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「国会移転は必要。東京のためにも」

現国会議事堂はミュージアムに、霞が関はガバーメントパークに


林 昌二氏の写真林 昌二氏 建築家、株式会社日建設計名誉顧問

1928年生まれ。日本建築家協会(JIA)名誉会員、アメリカ建築家協会(AIA)名誉会員、日本建築学会(AIJ)名誉会員。NEC日本電気本社ビル、新宿NSビル、日本プレスセンタービルなど多数設計。日本建築学会・作品賞など受賞。

著書に「二十二世紀を設計する」、「オフィスルネッサンス」など。



国会移転を、ぜひ

私たちは過去3回にわたって、NUI都市建築研究所から「国会等移転」について意見を発表してきました。発表は、ささやかなレポートとして関係の方々にお届けした程度でしたから、ご存知ない向きが多いのは仕方がないのですが、どうも真意が伝わらないのが残念です。東京都が移転に反対される理由も、私たちから見れば理解しかねます。

幸いここに機会を与えられましたので、改めて私たちの考えを述べさせて頂きます。

私たちは、国会議事堂は移転することがぜひ必要だと考えております。しかしこれは東京の衰退を結果することにはつながりません。それどころか、むしろ東京を文化的な都市として蘇生させる機会になり得る、と考えています。

少し具体的に説明しますと、国会は移転し、現議事堂は議会記念ミュージアムに改装する。(その理由は、後段でライヒスタークとの比較で述べます。)それとともに、これまで巨大なブラックホールめいた場所として、一般市民の立ち入れない場所だった霞が関の官庁街を公園化し、ガバーメントパークとして一般に開放する。そのため、霞が関の官庁庁舎は、1階と地階を、市民の親しめる文化・商業施設に改装する(官庁の仕事は2階以上で行えばよい)というのが、私たちの提案の趣旨です。

こうすることによって東京は、都民はもちろん、内外の訪客にも喜ばれる、活き活きとした都市として蘇生することができます。現在の東京は、欧米の首都とは違って、皇居周辺以外には訪れる魅力のある場所に恵まれず、せいぜい秋葉原とディズニーランドを回って帰らざるを得ないという、何ともお寒い状態にあります。こんな情けない状態は一日も早く解消し、東京を文化芸術の香り高い都市に改造してほしいのです。

これは東京に生まれ育ち、東京を愛する小生の悲願でもあります。

以下、私たちの意見の背景と理由について、もう少し説明を加えます。

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現国会議事堂は、民主主義社会にふさわしくない

現国会議事堂は、今日および明日の時代の民主主義社会には相応しくない構造をもっています。しかも改造程度では対応できないため、ぜひとも新しい議事堂が必要です。

なぜ民主主義時代に相応しくないのか。まずは外観です。現議事堂の外観は、明治政府の西欧列強に伍する国家建設の意気込みを象徴して、「不朽の堅固荘厳」と「宏壮偉大」が目指された結果、閉鎖的で重々しく、訪れるものを威圧する権威主義的な外観を具えています。明治時代を記念する建築物としては相応しいとしても、現在及び将来の開かれた日本の国会議事堂としては、まことに具合の悪い施設です。

次は内部の構造です。現議事堂では、閣僚の席が、議員席を見下ろす高い位置に「ひな壇」として配置されています。これは明治の欽定憲法による天皇の親政下で、閣僚が天皇を輔弼(ほひつ)する立場にあったことによります。この点については、かねて議員から、民主主義時代に相応しくないとの指摘があり、改造の検討も行われたようですが、技術的に不可能とされてそのままにされてきたのでした。

建築物が、そこを訪れ、利用する人々に対して、どれほど大きな影響を与えるものであるかについて、私たちは職業上、格別の関心をよせてきました。国家の将来に対して、議事堂のあり方が大きな影響をもつことは、改めて論じるまでもありません。サー・ウインストン・チャーチルの言葉「私たちは建築物を作る。次には建築物が私たちを作る」は、英国議会の議事堂について吐かれた言葉でした。権威的な建築に閉じこもっていれば、肩をいからし、外の世界への関心が薄くなってゆき、常に見下ろされる席についていれば、 へり下る姿勢が身についてゆきます。

