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首都移転論議の盲点 ― 国民の関心はなぜ低いのか ―


橋山 禮治郎氏の写真橋山 禮治郎氏 帝京平成大学 教授、米国アラバマ大学名誉教授

1940年生まれ。静岡県出身。慶應義塾大学経済学部卒業後、日本開発銀行に入行。米国Resources For the Future研究所客員研究員、パリOECD環境局勤務などを経て、調査部長。1990年日本経済研究所専務理事を経て、帝京平成大学教授。運輸政策審議会委員、産業技術審議会委員なども務める。著書に「都市再生のニュー・フロンティア」。



はじめに

平成2年に衆・参両院において国会等の移転に関する決議がなされて以来、10年が経過した。この間国会での特別委員会の設置、政府報告書の取りまとめ、移転に関する法律制定、移転先候補地の答申等が行われた。一見首都移転に向けて着実な進展がなされているように見えるが、実態は全く逆である。最近では国民の関心はさらに低くなったばかりか、国会での議論もほとんど行われていない。こうした議論の低さを憂慮する一人として「首都移転問題」の原点をもう一度振り返ってみたい。

首都移転論議が国民の大きな関心事となり、その帰趨を決定する上でもっとも重要なことは、「何のために首都移転を行なうのか」という必要性とその目的について国民の幅広い合意が形成されるかどうかにかかっているといっても過言ではない。「どこに移転するのか」「いくら費用がかかるのか」などの計画手段よりも、多くの国民に首都移転の必要性と目的を説明し幅広い合意を得ることの方がはるかに重要であり、優先されなければならない。

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移転の目的を明確にせよ

首都移転に対する国民の関心がなぜ低いのか。その原因として次の3点を指摘したい。

第一は目的設定の曖昧さ、第二は首都に対する誤れる固定観念、第三は誤れる移転反対論に対する説得力の不足である。

まず最初に首都移転の目的に関して触れてみよう。確かにこれまでの検討の段階で、国政全般の改革、東京一極集中の是正、災害対応力の強化の三つが指摘されてきた。しかしこうした三つの目的を併記してきたことがかえってその後の議論を混乱させたといえる。

わが国にとって唯一の首都を移転することは正に歴史的大事業であり、現在および将来の国民全員に関わる重要問題である。野放図な一極集中を放置(一面では促進)してきた東京の都市問題をどうするかとは次元の異なる問題であることをまず認識すべきであろう。その点では、「日本の姿を変える」国政全般の改革を目標の第一に掲げたことは正しいといえる。そればかりか、この10年間は『失われた10年』といわれるように、これまでの政治、行政、財政、金融、産業、教育等あらゆる分野で硬直性や悪しき慣行がますます露呈し、これらを打破すべく旧来の諸制度や考え方を大胆に変革しなければ21世紀の日本はないというほどの危機感を多くの国民が共有しはじめている。そのことを考えれば、国政全般の抜本的改革の必要性はますます増大していると言えよう。

残念なことに、これまで国会、政府の懇談会や有識者会議、審議会においては「首都移転によってどのような国に変えるのか」という国の将来像についての検討が真剣かつ具体的に行われることなく、「どこに移転するのがいいか」という移転先候補地の選定に人知と時間を費やしてきた。もしこの10年間に強い政治的リーダーシップの下に英知を結集し、「新しい日本の姿」を論議した成果を具体的に国民に示し、その中で象徴的プロジェクトとして首都移転計画を位置づけたならば、国民により積極的な意味で首都移転への理解と共感を呼んだであろう。また法律制定時に東京都への配慮から東京都との比較考量を条文中に追加したのは妥当性を欠いた判断であったと言わざるを得ない。なぜなら、計画される新都市と現在の東京とを空間軸で比較するのは無意味である。本当にすべきことは、首都が東京から他の場所に移った場合には日本の社会や政治・行政システム等が現在と比べてどこがどのように変るのかを時間軸で明確に国民に示し、国民が自ら比較考量して首都移転の是非を決定することであろう。

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固定観念からの脱却

第二に指摘したいのは、首都に対して多くの人々が固定観念にとらわれすぎている点である。機能移転を伴わない新首都などありえないにも拘わらず、「首都移転」を「首都機能移転」と曖昧な言葉に言い換えている。主権在民のわが国の首都が国会と政府の所在地を意味することは明白であり、皇居の所在地を必ずしも意味するものではない点は疑問の余地がなかろう。

