノ、情報だけに左右されずに、本当に「人間」のことを考えた意思決定ができるのではないでしょうか。

私は、政治や経済、文化などは人が幸せになるために存在すると考えています。日本は経済的には豊かになったのかもしれませんが、「人の幸せ」があまり考慮されていないように感じますね。

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地方分権が進まないことがこの国を不幸な状況にしている

国会等の移転の重要な意義の一つでもありますが、今の日本にとって最も重要なテーマは、中央集権から地方分権へと移行させ、主権を地方、国民におく国政全般の改革によって、政官民の新たな関係を構築することです。

世界を見渡しても、これほど成熟した社会で中央集権的な国家はありません。国が成熟すればするほど、通常は中央集権から地方分権へと移行していくものだと思いますが、日本は残念ながらそうなっていない。そのことが、今この国を非常に不幸な状況にしている大きな理由の一つでしょう。残念ながらこれまでの道州制の議論を見ている限りでは「国の債務を地方に回す」ぐらいの意識しかないように感じます。天皇制を維持しながらも連邦制的な仕組みに変えるとか、国がやるべきことを限定するとか、徹底的に議論していくことが必要ですが、実際のところ十分に議論されていません。道州制の本質である「小さな政府」と「地方分権」があまり議論されていない今の状況では、仮に道州制が実現しても、下手すると「権限は委譲しても中央政府は大きいまま」という最悪のシナリオになりかねません。そうなると、二重投資となって、今より多くのコストが発生する可能性もあります。

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みんなが担い手となってパブリックサービスを支えていくことが必要

国も地方も財政難が深刻化していますから、官だけではパブリックサービスを支えきれなくなっています。これからは、民間やNPOも含めたみんなが担い手となって支えていく必要があります。むしろ、国や地方自治体は、国民が文化的な最低限の生活ができるように、最低限のサービスを提供することに徹すべきだと思います。

教育分野をみると、看護や介護分野の人材養成は私立学校がそのほとんどを担っていますが、私立の場合、授業料は公立の3〜4倍もかかります。公立の何倍もの授業料を払って、卒業後は「3K」(「きつい」、「汚い」、「危険」)、「5K」(3Kに「暗い」、「臭い」が加わったもの)と言われる職場で働き、給料も低いまま、という矛盾だらけの世界です。国民の安心・安全を支えていく人材の養成こそ、公で支えていくべきではないでしょうか。

一方、福祉サービス、特に介護に関しては、私は以前からバウチャー制度(注1)を提案しています。例えば、今の介護施設では、入居者がお寿司を食べたくなっても、所定の食事をとった上でお寿司を食べる仕組みになっています。これでは食事代も二重にかかるし、非常にばかばかしい。バウチャー制度を導入すればお寿司だけを食べられる。つまり、入居者は「選択の自由」を得られるわけです。しかし、それもなかなか実現しません。国民が安心・安全で最低限の生活ができるにはどうすればいいか真剣な議論をしているとは思えません。本当の「国民益」についてもっと本気で考えなければいけませんね。

(注1)「バウチャー」とはクーポン券のこと。ここでは、サービス引換券を意味する。バウチャーと引き換えに、自分の好きなサービスを自由に選択できる制度。

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「国民益」と「地方分権」を考えた国会等の移転の議論を

国会等の移転にあたっては、移転できるとかできないといった議論より、国の本来あるべき姿について議論していくことが先決でしょう。先に述べた国民益と地方分権の2つの観点を考慮することで、国を再生していくためのより建設的な議論ができるのではないでしょうか。東京の一極集中問題にしても、なぜ是正する必要があるのかという部分をその2つの観点から議論していく必要があります。

