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信頼を基礎とするガバナンスを目指して

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西水 美恵子氏の写真西水 美恵子氏 シンクタンク・ソフィアバンク パートナー 元 世界銀行 副総裁

1975年ジョンズ・ホプキンズ大学(経済学博士課程)卒業。1975年プリンストン大学助教授。

1980年世界銀行入行、1986年同行・上級エコノミスト、1987年首席エコノミスト、1991年銀行リスク管理・金融政策局長、1995年南アジア地域・国担当I局長(アフガニスタン、スリランカ、パキスタン、バングラデッシュ、モルディブ担当)、1997年世界銀行 南アジア地域担当副総裁(アフガニスタン、インド、スリランカ、ネパール、パキスタン、バングラデッシュ、ブータン、モルディブ担当)。

2003年世銀退職。

<要約>

  • 首都機能には、その国のガバナンスの在り方が鏡のように映し出されている。良いガバナンスを行っている国ではリーダーたちが横のつながりを持ち、一つのビジョンを共有している。
  • 首都は国の玄関であり、政治や経済以外にその国の歴史の匂いや文化の匂いをかがせてくれるような首都の在り方が大切である。
  • ブータンは小さな国だが、国が掲げる「国民総幸福量」という政治哲学、リーダーと国民の信頼関係には日本も学ぶものがある。
  • 途上国への援助を通じて、貧しい人々の声をすくい上げ、信頼できる言葉で語りかけるリーダーの大切さ、融資や援助の金額の多寡ではなく人を育て生かすことの重要性を学んだ。
  • 国民の興味・関心を高めるためには、物事がまだ固まっていない段階で、問題点を投げかけるような広報が効果的ではないか。
  • 世界各国の政治経済のプロセスを見れば、政治と経済を分離させることは難しい。両者が離れていても、地理的な距離と政経分離はあまり関係がない。
  • 首都機能移転を進めるには、まず、政治・行政の構造改革や意識改革を。首都機能移転への取り組みが、様々な分野の構造改革を刺激する可能性もあるのではないか。

首都機能はガバナンスを写す鏡

世界50か国余りを回ってきて気付くのは、首都の機能にはその国のガバナンス(注1)の在り方がまるで鏡のように映っているということです。広い意味でのガバナンスが良い国は、政治決定のプロセスが透明で、政治や経済のリーダーたちが顔を合わせて話し合い、情報交換をいつも密に行っています。数字とかコンピュータで集める情報に、人が顔を合わせて話し合うプラスアルファの情報交換という意味での政治と経済の同居があります。そういう国では、日本のように中央集権で縦割りという形ではなく、政治と市場などの国民のつながりを見ると、横の役割が非常に大きいことが分かります。

一方で、我が国も含めてガバナンスがあまり良くない国は、情報を交換するというよりも政治をつかさどる人たちが経済に介入するし、また経済をつかさどる人たちも政治に介入しようとします。私欲のため、お互いの仕事に影響を与えたいために、政経分離がなされていない。お互いのため、国のため、経済のためになる情報交換ではなく、介入、また介入なのです。ガバナンスが良くない状態になってきた国はやはり中央集権型、縦割りで、上下関係で物を見るのは、政治・経済のリーダーたちも同じです。

数は少ないのですが、政治のガバナンスが良い国は、一国のリーダーが自分たちの文化遺産、歴史的な遺産や、目に見えないものを大切にする姿勢を取っています。そういう国では国民とリーダーの間の対話などを通じ、一緒に一所懸命やりましょうという、ポジティブな物の見方をする人たちが多い。ですから大切なのは、政財界に限らずどの分野でも、リーダーが国の将来について一つの大きなビジョンを共有することです。私も日本人として、自分たちの国なのだから、国民とリーダーたちとがお互いに信頼しながら一緒に何かをつくろうというポジティブなプロセスがある国になってほしいと思います。