議事堂の構造は、基本的に、その社会の構造に見合ったものであるべきです。

それにしても、現議事堂は先輩たちが国力を傾注した、貴重な遺産なのだから、何とか改造して新議事堂として使う手はないか、との疑問があるかも知れません。その点については、最近完成したベルリンの連邦議会議事堂が、貴重な教訓を示してくれています。

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ライヒスタークの改築は、二兎を追って失敗した

20世紀を代表する議事堂の例としては、全く新しい土地に新築したブラジリア、キャンベラなどがありますが、注目されるのは最近完成した統一ドイツの議事堂で、旧議事堂ライヒスタークを改造して、ドイツ連邦議会の新議事堂としたものです。

ドイツの議事堂としては、戦後、西ドイツの首都とされたボンに作られた議事堂がありました。ボンの議事堂は、敷地も狭く、建築としては比較的簡単なものでしたが、新生ドイツの意気込みを体現した、見事な議事堂でした。議席は平面上に円形に配置され、外壁はガラス張りとされて、透明な雰囲気に溢れていました。実際、市民は気軽に窓際を通りながら議場を覗きこむこともでき、民主主義時代の到来を実感することができたのでした。

東西の統一とともにベルリンが首都となることが決まって、議事堂はワイマール憲法の象徴であったライヒスタークを改造して使うことになりました。この改造に当たっては、世界の英知を集める国際コンペティションが行われました。その最初の段階で決まった構想案は、思い切った案でした。ところが、現在完成した議事堂は、それとは異なるもので、ドイツ帝国時代の印象を色濃く残したものとなりました。もちろんそれなりの工夫は加えられました。中央部にドーム状のガラス屋根を載せ、そこから採り入れる自然光が議場まで届くとか、ドームの掛かる屋上には市民が上がれる、さらにはさまざまな地球環境への配慮などもあるのですが、議事堂建築の基本は昔のままに残されました。理由は、歴史的遺産であるライヒスタークの保存にあることと想像されます。その結果、正面のファサードは、石段と列柱だけでも近寄り難く権威主義的であり、中央に載せたガラスのドームは、市民にとっての透明性への期待とはほど遠いものに留まりました。

歴史的遺産の保存と、新時代にふさわしい議事堂という二兎を追ったところに、所詮無理があったわけで、結果は、良くも悪くも、ワイマール帝国を記憶する記念建造物ではあっても、今日の時代に相応しい議事堂に変身することはできなかったのです。

ベルリンの例は、私たちの国会議事堂の今後について、示唆に富む教訓を示してくれました。現国会議事堂は、歴史的遺産として保存すべきもので、手を入れて新議事堂に使おうとすれば、将来に禍根を残すおそれがあるということです。

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国会のあり方の検討が前提

私たちは国会等移転に関して提案と提言を行ってきましたが、その立地や、新首都の都市像については、触れてきませんでした。首都の規模や分都のあり方についても同様です。立地についてはそれなりの検討がある筈ですし、都市像については、立地が決まったのち、その地に見合ったクライテリアを考えることからはじめるべきだと考えているからです。

首都問題は、国家百年の計ですから、格別に急ぐ必要はありませんし、いっときの景気で左右されるべき性質の問題でもないと考えます。しかし、国会議事堂に関しては、以上に述べたように、現在の社会構造にとって相応しくないものである以上、なるべく早い時期に適地を選んで移転する必要があると考えます。

但し、そのためには、新しい時代に臨む国会のあり方〜議員定数、二院制の是非、電子時代の運営方法、公開の方法その他〜について、誤りない基本方針を確定することが前提となることは、改めて申すまでもありません。

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