一極集中の是正や防災、財政の健全化といった国会等の移転のメリットとされている多くの事柄は、むしろ地方分権の実現によって解決が可能だと思います。防災の問題も非常に重要ですが、国を再生する問題とは少し次元が異なりますから、その目的だけで、多くのお金をかけてまで国会等の移転をすべきものではないようにも思います。中央集権から地方分権へ移行することで、結果的に災害対応にもなるはず。国の役割をもっと限定し、中央政府の機能を小さくすることは、国会等の移転の数分の1のコストでできるのではないでしょうか。

地方分権の実現に向けては、国会等の移転よりもむしろ、政府をコンパクトにすることが先決だと思います。しかし、それがなかなか進まないとなれば、そのときに「国会等の移転」という形で実行すればいいのではないでしょうか。

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地方分権とグローバリゼーションへの対応

私は、地方分権の意義は、「国民が主体性と自立性を持つようになる」ことだと思っています。グローバリゼーションへの対応が今の日本に大きく問われていますが、国民が主体性を持つことは、グローバリゼーションへの対応という観点からも非常に重要な要素ですが、そのための議論はほとんど行われていないように思います。完全な地方分権を実現する上で、グローバリゼーションへの対応や教育制度の改革も政策の延長線上にあるべきで、そういった議論も含まないと、国の再生に向けた地方分権論としては不十分です。

資源がなく、食糧自給率も穀物ベースで30%を下回っている日本は、貿易で海外との関係を維持していかなくては生きていけません。グローバリゼーションという考えは、明治期の開国以来あったわけですが、時の為政者はそれに対応した教育、人材育成政策を行ってきませんでした。日本では、高校卒業後の進路といえば、ほぼ100%国内の大学や短大、専門学校に限られます。英語を10年間習ってもほとんど使い物にならないようでは、いつまでたっても世界で太刀打ちできません。そうしたことも、これまで「国民益」について真剣に考えてこなかったことに原因があるのでは。 日本にとって、地方分権とグローバリゼーションの両方を考えることが最も重要ですが、今更間に合うのか不安を覚えています。

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多様な価値観への転換が必要な日本

外国人労働者の受け入れや、学生や企業同士の交流といった広い意味も含めて、やはりダイバーシティ(多様性)というか、意識の面で多様な価値観を育むことが必要です。そうした意味では、日本は他国と比べてみても閉鎖的な面が見受けられます。その結果、グローバリゼーションで他国に置き去られて、一層太刀打ちできなくなっているのではないでしょうか。東京一極集中も、ある種の「東京モンロー主義」「東京中心主義」といえるでしょう。その根底にある問題は共通していると思います。

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グローバリゼーションに対応するための人材育成

諸外国と比べると、多くの日本人は、会社の看板を背負ってなければ生きていけません。「富国強兵」「殖産興業」ではありませんが、大企業に都合のいい人材を育てることが文教政策の基本でしたから、基本的には普通科が主体となって、職業教育は一段下に見られ、「教育は企業が行うもの」という認識で今まできています。

日本は企業人を育成することは得意ですが、イチローや松井のように、実力で世界で活躍する人はまだまだ少ない。グローバリゼーションに対応するためには、その国や時代に適した様々な選択肢を子ども達に与えるとともに、世界に通用する価値をつくり出して行くための人材育成が重要です。

その思いを実現するために、私は、高校卒業後に海外で学ぶための学校をオーストラリアに開設しました。オーストラリアは、今世界で最も教育が進んでいる国の一つと言われていますが、その中心は職業教育です。国としての歴史が浅いオーストラリアは、国力を一気に上げようと職業教育の質を高め、TAFE(Technical and Further Education)と呼ばれる公立の高等教育機関をつくりました。毎年世界各地から多くの留学生を受け入れていて、国も「第4の輸出産業」として保護するなど、国際的な人材の育成に非常に力を入れています。

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地方の多様な文化を尊重した江戸時代の「藩」をモデルに

これからの国づくりにおいては、地方にある多様な文化を尊重した、江戸時代の「藩」に近いものが一番のモデルになるでしょう。多様な個性と魅力ある地域の集合体である“United Region of Japan”こそ魅力的な国のあり方だと思います。