(注1)統治、統治能力

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首都はその国の玄関

世界銀行に在職中、初めてある国を訪れるときは大抵首都から入ります。そうすると、一国の首都が持つ大切な機能というものがあるということに、いつも気付かされました。国を家に例えれば、首都は玄関に当たります。私たちが家を建てようとイメージするとき、玄関は絶対に粗末にできないように、その国の歴史の匂いや文化の匂いをかがせてくれる首都の在り方が大切であると感じています。そういうものがないと、その国を訪れてもこの国はどんな国なのか、つまり家に入ったのに玄関はどこなのという感じを受けます。

例えば、パキスタンの首都はイスラマバードですが、経済の中枢であるカラチとか、昔、政治の中枢都市であったラホールに入ると文化の匂いがするし、住民もそういう歴史や文化の遺産のようなものを持っていますから、感覚的にパキスタンという国に来たんだなというイメージがわいてきます。

一方、ブラジルの首都ブラジリアやオーストラリアの首都キャンベラなど、新都市に首都を移転した国で仕事をした人たちは、「つまらないところだ」とみんな同じことを言いますね。見た目はきれいだけれども、どこの国に来たのだか分からない。

ですから、その一つの国が持つ文化、歴史、そういった財産というものを外国から来たお客様や国内から首都に観光に来る人たちに感じてもらうためにも、政治や経済以外に首都が持つ機能というのは、長い目で見れば非常に大切だと思います。

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ブータンに学んだ本当の「豊かさ」

私がよく取り上げるブータンは貧しい国で、日本とはまるで違った環境ですが、一番うらやましいと感じるのはリーダーと国民の信頼関係です。これは国が小さいこととは全く関係ありません。長い歴史の積み重ねの賜物なのですね。政治でも経済でも、人の上に立つ者が一番に心掛けなければならないのは、人々に信じてもらえるかどうかということ。自分が持つ国家のビジョンとか価値観、言葉と行動に情熱を持って、リーダーとして頭とハートがつながった常に矛盾がない行動をしないと、信頼はすぐに失われてしまいます。ですから、たとえ100人でも1,000人でも、自分を信じてくれている人々がいれば、ものすごいことができるわけです。

ブータンには国民総幸福量(Gross National Happiness:GNH)(注2)という指標があります。最近はうれしいことに、この政治哲学を勉強してくださっている方が多くなってきました。我が国でも同じように、日本国憲法・第3章の第13条に国民の幸福追求が最も大切なことだと書かれています。ブータンが国民総幸福量という政治哲学で一貫して取り組んできた結果を見て、日本もこうなってほしいという感を強くしています。

ブータンは小さな国で、大国の中国とインドに挟まれていますから、農民でも国家のリーダーでも、独立国としての安泰を考えて、最終的には一人一人が自分の幸せを追求しています。政治、行政は個人が幸せを求めるプロセスで出会う障害物を取り除く役目をしてくれるものです。

西水 美恵子氏の写真例えば、読み書きができないことも幸福追求の一つの障害ですから、政府が学校の普及、教育に熱心です。形は日本の小学校制度と変わりなく見えますが、先生は、人格者として、子供たちのロールモデルとして教壇に立つのだとされています。先生はどんな教科を教えていても、自分の持つ意見、行動を通じて、未来のために国民総幸福という一つの価値観を教えているわけです。

また、国民が「自分はこの国に生まれて幸せだ」と本当に心の底から信じていない国はいつか駄目になる。だから国民の幸せは国家安全保障戦略の源なのだ、という考え方を明確に打ち出しています。それに自分たちが幸せを勝ち得るためには、まず人間として、自分自身との「和」がなくてはいけない。それから、家族と自分との和、自分と地域社会の人々との和、人間と大自然との和。お互いに助け合いながら和を保っていく、また、変化を遂げながら和を保つという考え方から教えていくのです。

信頼関係を大事にしなければ、国はいつか駄目になると思います。日本でも政治家、官僚の方々は、国民やいろいろなレベルでのロールモデルですから、時間は掛かりますけれども、崩壊し始めている信頼を取り戻してほしいものです。

(注2) 経済成長の観点を過度に重視する考え方を見直し、1)経済成長と開発、2)文化遺産の保護と伝統文化の継承・振興、3)豊かな自然環境の保全と持続可能な利用、4)よき統治の4つを柱として、国民の幸福に資する開発の重要性を唱えている。ブータンのワンチュク国王が提唱し、同国の開発政策における理論的支柱となった。

