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「橋を燃やす」首都機能移転の意義と課題―ネットワーク分析の視点から

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安田 雪氏の写真安田 雪氏 関西大学 社会学部 教授

1963年東京生まれ。

1986年国際基督教大学教養学部卒業、1993年コロンビア大学大学院博士課程修了。

1995年立教大学社会学部助教授、2004年東京大学大学院経済学研究科・ものづくり経営研究センター特任助教授。2008年4月より関西大学社会学部教授。

2002年(有)社会ネットワーク研究所を設立し、所長・取締役社長に就任、調査研究、コンサルティング活動などを展開。

著書に『人脈づくりの科学』『実践ネットワーク分析』『ネットワーク分析〜何が行為を決定するか』『日米市場のネットワーク分析』『働きたいのに…高校生就職難の社会構造』『大学生の就職活動-学生と企業の出会い』など。

<要約>

  • ネットワーク分析は、人や組織の属性ではなく、相互のつながり方や構造に光を当て、ミクロからマクロまでの関係性について、同じツールで分析を行うことが特徴。
  • 東京一極集中は、ネットワーク構造としては危険度が高く、非常にもろい構造。一方で、東京の魅力を底上げし、海外からのアクセスを向上させないと、東京ひいては日本全体の国際競争力が低下してしまう。
  • ネットワークは放置すると同質的なものになりがち。異質性、多様性を受け入れることが、豊かなネットワークをつくるカギになる。
  • 既存のつながりを、いったん切ることで、新しいつながり方の可能性が生まれる。首都機能移転は、「橋を燃やす」ことで人と人とのかかわり方を大きく変えるチャンスになる。
  • 首都機能移転には、様々な課題もあるが、移転先以外の地域の活性化への影響や地方とのつながりなどに留意すべき。

ネットワーク分析から見えてくるつながりの可能性

私は、コロンビア大学でロナルド・バート教授を通じて、初めて「ネットワーク分析」という世界に触れました。以来、その深い魅力に惹かれて、ずっと研究に携わってきました。ネットワーク分析は、社会学、理工学、数学といった特定の領域に収まるものではありません。個々の人や組織というものは単体では目に見えますが、個体相互の関係は目に見えません。ネットワーク分析は、普通であれば目に見えない人と人、組織と組織などの関係を「見える化」して、分野横断的に扱おうというものです。また、現象から様々な関係性をある程度抽象的な形で抽出し、できるだけモデルに落とし込んで、つながりの在り方を分析していきます。例えば、企業で言えば、経営方針、財務力、アウトプットなどの「属性」ではなくて、どこと取引があって、どんな人々の支援や情報交換のネットワークを持っているかという「関係」の部分に注目します。

人でも組織でも同じですが、本人や個別の中身に着目するのではなくて、その人が取り結んでいる、逆に言えば埋め込まれている構造そのものを重視するという立場です。実際には「行列」という数式の形で計算しますが、それこそDNAから国家間にまでに及ぶ、ミクロからマクロまでの関係性について、全く同じ指標、同じ切り口で分析をする。それがネットワーク分析の強みであるとも言えます。研究者の中には、都市のネットワークの分析を研究している人もいます。その場合でも、都市そのものの人口は何人か、気候はどうか、名産物は何かということよりも、やはりその都市と周辺とのつながり、あるいは交通量などの流量のインタラクション(相互作用)といった観点によって、都市の力や魅力、活性度などを考えるという方法です。

「人は幾らでも変わり得る」ということは、関係性の分析によって解明されたことの中でも特徴的なことと言えるでしょう。人のつながりのパターンや結び付き、埋め込まれている人と人のかかわり方を変えることによって、本人の努力がなくても、というと言い過ぎですが、人は良くも悪しくも非常に大きく変わることができるのです。ネットワークサイエンスの観点からいえば、まず人は属性の決定論から自由になります。女性だから、出身地がどこだから、学歴がこうだからということではなく、結び付く人、入ってくる情報、持っている価値観、取り囲んでいる環境を変えることで、人は育つし、企業も育つ、地域も変わるということが明らかになってきています。

リーダーシップがある人や、カリスマと言われるような人は、こうした科学などを全く必要とせず、意識しなくても他者をまきこみ、動かすことが自然にできています。でも逆に、関係づくりが苦手な人こそ、ちょっとつなぎ方を変えればこんなに人はついてきてくれるんだなとか、こちらのポストさえうまくいけば、もう少し仕事の風通しが良くなるなということに気が付く。ネットワーク分析は、そういう意識転換のきっかけになるのではないかと思います。