戦後の復興以来、日本各地でミニ東京化が進行してきました。ある時期にはそれも正しかったかもしれませんが、結果的に地方の個性や魅力を次々と壊してしまった。WTO(World Tourism Organization:世界観光機関)の発表によると、日本を訪れる外国人観光客数は世界で30位程度と、あまり魅力のない国になっています。

どの地域もそれぞれ魅力を持っています。瀬戸内海には瀬戸内海、越後には越後、九州には九州の魅力があります。日本では、隣の芝生が青く見え過ぎるせいか、自分が持ついい部分まで壊してきたような面がありますが、世界にも通用するいい部分はまだたくさんあります。私は、お年寄りの多い「限界集落」と呼ばれているような僻地こそ日本の原風景の魅力が残っていると考えていて、現代美術を利用してそれを顕在化していきたいと思っているわけです。

現代美術は世界中の人々が理解できますから、世界の人々を引き付けられる素材を活かし、日本のよさを引き出す目的で始めたのが瀬戸内海の直島のアートプロジェクト(注2)です。私は越後妻有のアートプロジェクト(注3)にもプロデューサーとして関わっていますが、越後や直島の人たちは本当にいい笑顔を見せてくれます。私は、お年寄りがいい笑顔であることがいいまちの条件だと思いますが、そうしたまちが世界から注目されるような場所になってほしいと願っています。

日本も地方が魅力を競い合いながらいろいろな生き方を奨励し、住民が誇りを持てるようになってほしいものですね。日本は魚も多く採れますし、畑や田んぼもあります。だからこそ、地方の人には精神的に頑張ってもらいたいし、経済的な格差はあっても、「地方の方が東京より本当は豊かだ」と実感してもらいたい。そのために私は何らかの貢献をしたい、そのモデルをつくりたいと思って、現代美術を通じた活動に取り組んでいます。直島や越後妻有でできたことが他の地域でもできないことはありません。

(注2)香川県直島町で行われている、自然や文化の中に現代アートを置くことで特別な場所と経験を創造する取組。地中美術館や古民家を改修し作品化した「家プロジェクト」などがある。

(注3)大地の芸術祭 -越後妻有アートトリエンナーレ- 。新潟県越後妻有(十日町市、津南町)で3年おきに開催されている芸術祭。2006年に開催された前回は、40カ国225組のアーティストが参加、300点を超える作品が展示された。

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国政に関心を向けさせる国民皆投票制度の導入を

今は国民が少し白けてきていますから、どんなにいい政策を実行しても国民が関心を持たなくなっています。白けつつある国民に、いくら「こっちを見てください」と言っても見ません。いわゆるパブリック・インボルブメント(注4)にしても、意見を出しているのは一部のマニアの人だけで、白けてしまった多くの国民からは何も意見は出てきません。これでは、本来目的としている「広く意見を集める場」ではなくなっています。

国の政策や考え方を周知徹底し、多くの国民から意見をもらうためにはオーストラリアやニュージーランドのように、全ての政策について国民全員の義務として投票させる国民皆投票制度を導入すればいい。そうすれば、国民も国政に関心を持たざるを得なくなります。国政や自治体の選挙においても、この制度を導入し、選挙に行かない人には罰金を課すことも効果的かと思います。

1000兆円近くの国と地方自治体の借金の問題もそうですが、どんな問題もファクトファインディング(実態把握)をしないと解決策は出てきません。国民が国や地方自治体について最も目を向けるのはやはり選挙のときですよね。そのときに事実を提示できるような仕掛けが必要です。事実が分からないから投票できないという風潮を変え、投票せざるを得ないなら事実を出せという方向へ国民の意識を持っていければいいと思います。そうすることによって、国民から様々な意見が出てくるのではないでしょうか。

(注4)政策や計画づくりの初期の段階から、関係する住民等に情報を提供した上で、広く意見を聴き、それらを施策立案や事業計画に反映させていく進め方

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