さらに国民の中には、首都とは 1)現在の永田町や霞が関に所在する全官庁と公務員を含め、国会、行政機関、司法機関等のすべてが新首都に移転する、2)東京に匹敵するような大きな都市が新首都として造られる、3)東京に本社を置く大企業各社が新首都に移転する、4)建設には莫大な費用がかかる、5)新しい場所に首都が移転した場合には行くだけでも大変不便になる、6)移転すれば東京の活力が衰退し、日本の国際的地位が低下する、と考える人がかなり多い。しかしこれらはいずれも固定観念にとらわれた考えである。そうした観念的理解には全く根拠がないばかりか、これらのイメージとは全く違う新首都をつくることは十分可能であろう。

筆者も参加した社会経済生産性本部が最近発表した報告書『首都機能移転への新たな提言』も言及しているように、コンパクトで効率的な新首都を考えれば新首都の規模は当面20万人程度で十分成立可能であり、最高裁判所や特殊法人等の移転はむしろ避けるべきであろう。また「10数兆円の建設費は膨大で今そんな財政的余裕はない」、「建設業界を儲けさせるだけで公共事業費の無駄使いだ」等の批判も依然後を絶たないが、本当にそうだろうか。規模を縮小することによって6兆円程度に縮小できるという試算もある(前掲報告書)。PFIを活用すればさらに削減することも可能と思われる。この数年間にわが国政府は実に100兆円を超す公共事業費を追加してきたが、後世代に残すべき価値ある社会資本をどれだけ作ってきたか、我々自身反省すべきではなかろうか。

第三は、無知や誤解から首都移転に反対している人々に対し、責任と情熱を持って説明したり説得する対応力があまりにも弱い点である。例えば石原慎太郎東京都知事は両院の国会決議や法律制定の経緯も無視して首都移転に強く反対している。政界の実力者金丸信氏だけの威圧で国会決議がなされたわけではあるまい。石原氏個人の見解は自由だが、首都は日本国民全員のものであり東京都民の占有物ではない。また石原知事は、東京都内の自動車の平均速度が10年後に25km/h、20年後に30km/hに改善されれば年間約3兆円の便益が見込まれる、首都移転に使う金があったら東京の環境改善のために使えと主張している。しかし、東京集中は終わったどころか、東京の人口は依然増え続けており、膨大な追加投資がさらなる自動車を呼び込むことは明白である。

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日本社会変革のために

思うにわが国は小さいことは得意だが、大きいことは不得意だと痛感せざるを得ない。カメラ、時計、半導体、液晶、ロボット、ビデオ、パソコン、自動車などは世界最先端を行くが、都市再開発、ニュータウン建設、都市計画、国土計画、国際空港、航空機、宇宙開発、世界戦略など大きいことは総じて苦手である(例外は新幹線と本四架橋)。新首都も大規模な計画ではなく、小規模で質の高い都市を目指すべきである。

最後に強調したい。わが国の政治、行政、財政、経済等の社会システムの改革は日本再生のために不可欠であり、その先導的契機になるのが首都移転であろう。空間的にも財政的にもまた技術的にも実現可能性は十分あり、またその実現の過程および完成後には大きな国民的利益が期待される。ただ不足しているのは、強い政治的リーダーシップと国民への呼びかけであろう。これこそもっとも必要なものである。米国は1780年を期して気品ある新都市ワシントンを建設し首都とした。選挙で国民に公約して当選したブラジルのクビチェック大統領は新首都ブラジリアを5年間で完成させた。

目的は正しく、必要性もあり、実現も可能である今、それができないほど日本は衰退したのだろうか。残念なことに、首相も国会も所管官庁もこの歴史的事業に真剣に取り組み国民の合意を求めようとしている推進者はどこにも見当たらない。いま必要なことはわが国の首都移転論議を原点に戻し、広く国民の関心を喚起し新しい日本の舞台づくりに前進する仕組みを再構築することである。『できるにも拘わらず我々にそれができないのは、我々自身ができないと考えるからである』これは故ケネディ米国大統領の言葉である。

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