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東京はアクセシビリティを強化して、プッシュ型のハブを目指せ

東京に首都機能が一極集中しているという状況は、科学的に見ると、ある意味当然の状況でもあります。なぜならネットワークには非情なルールがあります。常に勝ち組が勝ち続けて、負け組が負けていくというのが鉄則。よくPA(Preferential Attachment)モデルあるいは優先的選択モデルと言われますが、人はほかの人が既に選んでいるもの、ほかの人が好きなものについていきがちなところがあります。インターネットの世界でも、みんながリンクを張っているようなサイトにはつながりが増えますが、みんなが振り向かないようなサイトのつながりはなかなか増えません。ネットワークの成長原理というのは、非常に残酷なものです。

しかし、構造だけを考えた場合には、一極集中というのはある特定のハブ(拠点都市)がすべての機能を担っているという状態ですから、ネットワークサイエンス的に見ても非常に危険度の高い、もろい構造であることは否定できません。恐らくほとんどのネットワーク技術者は、一極集中ではなくて機能を分散させる形を取るし、少なくともバックアップ構造は常に持っている状態が望ましいと考えています。私自身も日本国内だけで考えた場合には、東京一極集中というのは非常にもろくて、望ましくない状態だと思います。万が一危機的な状況が起こって東京が駄目になったら、一体ほかの地域はどうなってしまうんだろうと懸念しています。

一方で、日本全体をアジアや世界の中に埋め込んだフレームワークで見た場合には、東京はまだまだ国際的な競争力が足りない。もっと魅力的に、もっと力強いハブになるべきです。そのためには、まず東京自体の国際競争力を底上げして、その次の段階で東京と他の地域をもっと結びやすくすると良いのではないでしょうか。つまり、東京は国内の力を吸い寄せるようなプル型のハブではなくて、東京から地域へ力を送り出すプッシュ型のハブになっていけば良いのです。それを中核都市が結び、なおかつ各地方都市が直接海外とつながれば、都市ネットワーク全体がより頑健的、魅力的になるのではないでしょうか。こういう人の動きをつくるということが大事です。

今はドバイ、ロンドン、それからアジアでも、各地に強力な都市が出来上がってきていますので、極端な例でいえば羽田にもっと国際線を引き込む、新幹線を羽田まで引き込むぐらいのことをしていかないと、このままでは東京自体の持つ国際的な競争力は、まだまだ弱いと言えます。首都機能をどこに置くかはさておき、私は東京の一極集中状態というのは、国際的に見ればまだそれほど深刻な状態ではない。それよりも、まず海外から東京へのアクセシビリティをもっと上げることが重要だと思います。例えば、海外から日本に帰ってくると、成田空港から東京までの距離がものすごく遠く感じます。海外からいらっしゃったお客様を成田にお迎えに行っても、くたくたに疲れてしまう。そういうことを考えると、首都機能の移転先をどこにするかという問題よりも、世界の窓口として、今の東京の機能は本当に十分なのだろうかと思ってしまいます。東京がそうあるべきだと言うわけではありませんが、ロンドンのように空港まで地下鉄15分でつながったらいいのにと思います。

まずは今の東京を海外からアクセスの良い状態にすることが大事で、そうすると海外から見て、日本の地方都市がものすごく近くなるわけです。また、世界の窓口としての空港を成田に限定して考える必要はなく、関空でも伊丹でも羽田でもどこでも良い。いろいろな事情で空港の整備が難しいのは分かりますが、今の東京のアクセスの悪さは少々残念です。

東京と海外とのつながりに限らず、地方都市と海外との直接的な結び付きは、どんどん強くなってほしいし、地方空港を持てない所は東京を通じてスムーズに海外に行ける構造が効率的かなと思います。今は地方の人々も魅力的な都市をつくっています。その動きを大事に育てていってほしいですね。やはり地元の人自身にとって魅力があり、地元の人が好きだと思える土地でなければ、海外の人も来てはくれません。

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豊かなネットワーク構築のかぎは、異質性を受け入れること

人と人とのつながりに関していうと、東京には人口が集中していますが、その中で人と人がつながっているという感じはさほどありませんよね。特徴的なことは何かというと、東京に住む人々の多くがふるさとを持っていて、全国各地につながっているということ。だからこそ東京には、福島の魅力、北海道の魅力、京都の魅力というように、東京以外の魅力がたくさん入ってくるのです。東京に行けば47都道府県の人と会うのは簡単なことです。ところが南の方に行ったり北の方に行ったりすると、やはり南なら北の人には会いにくいし、北なら南の人には会いにくい。ですから、東京にいる限りはどこの地域とも非常につながりやすい状況があるのです。それはネットワークの豊かさという点から見ても、大きな強みだと思います。