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「物」ばかりを追い過ぎた日本

私は銀行家として経済開発を支援する仕事を20年以上しましたが、最終的に学んだのは政治の重要性です。人間のやることには間違いがたくさんありますが、それが透明で、国民に信頼してもらえて、国民も一緒に一所懸命に取り組むという政治の在り方が重要なのです。また、GNP(国民総生産)ではその国の豊かさは絶対測れないということも学びました。国づくりに最も大切なものは「物」の価値ではなく、その国をつくる人間関係がもたらす富です。お互いに信頼関係の上に立って、「日本人に生まれて本当に良かった」と言える人がたくさんいれば、国家は安泰になるでしょう。

そういう国が世界中にたくさんあれば、経済開発に対する考え方もガラリと変わってきます。これは世界中の宗教が教えていることですが、幸せは物では得られません。経済史を振り返ってみると、日本は「物」を追い過ぎてきました。日本の文化、日本人の心のよりどころ、精神的な調和をもたらす芸術的な財とか大自然などを無視し過ぎた。それがいろいろな形で今の社会病として現れているのだから、この先100年を見つめたときには、人間関係がもたらす富を増やすことはとても重要なテーマになるのではないでしょうか。

国の安泰は、100年、200年、300年の話ですが、世界史を長い目で見れば、歴史の世界地図から消えた国は、結局何らかの形で指導者と民との信頼関係が腐って無くなってしまった国が多いことが分かります。我が愛する日本にはそうなってほしくありません。

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「ほれぼれする」リーダーとは

多くの国を訪問すると、時にはほれぼれするようなリーダーと巡り合うことがあります。リーダーとは、別に大統領や国王のような人たちだけではありません。農家のおじいちゃんやNGO(非政府組織)の活動家、いろいろな階層や職業の中にもリーダーはいるのです。

バングラデシュでBRAC(Bangladesh Rural Advancement Committee:バングラデシュ農村進歩協会)というNGOを立ち上げたファズル・ハサン・アベドさんという人がいます。私は初めて会ったときからほれぼれしっ放しです。話をしていると、神様と話しているように静かに話を聞いてくれて、私が言いたいこと、言いたくても言えないことまですくい取ってくれるのです。ふだんなら言えないことまで言う勇気をくれる。

アベドさんがBRACを始めたのは1970年代の初期、バングラデシュ独立戦争前後の時期で、パキスタンは今からは想像もできないようなひどい貧しさの中にありました。彼は高等教育を受けた上流階級の子弟でしたが、パキスタンから独立するため、フリーダム・ファイター(自由の闘士)として地下活動をしながら独立運動に携わっていました。そのとき初めて自分の国の貧しい農村の中に入って、飲み水も食べ物もない環境だということを知ったのです。人が頻繁に餓死するという状態を初めて体験して、同じ国民としてものすごく大きなショックを受けたそうです。そこで、彼は独立戦争が終わるとすぐ私財を投げうって、BRACというNGOを立ち上げて救済活動を始めたわけです。

西水 美恵子氏の写真アベトさんは、草の根の人々の意識改革を促しながら、自分たちの力で貧困を解消できるような援助の仕方をしています。お金ではなく、まず草の根でリーダーシップ教育を行う。村の中にリーダーたる素質を持つ男女を見つけ、その人に1〜2年投資してリーダーシップ教育をし、読み書きを教える。村の人たちにインスピレーションを与えながら、村の構造改革をしていくところまで支えていく。そこで知識やお金が必要になれば、それを出すだけの組織力も持っています。

いろいろな村で活動の核を作り上げながら、それらをまとめてサポートする本社をつくっていますが、それも上下関係ではつくらない。組織は大きくなるとどうしても縦割りになりますが、アベドさんは意識してそうならないように努力してきた人です。一つの物事が起こればみんなで集まって、「この問題はなぜ起こったのか」と知恵を出し合って一緒に考えます。問題の解決方法が分かった時点で、いろいろなところからチームを集めて権限を与え、結果を1年で出させる仕事の仕方をします。しかも、すべての人が、BRACというNGOとしてのビジョン、「こういうバングラデシュをつくりたい」というビジョンを共有しているのです。

