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社会の形を問うビジョン形成としてのコンセンサスを


宮崎 緑氏の写真宮崎 緑氏 千葉商科大学政策情報学部 助教授

NHK・NC9初の女性ニュースキャスターとして草分け的存在。

テレビ、新聞、雑誌等でジャーナリストとして活躍する一方、国際政治学者としてアカデミズムの世界でも地歩を固め、東京工業大学講師を経て2000年より千葉商科大学政策情報学部助教授。

慶應義塾大学大学院修了。1993年度日本ジャーナリスト大賞受賞。

著書に『女の耳目』『わたしが会ったアジアの子ども』など多数。

国立環境研究所客員研究員、(社)国際食糧農業協会理事、(財)芸術文化振興財団評議員、日本ペンクラブ獄中作家委員会委員、等。



世紀末はどういう意味を持っているか

今、大きな歴史の転換点に直面している実感は誰しもが抱いているところではないかと思います。社会、経済、政治、文化のあらゆる分野でパラダイムシフトが起こり、少年犯罪にしても金融破綻にしても、従来なら考えられなかったような事件、事故が発生したりする度、「やはり世紀末・・・」という形容でくくっている昨今ではないでしょうか。しかし、ちょっと立ち止まって考えてみると、この世紀末とは一体どういう「意味」を持っているのでしょうか。

歴史の時間軸を考えた場合、実は、今を世紀末といっているのは西洋の暦に基づく発想であることに気づきます。正確にはグレゴリオ暦。キリストの誕生から年号を数えて、2001年目、というわけです。

ところが、例えばイスラム教の世界では、ハジュラ暦という太陰暦が使われています。わが国の旧暦のような太陰太陽暦と違って、月の満ち欠けだけで数えますので、地球の太陽に対する公転周期との間にズレが生じ、一年は355日。10日ほど早く終わることになります。次の年はまた10日ずれ、次の年はまた10日、という具合に次第にずれていくのですが、では、いつから数えはじめたかというと、マホメットがメッカからメジナにハジュラ(ヘジラと発音を表記することもあります)した年から。それは西暦に直すと、622年の7月のことでした。つまり、「今」は世紀末でもましてや千年紀(ミレニアム)でも全然無いということです。

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高度情報通信社会の中で価値観の軸が問われてくる

ひところ話題騒然だった「神の国発言」がございましたが、この暦なら、紀元は2661年、となりまして、やはり世紀の区切り目にはあたりません。

中国の春節も今年は1月26日ですし、各地の文化に根ざした暦を使うと、「今」を見つめる時間軸そのものが様々に異なることになります。

何を申し上げたかったかというと、つまり、カレンダー一つ替えるだけで「今」の意味が変わってしまうのです。もっと様々な価値観について・・・例えば、正義とは何か、自由とは、平等とは、民主主義とは、といった概念全般について、その社会は何を中心軸にして回転しているのか、が、大変重要なテーマだということです。特に、高度情報通信社会が成熟するにつれ、そうした価値観の軸や行動規範や社会倫理等々が世の中を動かす大きな力として問われてくるということです。

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首都機能移転論議を社会の軸を問い直す契機に

そうした観点から、では、首都とは何か。どういう街で、何を基本理念として、どのようなライフスタイルが展開される場なのか。考える必要があるのではないでしょうか。

東京が過密になったから移す、というような対症療法ですと、この中核の概念が見えなくなってしまうのではないか、と思うのです。だから、不況だからそれどころではない、といった議論も出てきます。

また、アメリカをモデルにして政治と経済の中枢を二元化させよう、とか、諸外国の成功例を参考にすることも大切ではあると思いますが、文化や価値観の違う社会のシステムを導入するなら、この社会の成立要件や構造まで見直す必要が出てくるでしょう。

即ち、首都機能移転の論議というのは、とりもなおさず、どのような社会を作っていこうとしているのか、その哲学を問う大テーマなのです。始めにビジョンありき、で語りたいものです。そのためには、私たち一人一人が、まさに自分の問題として捉え、十分に論議を尽くし、時代のコンセンサスとして形成していきたいものです。

そうでなくテクニカルな問題に集中してしまいますと、「木を見て森を見ず」になってしまう恐れが出てくるのではないか、と思うところです。

100年後、1000年後に振り返った時、ああ、あの時代の「軸」はこうだったのね、というのが見える形で作り上げていきたいものですね。

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