安田 雪氏の写真豊かなネットワークを構築するためには、最低限のつながりの数は必要ですが、あるところを超えたら数はもう問題ではない。やはり1人の人間がお付き合いできる人の数は、時間も限られているし、体力的なこともありますから限界があるのです。その限られた条件の中でつながりをどう増やすか。お付き合いする人数が同じでも、分散した多様な人と付き合える構造なのか、あるいは同質的、つまり同世代で同じような体系、同じような学歴、同じような組織にいる人としか付き合っていないのかで、豊かさがまるっきり違ってきます。同質性で固まらず、異質性を受け入れることによって、まず価値判断の幅と機会の幅が増えて、それによって入ってくる情報の量と質が変わります。それから行動するときのオプションとして、自分ができることや、自分がしてよいことといけないことに対する視野が変わってくるところもあります。つながりを豊かにするという観点から言っても、多様性、異質性への寛容さを持ち、それを保てる状態にあるということがネットワークの豊かさだと思います。

そのためにも、あえて異質なものと接する機会をつくった方がよい。私は、いわゆる「ニート」状態にある若い人にも「とにかく社会とのつながりを切ってはいけない」と言っていますが、社会において人との対話は欠かせないものなのです。インターネットの情報も非常に大事ですが、何といっても対面接触できる人とのつながりがその人にとっての社会なのですから。顔を見て話せる人がコミュニティであり、家族であり、社会と人生なのです。やはりその基本を大事にした上で、次の段階では意図して自分と違うタイプの人、10代、20代、30代、40代...、各世代に信頼できる相手を持てるような状況をつくらなければいけません。あえてそのような状況をつくるようにしないと、気が付いたら同年代の同じ階層の人ばかりと付き合う結果になってしまいます。

放っておけば同質的になっていくというのが、ネットワークの性質です。そのままでは、同質的かつ皆様が選んでいるものの方についていくことになってしまいます。特に、日本人は気が付くと同質性原理が働いて、集団で「みんなで頑張ろうよ、同じ方向を向こうよ」ということを強調しがちなところがあります。それはもちろん大事なことですし、日本人の重要な美徳だとも思いますが、そちらにばかり注意が向く余り、皆とちょっと違った子供に対して排他的な行動をしてしまったり、少し変わったライフスタイルを取っておられる人が組織の中でつらい目を見たりということもあります。我々の国民性から言って、意識していないと異質なものや多様性に対する寛容さをなかなか持ちにくいところがあると思います。その寛容さを人々がどこまで持てるかというのは、首都機能が新しい土地へ移るときのポイントにもなるでしょう。

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首都機能移転は「橋を燃やす」ことで、「在り方」を変えるチャンス

どんなネットワークにもこの形が最適だという形状は、残念ながらありません。我々研究者が目指しているのは、人の在り方、社会の在り方を踏まえて、例えば全員で輪ゴムを持ち合ったときに、一番いいバランスの距離感と状況と力かげんになるところを探し出すということです。関係があるべきなのにないのはどこか、ここを関係付けたらどうなるか、これを切ったらどうなるかなどを分析することが、ネットワーク分析の究極の目的なのです。

私は「橋を燃やす」ということを時々申し上げるのですが、燃やしてみないと架からない橋はあるだろうし、別れてみないと出会えない人もいる。だれかがいるから橋を燃やし、既存のものを切るということではなくて、切る、無くす、別れる、そうなった時点で初めて架かってくる橋や関係というのもあります。本当に行き詰まってしまい、勝ち組が1人で勝っている状態のときには、あえてそういうことを断行するというのも一つの戦略と言えるでしょう。

首都機能移転に関しても、「切ること」と「架けること」が重要ではないでしょうか。それは正に「橋を燃やす」ことだと思います。特殊な民間企業と官公庁との関係など、ある意味では切れた方がよい関係に、新たな風を入れるという意味でも、首都機能移転はつなぎ直しの大きなチャンスになると思います。移転によって動く箱物や人そのものよりも、むしろ関係が切れることによって、新しい環境でどれだけの新たな関係を築くことができるのか興味深いところです。燃やしてみないと、次にどんな人がやってきて、どんな橋が架かるのかは分からない。そこまで計算できたらすごいことです。最初に申し上げたように、ネットワークというのは可視化できないものであって、関係というものは一番操作しにくいものだからです。