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別人に生まれ変わった女性たち

村の女性たちは、BRACの支援で組織をつくり、シルクやコットンの織物を開発して売ることを始めました。それが一つの会社になり、今はパリとタイアップするところまで成長しています。これは、融資とか援助のお金の額が多かったからできたのではなく、そういうリーダーがいたから成功したのです。BRACが担当した村で、食べるのさえ大変だったところから、たった4年間でこれが本当にあの村かというほどに貧困を解消したところも実際に見てきました。

私が一番感動したのは村の女性の変化です。イスラム教の国ですから、「パーダ」といって女性を外に出さない慣習がまだ残っているところがあります。夫が暴力をふるう、しゅうと、しゅうとめが嫁を動物扱いする。私が会ったときも、彼女たちは人に対して話をする自信もないし、みんなショールで顔を隠してガタガタ震えていました。ところが、4年後に訪れて、彼女たちの出迎えを受けたとき「えっ」と思いました。人間がガラリと変わっていたのです。BRACを通じて読み書きを習い、演説の仕方、帳簿のつけ方の教育を受け、そうして、人間として自分を信じることを習っていました。そういうリーダーシップ教育を1〜2年受け、村でいろいろな女性のサークルを集めて仕事を始めた人たちですが、4年後にはそのうちの2人は、村全体にサポートされてその地区の議会の選挙に出馬することになっていました。それほど人間として大きく成長していたのです。

援助の仕事をしている人間から見ると、その4年間であの村で起こったことは、50年単位、100年単位で起こるかどうかという大変な変化なのです。リーダーシップ教育やサポートができるBRACのような組織があれば、余りお金を使わないで2〜3年や4年〜5年でもできてしまうのです。

世界銀行の仕事を通じて学んだのは、やはりお金よりも人間の力が重要ということ。本物のリーダーを見つけて、その人たちが国のため、村のため、地域のためにやりたいというすばらしい事業があって、世界銀行の知識なりお金なりを必要とするならば、こちらから助けさせてもらうことが戦略であるということでした。日本でもそうでしょう。草の根レベル、地域のレベルで、良い活動をしている村などがあるのに、遠く離れた東京の役所や政治家が分かってくれない、見に来ようともしてくれないという話は、あり過ぎるほどたくさんあります。日本でも村のレベルでは100年以上前からブータンのように村人の幸せなどを政策の目標として、本当に一所懸命やってきた地域がたくさんあります。国家の指導者が国民の目線からそういうところをつかまえて、これはすごく良いことだ、何か援助をさせてもらえませんかという申し出が、国の側から出るような政治をやってほしいですね。

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未解決の問題を投げかける広報を

世界銀行の仕事は世界中が相手でしたから、南アジア地域に関する情報をはじめ、いろいろな勉強をさせてもらいましたが、やはり一番組織のためになったのは、まだ物事が固まっていない時点で問題を投げかけるという広報の在り方です。いろいろな人が興味を持ってくれるような説明の仕方で投げかければ、素晴らしいアイデアがたくさん出てくるというような経験を何度もしました。

我が国の首都機能移転に関しては、国民とのシリアスな対話がゼロだったので、国会で平成2年に「国会等の移転に関する決議」がなされたときは、突然のことで驚きました。日本の将来を考えたときにはとても大切な課題で、これを進めるプロセス自体が大切だと頭ではちゃんと分かっていますが、結局、首都機能移転は日本人としてやってほしいと叫んだことではなく、決まったことがただ下りてきただけだからハートがついてこない。

いろいろな国で良い仕事をしている政治家というのは、広報を非常に大切にします。首都機能移転はこれから先、息の長い仕事だと思いますが、国民の気持ちを動かすときには国民との会話が重要です。決まったことを伝えるのではなく、会話を続けて意見を酌み取って、結果をまた情報として流す。そんな小さなことでも繰り返しやっていけば、だんだん国民も興味を持ち出して、この仕事をやってくださっている方々に対する信頼感もわいてくるのではないでしょうか。