例えば、私も夫の持っている関係の全体像は分かりませんし、夫も私の持っている関係の全ては分かりません。もはや子供たちだって、だれとどうかかわっているのかは分からない。でも、全部見えないながらも一緒に家族としてやっているので、その関係の部分については夢を抱いたり期待をしたり、または思いも掛けないことが起こったりします。それは当然のことなのです。

首都機能移転によって、パーソナルネットワークの在り方は大きく変わると思います。ネットワーク研究者のグループで、サポートネットワークやライフケアといった研究をしている人がいます。人生のいろいろな段階でどういう人たちと過ごすかというのは非常に重要な問題ですが、人間関係自体はだれも自分でコントロールできません。過疎や交通が困難な地域の人に「人間関係を変えなさい」と言っても無理でしょう。そこにはある程度人為的なものが入らないと、特に農村や過疎化の進んだいわゆる限界集落などでの人間関係は動きようがないのです。「お年寄りと地域を結ぶ」「ニートと会社を結ぶ」「子供たちを町内のおじいちゃんおばあちゃんと結ぶ」というように、人と人との関係の形成に対する支援は、むしろ箱物を建てるよりも重要な公務の一つではないでしょうか。首都機能移転も、その土地の人の関係形成の再構築にとって、一つのきっかけには十分なり得ます。

したがって、人のかかわり方が変わるということは、首都機能移転の良いメッセージになると思います。公務員とその家族が移転先で今と同じ生活をそのまま再生産するわけではなく、議員と地元の人、あるいは地元の農家と公務員というような新しいかかわりがつくられる可能性は非常に高い。地方在住の人で人間関係を新たにつくりたいと思っている人は、私たちが思っているよりもはるかにたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。人間関係の閉塞感が犯罪や悲しい事件に結び付いていることも多い。人間関係を変えようと思ったら大都会に行くしかないというのが、地方の人たちの発想としてありますが、首都機能移転はそういった人間関係の風通しを良くするきっかけにもなるでしょう。

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首都機能移転をめぐる課題

首都機能移転に関しては、様々な課題もあるのではないかと思います。

第一に、首都機能が移転する先は活性化すると思いますが、同時に東京の地位が下がります。東京の地位が下がることによって、国際的に見て、ほかの都市も連動して地位が下がりかねません。それだけは防がないといけません。

第二に、今の東京のフレームの中で首都機能移転を考えた場合、例えば外国の方が訪問されたとき、あるいは国会を開くときなどに、新都市と皇居との距離が遠いことについては、いろいろな考え方があるでしょうが、ていねいに関係を考えてみる必要があるでしょう。

第三に、首都機能移転に当たっては、地方とのつながりが実感できるような形にしたほうがよいでしょう。私たち研究者も、つながりが集中しているところよりも、どこにつながりがないのか、つながりがあるべきなのに橋が架かっていないのはどこなのかを探して、やはり関係が少なく偏っているところに注目します。そうやって地方にも目を配ることは大事です。ローカル線の廃止などがあると、ここが切れたら、ここが欠けたら住む人はどうなるのだろうと非常に胸が痛みます。だからこそ、中核の都市からローカルな動脈、さらに細かい静脈へのつながりという構造を考えた場合には、中核の都市が国際的に見てしっかりとした魅力がある状態にあって、首都は国際的にみるとプル型、そして国内的にみるとプッシュ型のハブとしての力強い機能を持っているということは絶対に必要だと思います。

第四に、どうしていつも国会が国土の真ん中にあるのでしょうか。物理的なことや警備に問題がなければ、国会は各地方の様子を見ながら、国体のように毎回いろいろな都市に移っていくのもいいかもしれません。仕事で地方自治体などに行くと、なぜこういう情報が上層部に上がってこないんだろうと、びっくりするようなことに遭遇します。これは、地方の情報を吸い上げるよりも東京の情報を流すというマスコミの姿勢にも問題があるのではないかと思います。私は最近東京から関西に引っ越して、入ってくる情報が東京と全く違うことに驚きとともに、情報の偏りをしみじみ感じています。

最後に、東京は戦中・戦後の苦労など、いろいろなことを経て今の状態まで発展してきたわけです。近代化を選択した代償として、自然や豊かな環境を放棄し、都民もそれなりにリスクを負ってきたのです。ですから、東京に代わるような人工的な都市を新しく一気に造るのは時期尚早と思います。また、いきなり全部の機能を備えた新都市を造るのは実際の問題としても大変です。ですから、まずは小さいけれど魅力的なモデル都市を造って部分的な機能分散を試してみて、国民が納得した後に、より大きな規模で首都機能を移すことを考えるのが筋ではないでしょうか。

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