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都市間の距離と政経分離は関係が無い

西水 美恵子氏の写真世界の国々の政治経済プロセスを見てきた経験から、政治と経済は分離できないと感じています。役所も国会も含めて、国をつかさどる仕事をするときに、最も大切なのは正確な情報とその分析、行政や経済の指導者たちとの情報交換の場です。ですから、政治をつかさどる人々が移転すれば、経済も自然についていくでしょう。

地理的な距離と政経分離はあまり関係が無いと思います。地理的に分離しているワシントンとニューヨークは、飛行機でたった1時間の距離です。ワシントン自体は小さくて、美術館的なものと官庁の建物があって、郊外へ行くとアメリカを代表する財界の出張所みたいなものがある。それにアメリカも中央政府はガバナンスが余り良い方ではないので、国会にたびたび陳情しなければならない。ワシントンの議員や官僚も、ウォールストリートがあるからやはりニューヨークには頻繁に行きます。

発展途上国でいえば、インドのニューデリーとムンバイ、パキスタンのカラチとイスラマバードのような例があります。距離的には結構遠くてジェット機で3時間掛かるけれども、ビジネスクラスは満席のことが多い。私が世界銀行の仕事をしていたときには、中央銀行があるので最初にカラチに入って仕事をし、カラチからイスラマバードに行くまでの3時間の飛行機の中で、顔見知りの財界、実業界のリーダーたちとおしゃべりをすることで、ずいぶん情報収集ができました。ですから、距離的に離れているというだけでは、政治と経済が分離しているとは言えないのです。

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首都機能移転を進めるには、まず政治・行政の意識改革から

私の知る限りでは政経分離は無理なことだから、首都機能が移転することで、日本の政治や行政のプロセスも変わってほしいと願うのは、順序が間違っているのではないかと思います。今の日本の行政のやり方で首都機能を動かした場合、東京の政治経済のほとんどが首都機能にくっついていってしまうでしょう。皇居は別としても、東京にあったリスクは全部新しい移転先に移るでしょうから、何のためにお金を使ったのかということになると思います。このような進め方では、仮に世界銀行が日本の首都機能移転に融資することを検討したとしても、決して融資しないでしょう。

首都機能移転に至るまでの一環として、政治、行政の意識改革から始めなければいけません。本気で中央集権型をひっくり返し、中央政府と、地方のやるべきこととをはっきり分離する。そして、お互いにサポートし合うというプロセスを紙の上ではなく実際にトライしていくことが必要です。それも本当に国民が信頼してくれるほど徹底して改革する。経済と政治をつかさどる人たちがお互いに情報交換しながら国をつくりましょうという意識になるまで行う。だから、縦割りではなく横割りの行政にする。政治家を含めて官僚の方々もそうですが、省だけでなく国のこと、国民のことを考える。それこそ「国民の目線から物事を見る」ということにほかなりません。

我が国の役所にも優秀な人材がたくさんいるわけですから、そういう方々がもっと素晴らしい仕事をする環境を整えることが大切です。良いリーダーがいれば国民の意識改革は2〜3年で可能です。図体が大きいと少し時間が掛かるかもしれませんが、とにかく始めることです。それを国民が手をたたいて歓迎するレベルまで持っていく。それから、首都機能移転を政治・行政中枢のリスクマネジメントの一つとして考えようというのが正しい順序ではないでしょうか。

高度成長は悪いものを隠してくれました。しかしそれが無くなってゆがみが表面に出てきた。その構造を変えていくには、政策のやり方を変えなければいけない。今がそのときなのです。個々の構造改革は皆つながっているわけですから、例えば首都機能移転のような仕事が、日本のいろいろな分野の構造改革を刺激することにもなり得るのではないか。ですから、実際首都が変わるのか、変わらないのかという結果はどうであれ、この仕事を通じて日本の政策なり経済なりの在り方を変えたいという人たちを集めて、改革に対する何らかの刺激になってくれれば首都機能移転は大きな意味があります。ですから賛成、反対にかかわらず、非常に大切な課題だと思っています。

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